04 BAD BOYS 2 BAD(バッドボーイズ2バッド)
ライバル登場?
「あ、センセー」
重いガラス扉を開けて、誰かお客が入ってきた気配に出迎えた店の子が、明るい声をあげた。
イオナ…とりあえず、そう呼んでいる…は、すぐに、店の女の子たちの憧れになった。少し年上の綺麗なお姉さんで、内容は知らないけど、こんな街中に小さなオフィスを構えて仕事をしてる。それに、どうも、店長は先生に気があるみたい……って。
結局、ぼくが選んだ服に決めると、値札だけ取らせた。
「あら、すぐには着ないわよ」
「どうせ、ぼくが部屋まで持っていくんだから。ゴミを増やさず、地球に優しくしなくちゃですよ」
「ありがと」
店の子にキャッキャッと笑われながらも、表に出てエレベーターに向かう。
「そろそろ逢ってくれるの?」
「別に……。新しいのがないかなと思って、覗いただけ」
「じゃあ、せっかくだから、それ着て出かけようよ」
「うん……?」
気のない返事で、鍵を開ける。部屋の中はブーンと低い音がして、僅かに暖かい。暖房ではなく、デスクトップのPCが付けっ放しだったらしい。
「仕事中だったんだ、何か書いているところ?」
ものを書く、という触れ込みは本当だったのか、デスクの上にはいつも数冊の本が立てられている。買い足した書棚にも、いつの間にか本がたくさん増えている。ただ、ジャンルがめちゃくちゃで、純文学から娯楽小説、実用書に古典と、色々だ。
ぼくは毎朝、店に出る前にここに寄ることけど、いつも本を読んでいるか、PCのキーを叩いているかで、ろくに相手はしてくれない。まあ、彼女の言う『毎日会ってる』ことには違いない……。
「ううん。ちょっと遊んでた」
「ふーん、オンラインゲームか何か?」
珍しいと思って画面を覗くと、プログラムウィンドウが開き、なにやら文字列を打ち出している。
「何これ」
「パスワードのクラッキングを試みてる」
「えっ?」
「IPが抜ければ、そこに直接アクセスして、パスワードの認証タイプを調べる。後はIDさえ分かればいいの。英記号・数字で何桁までって設定しておけば、総当りのブルート・フォース・アタックで、CPUが焼き切れるまで頑張ってくれるわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それって、法に触れるんじゃ……」
「そうね。失敗したログは大量に残るんだけど、どうせここのネット回線契約は私じゃないし」
「ぼくだよ!」
「万一捕まったら、研究用って答えるのよ?自分の管理下のサーバーで、脆弱性を試してました、って。いいわね?」
「……うん。ありがとう、って、ねえ!」
「うふふ。でも実際、そうなの。今試していたのは、ここのビルのネットワーク」
「ええっ?」
いつの間にかディスプレイの中に、もう一つ、小さなデスクトップが出ていた。
「なに、これ?」
「リモートアシスタンスよ。ウィンドウズ正規のプログラム。LANのパスと、アカウントのパスを抜かせてもらったから、普通に開くわ。この人がPCの電源を入れてさえくれれば、もう簡単に入り込める。起動パスが分かれば、タイマーで電源オンの設定も出来るかしら……」
「何がしたいの?もう止めな、あれ……?」
よく見たら、ずっと付けっ放しの、店の奥のぼくのPCだ。デスクトップの壁紙は、ぼくが描いた、デューラーまがいの細密なヌードスケッチ。一応、美大を出ているんだ。何をしたかった訳でもないけど、イオナの姿を、そこに留めたかっただけ。だが、あまり、というか全然似ていないので、誰も気づかない。
「うーん。前は理由もあったんだけど……、今は特に無いのよね。強いて言えば、スキルアップのために、継続して……」
「止めなさい。ぼくが仕事に使うものだよ」
「……怒られちゃった。ごめんなさい、もうしないわ。帰ったら、パスは全部変えてね?サーバーの最上位であるrootディレクトリに、rootってパスは感心しないわよ」
「あ、うん。気をつける…、って、だから、そうじゃないだろ!」
くすくす笑う彼女を、怒ったふりで抱きしめる。顔を上げさせてキスをすると、ちゃんと応えてくれた。逃げようとしても、また捕まえる。唇が離れたときに僅かに漏れる声が、たまらなくセクシーだ。あのとき、初めて抱いたときと同じ、可愛い声。
ぼくの背に回された手が、ゆっくりと滑り落ちていく。その感触にぞくぞくして、いっそう強く彼女を引き寄せ、腰を押し付けた。もう熱くなってるのが、明らかに分かるはず。
「早く帰らないと、怪しまれるわよ」
「先生のところで、雑用を言いつけられてるって思われてるよ。それより……」
抱き上げて、ソファに運んだ。フラットなデザインで、かなり大きめ。ビビットなオレンジが気に入って買ったんだけど、別の用途にも使える。イオナを膝に乗せると、彼女はわざとぼくの上に、向かい合うように脚を開いて座った。
「なんて格好だろうね」
「嫌だった?」
「まさか」
ぼくの上着を肩から滑らせて落とし、ネクタイを緩めて来る指を押さえて、目の前のボタンを外していく。一つ、二つ、三つ……。二人を隔てる薄い布は、あと何枚だろう……。
そのとき。
廊下をカツカツと歩いてくる足音が響き、ここのドアの前で立ち止まった気配がした。チャイムが鳴る。
「誰かしら?」
「居留守でいいだろ」
「でも、鍵かけてないわよ」
ぼくが口を尖らせていると、ギィッと音がしてドアが開いた。
「すいませーん…、あのう…」
意外な、若い声にぼくらはそちらを見た。入り口から少しクランクになっているので、入ってきてもすぐには、中は見えない。イオナがさりげなく立ち上がる。やがて、来訪者が顔を覗かせた。
「あ、やっぱり!」
入ってきたのは、中学生くらいに見える少年だった。何で、こんなところに?
「お姉さん、酷いよ。僕に何も教えないなんてー」
「あら、ヒバリ。よくここが分かったわね」
言い募る少年を、軽くいなす。知り合いなのか?ぼくはますます混乱した。
「お姉さんが僕のブログにコメントをくれたでしょ?それを解析して調べた。プロバイダと、住所と、ビル内のネットワークだってこと。ここの場所までは分かったから、一階のお店で、綺麗な女の人がオフィスを借りていませんかって聞いたの」
「IPを抜いて、プロバイダから住所やネット環境まで調べるなんて、いい趣味じゃないわよ。
それを相手に得意げに言うなんて……、嫌な子ね」
ぼくは思わず吹き出した。さっき、ぼくに対して似たようなことをしていたのは、どこの誰だろうか。それで初めて、少年はぼくに気がついたようだった。
「誰?このオジサン」
オジサン、ねえ。まあ、君よりはかなり年上であることは確かだが……。
「ビルの大家さんよ」
「あっそう。お家賃の集金にでも来たの?」
イオナ以外には、あまり注意が向かないらしい。ぼくのジャケットが脱ぎ捨てられていることや、彼女のボッテガ・ベネタのブラウスの、胸ボタンが三つも外れていること。床に転がっているミュールにも……。まあ、騒ぎ立てられるよりは、有難いことではある。
といいつつも、ぼくもやっと、その子がかなりの美少年であることに気づいた。白い肌に漆黒の髪。切れ長で、凛とした目元をしている。着ているものも品がいい。金持ちの坊ちゃんか。自分の興味のあることにしか目が行かないところや、癇の強そうな話し方も、それを思わせる。
「ヒバリは?」
「お姉さんを探しに来たんだよ。さ、一緒に帰ろう?」
帰る? 一緒に? ぼくはもう、大混乱を極めた。いったい、どういう……?
「ヒバリは、私の隠し子じゃないわよ」
何も言えなくなったぼくに、彼女が話しかける。
「当たり前じゃない。こんな若くて綺麗なママがいるもんか」
横からヒバリが口を出した。
「今からこんなにお世辞が上手で、どうするのかしら」
「お世辞じゃないよ!早く帰ろう!」
「でも私、こちらとまだ、お話があるの。夕方には、ちゃんと帰るわ」
「このオジサンと?何の?」
大人の話だよ、君には分からないだろうけどね。口には出さずに、ぼくはそう言った。
「ここのネットワークの脆弱性について。パスワードの再設定とかを提案していたの」
「ふん。そんなの、自己責任じゃないか。どうせ、ジョウだろ?」
「ジョウ?」
「IDやディレクトリ名と、パスワードが同じ人のことを、Joeというの。危ないのよ」
イオナが説明してくれたが、ヒバリが憎々しげに付け足す。
「バカな話だよ。何かされたって、自業自得さ」
「おい君、ヒバリといったか…、もう少し大人に対しての口の利き方があるんじゃないのかな?」
「僕を呼び捨てにしていいのは、お姉さんだけだよ。ジョウおじさん」
ムッとしているぼくを尻目に、ヒバリはイオナを急かす。ばたばたと片付けて戸締りをし、ぼくらは外に出た。
エレベーターを降り、二人は表に出て行く。ぼくは横の入り口から、店に戻った。
「おかえりなさーい。店長、口紅がついてますよ」
とっさに顔に手をやりそうになったが、堪えた。そんなことをしたら、図星だと思われる。どうせ、からかっているだけだ。そのとき、外の道に出た二人が、タクシーに乗り込むのが見えた。
「あら。さっきの子だわ。先生と一緒に、どこに行くのかしら?」
「帰るんだってさ」
「どういうことですか?」
「ぼくも知らないよ」
首を傾げる女の子に、ちょっとぶっきら棒に言うと、ぼくは店の奥に向かう。パスワードを変えておかなきゃ。
この先は、ぼくが知らなかったことだけど。
大人びた仕草で、ヒバリはイオナをタクシーに乗せる。自分も乗り込むと、ある大きな病院の名を告げた。
「検査の結果が出たんだって。パパの診察は、明日なんでしょう?」
「ええ、そうよ」
「それでね、まだ内緒なんだけど……。意外と良かったっていうから、いいことだから、早く教えようと思ったんだ」
「あら、ありがとう。詳しくは明日、お父様に伺うわ。優しいのね、ヒバリは」
「誰にでも、じゃないよ。ねえ、さっきの男とは、もう寝たの?」
聞き捨てならない言葉に、運転手がふっと目を上げ、ミラーに映った客を見る。若い女と、少年だ。関係は分からないが、最近の子供はませてるな……。
「さあね。子供が興味を持つようなことじゃないわ」
「いいさ、あと五年もすれば、僕を子供扱いしなくなるだろ。そしたら、お嫁さんになる約束だよ」
「ヒバリが大人になったら、私も同じだけ、年をとるのよ」
「構わないよ。お姉さんはずっと、綺麗なままだから」
「それまで、生きてるかどうかも分からないわ」
イオナの呟きが、ヒバリの胸に突き刺さる。
「僕が医者になって、絶対に治すよ」
それだけ言って、彼は唇をかんだ……。
イオナは病気らしい。ヒバリは医者の息子のようです。二人の共通の趣味は、ハッキング。物騒ですね。
デューラー…ドイツ・ルネサンス期の画家。金細工師の家に生まれ、油彩のほか緻密な版画で知られる。貴族ぶった巻き毛自画像も有名。
ボッデガ・ベネタ…平たい紐を編んだような革製品が有名。オーガンジー使いが綺麗な、ブラウスやスカートもある。




