我等が王女に喝采を
随分間が空いてしまいましたね……
耳を疑った。
あの人は死んだのだ。こうしてまた声を聞けるはずがない。
だが、確かに。
その声は聞こえたのだ。
−『レミィ、おいで』
優しく声をかけてくれたあの人の声が、鮮明に蘇ってくる。
忘れもしない、あの声が。
「お母、様……」
「おい!」
肩を叩かれ、びくりと身を震わせる。
どうやら魔理沙がやったようだ。
「大丈夫か?」
「え…?う、うん……?」
いきなりの質問に戸惑う。
何かあったのだろうか。
思い当たる現象は……。
「……あの声が聞こえた途端のお前の表情の変わり方が普通じゃなかった。だから声を掛けたんだ。
何か、知ってるんじゃないか?この声の主について……今、スカーレットって確かに言ってたろ」
「……」
そう、"今の声"だ。
私を混乱に招き入れたのは、先ほど聞こえてきたあの声なのだ。
何かの間違いだと思った。
幻聴でも聞こえているんじゃないか、と、そう自分に言い聞かせた。
しかし、現実はそう優しくはなかった。
確かに我が母は、幻想郷を支配すると言った。
そして、幻想郷を知る者を全て消す、とも。
それには、自分も入っているのだろうか?
母は、娘諸共、今の幻想郷を潰す気なのだろうか?
何故妹がそちら側に呼ばれて、自分は呼ばれなかったのだろうか?
何故、咲夜は私を『同士』とは呼ばなかったのだろうか?
何故母は世界を支配しようとしているのだろうか?
何故──
「おい、おい!」
「!!」
また肩を叩かれて、我に帰る。
「本当にどうしたんだ……!やっぱ今の声の奴、知ってるんだな!?」
「……ええ、知ってるわ」
「だったら教えてくれ!奴は一体何者だ!」
「魔理沙……!そんなに強く言うことないでしょ!」
「今は一刻を争うんだ!状況が激変した!のんびりしてる暇はない!」
「だからってそんなに問い詰める必要はないわよ!……落ち着いてからでいいわよ、レミリア。整理がついてからゆっくり話しなさい」
霊夢は優しくそう言うと、魔理沙の方を睨みつける。
魔理沙も負けじと睨んだが、不毛だと感じたのかすぐに視線を別の場所に移した。
小悪魔と美鈴は、心配そうな眼差しでこちらを見つめている。
「……ありがとう、もう大丈夫。
率直に言うわ、あの人は私の母親よ」
「……母親、ですって…!?」
「そ、母親。別に驚くほどの事じゃないでしょ?スカーレットって言ってたじゃない」
「驚くのが普通よ……!世界を支配するってのは、幻想郷だけの話じゃないの!?それに何であんたの母親が幻想郷に……いや、その前に……
あんたの母親が、この異変の主犯だっていうの……!?」
「質問が多いな……まあ、気持ちはわかるけどね。とりあえず答えられる質問から答えよう」
フランが地上へと降りてくる。
今までは傷だらけの幽香を空から見下ろしながら話していた。
「まず、世界を支配するってのは、今貴女が言った通り幻想郷だけの話じゃない。
この世界……言うなればこの星を支配しようって企みだよ」
「……は…?」
あまりのスケールの大きさに、一瞬頭が戸惑った。
そんなことは構い無しにフランは話を進めていく。
「世界を支配する、なんて一言で言っても大変でね。それなりに魔力の蓄えがいるし、何より反対勢力を捩じ伏せる力が必要だ。
今の世の中は凄くてね……私達妖怪なんてのはちっぽけな存在なのさ。生半可な力の妖怪ではアメリカ軍なんかを相手にしたら即死だと思うよ」
「アメリカ……」
その発言を聞いて、幽香はさらに驚いた。
本気なのだ。本気で世界征服を企んでいるのだ。
「昔は人間が束になったって妖怪に勝てるなんて有り得なかったのに、今や妖怪が束になっても勝ち目がほぼ無いと来た!これには私のお母様もびっくりでさ。
だから、幻想郷で力と兵力を蓄えることにした。ここは誰も知らないだろうし、力のある妖怪が沢山いるからね」
「……でも、ここの存在を知る奴は全て殺すって……」
自分の中の疑問を率直に尋ねた。
この世界を知る者、それは即ち幻想郷の住民全員だ。
ならば、兵力を蓄えるも何もないはず。
「自分の配下になるのなら、話は別なんだってさ。御心が広いことだね」
配下になるというよりは、染められると言う方が正しい。
幽香はそう思った。
自分があの光を見た時、確かに感じたのだ。
まるで何者かに心の侵食されるかのような、奇妙な感覚を。
だが万全の状態の幽香は、それを跳ね除けることができた。
あれは『洗脳』というより、『同化』に近かった。
心の侵食により、自分でさえ自分の真意がわからなくなりかけた時、声が聞こえてくるのだ。
『我が導きに答えよ』
その声は酷く魅惑的で、一瞬で取り込まれてしまいそうだった。
幽香が防ぐことができたのは、幽香のあまりに強大な魔力によってその声を遮断できたからだ。
声が聞こえていたとしても、幽香は狂わなかったかもしれないが。
「身勝手な女帝様もいたものね……ほぼ強制に近い形で同化させるなんて」
「……へえ、洗脳とは言わず同化と呼ぶんだ。やっぱり大したもんだね、貴女」
「それはどうも、王女殿下にお褒めに預かり光栄ですよ」
「おや、調子が出てきたね。今一度遊んどく?」
「はっ…!それはご勘弁願いたいわね……それより、どうしてあんたの母親が幻想郷に…?」
「ああ、そうだ。質問に答えてあげないとね。
お母様が幻想郷に現れた理由は──」
と、そこでフランは言葉を止めた。
「……いいや、これは答える必要はないな。悪いけどここまで」
「何よ……何か答えちゃいけない理由でもあるの?」
「いいや?ただ、お母様をこれ以上待たせるわけにはいかないから」
「は……?」
次の瞬間。
「ッ!!」
ガキィンッ!!
「……防いだね、やるじゃん」
フランが目にも留まらぬ速さで幽香を左手に持つ刀で攻撃していた。
幽香は何とかそれを防いでいたが、日傘が壊れてしまっていた。
「ッ…なん、て重さの一撃よ……!それをそんなスピードで撃ってくるなっての……」
「今のはそれなりに殺す気でやったんだけどな。まさか防いじゃうとは。
今の一撃を防いだのに免じて、今回は見逃してあげるよ。新しい世界の幕開けを楽しみにしているといい」
フランが飛び去って行く。
「なっ……待て!どういうつもり!?」
「どうもこうも、見逃してあげるって言ったじゃない。そのままの意味。
ここで拾ったその命、せいぜい大事にすることだね」
フランはそういうと、月の紅い光の中に消えていった。
「……!」
助かった……そう思ったのが、あまりにも屈辱的だった。
思わず地面を思い切り殴りつけてしまう。
殴ったところには大穴が空き、地面に亀裂もできた。
これほどの怪力を持ってしても、フランのあの絶対的な力の前では意味を成さなかった。
戦っていて、はっきりと感じた。あの悪魔はまだ全力の三割も出してはいない。
完全に、遊ばれていたのだ。
「……ッ…ここで私が喚いたところで……何も変わらない。今生き残っている幻想郷側の連中と合流しないと……!」
自分でも驚くほど冷静だった。
悔しさが一周回って吹っ切れたのだろうか?
とにかく、霊夢達一行だ。
狂気に飲まれていないことを祈るばかりなのだが……。
「……あいつ、まさかあそこに…?」
ずっと、視界の片隅には見えていた。
だが、フランと対面している時は敢えて触れはしなかった。
先程まで光の柱があったところに、謎の城のようなものが出現していた。
その城は何処と無く、紅魔館に似ているような気がした。
「……あそこが、敵の本拠地と思っていいのかしら。
……ん?
そういえば、あの子達は何処に……」
幽香はそこで初めて、三月精やプリズムリバー三姉妹、リグル達の姿が消えていることに気が付いた。
ここは、先程光の柱が立ち昇った場所。
突如出現した城の内部の玉座に、一人の女性が座っている。
髪は銀色で、ウェーブのかかった長髪。
服装は黒いタートルネック、黒橡のロングスカートの上から紅いロングコートを羽織っている。
ワイングラスを片手に、自分の前に跪く二人の臣下に向けて言葉を発する。
「我が復活の為のエネルギーの調達、ご苦労であった。大儀である」
「勿体ないお言葉です」
「我等が王よ、侵略は如何様に」
「まずは反乱分子を潰す。我が支配を受け入れぬ不埒者を一掃するため、我が配下にある者共をここに集めよ。……なるだけ急ぎでな」
「「はっ!」」
返事と同時に二人の臣下が王に背を向けて去っていく。
玉座の間から誰もいなくなったのを確認すると、王……フリーダはグラスに入ったワインを口へと運ぶ。
「……この時を待っていた。全ては私の計画通り」
空になったフリーダのグラスに映っていたのは──
「貴様はここで終わるには早すぎる。まだまだ、私に尽くして貰わなければな……フフフ…」
天子と激しい戦いを繰り広げる、イザベルの姿だった。
「……」
イザベルは、フリーダの復活とその目的についての様々な考察が頭をよぎり、戦いに集中できずにいた。
天子がそれに気付かないがなく……
「あんた、さっきから戦いに集中できてないわね。そんなに復活した奴のことが気になる?」
「気になるとも。でなければ戦いに集中できない筈がないだろう」
「ごもっとも……そうね、じゃあ今回はここまでにしときますか。どうやらこれからパレードが始まるようだし」
「パレードだと?」
「そ、パレード。私は参加しないけどね。自由にやらせてもらうつもりだから」
またしても言葉の意味がわからなかったが、今は天子の動機などどうでもいい。
「ならそうさせてもらいましょうか。決着はまたいつかとしましょう」
イザベルが紅悪魔を解いた。
レーヴァテインも消して、臨戦態勢を解く。
「ええ、それでお願い。私もあんたとの戦いは楽しかったからさ、これで終わりにするなんてあまりにも勿体ないわ」
「私は二度と御免ですがね」
「はんっ、相変わらず釣れない奴。否が応でも受けざるを得ないってこと、わかってるくせにね」
そう言い残し、天子は飛び去っていった。
「……天人、か」
(強敵と認めざるを得ない。奴はあまりにも未知数だ、本気を出しても勝てるかどうか……)
「右腕が戻れば……」
と、そこまで考えて、やめにした。
何のための罪滅ぼしだ。ここで右腕を再生させてしまうのは我が主人への裏切りと相違ない。
「とにかく今は、レミリア達と合流しなければな」
一人の少女が、突如現れた城の手前の巨大な門の前にいる。
門には一人の妖怪が門番をしており、常に周りの様子を伺っている。
少女を見つけるなり、警戒心を剥き出しにして睨みつけてくる。
それもそのはず、少女は今フードを被っている。
顔が見えない相手がすぐ近くにいて、警戒しないはずがない。
「何者だ貴様。何をしにここへ来た」
「この門を開けて欲しいんだ。中に会いたい人がいる」
その言葉を聞くと、妖怪は訝しげに首を傾げる。
「会いたい人ぉ?何にせよお前のような怪しい奴を城の中に入れるわけにはいかん」
「そう。じゃあ顔パスと行こう、これでどうかな?」
そこでようやく、少女はフードを取る。
「…ッ…!!?」
妖怪は少女の顔を見るなり態度を大きく変えた。
「こ、これは失礼を!!フランドール王女殿下!!」
その場に跪き、すぐに詫びの言葉を発した。
フランはその様子に可笑しそうにクスクスと笑うと、笑顔で続けた。
「王女殿下はやめてよ、フランでいいさ」
「め、滅相もございません!王女様を呼び捨てなど!」
「あらそう?貴方がそれでいいなら別に構わないけど。それより、しっかり門番やってくれてるね。頼もしい限り」
「はっ!もちろんです!不埒な輩は誰一人として通すつもりはございませんので、ご安心を!」
「そ。まあ無理のない範囲でね。ところで門、開けてくれる?」
「はっ!すぐに!」
門番が、
「王女様のお帰りだ!門を開けよ!」
と叫ぶと、巨大な門が轟音と共に開いていく。
門が開くと、そこには複数の妖怪達が左右に列を作り、跪いていた。
「……手厚いお迎えだね」
「当然です。貴女様は我等が女帝、フリーダ様の娘であされられるお方なのですから」
「そんなに畏ったりしなくていいけどな。……門番、お疲れ様。ここからは私一人で大丈夫だから、これからも頑張ってね」
門番の妖怪がお辞儀をして、定位置に戻っていく。
フランは妖怪達が作る列の真ん中を歩いていく。
その先には咲夜が跪いて待機していた。
「……咲夜までそんなことを?」
「状況が変わりました。今の貴女様は"妹様"ではなく、"王女"ですから」
「ふぅーん……まあ、好きにしなよ」
「陛下が貴女様に会いたがられておりました。陛下のもとまで、ご案内をいたします」
「わかった」
そう言って、二人は城下町の方へと向かっていく。
道行く妖怪や人々達は、皆フランを見ると歓声を上げた。
「我等が王女!陛下と共にこの世界に救いを!」
「フランドール様〜!」
その道行く人々に笑顔で手を振るフラン。
咲夜はその様子を微笑ましげに見ている。
しばらくその状態が続き、ついに城門の目の前まで着く。
門番と思しき妖怪二人が人々を止め、フランと咲夜を城の中へと招き入れた。
「すっかり人気者ですね」
「おかげさまで。……お母様は玉座に?」
「はい、玉座の間にて復活の祝い酒中です。王女様を呼び出したのはそれの付き合いをしてもらうためもあるでしょう」
「なるほど。まあ、程々に付き合うよ」
「王女様はお酒、飲めましたっけ?」
「紅魔館にいる時は遠慮してた。他のみんなが飲みたいだろうし」
「……言ってくだされば、買う量を増やしましたのに」
「それこそ遠慮するよ。紅魔館の予算が大変だ」
「全く、視野が広いのですね。もう少しわがままになってくれても良かったのに」
「これからはうんとわがままになるさ。王女なんだからそれくらい許してよね?」
「ええ、当然ですとも。ようやく妹様のわがままが聞けるのだと思うと楽しみで仕方がありません」
他愛ない会話をしながら進んでいく。
だが、まだ玉座までには時間があるようだった。
城の中に入ると、複数人の妖怪や人間達に出迎えられた。
「お帰りなさいませ、王女。陛下がお呼びで……いや、咲夜様が既にお伝えになられましたか」
「ええ、王女の引率は私が。貴女達は引き続き城内の清掃と補強を」
「畏まりました」
「……流石、厳しいね?メイド長」
「当然。陛下や貴女が過ごす場所は清らかな環境でなければいけませんから」
「頼もしいね」
「ここです」
悪魔のような紋様が入っている大きな扉の手前で、咲夜は足を止めた。
「案内ありがと。咲夜はこれで下がっていいよ」
「……一応、中まで付いて行かせてください」
咲夜の声には、少しの不安が感じられた。
どうやらフランを心配しているらしい。
「何だ、お母様を疑ってるの?別に何もされないよ」
「ええ、わかっています。いますが………すみません、節介が過ぎました。親子での酒宴をお楽しみください」
「……付いて来てもいいけど、お母様が下がれって言ったら下がりなよ?」
優しい声色でそう言うと、咲夜の表情が途端に明るくなる。
「…はい!ありがとうございます」
「じゃ、入ろっか」
フランが扉に右手で触れると、扉がひとりでに動き出した。
扉は人一人分程のほんの少しのスペースだけ開いた。
奥にある玉座に、彼女が座っている。
フランの姿を見るなり、すぐに声を掛ける。
「よくぞ戻って来てくれた。今から少し、時間をくれるか?」
「……はい、もちろんです」
「すまないな。……咲夜、下がれ」
少し覇気のある言い方でそう言われたため、逆らうことができない。
咲夜は大人しく玉座の間から出ることにした。
「……はい」
フランが咲夜の方を向いて微笑む。
小さな声で『ありがとう』と囁くと、咲夜は満足そうに笑顔を浮かべ、玉座の間を出ていった。
扉を閉め、廊下を歩いて行こうとした時、執事姿のひとりの男性に声を掛けられる。
「……咲夜様、何故王女の心配を?陛下が何かなさるはずも……」
「ええ……陛下が王女に手をあげることはないでしょう。
ただ……妹……王女は元々あまりお酒を飲まれないお方なのです。そこがちょっと心配だったというか……」
咲夜が恥ずかしそうにそういうと、男性は微笑む。
「ふふ、咲夜様は王女の事が本当にお好きなのですね。見ていて微笑ましいです」
「そ、そう直球に言われると、少し恥ずかしいですね……では、私は部屋に戻ります。王女が玉座の間から出てきた時はすぐに連絡を」
「畏まりました。これまでの激務、お疲れ様です」
男性が軽く頭を下げる。
咲夜はその様子を見て頷くと、踵を返して下の階へと続く階段の方に向かって歩き始めた。




