脱獄
葉風が立っていた。木の葉がそよがされ、ざわざわと静かな合唱を奏でている。少しうるさいかなとも思ったが、決して耳障りではなかった。
子供が木漏れ日の中で泣いていた。一人だ。両親は見当たらない。ひょっとすると、あれは俺じゃないのか? どうして泣いているのか確認するため、近づこうと思った。どこかからか声がした。再び周囲を見回すが、誰もいない。しかし、声は次第に音量を上げ、鮮明になっていった。
「……なさい」
意識が徐々に覚醒していく。そうか。今のは夢だ。なんだか、ものすごく長い夢を見ていた気がする。でも、もう少しだけ横になっていたい……。
「起きなさい」
木漏れ日が広がり、人影がぼんやりと映る。それは徐々に輪郭を明確にし、光来の頭を覚醒させた。
女の子?
どこかで見たような気がしたが、すぐには思い出せなかった。それより、なんで女の子が留置所内にいるのか、そちらが気になった。
「目が覚めた?」
寝坊しそうになる子供を起こした母親のように、話し掛けてきた。
「君は? ……!君は、酒場にいた」
リムは自分の唇に人差し指を当てた。それでも、光来は止まらなかった。
「ギム。たしか、ギムっていったよね。やっぱり女の子だったんだ。いや、それより、生きてたんだね」
「黙りなさい」
ピシャリと言われ、今度は光来も黙った。
「リムよ」
「え?」
「ギムというのは、男の子のふりをしている時の偽名なの。本当の名前は、リム・フォスター」
「そう、なんだ」
リムは鞄を放り投げた。
「あ、俺の鞄」
光来が慌てて拾うのを見ながら、会話を続けた。
「すぐに決断してほしいから、はっきり言うわ。キーラ、あなたをここから出します」
リムの言葉は、弱り切った光来に突き刺さった。
「逃がしてくれるってこと?」
「そう受け取ってもらって構わないわ」
こんな所からは一刻も早くおさらばしたい。しかし、そのチャンスが巡ってきた途端、現実的な考えが浮かび、光来は尻込みした。
「でも、そうすると脱走ってことになるんじゃ……」
「そうよ。ここから脱走するの」
「そうなると、追手が掛かるんじゃ……」
「当然、掛かるわね」
「つまり、それって……」
「時間がないの」
リムは苛立ったように遮った。
「あなたが取るべき手段は二つしかない。三つでも四つでもない。二つよ。一つはこのままおとなしく裁判を受け極刑にされるか、もう一つはここから逃げて生き延びるかよ」
「極刑? 死刑ってこと? そんな無茶苦茶な……。あれは双方納得の上での決闘であって、そういうのって、法的に大丈夫なんじゃ……」
「普通に決闘が行われれば、なんの問題もなかった。でも、あなたはトートゥの弾丸を使った」
また出た。ケビン保安官も同じことを言っていた。トートゥの弾丸と言われても、なんのことだか分からない。
「なんでそんなことをしたのかは後で訊く。それより、どうするの? このまま死ぬ? それとも逃げる?」
どうすると言われても、死ぬか生きるか選ぶなら、当然、生きる方を選ぶ。
「死刑ってのは確実なの? 情状酌量の余地とか……」
「ないわね」
リムはばっさり切り捨てた。
「知ってるはずよね。トートゥは、喰らった者は必ず死に至る禁忌の魔法よ。極刑を免れるなんて絶対にあり得ない」
だから、知らない。いったい、なにを言っているのか、わけが分からない。しかし、ここでそれを言っても信じないだろう。
「分かった。逃げる。こんな所で死んでたまるか」
「決まりね。じゃあ、これに着替えて。サイズが合わないかも知れないけど、我慢して」
リムは背負っていたバッグを床に下ろした。光来が開けてみると、どこから調達したのか、ウエスタンファッション一式が入っていた。
「あなたの服装は目立ちすぎるから」
一式を広げてみると、ジーンズとシャツが入っていた。一番地味なものを選んだんじゃないかと思うほど、ありふれた仕様だった。
リムの言うことはもっともだったので、大人しくシャツを脱ぎ始めると、リムは慌てて顔を背けた。少し頬を赤らめているような……。ひょっとして、物怖じしない態度の割りに、男に免疫がないのかも知れない。
「でも、どうやってここから出る?」
光来はここに至って、なぜリムが牢の中に入れたのか疑問が湧いた。しかし、その疑問は生じるとともに消化された。門扉が開いていたからだ。
「ひょっとして、忍び込んだ?」
「失礼ね。堂々と正面入口から入ったわよ。帰る時も正面から出ます。行きましょう」
なにがどうなっているのか分からないが、ここはリムの言う通りにした方が賢明そうだ。大人しく後に続いた。
不自然なほど静かだった。もう夜とはいえ、保安局なら何人かはいるはずだろう。光来は不安を抱えながら先に進んだ。




