こんな仕事オレの本当の仕事じゃない。仕事の真実とは?(私の人生考察ノートより)
仕事がない、
不況だ。
で、仕方がないからこんな仕事をして世過ぎしているんだ。
こんな仕事が俺の天職であるはずがない。
もっといい仕事があるはずだ。
なんで俺がこんなくだらない仕事しなきゃならないんだ?
きつい。汚い。給料安い、こんな仕事なんで俺がしなきゃならないんだ?
そうですね。
仕事とは、なかなか自分の思い通りにはならないものですよね?
好景気の時だってそうそういい仕事には就けません。
まして不景気ではなおさらでしょう。
私事で恐縮ですが。
私も、まさかこんな仕事と思うような仕事を30年以上も勤め上げて結局
今思えば、それが振り返れば私の
天職?だったんでしょうね。
私には向いていない仕事とずっと、思っていました。
しかし気が付けば30年以上も勤め上げました。
それっていったいなんだったんでしょうか?
食うため?家族のため?ほかになかったから?
それも大きいでしょう。
でもそれだけでもなかったようです。
案外、私は自分で思うよりこの仕事に向いていたんでしょうね?
でなければ、30年以上も続くはずがありませんよね?
本当に嫌いで性分に会わない仕事だったら30年以上も続けられるものではありませんよ。
大嫌いと思っていた仕事が振り返れば天職?だったとは、これまた人生の皮肉でしょうか?
こんな話があります。
ある町工場に1工員として42年勤めて、定年退職した人が、いよいよ最後の出勤日で
終わって工場の門を出たとき、
「ああ。俺は食うためとはいえ、こんなところに42年もこきつかわれていたんだなあ」
と、つくづく感慨にふけったそうです。
「給料は安いし、労働環境も劣悪、思えば何もいいことなんてなかった。」
そう思ったそうです。
でもどうでしょう?
あえて誤解と反論を恐れずに言うならば、
大変、きつい言い方かもしれませんが、ではこの人にほかのどんな道があったというんでしょうか?
平凡な、これと言って才能もない中卒のこの人にどんな仕事なら良かったというんでしょうか?
こういっては失礼かも知れませんがこの人にはこの町工場が天職だったと断言するしかないでしょう?
自分を何だと思っているんでしょうか?
でもこの人はもっと違う仕事があったはず、とずっとおもいつづけていたんでしょうね?
儚い望みに過ぎなかったとしても、、、。
人間とは私も含めて身の程知らずですね?
自分の本当の姿や実力が見えてきません。
で、ついつい、高望みをしてしまいがちです。
本当は人間なるべくしてそうなっているのです。
みんな身の丈のところに結局は落ち着いているんですよ。
つまり今居るところが、天職なんです。
もしあなたが本当の実力があり、才能豊かなら世間がほっておくはずがありません。
必ず見出されて、いつか、日の目が当たるはずです。
世間はそれほど、馬鹿ではありませんよ。
しかし、いつまでたっても、不本意な仕事に従事するしかないとしたら
大変きつい言い方ですがそれが、あなたの身の丈にあった天職だったのです。
ですから今すぐ不平をやめて、その仕事を感謝して、邁進するべきでしょう。
町工場で42年働き定年退職した人は
それが身の丈にあった、その人の天職だったのです。
誰もがピカソになれません。
誰もがシェークスピアになれません。
誰もがチャップリンになれません。
そうです人間は持って生まれた天分というものがあります。
なろうとしても、駄目なものは駄目なのです。
みずからの分に住することも大切な人生の悟りでしょう。
でないと一生ただ、青い鳥を追い求めて、空疎な一生で終わる可能性もあるからです。
42年間町工場に勤めた人は、でも、結婚もしたし子供も育て上げたし家も小さいけど建てたし
年金ももらえるし、それでも不満ですか?
古いことわざで申し訳ありませんが
「かごに乗る人、担ぐ人、その又わらじを作る人」
かごに乗る人ばかりではありません。
担ぐ人も居るでしょう。
その又わらじを作る人も居るでしょう。
人はそのもてる分によって、その人生行路を
渡ってゆくしかないでしょう。




