おれたちのせかいへ
バスは大村湾を望む寂れた場所で停まり、そこから二人は二十分ほど田舎道を歩いて雑木林に囲まれた一軒家に辿り着いた。
井上さんがアポを取っていたようで、二人は出迎えた初老の老婆に居間へと通された。二人に煎茶を用意すると老婆はテーブルを挟んで座り、彼の顔をまじまじと見詰め「そう、あなたが」と感慨深げに呟いた。
「それで……えー、彼女は今どこに?」
話が通っている様子だったので、居心地の悪さを感じた彼はすまなそうに本題を切り出した。老婆は「判っていますよ」と言いたげに目を伏して立ちあがると、彼女の背面の襖を開けた。
襖の奥は仏壇で、二十代中盤と思われる女性の遺影が架けられていた。痩せ細った彼女は、写真の中で寂しそうに笑っていた。彼はその時ようやく、コーティが「時間が無い」と言っていた事を思い出した。
老婆は仏壇に添えられていた封筒を持ち出して彼に渡した。封筒は既に封が切られていて、彼は中の手紙を取り出して黙読した。
お久しぶりですホービー。と言っても私はもうこの世に居ないのですが。あの日から1ヶ月が経ち、思い立ってこの手紙を書いています。これをあなたが読むのは一体何年後でしょうね。
ホービー、あなたは私を絶対に迎えに行くと、現実でも一緒になろうと約束してくれました。いくつ歳が離れていても構わない、と。私は本当に嬉しかったし、その言葉が単なる思いつきではなく、本気であると信じていました。だからこそ私は、あなたが迎えに来る頃、私は居ないだろうと言えなかったのです。
ですが、私はあの後すぐに後悔しました。あなたとの約束があなたを苦しめるだろう事を思って。きちんと本当の事を言うべきだったと。
あの最後の夜、私が言った事を憶えているでしょうか。どんな思い出も、過ぎ去ればそれはファンタジーなのだという話を。あの話を、あなたが正しく理解して、私の事を忘れ、約束を破ってくれればいいと、今の私は思っています。
でも、これを読んでいるのであればホービー、あなたは約束を守って私に逢いに来てくれたのでしょうね。それは何年がかりで、どんな困難を越えてきたのでしょうか。私には想像もつきません。その苦労が徒労に終わってしまった事を、私は心からお詫びしなければなりません。本当にごめんなさい。そしてありがとう。どんな結果になったとしても、私にとってあなたは私のヒーローです。
例え私がこの世から消えても、あなたが私の事を忘れたとしても、あなたや、グレゴリ、ネッド……彼らと旅をしたあの日々は私にとっては現実でした。
でも、未来あるあなたにとって現実であり続ける必要は無いのです。あなたが日々の暮しに埋れ、遠い遠い思い出になる。それでいいのです。どうかあの日の思い出に固執せず、新しい道を歩んで下さい。人間は生きて行く限り思い出を作り続ける事ができますが、私にはその未来がありません。
さようならホービー。どうか貴方の歩む先に、輝かしい道がありますように。
海は夕焼けに染まり、潮の香りが防波堤で砕けた。彼と井上さんは一時間に一本しか無い空港行きのバスを寂れた停留所で黙って待っていた。
彼は相変らず呆けていたが、突然思い出して井上さんに礼を言った。井上さんはニヤリと笑って彼に向いた。
「言っただろ? 『志を高く持っていればまた逢える』ってさ。俺も昔を思い出したくなったのさ」
彼は井上さんが何の事を言っているのか解らなかったが、何処かで聞いたそのフレーズを必死になって思い出してハッとした。井上さんは楽しくて仕方が無いといった風に腹を押さえて笑った。
遠い道の向こうからバスがやって来た。
彼は全てが吹っ切れたような顔で言った。
「いこう!」
少しの間を置いて理解した井上さんが「どこへだ?」と返した。翳り始めた空にはいくつかの星が瞬き始め、涼やかな夜の空気が二人を包み、一日の終わりを予感させた。彼はあらん限りの声で叫んだ。
「おれたちのせかいへ!」
了
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魔界塔士は私の原点です。
尖ったところが2や3よりも好き。
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