時を刻む宿屋にて
リムが案内したのは、少し寂れた感のある宿屋だった。ホテルとか旅館という単語を連想させない。まさに宿屋だ。繁華街から少しだけ離れた場所にありながら、周囲は深夜の住宅街のように静かで、旅人が疲れを癒すのには最適な環境と言えた。
リムは迷う素振りもなく、ドアを開け中に入った。光来は大丈夫なのかと緊張したが、おどおどしてはかえって目立ってしまう。ここは開き直って、後に続くしかあるまい。
「ようこそ、お越しくださいました。こちらにお名前をお願い致します」
フロントに立っていたのは、犬だか狼だかの獣の顔をした獣人だった。光来は少し驚いたが、顔には出さないように気をつけた。毛むくじゃらの顔でも、けっこう年配者だと分かるのがおかしかった。
フロントの獣人は、従業員ではなく、この宿の経営者と自己紹介した。小さな宿屋だから、家族だけでもやっていけるのだろう。リムは何食わぬ顔で受付を済ませた。宿の主人も特に怪しむ素振りは見せなかった。ただ、なんとなく目がニヤニヤしているように感じた。普段なら好々爺と受け止めるのだろうが、今は若い男女一組だ。勝手な想像を脹らませているんじゃないだろうかと、光来は思わず邪推してしまった。
顔を伏せながらも、ざっと一通り内装を確認した。壁や床にはいつ付いたのか分からない程変色した染みが散見され、外観からの想像通り、かなり年季が入った宿屋のようだ。しかし、レトロな家具類と相まって、古臭い感じはせず、むしろどっしりとした安心感を醸し出している。特に目についたのは、壁際に置いてある天井に届きそうなほど大きなホールクロックで、その巨大さはもちろん、施された見事な装飾に見入ってしまった。
「見事な時計でしょう?」
主人がいきなり話し掛けてきたので、思わず身を固くしてしまった。
「えっ、ええ。そうですね。存在感がすごくて、圧倒されそうです」
光来の言葉に、主人は相好を崩した。
「私の曽祖父の頃からあったというから、もう百年以上、この宿で時を刻んでおります」
「それはすごい」
本当に驚いた。百年。十七年しか生きていない光来にとって、気が遠くなるような年月だ。
「この宿のシンボルですよ。名前もこいつから来てるそうですし」
「名前って……」
「おや、ご覧にならなかったんですか? この宿屋は時計塔と申します」
「そ、そうでしたか。素敵な名前ですね」
目には入ったのだが、光来はこっちの世界の文字なんか読めない。少しドギマギしてしまった。リムが睨んでいる。あまり余計なことは言うなといったところだろう。
「ご主人、部屋は二階ね。案内はいいわ」
リムは割りこむように言い、鍵を受け取るとさっさと階段を上がり始めた。
「あ、待てよ」
慌てて続こうとする光来だったが、一人で退屈だったのか、時計塔の主人がなおも話し掛けてきた。
「お二人は新婚さんですかな?」
「え」
光来は硬直してしまった。
いくらなんでも若すぎるだろう。俺たち、何歳に見えてるんだ。それとも、こっちの世界では結婚年齢が低いのか?
「ち、違いますよ。俺たち……、きょうだい。そう、姉弟なんですよ」
「ほう。姉弟でご旅行とは、仲のよろしい」
「そうなんですよ。なかなか弟離れしてくれなくて。待ってよ、姉さん」
階段を上がりながら、光来は額に冷や汗が滲み出ているのを自覚した。
今の会話、絶対聞かれてたよな……。




