2話
大通りから少し裏に入った通りの食堂。確か、看板には「うまい軒」とか書かれていたか。
ホウゲーシャン王国の魔法学園に留学して半月。学食や大通りの貴族向けのレストランにも飽きが来て、口煩い祖国の者がいないうちに庶民の味を味わってみようと思い、入ったのがこの店だった。
結論から言えば失敗だった。
「カツドゥーン」なるものを頼んだのだが、出てきたのは巨大な器に入った黄と茶色のものだった。注意深く調べてみると、充分に火が通っていない卵と何やら茶色いものに包まれたヒュージボアの肉であった。中毒を起こしかねない半生の卵を除けると無数の白い粒が現れる。少し形が違うようだが、蒸かした麦粒を敷いて腹を膨らます魂胆なのだろうか。
付け合せもひどいものだ。
泥水かと言わんばかりの汚らしい色のスープ。酸味も柔らかさも足りてないピクルス。果てはどろりと白濁した汁をかけた生の野菜。庶民には、生の葉を食らうと腹を壊すという知識もないのか。
何より耐え難いのは料理から漂ってくるこの臭いだ。今まで嗅いだことのないこの奇妙な臭い、使われている調味料の臭いなのだろうがどうにも食欲が失せていく。
庶民の味がどうこうと言うよりは、この店がハズレだったのだろうな。
少々昼遅い時間とは言っても、表通りであればまだ飯屋が繁盛している時間だ。だというのに、この店には私とカウンターに森エルフの女が一人いるだけ……。
ピクルスを摘まんだだけだが、ここは別の店で食いなおすかと勘定の準備をしている時、一人の男がこの店に入ってきた。
大通りから少し奥まった通り、その三番目に「呪」と一文字の漢字が刻まれた看板。ここが俺の店、呪い屋だ。
数点のマジックアイテムと利剣がカウンターの奥に飾られ、店側の棚には迷宮の地図と自作の魔法薬が並べられている。
俺は昼食のため、「準備中」と書いた札を表に出し、外出用のローブを羽織る。クルクミンは砂漠地方に作られた町で、風が少し吹けば土埃が舞ってしまう。なので外出時には埃避けのマントやローブが必要となる。
散歩にもならないような距離にその店はある。
「食」と漢字で書かれた看板と、こちらの言葉で「食事処 うまい軒」と書かれた看板が掲げられた店。店の入り口にはランチメニューとして、『カツ丼・ボークチャップ・生姜焼き定食 ※肉はヒュージボアを使用しています』と微妙な絵と文字で書かれた看板が立てられている。
「今日はトンカツが食いたかったからちょうどよかったな」
独りごちて店の扉を開くと、テーブル席に貴族らしい良い身なりの男が一人、カウンターに見慣れた森エルフの女が一人。……今日は繁盛している方だな。
女と逆側のカウンター席に座り、決めていた注文をカウンター内の店主に告げる。
「ロースカツ定食とコーヒーくれ」
「はいよー。ロースじゃないけどいいよねー」
美女というほど整ってはいないが、人好きのする笑顔で返してきたのはこの店の店主であるミーヤ。日本から転移してきた天下無敵の(元)女子高生である。
確か本名は真間美弥とか言うらしいが、転移して三年、こっちの生活に慣れるうちにミーヤと名乗るようになったそうな。
「店主、代金はここに置いておくぞ」
先に出されたコーヒーに口を付けようとした時、テーブル席の御貴族様が席を立っていた。
ミーヤは調理の手を止め、テーブルを片付けに行くが微妙な顔をしてこちらに話しかけてくる。
「ねえ。これどうしよっか?」
ミーヤが両手で持っているのは手付かずのカツ丼が載ったトレイ。
「御代、タダにするから食べない? 漬物は食べてくれたみたいだから新しいの用意するけど」
「残り物を堂々と出す店があるかよ」
ある。というか、この世界では少し食っただけで廃棄ということはない。……こうまで堂々と持ってくることは稀だが。
正直に客に言ったり、代金を負けてくれるだけ貴重な店だ。こちらに慣れたようで、まだ日本の習慣が残ってるみたいだな。
「……俺の注文はどうなってんだよ」
「まだ用意してないから大丈夫だよー」
コイツ、さては最初からこのつもりだったな。
受け取ったトレイを席に置いて、温くなった味噌汁を啜る。……トマト入ってんだけど。
新しい漬物と箸を受け取って、割り下を吸い過ぎたカツを一口。出汁と醤油を吸ったじゅくじゅくの衣と下味で臭みを消した猪肉のどっしりとした旨味が口の中で広がっていく。
そして口の中に溜まった脂を白米の甘みが洗い流す。うん。艶々の白米が食えるのってここくらいなんだよな。米の栽培は数十年前から広まったらしいけど、ほとんどはろくに精米されていない玄米だしなー。
「しっかしアレだねー。ウチの料理ってなんで流行んないんだろー。味は悪くないのになー」
「そりゃお前、食い慣れない珍妙なモンばっかりだからだろ。あと高い」
美味いから流行るって言うなら、カエル料理やハチノコは日本全国で流行ってた。
値段も、この店のランチメニューの値段なら、大通りでちょっとしたディナーが食えるほどの値段だ。これは商業ギルドが料理店の調味料や塩の量で値段を決めるというルールがあり、醤油や味噌という独特な調味料を使うこの店の料理は安くできないというわけだ。
つまり、高い金払ってイカ物を食わされるこんな店に立ち寄るのは、まともな食事に飽いた御大尽か俺のような転生者しかいない。ミーヤも常連のほとんどは転生者や転移者だって言ってたしな。
最後の一口を口に放り込み、新しく淹れてくれたコーヒーで流し込むとこの店に来たもう一つの要件を告げることにする。
「二万カネー払うから料理の予約したいんだけど。
エビとカキのフライ食いたい。あと、海魚の刺身。三種類くらい」
クルクミンから近くの港町までは往復で一週間はかかる。そのため、足の速い魚介類はこの町では高価だ。
しかし、「水」、「氷」、「木」の魔法属性を持つミーヤは食材の保存に通じている。彼女の魔力を込めたマジックアイテムならば海から鮮度を保ったままでクルクミンまで運ぶことができるため、魚が食いたくなった時には高めの代金を支払って頼むようにしている。
これはこの店にとって結構な収入らしく、今回も俺の差し出した二枚の紙幣を涎を垂らさんばかりの表情で熱く見つめている。
「わはー。正直、ノロイ屋さんの事は人間の屑だって思ってるけど、金払いの良さだけは大好きだよ♪」
「ウチはノロイじゃなくマジナイだって言ってるだろ。まーじーなーいーや!」
コイツから話を聞いたのか、開口一番「ノロイ屋ですか?」と聞いてくる客が稀に良く来る。そう言う奴には誤解を解くか、塩をぶつけて追い出すことにしている。
まったく失礼な話だ。ウチは悩める仔羊に夢と希望を与えるおまじないを授ける優良店舗だというのに。
「何だ貴様、呪い屋の店主だったか」
俺達の話を聞いていたのか、森エルフの女が俺に話しかけてくる。
この女はウチの常連でエルスラフ・エルフィンスカヤ。中堅の冒険者というレベルで、固定パーティは組んでいない。俺の作った魔法薬を買い占める勢いで買っていく上得意様だ。
非常に整った顔とスレンダーな姿態という森エルフの特徴そのままの姿で、自称弓と魔法の名手だ。パーティに誘う声も多いらしいが……
「どうにも貴様等耳短の顔の見分けは付かんな。森エルフである私の手を煩わせぬよう顔に名前でも彫っていたらどうだ。
見る価値もない醜い顔が少しは役に立とうというものだろう」
人形のように整った顔だが、完全に死んでいる表情筋と森エルフ特有の傲慢さでパーティに引き留める声は出ない。ちなみに、今のセリフも嫌味を言っているわけでなく彼女なりの親切心だ。
「俺はお前のような森エルフがこの店にいるのが驚きだがな」
「うむ。故郷の味が懐かしくなってな。飛雲飛刀の奴に変わった食事を出す店と、この店を紹介されたのだ。
故郷の味とはまるで違うが、食えなくもない味だったぞ」
飛雲飛刀というのはクルクミンでもトップクラスの冒険者の二つ名だ。仕損じ無しと言われる飛刀――投げナイフの腕は千的万中。この国の高名な冒険者の武具の順位を付けた兵器譜の序列も三位となっている。
「へえー。エルフの郷土料理ですか。どんなものがあるんですか?」
「やめとけ。森エルフの食い物ってのは団栗と虫だ」
森エルフはその名の通り深い森に棲む種族で、基本的には採取したキノコや昆虫、木の実を食っている。肉が欲しい時には狩り当番の者に貰いに行くそうだ。
森エルフ自身は自分達の種族の事を「森と共に生きる賢人」だの「戦を好まぬ平和な民」だの言っているが単に引きこもりのニートだ。狩りに出る以外は、自宅としている大樹に生っている木の実や這っている虫を取って食いながら日々をダラダラ過ごしている。
寿命が人間よりも非常に長い分、今日できることは明日やるようなスタンスで生きているような種族だ。エルフィンスカヤのような森の外に出てくる個体は非常に珍しい。
「まったく我等の高貴な食事を理解せんとは愚かしい。
ここであったのもちょうどいいな。店主、今から貴様の店に行く。いつもの魔法薬をよこせ」
「お前、一昨日も買っていっただろ。原料の補充が終わってないから残り少ないんだぞ!」
「何? それならば売り切れぬ間に買わねばなるまいな。クスリも価値のわからぬ凡俗な輩よりも高貴なる森エルフの私に使われる方が幸せだろう」
そう言うと、俺の首元を掴んで椅子から引き倒し細い腕で俺を引きずっていく。
「やめろ馬鹿! 服が擦り切れるだろうが!」
「お魚は入荷したら知らせるねー。エルフさんの御代は予約代でチャラにしておくからー」
ミーヤは朗らかな笑顔で、止めることなく指輪のはまった手を振りながら俺達を見送った。