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月銀のイゾルティア  作者: 禾常
再生のイゾルファ
2/2

生と死と

 

 

 

 

 突然の赤ん坊生活が始まってから、数日が経過したが、生まれたばかりな赤ん坊の俺にできる事は、大して無かった。せいぜいが、周りの音に聞き耳を立てたり、動く範囲で身体を動かしての体力トレーニング。

 後は、心の整理か。これが一番、労力を必要とした。


 新しく、別人として生まれ直した事を認めるには、『俺』であった人生の終りを認めるのと同意なのだ。突き詰めてしまえば、それは自殺と大差が無い行為なわけで。正直、かなりしんどくて、相当なストレスだ。

 そうしてこの赤ん坊な身体は、そのストレスに敏感な反応を示して泣き叫ぶ。朝も昼も夜も、周りの迷惑も、自分の体力すらも関係無くだ。こうなると、いっそ生まれる前の記憶なんて無ければと思ってしまう。

 もしかしてこれが、夜泣きの正体なのだろうか。

 赤ん坊は皆、前世の記憶を持って生まれて来るが、それを保持する辛さに耐えかねて、全てを手放してしまうのではないか。

 そう考えた瞬間、総身に怖気が走った。それは、死よりも恐ろしい事に思えたのだ。

 そうして、あまりの恐怖に身体の制御を完全に失った俺は、ギャンギャンと泣きわめき、誰にあやされても泣き止まず。体力の限界を超えて、熱を出した。

 

 

 

 熱に侵された、夢とも現実ともつかないぐちゃぐちゃ思考の中で、必死に考えた。

 このままでは、死ぬ。三十年生きた『俺』の記憶を処理するには、この真新しい体では、敏感に反応し過ぎてもたない。渦巻く記憶と思考に翻弄されて、壊れる。

 ならどうするのか。『俺』を手放すのか。『俺』の記憶や思考を破棄して、殺す(・・)のか。

 父や母や弟には、もう会えない。友人にも。別れた彼女……は、まぁいいか。職場の仲間には、謝りたいけど、無理だな。何もかも全て、今の自分に生まれてしまっては、過ぎ去ってしまった事でしかない。

 『俺』に関する全ては、所詮は未練でしかない。未練は、断ち切るべきだろう。そうしなければ、どの道死んでしまうのだから。『俺』を捨て、新たな命として生きていく他、無い、か。


 そう結論づけ用途した時だ。


「――イゾルファ」


 悲しげで、不安に震えながら、そう呼ぶ声が聞こえた。

 短い時間ですっかり耳に馴染んだこの身の母が、俺を呼んでいる。


――イゾルファ……か。


 その名は、実を言えば、忙しい日々の中で『俺』が忘れていた名だった。

 子供の頃に遊んだゲームの中のキャラクターの名前。とは言っても、主人公でも脇役でも無く、ストーリー上で一度名前が出て来ただけで、後は設定の中の一文で不遇の死を語られる程度のキャラクターだ。

 普通に考えれば、誰も覚えていない脇役以下のキャラクターなのだが、そのゲームのタイトルも忘れかけた数年後に偶然目にした一枚だけ描かれたいたという設定画を見た瞬間に、その存在が強烈に刻まれたのを、今でも思い出せる。

 その設定画での『イゾルファ』は、ボサボサの髪を膝裏まで伸ばし、手枷足枷を嵌められ目隠しまでされたボロボロの姿で描かれていた。

 彩色もされていないラフな線画だったが、まだ幼さが残る当時の『俺』には、それはそれは衝撃的な姿で、更に彼女が迎えた最期が許せなくて、型遅れになっていたハードごと押し入れの奥から引っ張り出して、もう一度プレイし直した。

 けれど、彼女が救われる結末は、全てのルートを辿っても用意されておらず、やり場の無い怒りと悲しみに打ち拉がれた。

 他人から見れば馬鹿らしい事だと今なら自分でも判っている。それでも、あの時の『俺』は本気だった。後にも先にも、あれ程に『誰かを助けたい』と強く思い願った事は無かっただろう。


 そうなのだ。『俺』にとって『イゾルファ』という名を持つ命を見殺しにする事は、この上無い禁忌なのだ。


 稚拙で愚かで傲慢で、それ故に純粋で強固な願いを思い出した俺は、一つの結論を出した。


――『俺』も『イゾルファ』も死なせない。


 無謀とも思える選択だが、方法は『俺』の記憶中にある。それは、幼い頃から通っていた道場の師が語っていた、ある種の極地。

 師、曰く。心を静め、思考を鎮め、あるが侭を受け容れ、魂の働きに身を任せる。のだそうだ。

 言葉にするのは簡単だが、行うとなればとう容易くは無い。かく言う師も難しいと語っていたし、正直、俺もできる気がしないが、これしか方法が無い事だけは、不思議と理解できた。


――ならば、やるしかないだろうよ。


 そう心を決め、『俺』と『イゾルファ』を救うべく、意識を集中させていった。

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば、『俺』は自我を残したまま『イゾルファ』として生き残った。

 『俺』のままで『イゾルファ』として生き残れただけで、俺は満足なのだが、予想外の事態が起きてはいた。


 あの時の俺の行動がどう作用したのか、気が付くとだいぶ時間が経過していた。具体的には、離乳食が始まるくらいまで一気に。

 それに気付いた切っ掛けは、口の中が甘酸っぱい事に驚いて。

 その時、どうもリンゴっぽい果物を摩り下ろした物を、離乳食として口に入れられたらしい。久しぶりの味覚に嬉しくなってもごもごとしながら、そういう事なのだろうと予想していた。

 前世の記憶では、弟に離乳食を食べさせ始めたのは、首も座ってお座りが出来るようになった事だったから、生後半年といった頃だったはず。

 そうなると、俺は半年間の記憶がない事になるのだが、不思議とそうではなく、ぼんやりとだが思い出せたので、リンゴっぽい果肉をもごもごしながら、この半年の事を振り返っていた。


 何日か熱を出した俺は、生死の境をさ迷っていたらしく、目を覚ました時は、それはそれは喜ばれた。何かの戦勝祝いかと思う程の喜びは、その日一日中続いた様だったが、その喜びも翌日には水を差される事に。

 熱が引いて意識を取り戻しはしたが、俺の反応が鈍かったのだ。


 お腹が空いても、おしめが汚れても、「あー」とか「うー」と小さく声を出すだけで一切泣く事が無く、にこりともし無い子になっていた。まるで、女の子が赤ちゃんのお世話ごっこで使う人形のように。

 赤子は泣き泣き育つと言われる程なのだ。これがどれだけ異常な事態かは、まともな子育ての経験が無い俺でも解る。


 それでも初めの頃は、熱で体力が奪われたからで、暫らくすれば元気に泣き笑う筈だと、皆明るく振舞っていたのだが、それが半年も続いた今、俺の周りの雰囲気はまるでお通夜のように暗く沈んでいる。


 と、現状を理解したは良いが、こんな重苦しい空気の原因は、間違い無く俺だ。正直居た堪れなくて、リンゴっぽい味に浮かれた気分が急降下だ。

 何とかしなければ。


「あぅあぅあー!」


 取り敢えず、いまの感情を表すべく、拳を握った両腕を振り上げて「美味しいよー!」と叫んでみた。

 するとどうだろう。いつの間にか色が判るようになっていた俺の視界に映る藍色の髪をした女性が、小さな木匙を俺に差し出したまま固まってしまった。更に、俺を抱えて座らせているであろう誰かの身体もびくりとして固まったのも、お尻越しに感じる。


――え? なにこれ。まさか俺ってば、無自覚に時を止める魔法なんか使っちゃったり!?


 そんなアホな事を考えていると、目の前の女性がわなわなと震えだし、叫んだ。


「奥様!」


「ええ……今、確かに……」


 言葉の意味が分かるのを不思議に思いながらも、温かい雫がぽたぽたと頭に落ちて来たので仰ぎ見ると、本来は綺麗であろう顔をくしゃくしゃにして泣いている銀髪の女性の濡れた目と、目が合った。

 この人が、俺を『イゾルファ』として産んでくれた女性――母親だ。

 この人がこんな顔をしているのは、俺が『俺』を切り捨てられなかったから。俺の我が儘で泣かせてしまったと思うと、胸が痛んだ。ひたすら申し訳なく思う。

 だから、振り上げていた腕の握り締めた手を開いて、涙に濡れる顔へと伸ばす。


「あぅあぃぇ」


 泣かないでと。


「あうぅあぁぃ」


ごめんなさいと。


「……あぃあうぅ」


 そして、ありがとうと。

 手は届かず、きちんとした言葉にもならなかったが、せめて想いが届くようにと、一生懸命に声を出した。


「イゾルファ……あなた、慰めてくれているの……?」


 目を見開いて驚く母。その問い掛けに「あい!」と元気良くお返事を返す。

 すると母は、ふにゃりと目尻を下げて、優しい笑顔を浮かべた。


「あら、そうなのね。でもね、大丈夫よ。お母さんは、ちっとも悲しくなんてないの。とっても嬉しいのよ」


 そう言って、伸ばした手を握ってくれた母の目尻から、最後の涙がぽろりと零れた。


――うん。よかった。


 これで全て問題無しの、めでたしめでたし――と、物語なら終わるところだが、現実はそう上手くは行かないのだった。

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