08 WICKER PARK(ホワイト・ライズ)
『あにいもうと』01話から繋がっています。
店の前にタクシーが停まり、ドアが開いた。運転手も外に出たので、トランクに荷物でもあるのかと思いながら見てたんだけど、お客の若い女性が、車を降りるのを手伝ってあげてた。親切なような、過剰サービスのような。余程可愛い子なのかな? 失礼ながら、そう考えたりもする。
だが、すぐ事情は分かった。女性は白い杖を持っている。目が、不自由なんだ。だからせめて、降りるくらいは見てあげてるんだろう。もちろん、若くて綺麗なのが最大要因だろうけど。
運転手が先に立って、店のドアを開ける。用事は、ぼくの店だったらしい。そのときにはぼくも、彼女のことを思い出していた。この前コートを買ってくれた、うちのマンションに住んでる高邑さんの、妹さんだ。
「いらっしゃいませ」
「じゃ、私はこれで」
「お世話になりました。ありがとうございます」
運転手に礼を言った彼女は、ぼくの方を向く。瞳は綺麗に澄んでいるが、見えていないらしい。ぼくの顔に視線を止めることはなく、たゆとうように瞳を動かしながら、誰にともなく問いかけた。
「あのう……、先日、兄とお買い物をしたのですが……」
「ええ、覚えてますよ。どこか不都合があったのでなければいいのですが」
「いいえ。とても気に入っています。そのとき、お店の方がこのビルの大家さんだとお聞きして……」
「あ、はい。ぼくです」
「兄に鍵を借りたのですが、部屋まで一人で行けなくて。何階のどこなのか、教えて貰えますか?」
彼女はバッグから、鍵を取り出して見せた。
ただ一人の例外を除いて、賃貸の人たちとはあまり付き合いはない。家賃さえきちんと入れてくれれば構わないので、顔と名前を覚えているくらいだ。あの人に妹さんがいるのも初めて知ったが、目が不自由な様子と、並はずれたシスコンっぷりで、さすがに記憶に残った。
「ご案内しますよ。どうせ暇だし」
言わずもがなのことまで言って、ぼくは店の横の扉から出た。ここからなら、エレベーターまで段差がない。
三階までは店舗やオフィスで、四、五、六階がワンフロア二軒ずつの賃貸マンション、七階はルーフバルコニーを広く取った、ぼくの住まいだ。怖がられないように何くれと話しかけながら、六階まで連れて行ってあげた。疑う訳ではないが、ちゃんと鍵が回ってドアが開くのを確かめてから、ぼくはエレベーターに戻る。
「おかえりなさい店長。先生が来られてますよ」
「女の子と出かけたって、告げ口してたとこです」
店のドアを開けた途端、店の子たちがはやし立てる。その先には、イオナがくすくす笑っていた。
「家族の人が来たから、部屋に案内してあげただけだよ。迂闊な人を、中に入れる訳に行かないし。ちゃんと鍵が合うのも、確認してきたし」
「あー、言い訳してるー」
「うるさいな。暇なら、外周りの掃除でもしてなさい」
女の子たちを追い出し、ぼくはイオナの方を見た。
「今来たの?」
ここ数日、顔を見せなかったので、それなりに心配していた。具合が悪いのだったらどうしようと思ってた。あるいはあの医者が、外に出さないようにしてるのかも知れない。嫌味を言われるだろうけど、明日にでも病院に行ってみようと思っていたところだった。
「ええ。あなたたちがエレベーターに乗るところだったから、遠慮したの」
「何だよ。声かけてくれれば良かったのに。それに、遠慮って……」
イオナまで、からかうんだろうか。でも、彼女を見たのなら、親切にした理由も分かるはず。
「あの女の子、病院で見たことがあるわ。目が悪いのよね」
「そうなんだ。大きい病院だもんね。賃貸の人の、妹さんだよ。部屋に行きたいって言うから、連れてってあげた」
「相変わらず、優しいのね」
「誰にでもって訳じゃないよ」
ハンディのある人をエスコートしてあげるのは、社会人としてのマナーだろう。でも、ぼくがイオナに構うのは、そういう理由じゃない。
「オフィスまで、送っていくよ」
「そう?お店が空になるわよ」
慌ててぼくは、女の子たちを呼び戻す。そしてそのまま、イオナと一緒に彼女のオフィスに向かった。
何か仕事をしている訳じゃない。彼女の、隠れ家だ。ぼくが適当に選んだ家具に、書棚とPCが二台だけ。家賃も貰っていないが、それで釣ったわけじゃない。ただ、彼女に、ここを使って欲しかったんだ。
「コーヒー淹れるね」
これまたぼくが買い置きしているミネラルウォーターのボトルを取り出し、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。イオナはPCのディスプレイを覗きこみ、キーを叩いていた。投資か、あるいはまたハッキングの悪戯か……、画面を見ても、ぼくにはわからない。
わざと音を立ててカップを置いたら、イオナは顔をあげた。
「ありがとう。いい匂いだわ」
それだけで、単純なぼくは機嫌を直す。
「熱いうちに飲んで」
彼女はカップを口に運んだけど、すぐに顔をしかめた。熱すぎたみたいだ。
「火傷しちゃった? お水持ってくる」
「ううん、大丈夫だと思う」
「キスで治るよ」
「バカね」
だけどイオナは逃げなかったから、ぼくは黙って顔を近づけ、軽くキスをする。それから、聞いてみた。
「これ、少しの間目を離しても、大丈夫なもの?」
「ええ、数分なら」
「じゃあ」
デスクの後ろに回って、イオナを立たせ、抱きしめた。唇は柔らかで、深く長いキスは甘かったけど。彼女はあまり応えてくれなくて、それから、消毒薬の匂いがした……。
「具合、悪かったんだね」
「悪いのは元からだわ」
帰ってきたのはいつもの軽口だけど、余計に切ない。ぼくは唇を噛み、無理に明るい声を出す。
「病院臭いなあ。部屋でシャワー浴びて、ベッドで待っててよ」
「嫌よ」
そんな返事が返ってくるのは、もう分かってた。それでも、冗談っぽくでも、誘わずにはいられなかった。
「じゃあ、このままでもいいや。我慢する」
「我慢してくれなくていいし、何もしなくて結構」
「しなくていい、ってことは、してもいいんだろ?」
「揚げ足とりね。どうしてそんなに、私に拘るのよ」
「決まってるだろ。きみのことを、」
イオナは顔を背け、首を振る。ぼくの腕の力も緩んで、彼女はその中から滑り出た。
「忙しいの」
そして、デスクの前に座ってしまう。ディスプレイに表示されている数字が、秒刻みで変わるのを見ては、ぼくも邪魔はできない。
「終わったら、顔出してくれる?」
「……忘れなければ、ね」
また、あのガキ、いや、あの少年が迎えに来るかも知れない。エントランスを見張ってなきゃならないな。ふうっとため息をついて、もう一度彼女に視線を戻す。悲しそうな瞳は、ディスプレイの光を移すだけで、動いてはいなかった。見てなんか、いないんだ。
「愛してるよ」
呟いたとたん、イオナは耳を塞いだ。全く、何てへそ曲がりだ。
でも、放ってはおけない。仕方ない、よな。
一階に着いたら、見慣れた少年がエントランスの扉を開けて入ってくる。
「忙しいってさ。邪魔しない方がいい」
「島村さんだから、だろ。僕なら追い出されないよ」
「失礼な奴だな。それに、ぼくは『島村』じゃないって」
子供相手に、何をむきになってるんだろうとも感じつつ、言葉を返す。中学生相手に口げんかなんて、みっともない話だが……。
ガラスの扉が大きく開いて、また、誰かが入ってきた。
「あ、高邑さん。さっき、妹さんがいらしてましたよ。お部屋まで、お連れしました」
「どうも」
多分、妹さんが連絡をして、それで急いで帰ってきたんだろう。エレベーターのボタンを気短に何度も押し、さっさと上がって行ってしまった。
「ああー、エレベーターが行っちゃったじゃない。オジサンの相手なんかするんじゃなかった」
「階段で行けよ。内側から鍵をかけて、締め出してやるから」
「フーンだ。ねえ、今の人の妹さんがどうとかって言ってたよね。女の人なら誰でもいい訳?じゃあ、お姉さんには手を出さないでよ」
「どういう理屈だよ。吹聴するようなことじゃないが、目が不自由な人だったから、部屋まで連れて行ってあげただけだ。そういやイオナも、病院で見かけたことがある子だって言ってたな」
「……パパの病院に来るってことは、お金持ちなのかな。ぼったくりだけど、腕のいい先生が揃ってるはずだし、治るといいね」
「ぼったくりなのかよ」




