1:ヒメミコ
秋野良太は人生でいまだかつて得たことはないであろう驚きの最中にあった。
大学の帰宅途中、あと電信柱ひとつを越えたら自宅アパートだというところで、まばゆい光に包まれた!かと思えば、今度は壮大な――テレビで見かけるギリシャの神殿のような建物の床にへたり込んでいたからだ。
「召喚成功じゃ!」
「おぉなんと!なんと高貴なる姿…!」
あっ、これ、なんか小説とかネットで見かけたことある。
パニックのさなかで脳みそがひねりだした感想はこれであった。いかにも神官な格好をした、明らかに日本人じゃない西洋人の老人たちに囲まれ、口々に召喚成功だのなんだのと言われたのだからしょうがない。
「よくぞ我が国へ参った、姫巫女よ」
呆然とする良太の前に現れたのは、いかにも武力寄りですよ!と見た目から主張している男性だった。筋骨隆々の身体に、黒色の衣装をまとって黒色のマントを肩から流している。偉い人には間違いないだろう。
とりあえず権力には挨拶をすることにした。なにが起こるかわからない。本当に、わからない。
「…こんにちは」
「うむ。我はアッシュヴァルが王、リヒトラルゴである。姫巫女よ、我が国の守り、頼んだぞ」
「あ、はぁ…えーと、その…」
「質問を特別に許す」
夢である可能性が高い。高いと、信じたい。しかし伝わる石床の感触は冷たい。ドクドクと、嫌な予感に脈打つ心臓の痛みは、きっと本物だ。
ならば、こういった”いかにもな展開”で聞くべきことはシンプルだ。
「それは、いつまでですか?俺は、それが終わったら、帰れるんですか?」
まるでスローモーションの世界にいるように良太は感じた。呼吸一つするのにやたら時間がたっている気がする。王様の目がまんまるになって、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「なにを言っておる、そなたが死ぬまでに決まっておろう?我が国の守りを永世のものとするためには」
耳鳴りがする。
周りの音がよく聞こえない。
身体が、なんだか冷たくなって、良太は意識を手放した。
◆
「あっ、お目覚めです!姫神子様がお目覚めです!」
「陛下へ急ぎご報告を」
喧騒の中で良太は目を覚ました。夢は、夢でなかったらしい。
「姫神子様、おかげんはいかがですか?」
「あぁ…」
メイド服を着た西洋美少女が良太を覗きこんでくる。これが、ついさっきまでの日常の中でならどれだけよかっただろう。
「まぁ…ぼちぼち…」
「さようですか!急にお倒れになられたものですから、私どもはもちろん、陛下もたいそうご心配なされたのですよ」
「はぁ…」
心配ねぇと良太はつぶやく。良太の役目の期限を聞いたときの口調は、とても”人”と話しているような雰囲気ではなかったような気がするが。
「ジゼル、7代目様がいらっしゃったわ。下がりましょう」
「あ、はい。姫神子様、当代の姫神子様がいらっしゃいましたから、その方からお勤めのことやこの世のことをお聞きくださいませ」
「はぁ…」
仲間のメイドに呼ばれて、良太を心配したジゼルというメイドは下がっていった。代わりに入ってきたのは、先程の西洋人的な見た目とは明らかに違う、アジア系の老婆だった。
「…男?」
こちらを見たと同時に、首をかしげられる。
「あの、こんにちは」
「あぁ、こんにちは。これは…ふむ…」
「あのー…」
挨拶もおざなりにこちらを観察し始める老婆に声をかけると、老婆は姿勢を正した。
「私の名前は楠亜矢。7代目の姫神子をやっている。あんたは?」
「秋野良太っす」
「…驚いた、日本人かい」
「おばあさんも日本人なんすね」
「そうだよ。ああ~っ!話したいことがいくらでもあるのに悔しい~っ」
「…」
突然キーキー言い始めた老婆に、良太は若干引いた。これは許される。
「あ、あ~ごめんよ。癖でね。とりあえず本当に時間がないんだ。私があんたと話せるのは15分ほどだからね…」
一気に言うから戸惑うだろうけど、最後まで聞いてほしい。
亜矢はそういうと、ポケットから5センチほどの宝石を取り出して何事かを呟いてから語りはじめた。
ここは異世界ピアニリディアの、通称は帝国と呼ばれるアッシュヴァルという国である。
あとで地図を渡すので、地理面はそれをを参考にしてほしい。
姫巫女とは、アッシュヴァルを守る巨大魔法陣の生きた起動キーである。その魔法陣は、宮廷の奥庭に設置されている。
生きてそこにいる限り、アッシュヴァルに悪意のある者は誰一人として侵入はできないと謳われるものである。だから召喚されたら死ぬまでそこで暮らすし、当たり前のことながら地球には帰れない。
アッシュヴァルの人々が良太に歓喜していたのは、アッシュヴァルでの神聖な色は黒であるからである。
さらにいうと、黒髪黒目の姫神子は代々守護の力が強かったとされているかららしい。亜矢の見立てでは、良太の魔力量は亜矢の全盛期を抜かしてぶっちぎり国のナンバーワンらしい。魔力量やら魔法陣と言ってることから察せるとおり、この異世界、普通に魔法がある。
そして、良太が男なのに姫神子と呼ばれているのは。
「あんたの召喚陣が狂ったからだろう、多分」
「狂った?」
「あぁ。姫巫女…巫女って女の方ね。言葉の通り女がなる役さ。だけど狂ったから、性別以外は条件満たしてた男のあんたが選ばれた」
「あぁ…」
「ついでにオマケがついて、見る人すべてがあんたのこと絶世の美少年に見えてるようだよ。だからまぁ、男でもいっか~ってなってるようね」
「はぁ!?」
「はっは、まぁそうじゃなくても可愛らしい顔してるけどねぇ」
「ひどい…」
可愛いと言われるのがわりとコンプレックスになっている良太からすれば深刻な問題だ。
童顔で悪かったな!というか、なんつーひでぇ召喚だ!ありのまま召喚しろ!
亜矢はガハハとしばらく笑って、真剣な顔をした。
「問題はここからだ。まぁ今までも問題だらけだったけど…明日、私からあんたへの代替わりが行われる」
「7代目から8代目へか?」
「そうさ。そうなったら私は死んじゃうんだ」
「は」
「1代目から7代目の魔法知識と結界知識、その技量を引き継がせて、魔力が少なくなった前代を魔法陣に注ぐ魔力に還元するんだよ」
先程までようやく同じ故郷を持つ人間と触れ合えてリラックスできていたというのに、背中が一瞬で凍った気がした。この世界の魔法の知識が現状ろくにない良太でもわかる、ひどく不穏な発言だった。
「なんだよ、それ…」
「だから、あんたと私で反抗するのさ。おもしろいだろう?」
亜矢は、ニヤリと笑った。
◆
「これより、8代目姫巫女の就任の儀を執り行う!」
神官が大声で告げた。
良太が亜矢と向かいあって立つのは、宮廷の奥庭にある巨大な守りの魔法陣の上である。これから亜矢の命が損なわれ、良太が生きながらえる。
胸糞悪い儀式だと良太は思いながら、胸元の、小さなピンク色の石がついた首飾りを握る。それは先日亜矢から渡されたものだ。
なんでも、この石には様々な魔法がかけられているという。そのなかの収納魔法のうちに、これから行う”反抗”で、もし良太が地球に帰れたら亜矢の家族に渡してほしいものが入っているらしい。
亜矢は反抗によって助からないのかともちろん良太は問うたが、亜矢は「あんたが逃げたあと、しばらく7代目として8代目のかわりをするんだよ」と笑っていた。
「7代目姫神子様、お願いいたします」
「あぁ…」
亜矢は頷くと、かかとで地面を3回叩いた。
「うわっ!?」
莫大な光が、魔法陣の上で弾ける。淡い光の色は、どこか桜の色に似ていた。ただのピンク色のはずなのに、漠然とそうだと思う。それと同時に、胸元のペンダントがほのかに熱を持ちはじめる。
「う、ぬぁっ…!」
知識が、雪崩れ込んでくる。亜矢に説明されていた通りだ。どうしてそうなっているのかはわからないが、巫女の負担を減らすために、受け継がれるものがこのペンダントを経由しているのだという。
この世界で生きるための知識。
魔法を使う知識。
そして、この国に呼ばれるものが特化している、結界を扱うための知識。
「ぐっ、う」
頭が痛くなる知識はもう受け継がれたらしい。次に流れてきたのは、歴代姫神子たちの地球に帰りたいという願いと、絶望と、先へ託した希望の想いだった。感情が溢れて、涙になって、良太の頬を流れていく。
「進行度6!順調です」
「うむ」
神官たちが魔法陣に手をつけて状況を確認している。亜矢は、真剣な顔をして魔法陣を睨んでいる。
亜矢が良太に話した反抗とは、亜矢がバレないように結界に穴を開けて、良太をかっさらっていく人々を招き入れるらしい。
「進行度8!まもなく7代目様が魔力枯渇、還元の儀へ入られます」
「7代目様のお身体を支えよ!」
亜矢を支えに、神官2人が魔法陣に入った。
そのときだった。
「がっ!?」
「ア”ッ」
神官2人の身体に矢が刺さった。
血が飛ぶ。
「な、く、く、くせもオ”ァッ!」
次々と神官たちが射られ、同時に奥庭を囲う壁上からいかにも賊な男達が雪崩れ込んでくる。
良太の前に現れた男は、どうみても友好的ではなさそうだ。顔中を布でおおい、目だけしか見えてないので余計に怖い。
というか、人が死んでいる。
この男たちが殺している。
「…こりゃあ姫神子様だぁ」
…なぜか、うっとりされてしまった。
「おい!さっさと姫神子を連れ出せ!兵が来るぞ!」
「お、おう!」
「あ、あの!」
ようやく震えだした身体を必死におさえて、良太は叫ぶ。
「あ、あ、あの、あのおばーさんも、連れてってくれ!」
うっとり男は、目だけしか見えないのに悲しげな雰囲気を浮かべて、良太を抱えた。
「ちょっ!」
「姫神子様、あのばーさんは無理だ」
「でも、いっ!」
なぜ無理なのか。
そう問おうとしたら、良太を抱えた男が駆け出し、舌をかんでしまった。痛い。痛いけれど。
「亜矢さんッ!!!!!!!!」
暴れても、うっとり男は良太を離さない。そこから見えた亜矢は、地べたにうずくまって口から血を吐いていた。
だが、笑っていた。
その苦笑に、いくら手を伸ばしても届かない。亜矢は良太に手を1往復振った。それが最後にぼんやりと見えた亜矢の姿だった。
賊たちは良太を抱えて風のように走り続けた。
そうあまりたたないぐらいに、奥庭あたりの位置から莫大な光が立ち上り、アッシュヴァルの空を割った。
まるで透明なドームにヒビをいれたように、桜色の光のヒビが入っていく。
そしてそれさえ突き抜けて、さらに空に伸びていき―――消えた。