第二十五話「魔術師の疑念」
俺に恨みを抱く者が居るとすれば、去年の春に壊滅させた盗賊団、シルバーフォックスの連中だろうか。俺が人生で初めて犯した殺人。執拗にヴェルナーの市民を狙い、冒険者や行商人を連続で殺傷した盗賊団。俺はバラックさんに指名されて、シルバーフォックス討伐クエストに参加する事になった。
アーセナルの冒険者と衛兵、それからバラックさんの三十六人で編成された討伐隊で盗賊の砦に攻撃を仕掛けた。無数の魔法を空から振らせ、砦に潜む盗賊に攻撃を続けた。砦からは盗賊達が姿を現したが、バラックさんが敵を切り裂き、俺はバラックさんを氷の壁で守りながら、初めての殺人を犯した。
背の高い赤髪の男の脳天に氷の塊を撃ち込んだのだ。防具すら装備していなかった盗賊は一撃で命を落とした。俺は正しい事をしているのだと自分に言い聞かせた。初めて人を殺した日は、体の震えが止まらなかった。市民達はアーセナルを称賛したが、俺は人殺しをして褒められても嬉しくは無かった。
行商人や冒険者を殺める盗賊を仕留めるのは当然の事。殺人を犯す盗賊達を放置しておけば被害はますます拡大するだけだ。俺は正しい事をしたのだと、殺人を肯定する事にした。そうだ。俺は正しい事をしたのだ……。
赤髪の男が死の間際に見せた涙が脳裏に浮かんだ。この顔はアウリール・バイエルに良く似ている……。
「バラックさん! シルバーフォックスのメンバーのリストはありますか?」
「シルバーフォックス? 盗賊団か。今頃どうしたんだ?」
「アウリール・バイエルに良く似た人物がシルバーフォックスの盗賊だったんです。やっと思い出しました!」
「まさか、そいつは本当か?」
「はい。間違いありません。今はっきりと思い出したんです」
バラックさんは職員を集め、倉庫に保管してあった資料の中からシルバーフォックスに関する書類を探した。暫くすると、シルバーフォックスのメンバーの名簿が出てきた。三十名から構成される盗賊団の名簿を見ると、魔術師、アントニウス・バイエルと書かれていた。
「ヴィルヘルムが盗賊団との戦闘の際に命を奪ったアントニウス・バイエル。きっとアウリール・バイエルはこいつの家族か親戚に違いないだろう。今頃ヴィルヘルムを狙ってヴェルナーに来るとは! 皆の者、衛兵にアウリール・バイエルを見つけたら拘束する様に伝えるんだ!」
「はっ!」
職員達は一斉に飛び出し、近くの宿に泊まっている冒険者達は叩き起こされて緊急のクエストを強制的に受ける事になった。アウリール・バイエルがシルバーフォックスの関係者である可能性は極めて高い。万が一、仲間を率いてヴェルナーを襲撃されては、衛兵だけでは市民を守り切る事は難しいだろう。戦力は多ければ多い程良いのだからな。
暫くすると、若い男の職員が血相を変えて戻ってきた。
「アウリール・バイエルが町を出ました! 衛兵が風貌を覚えていました!」
「それは本当か? バイエルは何処に向かったんだ?」
「西の森に入ったそうです!」
「バラックさん! バイエルは迷いのダンジョンに向かっているのではありませんか?」
「クラウスとティファニーがバイエルに狙われている可能性があると思っているのか?」
「はい! これが偶然な訳がありません! 町に突如シルバーフォックスの関係者が現れ、同じ日にクラウスとティファニーがダンジョンから戻らないのですから。二人には危険が迫っているに違いありません!」
「うむ……ヴィルヘルムの読みを信用して、私はこれからクラウスとティファニーを探しにダンジョンに潜る!」
「それでは私も一緒に行きます!」
「その怪我で何が出来るんだ! お前はギルドで待っていろ!」
「それは出来ません。私も同行させて下さい! クラウスとティファニーはやっと手に入れた大切な仲間なんです! 命を懸けてでも守り抜いてみせます!」
バラックさんは暫く俺を睨むと、彼は笑みを浮かべてから俺の肩に手を置いた。
「私の足を引っ張るなよ?」
「勿論です。きっとお役に立ってみせます!」
「よし、それでは私とヴィルヘルムはこれからダンジョンに潜る! 十日以内に戻らなかったら、王都アドリオンの国家魔術師に救助を要請してくれ」
「かしこまりました」
バラックさんは職員に命令すると、保存食を鞄に詰め込み、ブロードソードを腰に差し、防具を点検してからギルドを出た。ヴェルナーの西口から町を出て、夜の森に入る。周囲からは魔物の気配を感じるが、魔物達はこちらの様子を伺っているだけで攻撃を仕掛けてくる気配はない。
バラックさんは俺に気遣いながらも、かなり速さで森を走り続けた。魔術師の俺がバラックさんの移動速度に合わせる事は難しく、何度か休憩をしながら迷いのダンジョンを目指して進み続けた。
クラウスの事だから、ティファニーと共に何処か安全な場所で隠れているだろう。そうだ、きっと身動きを取れなくなっただけで、死んではいない筈だ。もしクラウスとティファニーがダンジョンで命を落としていたら、俺は悲しみに耐えられる自信がない。目から自然と涙が溢れたが、バラックさんに見つからない様にローブで涙を拭った。
「大丈夫か? ヴィルヘルム」
「はい。大丈夫です」
「魔物と戦闘になれば俺の背後から攻撃魔法で援護してくれ。アイスウォールの魔法を使うなら、俺の視界を遮らない程度に頼む」
「わかりました」
氷の壁を作り上げるアイスウォールの魔法は強力な防御魔法だが、仲間の視界を遮ってしまう。一時的に敵の位置が分からなくなるのだ。使い所が難しい防御魔法だが、アイスシールドよりも防御力が高いから、俺はアイスウォールの方が気に入っている。
「そろそろダンジョンだな。仲間の死体を見つけても動揺しない様に。それから、ダンジョン内では私の命令に従う事。もし私を殺せといったら、命令に従って殺す事。わかったな?」
「殺せと? それは無理ですよ……」
「いや、私がどんな無茶な命令をしても遂行するのだ。全ては生き延びるためだと思え。私が命令を間違える事はない。理解出来ない命令だとしても、時間が経てば言葉の意味が必ず分かる。ダンジョン内では説明をしている余裕も無く、次々と攻撃を仕掛けられる事も多い」
「わかりました」
バラックさんは目配せをすると、右手でブロードソードを引き抜き、左手に聖属性の光を作り出した。まるでクラウスがダンジョンの攻略をする時の様だ。バラックさんは聖属性の使い手だから、左手に灯した光を強めるだけで、闇属性の魔物を退ける力がある。対闇属性に関しては、ヴェルナーで彼の右に出る者は居ない。
「入るぞ」
「はい……」
俺は静かに頷き、左手の感覚を確かめるために握った。握力が全くない。手に力が入らないのだ。まだ使い物にならないという訳か。右腕一本でバラックさんと共にダンジョン内の何処かに居るクラウスとティファニーを救わなければならない。大変な冒険になりそうだな……。
一階層に続く階段をゆっくりと降りる。まさか一階層で罠に嵌った訳はないだろうが、それでも隅々まで探索し、クラウスとティファニーに関する手がかりを探さなければならない。意外と時間が掛かりそうだな……。
「急ぐぞ……」
「はい」
バラックさんと共に一階層を隅々まで探すと、ゴブリンの死骸がいくつかあるだけで、二人の手がかりは無かった。仲間の死体が無い事に安心している自分に驚きながらも、俺達は二階層に続く階段を降り始めた。
階段を降りると、そこにはゴブリンの死骸が散乱していた。死骸に囲まれる様に呆然とした表情を浮かべたクラウスが座り込んでいる。剣には血が付いており、ここでゴブリンと交戦したのだろう。しかし、ティファニーの姿がない。
「クラウス!」
「ヴィルヘルムさん! ティファニーが……! この先にティファニーが居ます!」
「何だって? 何処に居るんだ?」
「三階層に続く階段の近くです! ティファニーが落とし穴に落ちて身動きが取れなくなっているんです!」
「落とし穴……?」
きっとクラウスとティファニーは同時に落とし穴に落ちたのだろう。身体能力が高いクラウスだけが落とし穴から飛び上がり、ティファニーを引き上げられずに、ヴェルナーに戻って助けを求めるか、ティファニーを引き上げる方法を模索していたのだろう。
「ティファニーは怪我をしているのか?」
バラックさんが訪ねると、クラウスは目に涙を浮かべながらバラックさんを見つめた。
「はい……! 右足の骨が折れているのか、動けないみたいです……」
「それで、お前はここで何をしている?」
「ヴェルナーに戻ってロープを取ってくるつもりでした。長い紐があれば引き上げられますから!」
クラウスがティファニーを置いてヴェルナーに戻る? 俊足のクラウスだとしても、往復に一時間は掛かる筈だ。その間、ティファニーが魔物から攻撃される可能性もあるだろう。ティファニーを引き上げるためにはロープが必要だが、果たして骨折したティファニーを放置して一度ヴェルナーに戻るのが最善の判断なのだろうか?
クラウスは以前、俺を背負いながら軽々と森を駆けた事があった。それに彼は本気で跳躍すれば、三階建の建物よりも遥かに高く飛び上がる事が出来る。ティファニーを背負いながらでも落とし穴から飛び出る事が出来たのではないか?
「ティファニーを背負いながら飛び上がる事は出来なかったのか?」
「はい! 流石にティファニーを背負いながら落とし穴から出るのは不可能ですよ! ロープが必要です!」
「そうか。それでは俺がロープを取りに行こう。クラウスとバラックさんはティファニーの傍に居てあげて下さい。きっと一人で心細い思いをしている筈ですから」
「待てヴィルヘルム。その必要はないだろう」
バラックさんが俺を見つめて微笑むと、ブロードソードを強く握り締めた。
「お前は新米だが、なかなか見どころがある冒険者だと思っていた。しかし、怪我を負った仲間を置いてダンジョンを出るとは。愚かな男だ。いや、お前の様な者は男ですらない。魔物だ」
「失礼な……! 俺なりに正しいと思ったからティファニーを置いてきたんです! 本当は彼女の傍に居たいですよ! しかし、ティファニーの傍に居ても引き上げられませんから、一度ヴェルナーに戻ろうと言っているんです!」
今日のクラウスは何だかおかしいな。仲間思いで強情の、一度やると決めたら何が何でも目標を達成する不屈の男が、こうも簡単にティファニーを諦めるとは。正直、俺はクラウスに失望した。俺が信じるクラウスは決して仲間を置き去りにせず、最悪の状況でも力ずくで突破して生還出来る男だと思っていた。
「俺の初恋の相手はダンジョンで死んだ。助ける方法すらなかった。俺がお前と同じ状況だったら、きっと傍に居ただろう」
「初恋の相手……? ですか?」
「そうだ。名前も教えたよな」
「え? 名前なんて聞いてませんよ。さぁ、早くロープを取りに戻りましょう! 今はそんな話をしている場合ではありません!」
「そうか。そうだな……」
俺は右手に魔力を込め、全力でクラウスの顔面を殴りつけた。クラウスは回避もせずに顔面に俺の攻撃を受けると、クラウスの体は軽々と宙を舞った。手応えがあまりにも軽すぎる……。
「ふざけるな! クラウスがローゼの名前を忘れる訳がない!」
「そんな……! 何を言ってるんですか!」
「バラックさん、こいつは偽物です。クラウスが私の攻撃を直撃する訳がありません。それに、クラウスがティファニーを置いてダンジョンを出ようとする訳がありません!」
「わかっているとも。こいつは人間の血から出来た魔獣、シャドウだ。実態を持たない闇属性の魔物だが、人間の血液を体内に取り込むと、姿を忠実に再現する事が出来る。知能が低いから、同じ意味の言葉を何度も使用する。『ロープがなければティファニーを助けられない』と。何度も言わなくても人間なら一度聞けば分かる」
「やはり……! こんな腑抜けがクラウスの筈がない!」
「何を言ってるんですか! 俺がクラウスです! ヴィルヘルムさん!」
「死ね……! 偽物め!」
俺は右手をシャドウに向け、全力を氷の槍を放った。槍はシャドウの胸部を貫くと、シャドウは不敵な笑みを浮かべながら静かに命を落とした。まるで幻の様にクラウスの姿をしたシャドウが消えると、バラックさんが俺の肩に手を置いた。
「よくこの短時間で相手の性質を見破ったな」
「私はただ、クラウスがこんなに根性がない人間だと信じられなかっただけです」
「そうだ。シャドウは忠実に人間の風貌真似る事が出来るが、本来の性格までは再現する事は出来ない。ちなみに、本当のクラウスならどういう行動を取ったと思う?」
「ティファニーを背負いながら落とし穴から飛び上がる、もしくは討伐した魔物の服を縛ってロープを作り、どうにかしてティファニーを引き上げる。ですかね……」
「うむ。模範的な冒険者の行動だな。私もクラウスならそうすると思う。現に、今日もクラウスはヴィルヘルムの仇を取るためにゴーレムを二十体相手にしたのだろう?」
「そうですね。仲間の事になったらとことん熱くなるクラウスが、仲間を置いてダンジョンを出ようとするなんて、絶対にありません。この矛盾にもっと早く気が付くべきでした」
「シャドウを見破るにはひたすら会話を続ける事だ。いつか確実にボロを出す。良い勉強になっただろう。さぁ先を急ぐぞ」
俺はバラックさんと共に三階層に続く階段を目指して移動を続けると、突然若い女の悲鳴が聞こえてきた……。




