8:東の国
第2章。本来1話の予定だったり。
世界の東側、カーライルという国の田舎の辺境にホポという町がある。
そこにある一般的な宿のひとつ、暁の光亭の玄関が開いて、ドアノブに取り付けられた鈴が涼やかな音を響かせた。同時に、凡庸な顔をした剣士らしき女と、おそらくその護衛対象であろうフードを被った人物が店内に現れる。しかしながら宿の受付には誰もおらず、客が来たというのに対応する声も行動もない。
「すいません!どなたかいらっしゃいませんか!」
女が大きな声で呼びかけると、遠くから応える声がわずかに響く。
「お待たせしてごめんなさいね!ようこそ、暁の光亭へ。お泊りですか?」
受付の奥から恰幅のいい妙齢の女性が姿をあらわした。
「2部屋空いてます?」
「ごめんなさいねぇ、1部屋しか空いてないの。明日からお祭りだから…。狭くてもよくて、一泊800キーンでよければ2人泊められるけど…」
「大丈夫です。はい」
女は銀貨8枚をカウンターに置く。従業員の女はそれを丁寧に数えたあと、一本の鍵をカウンターに差し出した。
「2階の4号室。一番奥の部屋よ」
女と連れの人物は従業員にぺこりと頭を下げて、階段へ向かう。キシキシと音がなるのを不安に思いながら廊下を抜け、部屋の鍵を開けた。
真っ暗なので照明の魔具を探して点火すると、こぢんまりとした部屋が姿をあらわす。ベッドがひとつ、ベットサイドのテーブルがひとつ。あとはなにもない。
「あぁ、よかった」
ドアの鍵を閉めながら女が呟く。
「これなら2人で寝られそう」
思っていたより大きいベットだったことに安堵したようだった。
「冒険者向けだからじゃねぇかなぁ。身体がでっかい男はこんくらいないときつそう」
連れがフードを脱ぎながら、宿に入ってから初めて言葉を発した。その顔は濃い醤油童顔と表現するに相応しい。
「ああ〜久しぶりの宿はやっぱいい〜布団がやわっかい!」
布団の上にボフリと顔面から身を投げ出した男を見ながら、女が苦笑する。
その手はてきぱきと装備を解いていき、きちんと床に並べてはひとまとまりにして邪魔にならないようにした
「じゃ、私も」
男の隣にそっと腰かけた。ベットが2人分の重さを受けて沈む。
「…布団が偉大なことを痛感した」
「そりゃよかった。今日風呂は?」
「もう遅いし、軽く拭いて明日入りましょ」
「わかった。じゃ、背中やりますか」
「うん。ちょっと水もらってくるね」
女はそう言うと部屋の外に消えて、2分ほどで帰ってきた。
その手のたらいはきれいな水でたっぷりと満たされている。そのたらいをベットサイドの机に置くと、女はおもむろに、男に背を向け服を脱ぎ始めた。
魔具のやわらかみのある光に照らされて、女性にしてはすこし逞しい背中が現れる。
しかしその肌には、女の地肌の象牙色をところどころに残しながらも、赤く、時おり赤紫色や茶色の、蛇がのたくったような跡があった。誰もが目を逸らす、そんな傷である。
しかし男は真剣に、傷を見つめ、様子を観察する。
「…うん、飛びつつある」
男は先ず濡らしたタオルでその背中をふき、次に手をたらいの水につけ、何事かを念じる。すると水の上にほのかな光の玉がいくつか浮かんで弾ける。
「準備オッケー?」
「うん」
了承の声にひとつ頷いて、男は水で濡れた手で女の傷跡へ触れる。
「い"っ!!ゔ、う"っ!」
途端、じゅう、と音をたてて女の背中から煙が立ち上る。
「がんばれ!前よりマシになってるし、なるから!がんばれ!」
痛みで涙をこぼし、うめき声のような、悲鳴のような声をあげる女を励ましながら、ほかの箇所にも男は濡れた手をつける。その度に煙が立ちのぼるが、不思議なことに女の背に元からある傷以外のものは増えない。
むしろ、元からある傷が心なしか薄くなっていさえする。
「よし、今日の分は終わり!大丈夫?」
「うん…ありがとう…」
女はぐったりとした調子で服を着ると、今度こそ素直にベットに倒れこんだ。
「たらい、明日の朝でいいって女将さんが言ってたから、そのままで大丈夫だよ」
「ならさっさと寝よっか」
ひとまず、たらいの水がなにかの衝撃や事故でこぼれてしまわないようにサイドテーブルへ移動させ、男はベットへ倒れこんだ。
「だいぶよくなってるよ。今日もがんばった、がんばった」
男は隣で仰向けになっている女の頭をぽむぽむした。
「…良太くんの方が、よっぽど大人に感じる時があるなぁ」
「そりゃーない。紗枝さんのがよっぽど大人だから」
「ないない」
この会話のち、おやすみと伝えあって、2人の若い男女は桃色の空気など微塵も出さずに眠りについた。
女の名は井口紗江、男の名は秋野良太。
この世界の西の大国アッシュヴァルから、西の国カーライルへはるばるやってきた。
目的は、良太ペンダントが示す勇者に関連のある遺跡や祭りを調査し、地球への帰還方法を探ることだ。果たしてここ、カーライルのホポで手がかりは見つかるのだろうか。
見つかれば、いいなぁ。
2人ともそう思いながら、今はまだ見ぬ明日へ向けて眠りに落ちていった。