第二十六話「光と嘘」
女の声を頼りに急いでダンジョンを走り回ると、白銀の鎧を着込んだ裕福そうな女が座り込んでいた。手にはダガーを持っており、虚ろな青い瞳で俺を見つめた。首には宝石を散りばめた金の首飾りをしており、ひと目見ても冒険者ではない事が分かる。こんな成金趣味の冒険者が居る訳が無い。
大抵こういう女は複数の男を連れてダンジョンに潜り、冒険者の邪魔をしながら狩場で遊び始める。魔物を必要以上に痛めつけて殺したり、冒険者に魔物をけしかけたり、ろくな事をしない。冒険者生活を長く続けているかから、装備を見れば相手の性格や戦い方等が想像出来る。
バラックさんも女の軽装を見て怪訝そうな表情を浮かべている。
「助けて下さい……! この先に夫が……! デニスが居るんです!」
「ほう、助けろとな。我々にあなたの夫を救う力があると思うのか?」
「はい……! デニスがゴブリンに誘拐されたんです! 彼は腕に毒矢を受けて意識を失っているんです!」
「それで、お前はここで何をしている? 自分では救出出来ないから冒険者を待っていたのか?」
「ええ。私一人では救出出来ませんから!」
「とんだ腑抜けだな。怪我をした夫が魔物に連れ去られたにもかかわらず、こんな場所で来るかも分からない冒険者を待つとは」
バラックさんが珍しく他人を追求する口ぶりで話している。基本的に助けを求めてくる人が居れば手を差し伸べる人なのに。グレゴール・バラック……。三十五歳でアーセナルのギルドマスターに就任し、回復魔法と闇属性を討つ攻撃魔法を極めた剣士。
町で怪我人が出れば無償で魔法治療を施し、魔物が町を襲えば、たとえ深夜でも衛兵を引き連れて魔物討伐を行う模範的な冒険者。バラックさんがギルドマスターに就任してから今年で五年。アーセナルは登録者数も大幅に増え、ヴェルナーの周辺地域の魔物による被害も年々減りつつある。
そんなバラックさんが成金趣味の女を睨みつけている。筋骨隆々、大抵の魔物なら一撃で仕留められる分厚いブロードソードに、彼の強さを証明するかのごとく、傷一つ無い白銀のメイル。熟練の冒険者でもバラックさんに睨まれれば萎縮するが、女は怯えた表情すら浮かべない。
「分かった。案内してくれ」
「ありがとうございます! こちらです!」
女が俺達を先導しながら歩き始めると、俺は違和感を覚えた。夫がどこに連れて行かれたのか正確に把握しているにもかかわらず、冒険者を待ってダンジョン内で待機していた。この説明出来ない気味の悪さはなんだ……?
「ヴィルヘルム。あの女を信用しない様に……」
「え……? はい……」
バラックさんはダンジョン内での命令は絶対だと言っていた。それに、自分自身が命令を間違える事は無いと。バラックさんの一言が俺の疑心を確信へと変えた。この女は信用出来ない人間だ。どれだけ力が無くても、家族が目の前で誘拐されたら確実に後を追うだろう。冷静に安全圏まで退避し、冒険者がダンジョン内で自分を見つけるまで待機する等、まともな人間のする事ではない。
「こちらです!」
女は大きな金属製の扉の前で立ち止まると、ダガーを構えて扉を見つめた。ここはガーゴイルの石像がある大広間だ。以前クラウスとこの部屋で狩りをした事がある。確か、一定の範囲内に入ると自動的の炎を吐くガーゴイルの石像が中央に設置されているのだ。
「ここで待て、ヴィルヘルム」
「はい」
俺はバラックさんを信じている。ローゼを失った時も、毎日の様に俺を励ましてくれた。生きる気力を失った俺をギルドから追放する訳でもなく、いつまでも面倒を見てくれた。お金が無い時には生活費をくれた事もあった。勿論、頂いたお金はすぐに返したが、バラックさんは自分のギルドに所属しているメンバーを心から愛している。きっと考えがあって俺をここに待機させるのだろう。俺はバラックさんを信じるまでだ……。
成金の女が扉に手をかけ、ゆっくりと扉を開くと、中には無数のゴブリンとスケルトンがひしめいていた。巨大なガーゴイルの石像のすぐ傍に、ローブに身を包んだ何者かが横たわっている。きっとあの人がデニスなのだろう。ローブには大量の血がこびり付いている。すぐに救出しなければたちまち命を落とすだろう。もしくは、既に事切れている可能性もある……。
「早く! デニスを助けて下さい!」
女が叫んだ瞬間、バラックさんは左手を魔物の群れに向けた。体内から魔力を掻き集めて、小声で魔法を唱えると、目の前の空間には巨大な光の球が発生した。闇属性の魔物を討つ聖属性の攻撃魔法、ホーリーだ。
バラックさんが光の球を魔物の群れに放つと、無数のスケルトンは木っ端微塵に砕け、ゴブリンの群れは強烈な光に狼狽した。瞬間、バラックさんはブロードソードを振り上げてゴブリンの群れに切りかかった。時間にして三秒。数十体居たゴブリンの群れはバラックさんの姿を捉える事すら出来ずに命を落とした。
彼の剣の動きを追う事すら出来なかった。あまりにも早すぎる。かろうじてバラックさんの動いた軌道が見えたが、一体どんな攻撃を仕掛けたかも分からなかった。まるで魔物の間を舞う様に高速で駆けた瞬間、ゴブリンが次々と命を落としたのだ。高速の剣。これが我がギルドのマスターの実力か。
それからバラックさんは石像の真上に飛び上がると、左手で石像の脳天を殴った。左手からは強い光が輝くと、ガーゴイルの石像は爆音を立てて真っ二つに割れた。素手で石像を叩き割るとは。拳に魔力を纏わせて攻撃力を強化しているのだろうが、あまりにも破壊力が高すぎる。
数十体居た魔物が数秒で命を落とし、スケルトンの群れはたった魔法一発で消滅した。闇属性を討つ最強の冒険者だとは思っていたが、ここまで強かったとは……。
シルバーフォックス殲滅作戦でもバラックさんの戦いぶりを見たが、魔物討伐をする姿は初めて見た。強すぎる……。まるでクラウスの将来の姿の様だ。クラウスなら数ヶ月以内にはバラックさんの実力に追いつけるだろう。しかし、クラウスは体内に闇属性を秘めている。バラックさんの様に他人を癒やす事は出来ない。全く性質が違うクラウスとバラックさん。二人が手を組めばどんな魔物でも討伐出来るだろう。
「私はアーセナルのギルドマスター、グレゴール・バラック。この部屋に私を入れた事が間違いだったな。お前は何者だ? 腐敗した死骸にローブを着せ、私を騙せるとでも思ったか?」
「嘘……! どうしてそれを知っているの!」
「私は闇属性の魔物の討伐を専門とする冒険者。扉を開けた瞬間に僅かな腐敗臭を感じた。すぐにお前が仕掛けた罠だと悟った。夫のデニス? あの腐敗臭を放つ死骸がか?」
「バラックさん? 死骸とは……?」
俺がバラックさんに問うと、バラックさんは地面に横たわるデニスのローブを捲くった。そこには腐敗仕切った死骸があった。バラックさんは腐敗臭を感じたと言っていたな。無数のゴブリンとスケルトンの異臭の中に、死骸が放つ腐敗臭を遥か遠く離れた入り口から感じたという訳か? 全く、驚異的な嗅覚だな。闇属性の討伐を生業としているから、魔物が放つ異臭と人間の腐敗臭を区別出来るのだろうか。
「ヴィルヘルム! そいつを拘束しろ!」
「はっ!」
俺は右手を女の足元に向けて氷の魔力を放出すると、女の足に氷を纏わせた。それから魔力を込めると、女の足は氷で固定され、身動き取れなくなった。女はこんな状況でも恐れる事もなく、静かにバラックさんを見上げている。
バラックさんが女の頬を叩くと、女は死んだゴブリンの様な目でバラックさんを睨みつけた。この女は人間なのか……?
「お前の意図は何だ? 何が目的で私達をこの部屋に誘導した?」
「お前達に話すつもりはない! 殺すなら殺せ!」
「殺す……? 冒険者が人間を殺す訳はない。しかし、お前がヴェルナーを脅かす犯罪者なら、この場で斬り殺す権利が私にはある。私のギルドの若い者が二人、このダンジョンに入ってから消息を絶った。クラウス・ベルンシュタイン、ティファニー・ブライトナー。二人について知っている事はあるか?」
「そんな奴等は知らない!」
「嘘を付け!」
バラックさんは容赦なく女の腹部を殴ると、女は苦痛に悶えながらも、鋭い目つきでバラックさんを睨んだ。これは普通の人間ではない。バラックさんに個人的に恨みでも抱いていない限り、こんなに強い視線をバラックさんに向ける訳がない。
「お前を拷問するつもりはないが、お前がこの場に誘導した冒険者が、私の様に魔物を討つ力が無い者だったら、冒険者は命を落としてだろう。お前は冒険者を罠に嵌めて殺めるつもりだったのだろう。わざわざローブを着せた死体を配置して」
「……」
「反論がないという事は私の推理が正しいという事だな。それで、もう一度問う。お前は何が目的だ? 私達のどちらかに復讐でもしたかったのか? それとも、無作為に冒険者を罠に嵌める事が目的だったのか?」
バラックさんがブロードソードを女の腹に突き立てると、それでも女は黙秘を続けた。バラックさんは女の腕をブロードソードで切ると、女は悲鳴を上げながら、遂に白状をした。
「依頼されたのよ……! クラウス・ベルンシュタインとティファニー・ブライトナーをダンジョンの十一階層まで誘導する様にと!」
「依頼? 一体誰が?」
「分からない! 今日の朝、町を歩いていたらローブを着た男に話しかけられた。三十万ゴールド支払うから二人をダンジョンの十一階層まで誘導する様にと。そうすればグレゴール・バラックとヴィルヘルム・カーフェンを殺せると言っていたわ!」
「何だって? 本当の目的は私達なのか?」
「そうよ! ローブの男はクラウス・ベルンシュタインとティファニー・ブライトナーを十一階層の巨大迷路に落とせば、グレゴール・バラックとヴィルヘルム・カーフェンは必ず迷路に降りてくると言っていた。私が知っているのはここまで!」
女が自白すると、バラックさんは女の腕に出来た傷を一瞬で癒やした。傷跡すら残っていない。見事な魔法だ。元から相手を傷つけるつもりはなかったのだろう。
「まずいですね……十一階層といえば、幻獣のゴブリンロードの棲家です。この女に声を掛けたのは間違いなくアウリール・バイエルでしょう」
「それは間違いない。すぐに十一階層に降りるぞ」
「まさか、我々だけで幻獣と戦うんですか?」
「当たり前だ! 王都アドリオンから国家魔術師の到着を待つ事も出来るが、それには何日掛かると思う? 飛行速度が最も高いフェアリーに手紙を持たせても、アドリオンまで二週間は掛かる! それから腕利きの国家魔術師がこのダンジョンに到着するまで一週間だと計算しても、三週間もクラウス達は迷路を彷徨う事になる!」
「そうですね……クラウスとティファニーが二人で十一階層に居るなら……私達で救出しましょう!」
「うむ! それでこそヴィルヘルムだ。もう愛する者を失いたくないだろう? 本気で私に付いて来い!」
それからバラックさんは懐から杖を取り出し、足元に召喚のための魔法陣を書き始めた。仲間を召喚するのだろうか、暫く魔力を込めて魔法陣を書き続けると、ついに魔法陣が完成した。
魔法陣がバラックさんの呼びかけに答える様に光を放つと、魔法陣の中から背の高い騎士が現れた。全身に鋼鉄の鎧を身に着けた、聖属性の騎士。見た目は人間にしか見えないが、鎧の中身は聖属性の魔力の塊だ。魔獣クラスの魔物、ファントムナイト。
「アルフォンス。こんな劣悪な場所で召喚してすまない」
「気にするな。私達の仲だ。何か私に出来る事があるか?」
「ああ。実は……」
バラックさんが一連の事件について話すと、アルフォンスなるファントムナイトは相当知能が高いのか、静かに頷くと、女を担いでから出口を目指して走り出した。
俺達はこれからクラウスとティファニーを探さなければならない。この空間に悪質な犯罪者を放置しておく訳にはいかないと考えたバラックさんは、契約を結んでいる魔物を召喚して協力を仰いだのだ。こうすれば女は安全にダンジョンを出る事ができ、バラックさんの召喚獣はヴェルナーに戻ると、衛兵に女を引き渡し、バラックさんと俺が十一階層に挑戦する事を伝えるだろう。
「ヴィルヘルム! 魔物を無視して十一階層を目指して進む。くれぐれも罠を発動させたり、不必要な戦闘は行わない様に! 我々は時間がないのだ。どれだけ急いでも十一階層の到達まで四日は掛かるだろう! すぐに行動を始めるぞ!」
「わかりました!」
俺はバラックさんと共に三階層に続く階段を目指して走り出した……。




