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イオナ  作者: 響子
11/13

11 THE 51st STATE(ケミカル51)

 気にはなってたけど、ぼくはしばらく、病院には行かなかった。イオナは、弱ってる姿を見られたくないんだろうし。元気が出たら、またここに来るって言ったんだから。あと一日、次には、この週末まで、そして、次の月曜まで……、と、様子を見に行くのは我慢してた。

 だけどこのまま、逢えなくなったらどうしようとも思う。あれから、もう二週間になる……。


「相変わらず、暇な店だなー」

「大きなお世話だよ。お前がドア塞ぐからだろ」

 ケンジがいきなり店にやってきた。確かにスペースにゆとりはあるけど、ドアの前に、ポルシェを斜めに停めるのは止めて欲しい。

「これ。急がせた、ってか、かなり俺がやったんだよね」

 取っ手のついた、縦長の箱を見せる。多分、ウィッグケースだろう。

「ふーん、珍しいな。真面目に仕事するなんて」

「誰に向かって言ってんだよ。俺はいつも、……あれ?」

 ケンジが表を見て、首を傾げる。店の前を通って、ビルに入っていく女性に見覚えがあったんだろう。だけどぼくは、そんなことを考える余裕もなく、店を飛び出していた。

「イオナ! 大丈夫なの?」

「少しはね。あら、お久しぶり」

 もちろんそれは、ぼくの後に顔を出した、ケンジに向けてだ。無視してもいいのに。

「よう」

 親しげに言ってから、ケンジはぼくの方を向く。

「友人として情けねーぞ、俺は。女の子と知り合ったからドライブに行こうって言ってたよな? 自分のとこの賃貸人じゃないか」

「ち、違うって。知り合ったのが先で、借りてくれたのは、その後」

「安くするから、ぜひ借りてくれって口説いたのか? やっぱ、情けねーな」

「ほっといてくれ。それより、イオナ」

「なあに」

「ルームクリーニングは入れておいたから、埃っぽくはないと思うよ」

「ありがと」

「何か手伝うこと、ある?」

「ううん。用事を済ませたら、すぐに戻るから。またお店に寄るわね」

「片付けたりしちゃ、駄目だよ。あの部屋は、イオナのものだ」

「ありがとう」

 イオナはふんわりと笑い、エレベーターに乗り込む。本当はついて行きたかったけど、仕方ない。

「何かあいつ、感じ変わったな」

 ケンジの言い方に、大人げなくもむっとして振り返る。あいつ、だなんて馴れ馴れしい。

「とにかく逆らって、こっちを怒らせて面白がってたみたいだったのに。弱々しくなったっていうか……、そういう路線に変えたのかな」

「失礼なこと言うなよ」

「って、それに引っかかってる奴が、ここに約一名」

 ケンジは両手を広げ、にやにや笑う。

「しばらく留守にしてたのか? 掃除なんて、ご親切なことで」

「……入院、してんだよ」

 少しためらって、だけど、本当のことを言った。さすがのケンジも、表情を改める。

「そっか。痩せたもんな」

「何で分かるんだよ、そんなの」

「見りゃ、分かるよ。あと、お前の態度も分かりやすいなー。……ま、あいつはお前にやるよ。俺は、とりあえず妹ちゃんでいいや」

「高邑さんの前で、それ言ったら殺されるぞ? 二重の意味で」

 溺愛の妹さんに手を出そうということと、彼女を「とりあえず」「陽美さんでいい」と言ったこと。「ぜひ、陽美さんを」と言ったら、ぶっ飛ばされる程度で済むかもしれないけど。

「はん?」

 ケンジは全然分かってなくて、逆に、当初の用事を思い出したみたいだった。

「病院で思い出した。ウィッグ持って、見舞いに行こうぜ」

「後で……、イオナを送っていくから、そのついででいい。同じ病院だし、ぼくが預かっとく」

「おいおい。ずい分だな。天然な坊やのフリして、その辺の女を見境なく引っ掛けまくってたのは、どこのどいつだよ」

「見境なく、じゃないだろ。それにぼくは、」

「そうだな。あいつの前でじゃなきゃ、こんなこと言っても面白くない」

 ケンジは違うことで納得し、口をつぐんだ。そりゃあ、ぼくだってイオナ以外の女の子と付き合ったことがない、なんて言わない。でも、今は……。

「同じ病院なら、俺があいつを乗せてく。お前は店番してろ」

「あいつって言うな」

 訂正を求めても、ケンジはへらへらしてるだけだ。そしてそのとき、イオナがエレベーターから出てきた。ケンジもさっさと店を出る。

「用事は済んだのか? こっちも終わったから、送ってく。どっちだ?」

 前の通りを指差し、左右に振る。どっちの方向か、ということだ。乗るのは当然と思っている態度が気に入らない。イオナは一瞬、あっけにとられていたが、微笑んで首を振った。

「遠慮しておくわ」

「えー? せっかく、そのままドライブに連れ出そうと思ってんのにさー」

「ふふっ、やっぱり? でもね、病院に行かなくちゃならないの。あんまり楽しいところでもないし、タクシーで行けるから」

「どっか悪いのか? だったら心配だし、絶対送る」

 さすがに気を遣ったのか、あるいはそれもナンパの手段なのか、彼女が入院しているとぼくが教えたことは、ケンジは口にしなかった。

「でも……」

 ためらうイオナの手首を、ケンジが掴んだ。それどころかその手を引き寄せ、軽くだけど、彼女の腰に腕を回して、真正面から口説く。

「遠慮なんか、お前に似合わないだろ。前みたいに、男なんか足代わりみたいな態度してろよ?」

 イオナは目を丸くし、そして笑顔になった。ぼくが誠意を尽くすより、ケンジなんかのわざとらしい行動が、演技ではない微笑みになるなんて……。

「そんな女を落とすのも、面白いからな」

「まあ、呆れた」

 くすくす笑って、彼女が本気にしてないのは明らかだけど、非常に気分が悪い。引き留めようとぼくが足を踏み出したら、一台のタクシーが停まった。

「ちょっと待ってて?」

 中に乗っていた少年が、運転手に声をかけて出てくる。誰って……、言わずもがなだ。

「お姉さん、絡まれてるの? だからこんなとこ、来ちゃだめだって言ってるのに」

「何だ、このガキ?」

 ケンジがぼくの方を見る。ヒバリも、軽蔑したような視線を向けて寄越した。

「なあんだ。島村さんの友達か。じゃ、ろくなやつじゃないな。さ、一緒に帰ろう?」

「あいにくだな。こいつはこれから、俺とデートだ。お子様はそっちの坊やとでも遊んでな」

 そう言って、イオナをぐっと抱き寄せる。ヒバリの顔色が、真っ青になった。多分、ぼくも同じだろう。

「止めろ! 汚らわしい!」

 ヒバリが叫んだが、ケンジは相手にしない。でも、イオナはくるっと身体を回して、ケンジの腕から逃れた。

「三人で遊んでれば? タクシー借りるわね」

 閉まりかけたドアを、ケンジが素早く押さえる。だが、別れ際に一言言っただけだった。

「痩せたな。大事にしろよ?」

「……ありがと」

 急に真面目になるのは、きっとケンジの常套手段だ。イオナだから、ひっかかるはずないけど。そして、タクシーはドアを閉め、走り去ってしまう。

「さて。仕込みは終わったぞ、と」

 うそぶくケンジに、ぼくは皮肉を言ってやる。

「イオナが、お前なんかの手に負えるかよ」

「その言葉、全部返してやるよ」

 そこへヒバリが、甲高い声で割り込んだ。

「あんたたちのせいで、僕まで置いて行かれたじゃないか!」

「で、誰だこいつ?」

「イオナのファンだよ」

「失礼な。五年経ったら、僕がお嫁さんに貰うんだからね」

「あっそう」

 普通の男でも、本気にはしないだろうけど。ケンジなんかは完全スルーだ。

「つか、病院ってどこだよ。どうせ暇だろ、店閉めて行くぞ」

「はぁ?」

「僕も帰る。責任とって、送ってよ」

「酔うから止めた方がいい。事故るかも知れないし」

 ぼくが止めると、ケンジが首を傾げた。

「お前と心中するつもりはないが、何で、この小僧も?」

「病院の、院長の息子なんだよ。父子で彼女に付きまとってる」

「自分だって、ストーカーじゃん」

「ああもう、うるさい。狭いけど、どっちか後ろに乗れ。荷物持ってろよな」


「わぁ。加速がすごい……」

 それなりに少年らしく、ポルシェの助手席に座ったヒバリは歓声をあげた。そしてなぜか、ぼくがウィッグケースと一緒に後ろに乗せられてる。狭いなんてもんじゃない。

 病院に着き、エレベーターに乗る。ぼくらは途中で降り、ヒバリは特別病棟の最上階にそのまま向かって行った。

「後で顔出すって伝えといてくれ」

「いやだよ」

 ぼくが何か言い返す前に、ドアが閉まった。

「小僧相手に、大人げないな。ま、お前も精神年齢が同じくらいってことか」

「ふん。……あ、ここだよ。失礼します」

 四人部屋なので、誰にともなく声を掛け、中に入っていく。確か、右奥のベッドだった。

「いらっしゃいますか?」

 カーテンで囲われたベッドに、もう一度声を掛けてみる。検査で出ているなら開いてるだろうし、眠っていたら申し訳ないとも思ったが……。

「どなたです」

 少しだけ引き開けて、高邑さんが顔を出した。

「あ、どうも」

「……どうも」

 お互い、話がはずむタイプでもない。ぼそぼそと、挨拶だけした。

「お兄ちゃん?」

 女性の声がして、高邑さんは振り返る。

「マンションの大家さんだよ。見舞いに来てくれたようだ」

 そしてやっと、カーテンを大きく開けてくれて、ベッドに座っている妹さん、陽美さんが見えた。

「こんにちは」

「兄がお世話になってます。色々と、ありがとうございました」

 ぼくが持ってきた、花柄のスカーフで頭を包んでた。頬が少し赤く染まってて、元気そうだ。

「よう」

 後ろから、ケンジが顔を出し、馴れ馴れしく声を掛ける。ぼくのことは高邑さんが一言言ってからだったけど、ケンジはいきなりだったから、陽美さんは一瞬怯えた様子を見せた。

「ん? ああ、そうか。顔を見るのは初めてか……。これ、持ってきたぞ」

 ウィッグケースを見せる。そのときにはもう彼女も分かったようで、笑顔になった。

「髪を切ってくださった方ですね。ええと、はじめまして」

「うん。よろしくー」

 ちらっと横を見たら、高邑さんは苦虫を噛み潰したような顔をしている。まあ、当然だろう。

「着けてみるか?」

「わあ」

「医者に聞いてからにしろ」

 高邑さんが遮ったが、陽美さんは首を振る。

「もう、今日の回診は終わったもの。ちょっとだけ……。あと、お兄ちゃんたちは出てって」

「えぇ?」


 ぼくらは廊下に出され、高邑さんは目に見えて落ち着きを失っていた。

「ご心配でしょうけど、あいつは口だけなんで」

「いや別に……、しかし何で俺を……」

 ケンジのことより、自分が席を外させられたことが気になっているらしい。小さな声でぶつぶつ呟き、あんまりぼくの話は聞いていない。傍目八目か知れないが、陽美さんの気持ちは分かった。

「高邑さんに、今の頭を見られたくなかったんでしょう。だからあのとき、帽子かウィッグをって言ってたじゃないですか。ただの美容師なら、恥かしくない訳です」

「……そうか。じゃ、何であんたは」

 今度はぼくに、とばっちりがくる。さすがに言いたくないが、仕方ない。

「それ以下だからですよ」


「出来たぞ。やっぱ、俺は天才だな。あのとき手が覚えた、頭の形でぴったりだ」

「誰も褒めないから安心しろよ」

「うるせー」

 ぼくらが色々言い合っていたが、陽美さんは、高邑さんの方しか見ていない。

「どうかな? お兄ちゃん」

「……似合ってる。良かったな」

 見つめ合っているようにも見えた二人に、ケンジが割り込んだ。

「じゃ、置いてくから。手入れの仕方は、ケースにパンフレットが入ってる」

 さすがにそこで、高邑さんが我に帰ったように訊ねる。

「待ってくれ。代金は」

「見舞いでいいよ。でなきゃ、賃貸料の儲けからお前が払っとけ」

「何でぼくが」

 いきなり話を振られてぼくは戸惑ったが、ケンジはもう、陽美さんに愛想笑いを向けていた。

「またね。もう少し髪が伸びたら、また切ってあげるから」

「うん。よろしくお願いします」


「可愛いな。何年も目が見えなかったんだって? だから子供っぽいのか」

「怖いお兄様が横についてるじゃないか。よく、そういう思考ができるな……」

「別に、兄貴と付き合う訳じゃねーし。次、行くぞ。あいつの病室はどこだ? つーか、どこが悪いんだ?」

「うーん、何ていうか……。とりあえず、上だよ」

 エレベーターに乗り、最上階のボタンを押す。閉まったドアが再び開いて、他の階とは明らかに違う造りに、ケンジが戸惑った顔をしているのも面白かったが……。

 いきなり、非常ベルが鳴り響いた。ぼくたちは顔を見合わせ、廊下の向うへ向かって走り出す。

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