あなたそっくりですもの
医務室につくなりリンは髪の毛を振り乱しながら、ゼンに駆け寄った。騒がしかったのか医務室の先生は嫌そうな顔で悪態をついた。
「何ですか、騒々しい」
「…あ、ごめんなさい…」
謝って、直ぐにまたゼンの方を向く。見たところ大きな怪我は無いようだ。
「ゼン…!大丈夫なの…?」
「おう、ちょっと腹を刺されただけだ」
「刺されただけって…!」
腹部をさすりながらへらっと笑って見せるゼン。どうやら強がっているわけではなく、本当に大丈夫なようだ。
「…傷つけるわけにもいかないからな、急所をずらして倒れた」
「…そんな…」
確かにその方法なら躊躇ってしまうかもしれないが、半狂乱となったその母親がトドメを刺さんとばかりに向かってきていたら。
「そんときゃ流石に抵抗するさ」
顔に出ていたのだろうか、リンの考えを見抜いてゼンはにかっと笑って見せた。
「…もう…本当に…心配したんだから…!」
「おう、抱きつくのはよせ、響く」
「…あ、ごめん」
漸く落ち着いて、リンはため息をつく。
まだ心臓が落ち着かない。
「何だ、俺が死んじまうかと思ったか?死なねーよ」
「…お父さんも、そう言ってた」
「…あぁ、そうだったか」
リンの父親は、リンが物心つく頃に死んでしまったらしい。リンには口が裂けても言えないが、そのお陰で、リンは歪まずに済んだのかもしれない。
リンは父親の事はあまり覚えていないが、そのセリフと死んでしまったという事実だけは記憶に強烈に刻み込まれているようだ。
「だから、お前はここまで優しいんだな」
「え?」
「何でもねぇよ、ほら、戻れ」
「…でも…」
「心配いらねぇさ、お前ももうそろそろ朝飯だろ、食ったらすぐに書類整理、それが終わったら牢屋掃除だ、早くする!」
「はいっ…!」
ついつい返事をしてしまう。ゼンに教わっていた時の癖が抜けていないのだろうか。
リンが部屋から出て言った後、ゼンはゆっくりと深呼吸した。
──やばかった。
そう、やばかったのだ。死にそうになった、という訳では無い。
あの母親がどこからか調達した尖った石片を向けてきた瞬間、燃え上がるような殺意がゼンの心を支配したのだ。
なんとか抑えたが、あの時あと1度何かされていたら…。
そう考えてしまった自分自身に、ゼンは恐怖した。
「…何、考えてんだ」
出来る限り奴隷に危害は加えない、いつか奴隷制度そのものを無くす、そう誓ったではないか。
それなのに。
──俺とお前じゃ身分が全く違うんだよ、なのに俺に武器を向けやがって…ぶっ殺すぞ。
あの時の感情は、紛れもなく自分のものだった。
ゼンは、自分のことを意志が強い人間だと思っている。だがそれでもこの環境がそういう考えにさせてしまうのだろうか。
否応なしに突きつけられる身分という溝は、人を狂わせてしまうのだろうか。
強い意志すら、かき消してしまうほどに。
「…」
ぶんぶんと頭を振り、その考えを晴らす。もう一度深呼吸をして、目を瞑る。
──俺は大丈夫だ、大丈夫だ。狂ってなんかいない。
そう考えて、目を開ける。いつしか気分は少しだけ楽になっていた。
医務室の好きではないが落ち着く匂いを吸い込む。昔はお世話になっていた部屋だからか、懐かしさを感じてしまう。ベッドの位置は変わったが、それ以外は何も変わっていない。
「まじまじと見ないでください」
「…はは、変わってないなーと思いまして」
「ええ、変わっていませんよ、この部屋も、あなたも」
医務室の先生は毅然とした態度で答える。この無愛想な受け答えも昔のままだ。
「…俺は、変わっていないですか」
「ええ、私から見ればあなたは今でも理想を掲げようとする子供です」
「…もう28なんですが」
「体が大きくなっても、中身はそうそう変わらないといういい例ですね」
「きっついなぁ」
そうは言いつつもゼンはどこか楽しげだった。急遽貰った休みが、こういうテンションにさせるのだろうか。
「先生はシワが増えましたね」
「医務室で私を馬鹿にすると病死しますよ」
「そういうところも変わってないなぁ」
書類とにらめっこしながら先生はリンについて尋ねる。どうやら少し気になっているようだった。
「先ほどの彼女は…」
「あぁ、どうも俺のことを慕ってくれてるようで」
「…でしょうね、あなたそっくりですもの」
「ええ?そうなんですか?」
「この前も、魔法の反応が遅れたとかで、顔に少しだけ傷がついていましたよ」
ふんと鼻を鳴らし、つまらなそうに先生は続ける。
「女の子が顔に傷をつけてくるなんて…全く…。ここの人達は皆自分のことを省みない馬鹿ばかりなのですか」
どうやら怒っている部分はゼンには余り理解出来ないことらしい。男は顔に多少の傷がついても気にしないからだろう。
「…あなたも、そうやって奴隷の身を案じる部分は変わってない」
「…」
あの時の衝動については言わないでおく。それを知られてしまえば、きっと見る目が変わるだろう。それに、何も取り立てていう必要も無い。自分の胸にしまっておけばいいことだ。
「…変わってない方が、いいこともあるんですかね」
「あ、変わると言えば」
「え?」
ぽんと手を打ち、先生はゼンを見る。正確にはゼンの胸の辺りである。先生の年が年なので緊張なんてしようもないが、こうもまじまじと見られては少しこそばゆい。
「幹部は、それを付けるようになったんですね」
「それ?」
先生は自分の胸元をちょいちょいと指で指した。
ゼンは、そろそろ着替えようと思っていた自分の制服に目をやる。
十字架の形をした銀色のバッヂが、ギラギラと光っていた。