プロローグ その2
少女が目を覚ますと、そこは大きな寝台が置かれた客用の寝室だった。即座に寝台から降りて周りを見渡すが、誰もいない。ほう、と息を吐いて、現状を把握するために考えを巡らせる。どうやら、仕事に失敗しただけではなく、処理にも失敗してしまったらしい。
がちゃりと音が鳴り、扉が開く。
「起きたかい。お腹空いてるだろう。すぐに用意させるよ」
少女は声の主に目を向けて、物言わず距離を詰めた。棒立ちになっている男の後ろに回ると、腕を首に巻きつけて、一気に締め上げた。
しかし、締めている手を男がつかみ、簡単に外されてしまう。考えごとをしていたとはいえ扉が開くまで気配に気付かなかったことといい、実力差は圧倒的なようだ。さらに、お腹の空き具合や体調から考えると二、三日は経過しているようで、うまく力が入らない。
「朝から元気だねえ。しばらく待ってな。逃げるなよ」
逃げる場所なんかないけどね、と意味が解らないつぶやきとともに、男が部屋を出た。
少女から見ると、どこまで何を調べられたかも解らず、逃げるわけにもいかない。しばらく待っていると男が侍女とともに、食事を持って入ってきた。
「……自白剤入り?」
「いや、そんなもの入ってないから、安心していいよ。食べ終わったら、色々と教えてあげるよ」
言いながら、皿上の野菜をぱくりと口に含む。毒見のつもりらしい。食事を机に並べると、男を残して侍女は部屋から出ていった。
「あ、でも名前は教えてほしいな。きみ、とかちびっ子、とか呼びにくいし」
「……マリス」
ちびっ子とは不愉快な評価だが、若干打ち解けたように見せかけたら、男からも情報を引き出せるかもしれないと考え、少女、マリスは名前を告げる。もしかしたら馬鹿で、本当に色々と教えてくれるかもしれない。
「そうか。マリスちゃんだね、よろしく。さ、食べな」
にこにこと機嫌が良さそうにしながら勧めてくる。食べなければ逃げられないと考えて、マリスは食べ物を口に含んだ。これまで食べてきたものに比べて、格段においしい。しばらく食べ続けて、十数分が経過する頃には、あらかたの皿が空っぽになっていた。
「いい食べっぷりだったねえ。腹が減っては何とやら、っていうからね」
「そんなことより、何を教えてくれるの」
マリスは睨みながら質問をぶつけた。男は若干困ったように、笑みを浮かべたまま少し肩をすくめる。
「まず、きみの所属していた組織はもうないよ。僕が潰した。よかったねえ、これからは嫌な仕事をする必要はないよ」
何を言っているのか解らない。やはり、この男は馬鹿なのだろう、とマリスは見当を付ける。
「で、マリスちゃん、帰るところが無くなったわけだけれど、他にあてはある? なければ、お世話してあげてもいいよ」
「まず、あなたが何を言っているのか解らない。組織って?」
「いやだなあ、マリスちゃんと僕の仲じゃないか。変なごまかしは無しでいこう。マリスちゃんは暗殺組織に所属していた。そして、僕がそれを潰した。暗殺組織というより、その上の命令していた貴族を潰したんだけどね。君が暮らしていたお屋敷の持ち主」
男は自慢げに胸を張る。内容は嘘にしか聞こえないが、口調からは本気の空気が漂っている。方法はともかく、理由も解らない。
「なぜ?」
「なぜ? 潰した理由? この国にとって邪魔だったから。屋敷に踏み込んだら出るわ出るわ。私腹を肥やすために出来る悪事は何でもやっていた。他国とも繋がっていたし。世の中には必要悪ってのもあるけれど、ただの害悪だね、あれは」
心底馬鹿にしたように吐き捨てる。本当かどうかはこの場では解らないが、逃げる手段はないだろうか、とマリスは窓に目を向けた。しかし、残念ながら殺しに入ったときの動作を考えると、逃げられる気がしない。
「ちなみに、マリスちゃんが組織にさらわれて所属していたことも、他に子どもがいないことも解ってるよ。もう一族郎党、まとめて処分したけど」
再び吐き捨てるように告げた名前は、確かに所属していた組織の名前で、貴族の名前だった。どうやら、男の言い分は正しいらしい。そして組織が無くなれば、帰るあても知り合いもいない。
「私をどうするつもり?」
「できれば、更生させたいと思ってるよ。更生ってわかる? 暗殺なんて裏の仕事をせず、堂々と街を歩けるようにしたいってことだよ」
男の言い分をすべて信じるわけではないし、何らかの打算はあるだろうが、マリスにとって悪くない取引ができそうだ。元々、組織に所属していたのは言われた通り他に生きる手段がなかったからで、こだわりも義理もない。
「私は何を代価に払えばいい?」
「いやだなあ。見返りなんて求めないよ。一人養うくらいの稼ぎは十分あるし。この街で犯罪者が減れば厄介な仕事が減る。それで僕としては十分だ」
「あなたの言うことが本当とは限らない。少し時間をちょうだい」
いいよ、と男はあっさりと返しながらも、少し残念そうにしている。
「ところで、僕はマリスちゃんと呼んでいるのに、名前で呼んでくれないんだね」
悲しそうな男に、マリスは告げる。
「だって、あなたの名前を知らないもの」