波乱の幕開け
〜三日後月曜日夕方の八時頃すのうどろっぷ〜
今日、心春はこの間言っていたテレビの取材が放課後にある為バイトを休んでいる。心春も居ないので文字通り俺以外誰も居ない店内。BGMのジャズが、いつもより大きく聞こえる。
不意にスマートフォンの着信音が鳴る。ディスプレイには『お得意様K』と表示されている。背筋がゾクッとし全身が粟立つ。
かけてきているのは、うちの常連で高校教師の北川明美。常連としてではない、古い傭兵時代の緊急連絡用の番号からの着信。
エプロンの胸ポケットに入れてある小型インカムを耳にかけ応答する。
「Wだ。状態は?」
これは任務や作戦行動中にしか使わない特殊な装置からの着信。装置を奪われて相手が明美でない可能性もある。符丁で確認を取る。
「Aよ。レッドアラート。北区最北の廃墟ビルの方面にすぐ来て。追跡中だから私のビーコン解放するから追ってきて。心春ちゃんが危ない」
そこまで言って通話が切れる。作戦行動中は『氷の銃弾』という二つ名ががつくほど冷静な明美が、ここまで慌てている状況。レッドアラートは命の危険が迫る最大の危険度を表している。
心春の身に明らかな危機が迫っている。
狼煙という意味を持つビーコンは位置情報を発信する特殊な装置だ。ビーコンを解放というのは固有番号で守られてはいるが、情報戦に強いものであれば解放されたビーコンを辿って居場所を特定できる状態にするという意味で危険を伴う。
だが、その危険を冒してでも緊急に俺の助けが必要だという事。
カウンターを飛び越える。ついでにカウンターにあるフォークを二本取りベルトに挟む。オーディオと照明を切り扉を開ける。
扉の外に出ると、階段を上がってくる家族連れ。常連夫婦の鋼と緑、3歳の小糸ちゃんだ。
「鋼、すまない。今日は急用が出来て早じまいだ、また来てくれ」
そう声をかけ、一人ずつしか上がれない狭い階段に向かって飛び込む。三人の頭上と天井のすき間をすり抜けて一階の踊り場に回転しながら着地の衝撃を受け流し、勢いのまま駆け出す。
「オォ、マスター。アサシンのようだ!」
「気を付けてな〜」
後ろから拍手と小糸ちゃんの歓声と、鋼の気の抜けた応援が聞こえる。その声に手を振り応えながらビルの裏に止めてあるオレの愛車に飛び乗る。
Zephyr750、古いモデルのバイクだが馴染みのメカニックが丹精込めてフルチューンしてくれた特別製。最高速度は驚異の二百五十キロ超え。このクラスのバイクでは頭一つ飛び抜けた性能。
エンジンをかけてアクセルを一気に吹かし回転数を上げる。右足のリアブレーキをかけ半クラッチで動力をタイヤに伝える。ブレーキを解除と同時にクラッチを繋げて一気に加速。
白煙を上げての急発進。裏道を加速しながら進んでいく。後でモノクルの野郎に怒られる様な発進だが一刻も早く向かわねば。
繁華街を抜けて寂れた道に入り、かなりのスピードで北上していく。音声入力でスマホを操作し、明美のビーコン情報を音声で呼び出す。あいつの固有番号十二桁は7年ぶりだがしっかり覚えていた。
ビーコンの位置情報をもとに、神居市の最北端部、バブル期にリゾート施設を誘致しての大都市計画が頓挫し巨大な廃墟群がそびえるエリアを目指しバイクを走らせる。
〜神居市最北部廃墟群ニューカムイタウン〜
ここに来るまでに現地に到着した明美から情報はもらった。明美のチームが警護をしている対象と間違われて心春が拉致されてしまったというとんでもない事態。
警護チームからすれば相手の間抜けな自爆。哀れな犠牲者は拉致犯に口止めの為、埋められて終了。
が、運命の女神は心春に微笑んだ。
明美が、たまたま警護チームのリーダーだった。まさに女神の降臨だ。
お節介の塊である明美が元教え子で、元バディが世話をしている子をほおって置ける訳が無い。警護を副官に押し付けて危険を冒して尾行までしてくれた。
明美の所属している組織の性質上、依頼以外の表世界への干渉は厳禁。問答無用で首が飛ぶ。だからこの先は俺がバトンを受ける。
「アンバー、助かった。後は任せろ」
七年ぶりに呼ぶ琥珀という意味の渋いコードネーム。赤褐色のウィスキーにも例えられ、緻密な射撃を得意とする職人気質の明美にぴったりだ。
「眠れる獅子を起こしてでも、あの子は救いたい。後は任せたわ、ホワイト」
そういって、銃を渡してくる。
スミス&ウェッソン M66のガスガン。
明美は表の顔である国語教師の時でも、愛銃コルトパイソンを片時も自分の身から離せない特別な事情がある。その為、木を隠すなら森の中よろしく、大量のガスガンやモデルガンを身体中に隠し持っている。M66もそのうちの一丁。
「ガス圧を最高にしてラバー弾にしてあるから六発撃てて射程は三十前後。弾が重いから三十以上は急激に落ちるわ。少し頼りないけど急所に当たれば十分制圧は可能なはず」
癖をチェックする、良くも悪くも明美の癖が強い。明美は跳弾を多用する為、角度をつけて持つのでグリップが微妙に左にズレている。苦笑いが出るが、現状ではガスガンでも銃があるのはありがたい。
「ケバブの肉大盛りにしてやるから心春と一緒に食べよう」
M66を腰後ろのベルトに挟み込みながら軽口を投げ闇に紛れる。
「ビールもつけなさいね」
明美が自慢の胸をエヘンとばかりに張りウィンクを一つ。その姿に見送られながら廃墟のビル街を音もなく走り抜けていく。




