すのうどろっぷの日常
カウンターの上に置かれた新聞が目に入る。
令和七年五月十二日金曜日の夕刊。
トップ記事は、新しく就任した春日井官房長官が記者会見で述べたテロ対策の大幅な強化案の詳細だった。
かなり具体的な案で、曖昧な部分がほとんどない。普段はうるさい記者たちも国の方針というか、官房長官の気迫に押されている様子が記事から読み解ける。
特にテロ組織とのつながりがある人物の特定に対しての踏み込みが強く、具体的な幾つもの施策が言及されている。
政治には疎い俺だが以前の仕事の関係で裏の世界には明るく、この施策をとることで海外から来る勢力を大幅に弱められる事は容易に想像がつく。
そこまで思いを巡らした所で視線を上げ店内を見渡す。カウンター席が八席、四人掛けのテーブル席三つの定員二十名。
俺、矢上亘がマスターをしている喫茶店『すのうどろっぷ』の店内は、午後七時半の時点で客は一人もおらず閑古鳥が鳴いている。
「マスター今日もお客さん少ないし、夕方のこの時間で誰もいないって、経営平気なんですか? 」
そう聞いてきたのは、俺の二十以上年下で二十歳の北山心春。店のバイトとして雇っている大学生だ。
各テーブルの砂糖などを補充しながらで、手を止めることなく顔だけこちらに向けており真面目で働き者なのがよく伝わってくる。
「まぁ、ここの売り上げだけで暮らしているわけではないですから、心配しなくても平気ですよ」
俺は、以前十四年間世界中を飛び回る傭兵稼業をしていた。その為、そこそこまとまった金は持っている。喫茶店の居抜き物件を買って、すのうどろっぷを開店させても、資産運用で貯金まで出来るくらいの蓄えはある。喫茶店経営については道楽に近い。
「そうなんですか。でも、やっぱりお客さんには来てもらいたいですね」
俺はそうですね。と言いこの店を開くきっかけになった珈琲の味とドアチャイムに掛けてあるドッグタグに思いを馳せる。
『うぃんどろぅど』
恩師の訃報を聞き、しばらくぶりに帰った日本で何気なく入った喫茶店。10年以上離れていた間にすっかり変わってしまった街並みに、ふっと浮き出た懐かしい匂い。
珈琲の薫りに誘われるがままに足を運ぶ。カランカランとドアチャイムが鳴る。広くはないが清潔で整った店内。カウンターの奥でコーヒーカップを拭く初老の男性。
「いらっしゃいませ」
優しく親しげに、俺をカウンター席に案内してくれる。ゆったりとした店内ですすめられるままブレンド珈琲を一口飲んだ。
平和が訪れた。
十七歳の時に自ら捨てた平和がそこにはあった。自然と目から止めどなく流れていくこれは何だ? あいつが死んだ時も、あの子を守れなかった時も流れなかった。そう、両親が亡くなった時に枯れたはずだったのに、俺にも残っていたんだ。
その後、俺は弟子入りし3年後に独立。すのうどろっぷを開店した。師匠のように平和を届ける。その願いが、すのうどろっぷには込められている。
今、うぃんどろぅどは無い。師匠は末期ガンで、俺の独立の2年後に天涯孤独だった彼のドッグタグが送られてきた。
彼が俺に二枚目のドッグタグを持つ権利をくれた事に涙が流れた。二枚目のドッグタグは家族に戦士が休息の地に出かけたことを伝える。俺はずっと孤独で戦い続けた彼に家族として認められた。
俺は今、家族の意思を継いで平和を届け続けている。
「マスター、ぼーっと扉を眺めてどうしたんですか? 」
心春の声に我に返る。
「少し、師匠のことを思い出していました」
言うことでもなかったが、つい口をついて出てしまった。
「あぁ、マスターがいつもペンダントにしてるのと同じキーホルダーをくれたって人ですね」
以前、ドアチャイムのドッグタグについて聞かれたことがあり、かいつまんで話したことがあったのを思い出しながら、気を取り直して先ほどから作っていた心春の賄い兼新作メニューのお披露目をする。
三種のピデとチョバン・サラタスのプレート。俺の得意なトルコ料理の中でも定番だが、日本ではケバブくらいしか認知されておらずマイナーで手間がかかるのでメインメニューに入れていなかった。
今回、日本人好みに落とし込めたのでまずは心春に試してもらおうと思っている。
ピデは薄いパン生地の上に具を乗せた船のような形のピザに似たトルコの比較的ポピュラーな料理。本来は三十センチくらいの長さだが、十二センチくらいにして食べやすい大きさにした。
さらに、トマトとチーズのマルゲリータ風の赤、小松菜とニンニクとチーズの緑、ナスと挽肉の茶と色違いの三つを乗せ、野菜たっぷりの伝統的なチョバン・サラタスを添えたプレート料理。二人位でシェア出来るくらいの結構なボリュームの一品。
飲み物は心春の好きなカフェオレ。心春の目が見開かれる。
心春は食べるのが趣味と言っているぐらい食への興味が強く、大学では料理研究部というサークル活動もしているそうだ。さらによく食べよく動く、理想的な生活を送っており健康的な体型を維持している。
本人はもう少し胸が、などと言っているが俺から言わせれば全体のバランスが良い。俺は小ぶりのほうが好みだ、常連客明美のように大きすぎるのは邪魔になるからな…………これは少しセクハラになるか? 気をつけよう。
と、色々考えている間に心春はいただきますと挨拶して食べ始める。緑のピデを手に取りかぶりつく。
「ん~~ガーリックとペッパーが効いててパンチがある!カッテージチーズの爽やかな酸味がアクセント。美味しいよ〜」
心春は赤のピデも頬張り、定番のトマトとモッツァレラの味のマリアージュとスパイシーなトルコ料理が出会った味だ〜と叫び、食べるスピードが先ほどより早くなる。そして茶のナスのミートソースを食べて肉の味が生地とマッチして食べるのが止まらな〜いと生野菜たっぷりのチョバン・サラタスも交えながらまたたくまに食べきってしまう。
存在を忘れていたカフェオレをちびちびと飲んでからキラキラと目を輝かせて俺の手を握ってくる。
「マスター、これ凄いです。やっぱりディックスで拡散しましょう。絶対にバズりますよ」
喜んでくれるのは嬉しいが目立つのは好きじゃないんだ。
「喜んでくれて嬉しいよ。でもオレは常連がボチボチ来てくれて、時々ご新規が来るこんな感じが好きなんだ。もし、行列なんてできたらみんながこれないじゃないか」
そう言うと心春はしばらく考えていたが常連客の顔ぶれが浮かんだのか、ニコッと微笑んで。
「そうですね。すのうどろっぷらしくないかも」
といい、店内の清掃をしながら最近の大学での事を話し始める。内容は最近品のない教授が来たという話。頭も良く話し言葉は丁寧だが端々に浮き出される下品な言動。気がついていない人もいるほど巧みに隠しているが、心春は感じ取ってしまいかなり辟易しているそうだ。
そう言えばそんな口調の下卑た奴が昔よく突っかかってきていたなと手元の皿を拭きながら聞いていると、唐突に何かを思い出した心春が手を叩き明るい顔で告げてきた。
「今度うちの料理研究部テレビ取材受けることになったんですよ。凄くないですか? きっと私ファンクラブできちゃいますよ」
キャーキャーとかしましくしている笑顔の心春を見ながら、いつものように皿を後方にある食器棚へ後ろ手でフリスビーの要領で投げ入れていく。
絶妙な力加減で投げられた皿はスッスッと棚に吸い込まれていく。シュッという皿が擦れる音を立て積み重なる。種類ごとに分けてしまわれていく食器達。
「いつも思いますけど、マスターのそれ凄すぎませんか?」
心春が、先ほどのかしましい姿はどこにいったのかスンとした表情で俺に尋ねてくる。
「そうですか? 練習すれば意外とできるものですよ」
そう、反復練習と継続は力なのだ。
この物語は私がカクヨムにて企画として書いたものを、主催者様のご厚意で連載化したものです。
愛すべきすのうどろっぷの面々の物語をお楽しみください。




