第十一話「修練の生活」
宿を飛び出した俺はヴェルナーを出て森に入った。クラウスからブラックウルフの生息場所を聞いていたから、俺はブラックウルフと一対一で勝負する事にしたのだ。実際にクラウスが狩り続けた魔物の強さを知りたいと思ったからだ。
三時間程森を歩くと、俺は遂にブラックウルフと遭遇した。体長は百五十センチ程、黒い毛に覆われた巨体の魔物を目にした瞬間、俺は自分の死を予感した。一撃で人間を殺める事が出来る非常に獰猛な魔物。クラウスはこんな敵と戦い続けていたのか……。
負ける訳にはいかないんだ。俺はクラウスを守る盾になる。クラウスは俺の復讐に力を貸してくれると言った。そんな男は初めてだった。十五歳で恋人を失い、人生の希望もなく、ただ毎日魔法の訓練を続けていた。今までの生き方ではクラウスに追いつく事は出来ない。俺は変わるんだ。ローゼを殺したゴブリンロードに復讐するために。彼女が目指した最高の魔術師になるために……。
ブラックウルフは口に火の魔力を集め、小さな炎の球を作った。それから俺を睨みつけ、ゆっくりと俺との距離を縮める様に近づいてきた。俺はガントレットをブラックウルフに向け、氷を作り上げた。俺自身、防御魔法に特化した魔術師ではあるが、基本的な攻撃魔法も使える。勿論、クラウスの様な破壊力のある魔法は使用出来ない。
使用する魔法は氷の塊を飛ばすアイスショット。直径二十センチ程の氷の塊を浮かべると、ブラックウルフの出方を待った。瞬間、敵は一気に距離を縮め、至近距離から炎の球を飛ばした。俺は敵の魔法に合わせて氷の塊を飛ばした。
炎の球と氷の塊が激突すると、敵の魔法が氷を粉砕した。俺はブラックウルフに対して再びアイスショットを放った。氷の塊を連射すると、徐々に魔力の低下を感じた。このまま戦いが長引けば俺の魔力は枯渇し、敵の攻撃を防ぐ事すら出来なくなるだろう。氷の塊が何度かブラックベアの体を捉えたが、それでも敵は闘志を失う事もなく、攻撃の機会を伺っている。
瞬間、ブラックウルフが俺の腹部に強烈な体当たりをかました。防御が間に合わず、敵の攻撃を腹部に受けた俺は、激痛のあまり悶絶し、地面をたうち回った。俺はこんな場所で殺されるのだろうか。夜の森で、誰にも看取られず、魔獣に体を喰われて命を落とす。クラウスはこんな場所で戦い続けていたんだな……。
ブラックウルフが口を大きく開け、全ての魔力を使い切るかの如く、巨大な炎の球を作り上げると、俺ははっきりと自分の死を意識した。俺の人生は間もなく終わる。あっけない最期だったな。ローゼの仇を殺す事すら出来なかった。クラウスの盾になる事すら出来なかった……。
既に魔力を消耗しすぎたから、氷の壁を作り出して攻撃を受ける事も出来ない。何故かこんな時にローゼの笑顔が脳裏に浮かんだ。ゴブリンロードに胸を貫かれながら、彼女は優しい笑みを浮かべて死んでいった。もう一度ローゼに会いたい。死ねば天国で会えるだろうか……。
ブラックウルフが炎の球を放った瞬間、背後から爆発的な魔力が発生した。魔装を纏う人物が俺の前に立つと、目にも留まらぬ速度で抜刀し、ブラックウルフの炎を叩き切った。俺の新たな友人、クラウス・ベルンシュタイン。俺を心配して駆け付けて来てくれたのか……。
「すまない……」
「……」
クラウスは瞬時にブラックウルフの間合いに入ると、敵の体を蹴り上げた。ブラックウルフがクラウスの蹴りを喰らって悶絶した瞬間、クラウスはブラックウルフの心臓にロングソードを突き刺した。クラウスは流れ作業の様にブラックウルフの牙を取り、心臓付近に埋まっている魔石を取り出した。戦利品を懐に仕舞うと、彼は静かに怒りながら俺を見下ろした。
「何してるんですか……! ヴィルヘルムさん!」
「魔法の訓練をしていたんだ……クラウスに追いつきたくて……」
「一人で夜の森に入らないで下さい! やっと見つけた仲間に死なれたくないんです! 魔物を狩るなら俺も同行しますから、無謀な戦闘を行わないで下さい! ゴブリンロードに復讐する前に殺されたらどうするんですか!」
「すまない……軽率だった……」
「二人で強くなるって決めたじゃないですか……俺達は剣と盾だって……」
「ああ。そうだな……俺がクラウスと守ると決めたのに、まさか守られるとは」
「剣を忘れて宿を出るなんて、全くヴィルヘルムさんは困った冒険者です。さぁ、帰りますよ。立てますか?」
「いや……すっかり腰が抜けてしまった」
クラウスは俺の体を軽々と持ち上げると、丁寧に背負ってから高速で森を走り始めた。まるで馬にでも乗っているかの様だ。足場が悪い森を。息も切らさずに走り続けている。途中でブラックウルフと遭遇したが、彼は目もくれずに敵の頭を蹴飛ばした。クラウスからすれば、ブラックウルフは自分よりも遥かに格下の生物。なんという強さなんだ……。
森に入ってクラウスの強さの源が分かった。生まれ故郷をデーモンに襲撃され、悪魔を村に悪魔を呼び寄せたと、半ば追放される形で家を失った。たった一人で獰猛な魔物が巣食う冬の森で生活を始めた。生きるために剣と魔法を学び、妹を救うために力を求め続けた。彼の強さは妹に対する愛によるもの。純粋な愛が、魔物と戦う力すら持たない一介の村人を最高の冒険者に変えた。
まさに剣鬼。ブラックウルフの様な強力な魔力を持つ、非常に凶暴な魔物を永遠と狩り、敵の肉を喰らい、徹底的に己を追い込んで肉体を鍛え、魔法を学び続けた。常識では考えられない剣の速度、ファイアボールの圧倒的な完成度。希望すらない冬の洞窟で妹の事だけを想い続け、ひたむきに鍛え続けたのだ。彼は肉体の強さや魔力の強さだけではなく、精神的な強さを持つ冒険者だ。将来は大陸で最高レベルの冒険者になる事は間違いないだろう。
圧倒的な力を持つクラウスに支えられるだけの男にはなりたくない。俺がクラウスを支えるんだ。魔法を鍛え、彼が誇れる魔術師になろう。俺の人生を剣鬼に捧げよう……。
〈クラウス視点〉
深夜に隣の部屋で物音が聞こえた。洞窟で暮らしていたからか、かすかな物音や魔力の動きにも敏感になっている。熟睡とは無縁だった。魔力が動くのは敵が洞窟に入った時。そういう時は瞬時に炎の球を作り出して飛ばす。
隣の部屋からヴィルヘルムさんが出て行った。こんな時間に何処に行くのだろうか。まさか、俺に愛想を尽かして町から去ってしまうのだろうか。いや、そんな事はないだろう。俺達は憎き幻獣に復讐を誓った仲だ。彼が俺を置いて町を出る筈がない。
俺はゆっくりとヴィルヘルムさんを尾行した。町を出る筈は無いと思ったが、彼は正門を抜けて町を出た。一体何処に行くつもりなのだろうか。本当に俺を捨てて逃げ出してしまうのだろうか。無意識のうちに涙が溢れた。やっと信頼出来る仲間が出来たと思った。俺は悔しさを噛み締めながら、ヴィルヘルムさんを尾行した。
ヴィルヘルムさんに失望しながら、ゆっくりと彼の後方を歩いた。俺はまた一人になってしまうのか。ヴェルナーになんて来なければ良かった。どうせ俺は闇属性を持つ者。ギルドの登録すら拒まれる、人間にとって必要の無い存在なんだ。
胸が苦しくなってきた。どうして俺ばかりこんな目に遭わなければならないんだ。平和に暮らしていた一介の村人の俺が。デーモンを召喚したと罪を着せられ、村を追放される形で外の世界で生活を始めた。洞窟でも何度も涙を流した。もう戻る家も無いと思い、己の剣で人生を切り開くと誓った。
どんな敵が立ちはだかろうが、この剣で切り裂くと心に誓ったのだ。俺は必死に戦い続けた。睡眠時間を削り、徹底的に肉体を酷使し、吐き気を感じるまで肉を喰らい、肉体を爆発的に成長させた。全ては忌まわしきデーモンを討つため、エルザを救うために……。
ヴィルヘルムさんと出会って、俺は心が暖かくなった。だが、彼は俺を置いて逃げたのだ。肩を落としながら森を歩くと、ヴィルヘルムさんの魔法が炸裂した。闇の中で高速で駆けるブラックウルフを見つけた。俺が森でブラックウルフを見間違える訳はない。ヴィルヘルムさんは一人でブラックウルフと狩ろうとしているのだ。
俺は全力で森を駆けた。ブラックウルフがとどめの一撃を放つ前は、大抵巨大な炎の球を作り上げる。あれは間違いなく最後の一撃だ。俺が防がなければ、ヴィルヘルムさんは命を落とすだろう。魔装が俺に闇の魔力を供給すると、体が羽根の様に軽くなった。
全力で剣を引き抜いてブラックウルフの魔法を切り裂き、敵を蹴り上げて心臓を突く。何百回この方法でブラックウルフを狩ったか分からない。
俺は涙を流すヴィルヘルムさんを背負って森を走り出した。彼は安心したのか、静かに眠りに落ちた。俺が守ると決めた彼を殺させはしない。俺の唯一の仲間なのだから。命を捨ててもヴィルヘルムさんを守り抜いてみせる……。
それから暫く森を走るとヴェルナーに到着した。ゆっくりと町を歩いて宿に戻り、ヴィルヘルムさんを部屋に寝かせた。彼の体に毛布をかけると、目から涙が流れている事に気がついた。殺されたローゼさんの夢でも見ているのだろうか。ヴィルヘルムさんと比べれば、俺はまだ愛する人を殺された訳ではない。
エルザは昏睡状態に陥っているが、彼女はまだ生きている。俺がヴィルヘルムさんの気持ちを完璧に理解出来る事はないが、これからは俺が居るのだから、もっと俺を頼って欲しい。やっと見つけた仲間なんだ。俺が必ずヴィルヘルムさんを守る。
「おやすみなさい……」
ゆっくりとヴィルヘルムさんの部屋の扉を閉めてから、自分の部屋に戻った。すっかり疲れてしまったが、何だか良い汗を流した気がする。ヴィルヘルムさんは俺を見捨てて逃げ出した訳じゃなかったんだ。睡眠時間を削ってまで、強さを求めてブラックウルフと戦っていた。ヴィルヘルムさんのためにも、エルザのためにも、更に強くなろう。
俺は再びベッドに潜り込むと、心地良い疲労と安堵を感じて眠りに落ちた……。
ヴィルヘルムさんとの一件があってから、俺達はすっかり仲が良くなり、まるで兄弟の様に何でも言い合える関係になった。アーセナルで登録をした翌日から、俺とヴィルヘルムさんはダンジョンで戦闘訓練を始めた。ローゼさんを殺害したゴブリンロードが潜むダンジョンだ。
この辺りでは迷いのダンジョンと呼ばれているらしい。ダンジョンの一階層にはゴブリンが救っており、俺はヴィルヘルムさんとの連携を意識しながら、ゴブリンを狩り続けた。緑色の皮膚をした、背の低い人型の魔物。魔獣クラスの魔物であるゴブリンは、人間様に武具を装備し、群れで行動しながらダンジョン内に侵入した人間を襲う。
ゴブリンは訓練の相手には丁度良かった。強さはブラックウルフの方が遥かに上だが、ゴブリンは群れで戦闘を行う。大勢の敵を一度に討伐する練習には格好の相手なのだ。毎日ダンジョンに潜り、徹底的に魔物を狩り続けた。ヴィルヘルムさんは氷の壁を作り上げる魔法、アイスウォールと、氷の塊を飛ばす魔法、アイスショットをひたすら繰り返している。
お互いの実力を確認するために、二人で打ち合いをする事もあるが、防御魔法と攻撃魔法を巧みに使用するヴィルヘルムさんはかなり手強い。ヴィルヘルムさんは防御魔法に特化した魔術師ではあるが、攻撃魔法も使用出来るのだ。攻撃魔法はかつてローゼさんと共に魔物を討伐していた頃に習得したのだとか。
ダンジョンで狩りをし、夜はヴェルナーに戻り、酒場で料理とお酒を頂きながら語り合う。パーティーの加入希望者も毎日数名、俺達を尋ねてきたが、気の合う人と出会う事はなかった。仲間はただ強ければ良いという訳ではなく、お互いの命を預かる関係なのだから、十分に信頼出来る相手でなければならない。俺達は焦らずに、ゆっくりと三人目の仲間を探す事にした。
ヴィルヘルムさんと出会ってから三週間が経過した。俺はひたすら剣と火の魔法を練習しているが、ファイアボール以外の攻撃魔法を習得出来れば、更に強くなれるのではないかと思い、新たな魔法を身に着けるために、魔石を取り扱う店に向かう事にした……。




