01 FIFTY FIRST DATES(50回目のファースト・デイト)
「ぼく」が知り合ったのは、不思議な女性。
「今日はありがとう。日帰りで温泉なんて、初めてだわ」
隣に座った彼女が言う。
「あ、ううん。こちらこそ楽しかったよ」
「それでね、何だか疲れちゃったの。ごめんなさい、眠っていい?」
一昨日の夜に知り合ったばかり。それも別れ際、冗談交じりに、二対二のドライブに誘った。だから今日は、たまに出かける温泉に連れて来て、一緒に昼を食べたきり。帰り道でもう少し、親密にならなきゃと思った途端に、これだ。
「え…、ああ……。どうぞ」
仕方なくそう答え、リアシートに置いたぼくのジャケットを渡す。それを膝にかけると、彼女はすぐに目を閉じてしまった。
陽はもう西に傾いて、オレンジの混じった光が差し込んでくる。脚をしっかりと隠してしまったジャケットだけが、それを無駄に反射していた。肌寒いかと思って、気取って着てきたアルマーニだ。綺麗な光沢のリネンとシルクがしっとりと脚に落ちついて、ラインだけを見せてくれる。ジョルジオはこんな意図で、薄い生地を使ったわけじゃないと思うけど……。
一昨日の夜ぼくは、仕入先の部長と街に出ていた。オジサンと飲んで楽しむ趣味はない。仕事絡みの、接待みたいなものだ。どこかへ連れて行けと言われたが、こんなオヤジに、ぼくのお気に入りの店なんか教えたくない。
適当に入ったバーは空いていて、先客は、カウンターに女の子が二人。もう酔っていた部長は、無遠慮に顔を覗き込んだ。
「店の子かい?こっちについてよ」
どう考えても、女の子がいるような店じゃない。場末のスナックじゃないんだから、店の子がカウンターでお茶をひいているわけがないだろう。
「こちらもお客様ですので……」
返事もしない彼女たちに代わって、マスターが答えた。だが、酔っ払いは引き下がらない。
「俺たちと一緒にどう?おごるよー」
冗談じゃない。ぼくまで同類に見られちゃたまらないよ。
「いえ。もうすぐ帰りますから。有難うございます」
それでもきちんと礼を言うと、一人がさりげなく立ち上がる。バッグだけ持って、化粧室に向かったようだ。
多分、空いていたから、この店に落ち着いていたのだろう。後輩らしい女の子と連れ立って、おしゃべりをしに来たのに、嫌な連中に遭ったと思っているに違いない。
「女連れで飲むなんて、どうせ、誰か男が声かけるの待ってるんだろ?今夜はついてる、ものに出来るかもしれんな」
このオジサンの頭の中は、二十年ぐらい前で止まっているのかも知れない。勢いづいて、残された女の子にしきりに話しかける。その子はあんまりあしらいが上手じゃなくて、名前を聞かれてうっかり、サトミと答えてしまった。案の定、漢字はどう書くのと食い下がる。郷土の郷に美しいかあ、サトミちゃんサトミちゃんと絡んで困ってしまっているので、ぼくが助け舟を出そうとしていると、さっきの子が戻ってきた。
いつの間にかぼくたちに合流されたのを見て、僅かに眉をひそめる。
「きみの名前は聞いてなかったね。何ちゃん?」
「……イオナです」
「変わった名前だね。どんな字を書くの?ひらがなか、カタカナかな?」
「アルファベットです。親が役所で談判したんです」
本当かどうか。真面目な顔で、突き放すように言った。
「可愛い顔して、面白い事言うねえ」
部長がわざとらしく笑い、サトミちゃんもくすくす笑う。ちゃんと答える気がないんだって、分かってないのはオヤジだけだ。やがて部長が、さりげないふりをして手に触れたり、隣に座ったりするので、イオナちゃんは嫌な顔をする。
そしてやっと、部長が手洗いに立った。
「私たち、帰っていいですか」
「あ、どうぞ。ごめんね、って、ぼくも、あの人とは今日初めて飲みに来てるんだけど……」
ぼくの言葉に、彼女たちはやっと笑顔を見せる。これで、同類と思われずに済んだ。
「ご迷惑かけちゃうかしら。申し訳ありません」
「いえいえ。どういたしまして。女性が困っているのは見たくないから。お礼を言ってくれるなら、……そうだなあ。今度、ドライブしませんか。箱根あたり。あの人みたいな、いやらしいことは全くありません」
どうして、そんな言葉が出たんだろう?言い訳がましいことまで付け足して。自分が不思議だった。
「センパイ、この方はまともですよう」
ほんの少し、お酒が入ったサトミちゃんの言葉に、ぼくは励まされて続ける。
「今度って言うと上手くいかないから、今決めちゃいましょう。この次のお休みは?」
イオナちゃんは休みは自由になるというので、サトミちゃんが休める二日後の朝、渋谷駅前の歩道橋下で、と決めると、二人を送り出した。
「おや……?」
「あ、帰っちゃいましたよ。急いでたみたいで」
「ふん。タダ酒飲んで、とっとと逃げ出したか」
悪態をつくオヤジを、ぼくは本当に憎らしく思った。でも、こいつの鼻を明かしたような気分になる。ちゃんと、次の約束もしてあるんだ。
「お代は先に、いただいてますから。大丈夫ですよ」
マスターの一言に、ぼくは心の中で大笑い。きっと、最初に席を立ったときに、払っておいたんだろうな。
次の日。ぼくは友達に電話をかけていた。平日に休みが取れて、見栄えのいいクルマに乗ってるやつ。
「ケンジ?箱根に、風呂入りに行こうぜ」
温泉は最近、ぼくたちの間で流行っている。というか、ぼくも微妙にオヤジが入っているのかもしれない。
「また男二人かよ」
「ちゃんと、女の子誘ってるよ。二対二だからさ」
「いつ? 明日ァ? うーんと、仕事が入ってなければ行ける……、ああ、わかったよ」
ぶうぶう言うのをなだめて、ポルシェを一台確保した。
「まあ、クラシックカーみたい」
ぼくの箱スカを見て、イオナちゃんが言う。抽象柄のブラウスに、ゴールドのアクセサリーが良く似合っている。やっぱり金色の、クリスタルビーズが輝くバッグにも目が行く。お洒落だな、ミュールもお揃いだ。
「乗って」
長い髪が気に入ったのか、ケンジが彼女をさっさと自分のクルマに乗せてしまう。嫌な奴だ。ソフトトップを開け、オープンにしている。今日はいい天気だ。街中ではバカらしいが、郊外では気持ちいいだろう。まったく。さりげなく、女の子が喜びそうなことを……。
残されてしまったサトミちゃんを乗せ、ぼくはケンジの後を追いかけた。
サービスエリアで追いついたときには、ケンジがイオナちゃんにカフェオレの缶を渡していた。何も言わず、素っ気ない仕草だった。ぶっきら棒にも見えるが、逆にもう、気取りが要らないほど、すっかり打ち解けたのかもしれない。
ヘアスタイリストのケンジは商売柄、話し上手でもある。それなのに、あんな態度だなんて。大体、こっちが先に誘ったのに。何であいつがいいとこ取りを、って、まあ別に、ぼくが彼女をどうこうって訳じゃない。あの時、何とかしてあげたかったから。ついでに、勢いで誘っちゃっただけだけどさ……。
目当ての老舗の旅館は、普通に泊まればものすごく高いんだろうけど、知ってる人は少ないが、昼食と入浴のサービスもある。客のいない時間にのんびりと温泉に浸かって、美味い昼飯をとって、リフレッシュして帰る。ちょっとした旅行気分を味わえ、でも、夕方帰るとネオンやビルを見て、安心してしまうのは何故だろうな。
ガラス戸を開けて出ると、小さな露天風呂になっている。ケンジがきたので聞いてみた。
「仲良くなった?」
「いや……。何だ、あの女?」
「へっ?」
「周りは排ガスや花粉まみれなのに、よく屋根開けますね、とか。飲み物が決まらないから選んでやったら、嫌いだと言って手をつけない。髪がなかなか綺麗だから、仕事を教えてちょっと触ったら、知らない人に触られるのは気持ち悪いとか。ズケズケ言い過ぎなんだよ」
「ぷっ」
ケンジは、女の子に冷たくされるようなやつじゃない。背も高くて筋肉質だし、健康そうな小麦色の肌に白い歯が綺麗だ。実際には、日焼けサロンとジムのお陰だけど、そんなことは関係ない。D&Gのぴったりしたシャツなんか、こういうやつが着るべきだ。
だけど、誰にも媚びないイオナちゃんを、ぼくはちょっと見直した。
向かい合って食事をとっていたとき、サトミちゃんがちょっぴり恥ずかしそうに、口を開く。
「あのう……、私、ポルシェのオープンカーに乗ってみたい……」
「いいんじゃないの?往復同じクルマじゃ、詰まらないわよね」
「お前それ、男の発想だよ」
間髪を入れずにイオナちゃんが言い、ケンジが口を挟む。お前呼ばわりにムッとしたのは、ぼくの方だった。馴れ馴れしいんだよ、全く。
それでも、ケンジと二人のときよりは百倍美味い食事が終わって、ぼくらは帰ることにした。ケンジとサトミちゃんに手を振り、イオナちゃんはぼくの隣に座る。
「どうして、このクルマなの?」
「貧乏で、古い中古車しか買えないから」
「うふふ、嘘ばっかり。維持が大変でしょうに。それに貧乏人は、ミラノ・キングのジャケットなんか着ないわよ」
「きみだって、『プッチ柄』じゃなくて、本物じゃないか。日本人にもよく似合うって、ラクロワに教えてやりたいよ。…んっと、話を戻すと、ぼくと同じ年なんだ。こいつ。だから、ずっと相棒なんだ」
「ふうーん」
そう言うと、彼女は視線をそらした。割と年いってるのね、そんな言葉が聞えた気がした。私より年下かと思ったわ、そんな言葉も……。
そして、『今日はありがとう』『疲れたから眠る』だ。毒舌を吐かれるのと、眠り込まれるのは、どっちがマシなんだろう?
「もうすぐ、着くよ」
言葉をかけると、イオナちゃんはすぐに目を開ける。本当は眠ってなんか、いなかったんじゃないかな。話すのが面倒だったのかもしれない。だけど、ぼくだって、このまま引き下がるのは面白くない。
「ねえ。帰りは全然、話できなかったじゃない。今日はこれから、予定あるの?」
「まさか。遊びに行ったその夜に、また予定なんか入れないわ」
「それなら、もう少し付き合ってよ。疲れさせないから」
「うん? うん……」
「じゃ、いったん解散した後にね」
気が乗らないんだろう。だけど、図々しく押さなきゃ、先には進まない。
これは二次創作ではありませんが、リスペクトゆえにタイトルに貰った『イオナ』は、今から20年くらい前にスピリッツで連載されてたマンガで、ヒロインの名前でもあります。産休教師イオナ(女王様キャラ)と、担任の小学生のバカ話でした。その後番外編が出て、それは途中で終わってます。
また、各話のタイトルが洋画の題名でした。そこは真似させていただいてます。映画のストーリーに関連はしておらず、雰囲気でつけていること、邦訳は私が勝手につけている場合があることを、前もっておことわりいたします。
ジョルジオ・アルマーニ…ミラノ・キング、ジャケットの帝王などと呼ばれる。主人公が着ていたのは、ファーストラインの30万ぐらいのやつ。
エミリオ・プッチ…いわゆる"プッチ柄"で有名。プリントが美しいが、妙にゴージャスな金ぴか小物も素敵である。ブラウス・ミュールが7~8万、バッグ10万くらいか。
D&G…ドルチェ&ガッバーナのセカンドライン。腰ばきパンツにピタピタTシャツ。チープシックでちょいエロのプリントがかあいい。しかし高い。
箱スカ…昭和43~46年頃(うろ覚え)の、日産スカイライン。がちがち四角い。