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或る母娘の話

作者: かるねす



この四年間、これほどまでに自分と母のことを思い返したことはない。


楽しかった思い出。

叱られた思い出。

母の笑い声や、大きくてとても温かかった手の温もり。


改めて、私の中で母という存在は大きかったのだと実感した。







私がどうして、筆を取ったか? まずはそれから説明しておきたい。

ただ母の思い出を書くだけなら、ノートに書き留めておけばいいだけの話だ。

しかし、それだけでは足りなかった。 私は今、後悔の念で心を押しつぶされそうになっている。

―これは己を守るための、自己中心的な懺悔だ。


四年前、私は今まで住んでいたN県から、A県に引っ越してきた。

その理由は、就職。 私は兄弟の誰よりも親元を離れている時間が長かったと思うが、会いに行こうと思えばすぐに会いにいける距離だった。

だが、今回は違った。 

もちろん、寂しいという気持ちはあったが、新卒の私はその日その日の仕事をこなしながら、新しい生活に慣れるので精一杯で、親に連絡を取ることはなかった。 そんな私を心配してか、母はよく私に必要なものはないか、と連絡を入れてくれた。 ―しかし、そのときの私は、面倒くさいという理由で、電話に出ず、留守電に切り替えていた。


ある日、N県に住んでいる妹から電話がかかってきた。


「お母さんの様子がおかしい」


その言葉を聞いたときも、私はふぅん、としか思わなかった。 何がおかしいのか、と聞いてみたものの、ちょっと母がボケてきているというような内容だったため、私は重く受け止めることはしなかった。

(私は四人兄妹の三番目、母は友人のそれと比べても高齢であった)


まあ、年齢的なものもあるし仕方ないだろう、その時そう私は思った。









その年の十二月、年末の休みは実家に帰省することはせず、妹をA県に呼んだ。

妹はたくさんのお土産を持ってきた。 両手いっぱいに抱えてきた懐かしいものは、私の心に喜びとほんの僅かな罪悪感を呼び起こした。


妹とは、あちこち訪ねたり、おいしいものを食べに行ったりと、充実した日々を過ごした。


そして、忘れもしない十二月二十九日。

ちょうど妹が帰った日で、私は遊び倒した休みの疲れが出ていたのか、ばったりと死んだように眠っていた。 そのとき、母から電話がかかってきたのだ。

私は、いつものように留守電にしようかと思ったが、ぼんやりとした頭で電話に出た。


「なんね、あんた寝とったと?」

「うん」

「由紀は帰ったね?」

「うん」

「お土産ば持たせたとばってん、食べた?」

「まだ」

「そうね」


寝起きが悪いせいか、返答は非常に短く、不機嫌な声色だったと思う。

母は、それだけ聞くと、当たり障りのないやりとりをして電話を切ってしまった。 そして、私はその後、改めて母に連絡することもなく、また忙しい毎日に戻っていったのだ。 ―それが元気な母としっかり話が出来る最後の日だったとは知らずに。












二月。

職場の人たちと、京都に一泊二日で旅行に行くことになっていた。

準備が出来ておらず、深夜四時ごろまでごそごそしていた私の元に、妹から電話がかかってきた。


「お母さんの様子がおかしい」


と。

正直、私は準備で慌てていたし、八時集合だったので早く寝たかった。

しかし、妹の口調は非常に慌てており、尋常ではない様子だったため、当時母と二人暮らしだった父にかけてみる、ということで一旦電話を終えた。


父に電話すると、母が訳の分からないことを言いながら、玄関先で用を足してしまった、今それを処理しているところだと困惑していた。

それを聞いた私は、結婚して実家を離れている姉に迷惑をかけるわけにはいかない、と強く思った。

父に姉に連絡せず、夜が明けたら病院に連れて行くよう言うと、また妹へ電話をし、そして同様な指示をして私は寝床へ入った。


今、思い返せば、もっと早く姉に相談していればこんなことにはならなかったのではないか、と思う。


翌日、私はあまり眠らずに京都へと向かった。 しかし、母の様子が気になり、妹に連絡を入れると、すぐに姉に連絡しろと言われた。


「母さんね、心筋梗塞と脳梗塞を併発してるって」

「えっ」

「意識が戻るか分からないし、戻ったとしても障害が残るだろうって」


私は絶句した。 テレビでよく重い病気として扱われているものに、まさかあの元気だった母がかかってしまうなんて。


障害?

意識が戻らない?


その言葉が、頭の中をぐるぐる回って、何も考えられなくなった。

ただ、すぐに地元に帰らなきゃいけない、それだけだった。











病院に駆けつけた私は、心電図とたくさんの管につながれた母の姿を見て、思わず涙がこぼれた。


――八月に会ったときはここまで細くなかった。

どうしてこうなる前に気づけなかったんだ!

なぜ、もっと母の声に耳を傾けることができなかったんだ!


健康的だったはずの母の肌は白く、全く血の気がなかった。

私が戻ったときには、意識は回復していたものの、左半身は全く動かず、髪は白く、声をかけてもぼんやりとしているだけで何の反応も返ってこない。


そんな母を見た私は、ただただ涙を流し、心の中で謝り続けるしかなかった。











そして、それから三年。

私は仕事を辞め、時間が出来たので母に会いに、地元へ帰った。


今の母は、立ち上がることも起き上がることも出来ずに、ただただ病院のベッドの上で毎日を過ごしている。

年に二回しか会いに行けない娘のことは勿論覚えていない。

しかし、私は会いに行った。


一段と痩せた腕は、もう棒切れのように細く、足も立ち上がることが出来ないくらい衰えてしまっている。

入院中、目や耳も悪くなり、もしかしたら、視界も暗く、無音の世界で毎日を過ごしているかもしれない。


もう、昔のように大きな声で笑う母には会えないのだと思うと、涙が止まらなくなる。

そして、そんな母にしてしまう一因を作ってしまった己を強く深く責めるしかない。



母は、幼い私達を守るために、仕事仕事で帰らなかった父の分まで頑張ってくれた。

ようやく一番下の妹が成人し、残りの人生を楽しく過ごして欲しかったのに、その機会を奪ってしまった。

私達のために、誰よりも苦労した母。

時には、間違いや失敗をして、もう口も聞きたくない、縁を切りたいと思ったこともあるけれど、やっぱり私にとって唯一無二の母親なのだ。


それなのに。

私がもっと早く母の異変に気づいていれば。

普段からもっと連絡を入れて、しっかりと話を聞くことが出来ていれば。

あの時、姉に隠さずすぐに相談していれば。

もしかしたら、母は今も元気に毎日を過ごしていたのかもしれない。


思えば、本を読む楽しさを教えてくれたのも母だった。

幼い頃に教えてくれなければ、今、私がこうして文を書くことに目覚めることもなかったに違いない。

本当に、私は目に見えないたくさんの財産を貰っていたのだ。


私は、母の腕を撫でながら、昔と変わらないその肌の柔らかさに、ただただ涙するしかなかった。













あと何年母は生きられるだろうか?

あと何年私は生きられるだろうか?

たとえ、枯れ木のように細い腕であっても、私の母はまだ存在している。

たとえ、立ち上がれなくても、私の母はここに生きている。

今まで出来なかった親孝行を、今こそ。








読んでいただきありがとうございました。


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