追いつめられて
光来は、有蓋車の屋根に登り立ち止まった。
唯一思いついた、この状況からの脱出が失敗に終わった。次の手の糸口さえ見えないまま、ついに先頭車両の手前まで来てしまった。鼓動を耳障りなほど大きくなり、息苦しくなる。
十分な準備もできないまま、試験当日の朝を迎えてしまった受験生のような気持ちだ。焦るなと自分に言い聞かせても、苦渋の感情が湧くのを止められない。
やるしかない。もう、やるしかない。ここで迎え撃つしか脱出する方法なんかない。
光来は、立ち止まり振り返った。これまで逃走してきた車両を見つめる。
……随分と長いんだな。いったい、何両を駆け抜けたんだろう。
大きく息を吐き、乱れていた呼吸を整えるのに努めた。
「逃げるのはやめたか?」
ケビンが屋根に登ってきた。焦らしているのかと思うほどに緩慢な動作だったが、その間に狙ってやろうとは思わなかった。この男に対する小細工は逆効果だと思ったからだ。
「ああ、やめた。あんたとはここで決着をつける」
光来は腹に力を込めて、声が震えないようにして宣戦布告した。
月明かりの下、疾駆する車両の屋根で二人の男が向かい合った。奇しくも、昼間に行われたネィディ・グレアムとの決闘と同じ格好になった。違うのは、ケビンが悪党ではなく法を守る立場の者であることと、おそらく、ネィディより腕が立つということだ。
「君に撃てるのか? 確実に死に至らしめる魔法を。禁忌の魔法でワタシを殺すか?」
「…………」
ケビンの言葉に心を掻き乱されるな。相手は人生の経験も戦いの経験も、俺より積んでいる。自分のペースに持っていく術も心得ているに違いない。
光来は、引き鉄に掛かっている指先に神経を集中させた。ケビンから目を離さないまま、一つのことを考えていた。さっき連結器に向けて撃ったブリッツのことだ。あの時、弾丸は書き換えられることなく発射された。その理由さえ解ければ、目の前の男を殺さずに済む。
ケビンの右肩がピクッと動いた気がした。
「っ!」
光来は、考えるより先に弾かれたように横跳びした。体半分ほど立ち位置がずれただけだが、駆け抜ける列車の上では肝を冷やす行為だった。
再び、大きく息を吐いた。
駄目だ。余計なことは考えるな。言葉というのは、時として拳銃やナイフよりも恐ろしい。ペースに乗せられるなと気に留めていたのに、ケビンの「撃てるか?」という問いかけに、トートゥを撃たない方法を考えてしまっていた。
俺に撃てるか? また人を殺すかも知れないんだぞ。いや、かも知れないじゃない。おそらく、かすっただけでも魔法は発動する。そうなれば、確実に彼は死ぬ。撃てるか?
「…………」
再び囚われた場合を考えろ。死の魔法。それを使っての人殺し。不可抗力だったと訴えたところで、誰も俺の言葉になんか耳を傾けはしないだろう。極刑。死。俺が死ぬか、あいつが死ぬか、どっちを選ぶ? 答えは明白だ。そんなこと、分かりきっている。
光来は、自分の体温がすうっと引いた気がした。そして、流れる景色がはっきりと捉えられるようになり、微かな音まで拾えるようになる。
今まで考えもしなかったことだが、俺は立ち向かうと決心すると、自分でも驚くぐらい冷静になれる。この世界に来て初めて気がついた。怖いと思いながらも、それを呪縛とはしない。これがケビンが言っていた勇気というものか? いや、少し違う気がする。なんと言うか、もっと諦念が含まれている感情と言うか……。そうか、覚悟だ。殺ることも殺られることも受け入れようと決めた。どんな結果になろうが納得しようと決めたから、こんなにも心が静かなのか? 光来の雰囲気が変わったのを察知したのか、ケビンも構えたまま動きを止めた。武術の達人同士が、互いの隙を見い出せず動けなくなるのと似ていた。不動のまま、五秒、六秒と時間が過ぎていく。




