4話
大通りから少し奥まった通り、その三番目に「呪」と一文字の漢字が刻まれた看板。ここが俺の店、呪い屋だ。
数点のマジックアイテムと利剣がカウンターの奥に飾られ、店側の棚には迷宮の地図と自作の魔法薬が並べられている。
クルクミンはかつて開拓地とは名ばかりの流刑地だった。それが現在のような姿になったのは、四十年前に終結した内乱で、並ぶ者のない戦果を挙げた迷宮伯がこの地を支配するようになってからだ。
彼はもともと田舎の子爵家の三男坊だったが、武勲を称え辺境伯に封じられることとなった。辺境伯となってすぐに、この地に迷宮があることを発見し、クルクミンは迷宮の財宝を目指す冒険者と商人で瞬く間に賑わった。
辺境伯はクルクミンだけでなく、彼の領地に眠っていた迷宮を次々に発見し、ホウゲーシャン王国と辺境伯領に莫大な富をもたらした。この更なる功績によって、独立国にも等しい数々の特権と、新たなる爵号を得て、ハウス・マヨイノミヤ・カレクック迷宮伯は誕生したのだ。
「暑い」
砂漠気候のクルクミンを照らす初夏の日差しはフード越しでも皮膚をじりじりと焼いていくようだ。
前世で何気なく使っていたオーブンの中身もこういう気持ちだったのだろうか、などと益体の無いことを考えて気を紛らわせながら目的地を目指す。
都市の中心部から離れるにつれて商店の賑やかさは薄れていき、代わりに武装した連中が歩く割合が増えていく。
待ちきれない様子でダンジョンへと駆けていく少年達、戦利品らしきものの話題を高らかに唱える戦士、悲痛な面持ちで傷ついた体を引きずっていく者達……迷宮都市ではありふれた風景だ。
見慣れた連中を横目に、途中で道を違えていく。迷宮などに用は無い。俺が向かうのは――畑だ!
豊富な水量を湛えるオアシス八姉妹湖、北のファブリーク山脈から流れるレンチ河はかつてこの地の住人を何人も飲み込んできた恐怖の対象だったが、灌漑設備が発達した今では恵みの象徴ともなっている。
水が貴重なこの地域では、主要な農業地は行政によって監理されているが、ある程度の金を積めば市民にも個人用の畑を持つことは許されている。俺はその畑を使って、魔法薬の触媒となる薬草を栽培しているのだ。
魔法薬というのは通常の薬と違い、魔力を溶かした薬になる。有名なのは「癒」属性の者が治癒の魔力を水に溶かして作るポーションだ。薬草から作られる軟膏よりも即効性が高いために冒険者の必需品ともなっている。
魔法薬は極論すれば魔力さえあれば無限に作ることができる。ただ、それだと非効率であるし、商業ギルドが「材料費はタダなのだから」などと言って安く買いたたく。そのため、薬草やモンスターの素材等、魔法薬の効果を高める触媒を使い薬を作る。
「待ってましたよ旦那様。今回の品もいつものように分類して荷車に乗せてます」
「そうか」
畑に着くと、管理を任せている夫婦が俺を待ち受けていた。複数の薬草の栽培、収穫、乾燥……店を持つ俺が片手間でできる作業では無いので農家の夫婦を雇い、数人の奴隷を与えて畑の管理をさせている。
収穫量と生育情報を記した書類を受け取り確認する。前回と目立った差異は無いようだ。荷車には乾燥させた草や花、果汁を集めた瓶、果実と種子……それらが別々にまとめられ載せられていた。
「じゃあ、そこのお前、これを牽いて店までついてこい」
「…………」
適当に近くにいた女奴隷に指示して荷を運ばせる。確かこいつは数ヶ月前に買った新しい奴隷だったな。奴隷は陰気な顔をしていたが、逆らうわけにもいかず渋々といった様子で従った。
少々小柄な体格だったため不安であったが、身体強化の魔法を使っているのかその足取りは淀みない。
そのまま何事もなく店に到着し、裏の土間に薬草を降ろし終らせると荷車と一緒に畑まで帰らせた。途中で魔力切れを起こすかとも思ったが、平然とした様子で作業をこなすその姿に、案外良い買い物をしていたのかもしれないと思いつつ魔法薬の生成を開始する。
その日は結局、一日中薬を作っていた。
二日後、《無限のバッグ》に商業ギルドへ卸す分の魔法薬を詰め込み、ギルドへと向かう。
正直、商業ギルドなんかに向かうのは気が進まないが、店頭価格の三倍で買い取ってくれるというのだから仕方がない。ギルドに貢献するのはギルド会員の当然の義務だよな。最近は自分の利益ばかり追求する商人ばかりだから困る。
客引きなどの喧騒が激しい商業区の中心にある商業ギルドに入ると、その中は驚くほど静かだ。
大勢の人間が商談や各地の噂話をしているため、外以上に声が途切れることは無い。ただ、賑やかしやどよめきは一切無く、誰もが和やかな顔で談笑しながらも頭の中はどこまでも冷徹に商機を探っている。
「ブラウン通りの呪い屋だが」
「六番の会議室で待つようにと伝えられております」
目的を告げる前に小さな鍵を渡された。どうも、と軽く返して目立たないよう目的の部屋へ向かう。別に堂々と歩いてもいいのだが、帰りに何の話だったのかと根掘り葉掘り聞かれるのは面倒くさい。こちとら意識低い商人だからほっといてくれよ。
慣れたもので、広いギルド会館を迷うことなく会議室に到着する。鍵を渡されたことから察してはいたが、室内にはだれもおらず、適当な椅子に腰かけた。こういう手持ち無沙汰な時には茶でも一杯欲しい所だが、五人で卓を囲めば満員になりそうな小さな部屋にはそんなものは用意されていなかった。自分の魔法属性に何ら恥じることは無いが、こういう時には「水」属性持ちが羨ましくもある。
トレイを手にした一人の少女が入ってきたのは、数分ほど漫然とした時間を過ごした後だった。
「お待たせして申し訳ありません」
花柄の刺繍が施されたゆったりとした衣服に身を包み、屋内故ベールで隠れていない長い灰金色の髪は薔薇の花や蔓を模したアクセサリーで飾られている。掌を除けば唯一外気に触れている顔には笑みが浮かんでいるが、橙色の瞳は愁いを帯びているような濡れているような不思議な印象を与えてくる。
彼女の名はセラヴィー・ローズ。クルクミン商業ギルドの支部長にして、ホウゲーシャン王国の貴族でもある。
「どうぞ」
丁寧な所作で差し出されたカップに口を付けることなく、俺は納品するクスリをバッグから取り出した。
素焼きのビンに入れた薬液と麻の油紙に包んだ粉薬、形の不揃いな丸薬……検品用の品としてそれぞれ数個ずつを並べていく。ローズ支部長には納品書を渡し、書類と魔法薬をチェックしている間に冷えた烏龍茶を口に含んだ。
「前回より量が減っている商品があるようですが」
「先日、在庫が無くなるほどに売れてね。これでも手一杯の量なんスよ」
あの森エルフの顔が浮かびげんなりする。本来、商業ギルドに魔法薬を卸すのは本業ではないのだ。前任の支部長に頼まれたから卸しているだけで、半年前にやってきたこの支部長にはどうやらそのあたりが気に食わないらしい。
今までは薬品担当の職員に渡してはい終わりだったのが、態々支部長様が出向いて「もっと量を増やせないのか」だの「魔法薬販売を専門にするつもりはないか」だの面倒な話ばかりしてくる。支部長様の頼みを断り続けるおかげで、最近は職員も俺の事を目の仇にするようになってきた。
「ありがとうございます。これでまた冒険者の皆さんや施療院の方々が救われます」
冒険者用に作っていたつもりだったが、病院の方にも渡していたのか。
俺がギルドに卸しているクスリは四種類。万能の毒消しかつ服用から一時間は毒を予防できるレッ卜゛キュア、疲労がポンと消えるブノレーキュア、一定時間痛覚を無視できるイエ□ーキュア、そして精神を落ち着かせて魔力を回復するエりクサー。
他にも堕胎薬なんかを作っているが、これは需要が少ないので契約した娼館に直接卸している。
「医療関係にも売っていたのか……」
「ええ。呪い屋さんの薬はよく効くって評判がいいんですよ」
これはアレか。善意にかこつけてクスリの量を増やしてもらうとかそういう腹か。
「そうか。そんな評判は聞いたことが無かったな」
「そうですか? 前支部長が買い付けるほどのお薬なんですから、評判がいいのは当然だと思いますが」
ほほう。次は褒め倒して気分良く魔法薬を作ってもらおうという魂胆か。
さすがは貴族様。人を扱う術には一日の長がある、ということだな。命令するわけでなく、あくまで自主的にクスリを作りたいと言わせたいわけだ。
さて、どうやら向こうさんも本性を現してきたようだし、俺も油断するわけにはいくまいな。絶対お貴族様には負けたりしない!
……とりあえず、現状維持ということで商談は終わりました。