そんな違い、ぶっ壊してやんだよ
この世界には奴隷制度が存在する。数多くの奴隷商の中で、最も巨大と言われる組織「イストゥリナ」は、300年程前に発足した世界初の奴隷供給組合である。
イストゥリナの本部は、この国の都市部分から少し離れた閑静な場所にあり、その業務に関わることは、今現在この国での最大の誉とされていた。
「…朝か」
半開きの目を擦りながら、布団から這い出てきた少女──リンもまた、イストゥリナに身を置くものである。
「…」
昨日のことを思い出す。自爆してしまった少女のことを。同い年くらいだっただろうか。毎日のように体を洗うことの出来るリンとは違って、随分とみすぼらしい格好をしていた。
「…やあ」
不意に後ろから声をかけられる。振り返ると同室のティナが居た。ニヤニヤとよく分からない笑みを浮かべている。
「…君が担当だったんだってね、あのミーナって子」
「…」
何が面白いのか、相変わらずニヤついている。
その表情に少し苛立ちを覚え、ついついリンの語気は強くなった。
「…なに笑ってるの…?」
「いや、別に馬鹿にしてるつもりは無いよ、ただまぁ、君が思うほど残酷な自体にはならなかったって事を教えようと思ってね」
──人が死んでるのに…何を言ってるの?
思わず拳を握りしめる。殴りかかりそうにもなったが、すんでのところでリンは思いとどまった。ティナには暴力の類はほとんど効かないのだ。
「天に召されたよ、魂が飛んでいくのを見た」
「…それの、どこが残酷じゃないの…?」
歯をぎりりと鳴らし、リンはティナを睨みつける。
「…あそこで死んじゃうくらいなら…辛くても…生きた方が良かったに決まってる…!ましてや…自爆なんて…!」
「えー?それを君が言っちゃうの?」
「…!」
「彼女のことをさんざん奴隷として扱っておいてさ、それはちょっとワガママがすぎるんじゃない?君と彼女は対等なんかじゃないよ」
痛いところを突かれてしまう。彼女の言うとおりだ。リンがどれ程あの奴隷に生きて欲しかったとしても、彼女にとっての救いはあれしか無かった。同じ立場でないリンが何を言ったところで、それはただのエゴだ。
「…そんなことは分かってる」
「「でも」、生きていて欲しかった、か。随分とまぁエゴがすぎるね、君に彼女の救いを邪魔する権利でもあるって言うの?」
「…」
「君の家系はエリートだ、代々イストゥリナの幹部だ。今は違うけれど君ももうじき君のお父さんのようにイストゥリナの幹部の席に座する時が来る。その時君は今と同じ考えを持ってる?」
「…分からない」
イストゥリナの幹部と言われても、ピンとは来ない。そもそも自分が何をしているかも、何を思っているかも実の所は分かってはいないのだ。
リンは昔からそういう人間だったと言われてきた。命令こそそつなくこなすが、自分の意見を持たずに、流される。そうして自分の主張を排除して来た場所がここなのだ。
リンの賞賛する人は、リンを「いい子」だと評価した。
しかし、リンを嫌う人たちは決まって彼女のことをこう呼んだ。
「氷の獄卒、または機械だったっけ」
「…うるさい」
「君が何に怒って、何を許せないかなんて僕には分からないけれどさ、少なくともそれを声に出さないと君はいつまで経っても機械のまんまだよ」
「…私だって…自分の気持ちくらいある…!」
「子供のまんま育ってきた未熟な奴隷商か、世も末だね。必死にこの時代を生きてきた人間を差し置いて君は名誉ある地位にいるんだから」
「黙れっ!!!」
ピキピキと地面から音がする。ティナがそこへ視線を向けるとリンの足元の床が凍りついていた。
「氷の獄卒、最初に呼んだのは誰だろうね、上手いもんだ」
ティナは興味なさげな表情を浮かべて、背を向ける。空に浮いたその体は重力を無視して上へ進む。
「ほら、客人だよ、早く支度しなきゃ」
そう言うなり、ティナは姿を消してしまった。後に残ったのは彼女の魔法と冷たい沈黙だけだった。
*
「どうした?落ち込んでるじゃねえか」
「…ゼン」
朝食をとっている時に、リンに話しかけてきたゼンはへらへらと軽い態度で隣に座った。
黒髪短髪の筋肉質な体の男だ。リンが最初ここへ来て右も左もわからない時、丁寧に指導してくれた先輩でもある。
「…昨日のことか?」
「…」
「…気にすんなよ、誰にだって失敗はあるもんさ」
リンの事を見兼ねて話しかけてきてくれたのだろうか。こういう所は昔から変わらない。
「俺だって取り逃しちまった時はすげぇ大目玉だったけれどよ、お前はエリートだからそんなに…」
「…生きて欲しかった」
「…!」
しまった、と思った時にはもう既に言葉に出ていた。周りの人には聞かれていないか見渡す。幸いこちらに視線を向けている人はいない。
「…おいおい…勘弁してくれよ」
「…ごめん」
ここでは奴隷を人間扱いする事を禁じていた。奴隷とは商品であり、物であり、資産であり、生物ではない。
イストゥリナに身を置くものは、奴隷の身を心配してはいけないのだ。
「…生きて欲しかった、か、なるほど、お前らしいな」
「…」
「変なルールだと思うぜ、全く同じ人間には違いねぇのに、どうして身の心配をしちゃいけねぇのか」
「…そうだよね」
「でもよ、もうそれは仕方のねー事さ、お前はこっち側、あいつらはあっち側、それはもう決まっちまってることで、今更覆せることじゃねーんだ」
そう言うとゼンはパンに豪快にかぶりつく。相変わらず汚い食べ方だ。しかし、リンはこういう彼の身を飾らない部分には好感を持っていた。
「割り切るしかねーさ、割り切って割り切って、そんで自分の中で答えを出すんだよ」
「…でも、その答えがイストゥリナの望むものになるよう、誘導されてるとしたら?」
「体面上はそう思わせておけばいいさ、けど、お前の真っ直ぐで不器用な部分さえ残ってりゃいいのさ」
この人は本当にイストゥリナの幹部なのだろうかと疑問を持ってしまう。先程から裏切りとも取れるような内容ばかりを口に出している。
「…この環境は確かに気を狂わせる、奴隷と俺たちの間に埋まらねえ溝を作りやがる」
「…ゼン」
「でも、飲まれるわけには行かねえ、俺はこいつに誓ったからな」
幹部の証明である胸のバッヂがキラリと光った。
「奴隷は奴隷、俺達は俺達、今は立場が違うけどよ、俺はいつか──」
何度も聞いたそのセリフをリンは思い出す。ここまで来ると馬鹿もいいところだ。
「──そんな違い、ぶっ壊してやんだよ」
覆らないと言っていたくせに、言っていることが支離滅裂だ。しかしその姿は、紛れもなくリンにとって憧れの一つだった。