「トラック×トラップ」
「うぐぅ、暑い」
うめき声とともに、少し太めの肢体が布団からモゾモゾと這いずり出る。
昨夜しっかりと閉めたはずのカーテンは何故か開け放たれており、差し込んだ日の光によって部屋の中はムッとした熱気で満たされていた。
冷房を付けて快適に寝たつもりが、どうしてこのような惨状になったのだろうか。そう思いカーテンの上に鎮座しているであろう送風装置に目を送る。
「……切れてる」
まず頭に浮かんだのは母であった。年頃の息子の部屋にもなんの躊躇もなく侵略を行うあの母であれば、この凶行をやりかねないかも知れない。
しかしながら我が母は休日の朝がとてつもなく弱いのだ。わざわざ朝早くに部屋に顔を出すことはほとんどないと言っていいだろう。そうなるとおのずと犯人は絞られる。
愛すべき隣人、またの名を隣の部屋の魔王。その名も妹。こんな事をやるのは彼女しか居ない。
「くそう、あいつめ……デブを殺す気か……」
一言文句でも言ってやろうと、壮介はベットから立ち上がると、寝惚け眼をこすりながら部屋を出た。部屋の中よりか幾分涼しい廊下に僅かな冷たさを感じつつ步を進める。
そして部屋を出て数秒も経たないうちに足を止めると、『ゆずき』と自分の部屋と同じ文体のネームプレートが掛かったドアに手をかけ、開口一番にこう言い放った。
「やい、ゆずき! お前エアコン消してったろ! 俺めっちゃ暑かったんだけど! 」
突然の大声ににビクリと体を揺らした少女は、丁度含んでいたであろうアイスを口から離しこちらを振り向いた。
一目見てわかるその感情は『怒』、心なしか彼女の象徴たるツインテールもゆらゆらとただならぬオーラを漂わせている。
「……なに? 」
そして幾ばくかの沈黙ののちに発されたその一言は、文句を言ってやるぞと息巻いていた壮介の心持ちを谷底へと打ち落とすのに充分な怒気を孕んでいた。
「ひっ! あ、あのですね、その、僕の部屋のエアコンをあの、触ったりしてないかな~、なんて」
「……、……」
言葉尻をしぼませながらも、もう一度自分の言い分を主張してみるも、反応は芳しくない。
むしろ怒りを通り越して呆れの境地にでも入ったのか、彼女は諦念のこもった瞳でこちらを見つめ、口を開いた。
「はぁ……あのさお兄ちゃん、うち今月厳しいって言ったよね? 昨日家族みんなで節電しようって話し合ったよね? ……なのに、それなのにぃ! 何で! いきなり! エアコンなんてつけてんだこのバカあに! 」
「節電?そんな話して……ぬあっ! 」
思い返してみると確かに昨日の夜にそんな話をしていたような気がする。
思い出せ思い出せと唸りながら頭を抑えていると、おぼろげだった記憶が段々とハッキリ再生され始めた。
【【 ていうことだから、お兄ちゃんも今日から節電よろしくね!
おっけーおっけー! 兄ちゃんに任せとけ! あっはっはっは! 】】
「ダメだこいつ! テレビなんて見てやがる!」
天井を見上げながら、ガッデムのポーズをとっていると、ばしゃりと冷たい声が浴びせられた。
「……お兄ちゃんさ、さては忘れてたでしょ」
「なっ、何のことかさっぱり――」
瞬間、ヒュンと音を立てて壮介の顔の真横を疾風が凪いだ。退路を塞ぐかのように壁に突きつけられたその手に囚われ、彼我の距離が接近する。
「ネタは上がってんだ! 白状しろクソあにぃ! 」
「ぴぃっ! わ、忘れてたわけじゃないんだ! そうじゃないんだけどその……はい……忘れてました……ごめんなさい」
額より汗の雫を落としながら、こちらを睨みつけるジっとした視線、大義名分を失ったわが国には、もはや謝罪と言う道しか残されていなかった。
「はああぁ……まあいいや、許したげる。ただし、条件付きでね」
大きくため息を吐いた目の前の妹はニヤリと口角を上げ、側から見てもわかるくらいに悪そうな笑みを浮かばせた。
「じょ、条件でございますか」
「ぬふふ、気になる? それはね――」
永遠にも数瞬にも感じられる時が流れ、ついに裁定者が口を開いたその瞬間、部屋を覆う熱気に溶かされたのか、彼女がその手に持っていたアイスが水滴となって滴り落ちた。
固形より解放されしソーダ色の雫は、勢い良く飛び降りると、見事彼女のシャツの襟首……その裏側へとと着弾し、重力に従って降下を始める。つい目で追ってしまったその雫の行き着く先は、その更に下、しっとりと汗ばんだ丘陵へと――。
あ、まずい。
そう思い急ぎ視線を戻すも時は既に遅し。顔を上げると至近距離で視線と視線がぶつかり合った。
「なっ…………ぬぁに見てんのさ! こんの変態! 」
「ち、違うんだ浮月! 聞いてくれ! ……兄ちゃんのほうが大きいから気にするな☆……へぶうっ! 」
「もっと悪いわクソッ! とりあえず出てけっ!!!」
「がふっ――。」
飛んできた怒りの助走付きニーキックは見事にふくよかな腹部へクリーンヒットし、壮介の意識を刈り取っていった。
▽▽▽▽
「んん、ここは」
軽く見回してみると、どうやら自分の部屋のようである。しかしながら部屋に、それもベットに寝た記憶は無い。
ふと机の上を見るとメモ紙が1枚置いてあった
“ 親愛なる兄へ、次は無いぞクソエロガッパ ”
我が親愛なる妹は、いつからこんなに言葉遣いが悪くなったのだろうかと息を吐いた。するとふと、昔は何をするにでもついて回ってきた妹。その姿が思い起こされた。
ついでに先ほどの一連の行為も思い出してみる……その変化の原因の一端は、自分にあるように思われた。
「はぁ、後でちゃんと謝らないとなぁ」
こんな時はもうあれだ、換気でもして気分を入れ替えよう。そう思い窓を網戸にする。
「扇風機スイッチオンッ! カーテンも風が通るように全開だあッ! フハハッ風が気持ちいいぞッ!!! ……はぁ、はぁ」
どこぞの大魔王張りのセリフを吐いてみるも、残ったのは疲労感のみであった。
「よし、後はこれで下から何か飲み物でも取って来れば完璧だ」
誰にも侵される事のない秘密の楽園が完成するのだ、ぬふふ。
快適になった部屋で早速机に向かいパソコンの電源を入れる。
「もうちょっとかかりそうかな」
中学入学以来の相棒はログイン画面を一向に映さないまま熱を上げる。ふいと真っ黒な液晶から目を離し、壮介は一度部屋を出た。
「今のうちにお茶でもついで来るとしますかね」
今は夏休みの真っ最中。その恩恵を十全に活かすために、軽く一日のスケジュール考えつつ、冷蔵庫を開く。
それにしても、夏休みのような長期休暇は毎日学校に嫌々行っている生徒からしたら正に楽園である。
たんまりと出された宿題を除けば毎日ゲーム三昧という素晴らしい日々が待っているのだから。
今日も朝から遊んでやるぞと意気込み早速最近お気に入りのタワーディフェンスゲームを起動していると、キーボードの横に置かれたスマートフォンにメッセージが届いてていることに気が付いた。
誰だろうかと思いつつ確認した送り主は所属している文芸部の後輩であった。
慣れた動作でコミュニケーションアプリを開き、一番上の新着メッセージを開いてみる。
つらつらと書かれたそれは、要約するとつまりこういう事だった。
「一緒に買い物に行きましょう」
なるほど。
そう頷いたのもつかの間。
「どええええええええええぇっ!」
声が出た。
「うっさああああああああい!」
ついでに壁も叩かれた。
こうして壮介の夏休み初の外出予定は、予想外の形で決まったのであった。
▽▽▽▽
「よし、ぴったり予定の時刻だ。ふう、慣れない事ってのはやっぱり緊張するな……」
翌日、指定された場所に指定された通りの時間に到着した壮介は、周りから見ても分かるくらいに緊張し、そのふくよかな体を軽く震わせた。
服は大丈夫だろう。妹が選んでくれた物なので、変では無いと信じたい。
というのも先週、買い物の誘いを受けてからテンションが上がりっ放しだった壮介はつい口が滑り、浮月に今日の事を話してしまったのだ。
散々からかわれはしたのだが、結果的に色々教えてもらえたのでよしとする。
そんなことを考えながら、おろしたての洋服のサラサラとした感触を手に感じつつ腕時計をじっと見る。せわしなく動く文字盤に刻まれた時刻は約束したはずの時間から15分ほど進んでおり、それを見つめながら壮介はむぅと息を吐いた。
「うーむ遅い、時間過ぎてるってのに来ないなあの後輩」
むにっ。
「うひっ!」
むにむにむにッ!!
「だっ、ちょっ、まっ! うひひひひ!」
腕時計を見ながらぼうっと突っ立っていた壮介。そこに突然伸びてきた何者かの腕。二本の腕に服の上からおなかのお肉を揉みしだかれ、壮介はたまらず声を上げた。
その唐突かつ暴力的なダイレクトタッチに何ごとだと思い後ろを振り返ると、そこにはやはりというべきか既知の人物がこちらを見上げながら立っていた。
「先~輩! もう来てたんですね! それはともかく……あ゛~やわらか~い」
たなびく髪を風に濡らしながら、幸せそうな笑みをにへらと浮かべる小柄な少女。
記憶に間違いがなければ、この少女が待ち合わせをしていた文芸部の後輩のはず、そのはずだ。壮介は頭を押さえ、一度目をつぶった。 そしてもう一度、ゆっくりと瞼を上げる。
「うぇへへ~」
とてつもなくかわいい。
非の打ち所という言葉がこの世から消えていくのを胸のうちで感じながら、壮介は人知れず心の涙を流していた。
「あのね、黒々木さんや、出会い頭にお腹揉んでくるの……やふっ……や、やめてくれない?」
思いもよらぬの指の動きに言葉を詰まらせながらなんとかくちを開く。
するとむぎむぎとひっついていた小さな手がピクリと震え、すうっと体から離れる。予想外の行動に、多少驚きながらも彼女のほうを見る。
「やです」
今の今までだらけ切った顔をしていた少女はしかし、その瞳をこちらに向けて真剣な表情でそう言い放った。
「うぎぎ、そうだと思ったけども! 」
「ふ、どうしたんですか先輩。いつもの事じゃないですか。それに先輩だってまんざらでも……うぇへ……ないでしょうに」
ゲへへと擬音が付きそうな程のしたり顔で細い指をわしゃわしゃと動かすその姿に、壮介は思わずうなだれる。
「もう好きにしてくれ……」
「やったぜい、公認ゲッツ!」
グッと拳をかちあげ喜びを表しているこの少女、ちょっと、いや、大分変わっているのは見ての通りだ。
そして誠に残念ながらこの生意気な後輩こと黒々木もちこがお腹やわき腹、果ては頬の肉まで摘まんだり突っついたりしてくるのも壮介にとって日常茶飯事であるのだ。
曰く、安心するらしいのだが、壮介には全く分からない。
そう心の中で愚痴りつつも、彼女の方をへと改めて顔を向ける。すると先程は分からなかった全身、詰まりは服装を視界に入れる事が出来た。
フードの着いたパーカーにホットパンツという季節感がずれまくった上下のコーデとも言えない何か。何を詰め込むのかとつい問い詰めたくなるような大きなリュック。
そんな超個性的な服たちもこの少女が着ると、悔しいかな、可愛く見えてしまうのだ。
くっ、悔しい!でも(愛嬌)感じちゃう!と言った感じである。
「いっつもパーカーだよな、黒々木って」
「……好きなんですよ、パーカー」
「それまたどうしてさ」
「う〜ん、着心地ですね! ふわふわだるだるなこの着心地は全てを包んでくれるんです! ……ラクですし」
「黒々木さん本音! 本音が漏れ出ちゃってますってば! 」
「いいです、どうせここには先輩しかいませんし」
「サラっとディスられましたけど!?」
「ふひひ、冗談ですよ! それよりも早く行きましょうよ! 」
「あっ、ちょっ」
そう言ってギュッと手を引く彼女。いきなり繋がれた手にどきまぎしながら、ぴょんと跳ねるフードのあとを追いかける。
柔らかい感触につい熱くなってしまった手に、どうか気付かないでくれと願いながら見た後ろ姿、その表情は、こちらからは窺い知ることが出来ない。
「クァーック、クァーック」
走る二人のその上で、間抜けな声をしたカラスが一羽、空に向かって羽ばたいていった。
▽▽▽▽
空には夕日の朱が指し、ちらほらととんぼが空を切る。
ふと目をやると、隣を歩く小さなカラスと目が合った。
「いや~、色々あったけど楽しかったですね~。付き合って貰っちゃってありがとうございました。」
「そりゃ良かった」
あの後夏真っ盛りの街へと繰り出した壮介達は、腹が減ったと騒き出した黒々木とラメーンを貪り、パッフェを貪り、その後は背に入り切らないほどの買い物や、要所巡り――あの有名な聖地だとか……をこなし、帰宅の途に着いていた。
様々なイベントをつつがなく終え、太陽はその一日の仕事を終えようとしている。しかしながらこのままのペースで帰れば、夜にはきっちり家に着いているので、親御さんにも迷惑がかからない予定である。
健全さ! 大事!
「先輩、どうしました? ……もしかして、楽しくなかったですか?」
夕焼けに照らされた並木道を何を考えるでもなく歩いていると、横を歩く少女が小さな頭をひょこっと向けながらそう聞いて来た。
「っ……いやいやいや! 楽しかった! 凄く! 誘ってくれてありがとうって言いたいぐらいに……ハッ! 」
虚を突かれた質問に、ふと本音が抜け出てしまう。その言葉が向かう先は、当然隣にいる少女以外はあり得ないわけで。
ニヤリ、そんな擬音がどこかからこぼれ出た。
「へぇ、先輩って意外と情熱的なんですね。いいと思います。」
「うぬぬ、はかりおったな黒々木め……」
いたずらが成功した子供のような顔をしてこちらをジッと見つめてくる黒々木。その瞳から一秒と立たず目をそらし、顔をそむける。
そして数秒の沈黙が過ぎ去った後、彼女が再び口を開いた。
「そういえば先輩、名前ですよ! 苗字は好きじゃないので、名前で呼んでくださいって言ったじゃないですか!」
「ぐうっ……ぜ、善処します」
妹である浮月ならともかく、年頃の少女を下の名で呼ぶなどという事は、壮介にとってはハードルがめっぽう高い、こればかりは中々言えるものではないのだ。
そう答えてからまたしばらく足を動かし、なんとなくちらりと彼女の方を見る。
リュックサックをぎゅっと握った彼女は、嬉しさと恥ずかしさのないまぜになったような、そんな表情をしていた。
「黒々木さん……?」
「んへっ?……あっ、なっ何でもないです! 何でもないですから今のは! ていうか苗字ぃ!」
ぶんぶんと顔を振ったかと思うと、そう言ってすぐに顔をうつむけてしまう。
「うっ! は、恥ずかしいんだよ……」
内なる衝動を何とか心に押しとどめ、そう声を出す。
夕差しが彼女の頬に当たり、盆提灯のように紅く照らされる。
俯いているその表情は分かりはしないが、普段あまり見ない反応に、何故か目が離せなかった。
「……なっ、なんですか?」
ふうと息を吹き出す少女。その頬の赤みが先ほどよりも増した気がするのは気のせいだろうか。
視線に気付き、こちらを見つめ返す黒々木。それはまるで浮かれた脳が見せる幻影のようで――。
「いっいや、なんでもない!」
目が合ったら溶けてしまうのではないか、そんな錯覚に陥り目を背ける。逃げ場を探す気持ちの熱は、容赦なく心に溜まっていく。
それから、またしばらく二人でぼんやりと歩く。小さい方の片割れは、相変わらず雛鳥のように縮こまる。
時に何かを口にしようとしているらしいが、結局は言葉にならず、もごもごと口篭っていた。
それにしても、彼女はなぜ俺なんかに構ってくれるのだろうか、顔はそこまで整っているわけでもなく、身長も高身長と呼べるほどのものでもない、オマケにミートテックを標準装備ときたものだ。
我ながら言っていて悲しくなるほど惹かれる要素0である。
ある日突然現れた彼女は、そんな自分を泥沼の中から引き上げてくれた。
初めて会った時からずっと変わらない、全力で、眩しくて、いつまでも一緒に居たくなる。
しかし、残念なことに帰宅と言う名の別れの時間は刻一刻と迫って来ていた。
この可愛い後輩と一緒に居られる時間もじきに終わる。そう考えるととても悲しいのだが、幸いにも休みが開ければ部活ででも会えるだろう。もしくは今度自分から外出に誘ってみるのもどうだろうか。
黒々木からの誘いがなければ家から一歩も出ずに夏休みを終えていたであろう壮介は、がらにもなくそんなことを考えつつ歩いた。しばらくすると二人の行く手には大きな交差点が見えてくる。
ここまで来ればお互いの家まで後一歩という所である。
夏休みとはいえ、平日なだけあって交差点の人通りは多かった。
オフィス街が近い為だろうか、数人で肩を組んで居酒屋に入っていくスーツ姿の中年男性達、惣菜屋さんのマークの入ったビニール袋を片手に下げ、帰宅の途を辿っている若いOLなど、仕事終わりの人たちの姿が多く見える。
仕事が終わったからか、少し楽しげな空気を醸し出す彼等をしばらく横目に見つつ歩いていると、横断歩道に差し掛かった、信号は赤だ。
そう確認するや否や、踏み出しかけていた足を慌てて戻す。
「あちゃー、ここの信号長いんだよなぁ、どうする黒々……ん?」
傍らにいるであろう少女にそう声をかけようとした壮介、その目に映ったのは見知った、嫌でも覚えている一人の少年だった。
「アイツは――檜田?」
道路を挟んで反対側、雑踏のなかにいてしかしなぜか目に付くその異様な存在感に、目を縫い付けられ、動揺してしまう。
そう、動揺して、気付かなかったのだ。
ぶんぶんと顔を振った壮介は、隣にいるであろう黒々木に声をかけた。
「っそうだ、どうする黒々木、やっぱ裏道の方から帰る……? ってあれ?」
隣にいた筈の彼女が見当たらない。
一度目を擦ってもう一度見る、やはりいない。
一体いつから居なくなっていたのだろうか。そう思い辺りを見回す。
「黒々木? アイツ、どこに――」
突然の出来事にどうすればいいかオロオロとしてしまう壮介だが、その目にさらに信じられないような光景が飛び込んできた。
「あ……れ?」
先ほどまで活気を感じさせた人々が、一斉に立ち止まり、皆同じ方向に目を向けているのだ。
いったいこれは何事だろうかと恐る恐る視線を追っていくと、その終着点は交差点であった。
「交差点の方? 一体……」
静まり返った交差点、何かに引き寄せられるように、そこに目を向ける。
「あれは――あ、あれ、何……をッ!?」
そこには、一人の少女が立っていた。
静寂にとらわれたコンクリートの上、交差した白線の真ん中に、何を見るでもなくぼーっと突っ立っている彼女の目は、虚ろで、焦点が合っていない。
そして、数瞬ののちに壮介は気付いてしまった。様子は違っていれど、その姿はまぎれもなく先ほどまで隣にいたはずの少女だと。
「く……黒々木ッ!」
それは唐突だった。
なんであんな所にと考える間もなく、そう、まるで示し合わせたかのように、巨大な車体を持つトラックが、交差点へと轟音を響かせながら侵入してきたのだ。
周囲の静寂なぞ知るものかと振動をまき散らす機械のモンスターに、おもわず頭が真っ白になりそうになるが、目の前に映る彼女がそれを許さなかった。
「なんだ、何だこれ……ッ!」
思考は逸り、巡り巡る。だがしかしそれよりも早く反応したものがあった。それは、壮介自身。身体は弾き出されたかのように、交差点へと飛び出した。
動き続ける身体は交差点へと到達し、半ば衝突したかのような勢いで、未だにうつろげな様子の彼女の身体を抱き抱えた。そして、叫びかける。
「おい! 黒々木っ! 何やってんだバカ!」
「……あ……あぇ……せ……ぱい?」
海面に浮かび上がる気泡のように、その瞳に小さく光が浮かぶ。
しかし腕に収まった彼女の身体は未だにぐったりとしていて、唯一の支えである壮介の腕にその重みを如実に伝えていた。
「うっ、くっ……くっそ、ハァッ、ハァッ」
必死にこの場所から引き離そうと足を動かすが、力を失った人の体は存外に重く、緩慢とした動作しかできやしない。
そうこうしている間にも、暴れまわる巨大な鉄塊は闘牛のごとくこちらへと滑ってくる。
人一人抱えて歩道まで行くには圧倒的に時間が足りない。そうなれば二人とも、そうなるよりは――
そう思うと、またもや、考えるよりも、体が先に動いていた。
「う、く、お……お……おおおお゛!゛!」
これが火事場の馬鹿力というものなのだろう、自分でもビックリする程湧き上がってきたその力で、だき抱えた彼女を道路脇まで投げ飛ばした。
もし、漫画の主人公なら、これくらい難なくこなして自分も脱出するのかもしれない。
でも、もう体が動かない。一ミリたりとも。まるで金縛りにあったみたいだ。
こんな事なら日頃から運動しておけばよかったな。
妙にゆっくりに感じる思考でそうグチグチ言っていると、どこか遠くから気の抜けた音が聞こえてきた。
ーードチャ。
そんな軽い音
そして、すべてのの感覚が、……
――消え去った。
かろうじて感じとれるのは朧気な視覚と、溢れ出る熱量、それらも、どくどくと、そんな鼓動と共に蓋を落とされたように暗くなっていく。
あ……ああ、俺、死ぬのかな……まだ……死にたくないんだけどな……でも、まぁ……
ガッと体を抱えられる衝撃に、紅く霞がかった視界がぐらりと揺れる。
声が、どこかから聴こえないはずの嗚咽が、聴こえた。
誰かの血にまみれながら、笑顔が似合うその顔をくしゃくしゃにしながら、こちらをのぞき込むその少女は。 そう、彼女の名は、黒々木――
「も…………ちこ……」
「せんぱい? せ……せんぱ? あれ……?? なんで、わだし、さっきまで一緒にいて、それで、えっ? ……わたし……? わっわたしが……わた……あっ……あ゛あ゛っ」
ああ、良かった……彼女が……無事で……ああ……ほんとに、本当に……
「よがっ……だ...…」
「まっ……て……いやだ……いや……あ……あ゛……」
意識が、鼓動が、全てが薄れていく
終わりが近付いて来ているのだろうか
笑顔がかわいいあの顔も、もうろくに見えやしない
ただ頬だけが、滴り落ちてくる熱い雫の熱を伝えていた
「な...…ぐな…...」
どんな顔になっているのか分からないが、伝わればいいなと、ただ一生懸命に笑いかける
「わら……え゛.......…」
君にはずっと………笑っていて欲しかったから
「あ゛ぁ゛……う゛あ゛あ゛あ゛あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ っ !」
――――少女の慟哭が、交差点に響き渡った
改稿報告
15/12/29,もちこの性格、仕草などを変更しました。
16/4/7&17/2/18情景描写の付け足しを行いました