8・資格はない
どのくらい意識を失っていただろうか、ここでぐずぐずしている暇はなかった。
幸い、爆発の煙が充満しており、向こう側の王子の姿は見えなくなり好都合だった。
重い体を起こし、セイラの姿を確認する。
「セイラ、大丈夫か?」
駆け寄ると、セイラは足を押さえていた。どうやら挫いたようだ。
「わたしは大丈夫……。でも、もう走れそうもない……。アルバート王子がここまでやるなんて……。この書類は、あなたが……」
セイラは、書類の入った筒を差し出した。
「ダメだ、一緒に逃げよう」
「わたしは大丈夫。絶対に殺されないから。でも、あなたは見つかったら殺されるわ。だから、今は、逃げて……。わたしは、そこの影に隠れているから……」
「……わかった。デュランを探して、助けに来る」
その時、こちらへ向かってくる足音が聞こえた。
先ほどの爆発音を聞いて、警備兵が駆けつけたのだ。
ノキアは、見つからないうちにその場を離れた。セイラを救えなかった、自分の非力さを悔いて。
「私は……無力だ……!」
廊下を走っていると、警備兵の別部隊がこちらにやってきた。
ノキアは、柱と柱の間を器用に登り、警備兵の頭上でやりすごした。
「ふう、はやくデュランを探さないと……」
「ノキア殿」
「えっ?」
驚き振り返ると、隣の柱の隙間で、同じようにデュランが登って隠れていた。
「セイラ殿はどうされた?」
「そ、それが……」
柱を降りてノキアは今までの経緯を話し、セイラが傷つき、助けを待っていることを告げた。
「そうか……。あの王子がそこまで……。しかしノキア殿、あなたも怪我をしている」
拳銃の弾をかすめたこめかみと、爆風で壁に強く打ちつけた左腕が、血で滲んでいる。
「足は大丈夫だ。走れる」
「そうですか、では、セイラ殿のところまでお願いします」
ノキアとデュランは、セイラのところまで戻った。
この時、デュランの脳裏には、よからぬ葛藤が生まれていた。
──私が直接手を下さずとも、ここで命を落とせば、私の任務は終わる……。
「いたぞ、侵入者だ! 鉄砲用意!」
──しかし、しかしだ。
なぜか体が勝手に動いてしまうのだ。
──私もまた、ミタの剣士なのだから。
「撃て!」
警備兵が、一斉に鉄砲を撃った。
「魔法結界!」
デュランが魔法を唱えると、二人の前に七色の輝きを放つ透明な壁が瞬時に現れた。
その光の壁が、まるで水面に小石を投げたように、波紋を描きながら鉄砲の弾を弾き返す。
「な、なんだと!? おまえ、魔法が使えるのか!?」
警備兵の一人が驚きたじろいだ。
──私は、ミタの剣士でありながら、守るためにこの魔法を覚えたのだ。
──そう、ノキア殿を守るために。
デュランはその冷静なまなざしを兵士たちに向け、再び剣を抜いた。
「どけ!」
剣を横に一振りすると、周囲の空気を切り裂いた。風圧は警備兵たちをなぎ倒し、彼らは無力に吹き飛ばされた。
「う、撃て、撃て!」
「無茶言わないでください隊長! 鉄砲は準備に時間がかかるんです!」
叫ぶ警備兵たちも、デュランの一撃に怯え、抵抗も無駄に次々と倒れていく。
「やはり、デュランはすごい……。それに比べて、私は……」
その姿を見ていたノキアは、少し惨めな気分になった。
そして同時に、デュランが魔法を使用したことで、自分の中にあった小さな疑問が確信に変わり始めていた。
セイラが隠れているところまで戻った二人は、気を失っていたセイラを抱え、隠し通路の出口へ急いだ。途中、警備兵が大勢出てきたが、デュランとノキアが剣を振るえばほぼ無敵だった。できれば争いなしで済ませたかったが、やはりミタの剣士に争いごとは避けられない運命なのだと、ノキアは改めて感じていた。
五体満足とは言えないが、三人は無事帰ってきた。
セイラを王宮医師に任せた後、書類を大臣に渡す。
「うむ、ご苦労じゃった。貴殿らも疲れたであろう。え、……え? セ、セイラ様!?」
ノキアの姿を見て、大臣が驚いた。そういえば、ウィッグがそのままだった。
「あ、ああっ! こ、これは、あ、あの、その……!」
慌てふためいているノキアの前にデュランが立ち、膝をつく。
「大臣殿、申し訳ございません。王女は、その……まったく無事とは言えず……」
セイラの意識は、まだ戻っていない。
「ひ、姫様が……! お、お主ら! あれほど姫様が第一だと言ったのに……!!」
「申し訳ございません! 私の、私のせいです……!」
ウィッグを脱いでノキアが膝をつき、深々と頭を下げた。
「ノキア殿……!」
「ノキア殿のせいじゃないだすよ! 元はといえば、盗んだあいつが悪いんだす!」
心配で様子を見に来ていたスタンも、ノキアを庇った。
「うむ、しかし、姫様がこうして傷ついていることは事実じゃ。こうなっては、仕方ありませんな。お主ら二人、姫様の意識が戻るまで、ここにいてもらいますぞ。それに……」
大臣は、ノキアの姿を見てにんまりと笑った。
「どうやら、ノキア殿は姫様と姿形も瓜二つな様子。ここはどうじゃろう。しばらくの間、姫様の代わりになってくれんか?」
「え、ええええっ!? む、無理、無理です!」
「いや、もうこれは命令じゃ! 姫様の無事を確保できなかった罰として受け取ってもらいたい!」
「デュランーー」
ノキアは、デュランに泣きついたが、「まあ、仕方がありませんね」と返された。
ノキアとデュランは、リザンブルグの客将として、正式に迎えられることになった。
国王と王妃も、ノキアの姿を見て驚き、まるで自分の娘がもう一人できたようだと抱きつかれた。
その夜、ノキアはひとりバルコニーに立ち、月を見つめていた。
今日の出来事が、頭の中で次々とよぎっていく。反省したいことばかりだった。
「こんばんは。そのような格好では冷えますよ」
声をかけられ、見ると隣の部屋のバルコニーで、デュランが立っていた。
「いいんだ。ちょっと頭を冷やしたい」
「あなたのことですから、また悪い方に考えているのではないですか?」
ノキアとデュランの付き合いは、もう5年近くになる。
ミタの剣士であるノキアの父の元へ、デュランが弟子入りを申し込んでからだ。
ミタの剣術は、すべて習得するのに10年はかかると言われているが、デュランはそのほとんどを、5年でマスターした才能の持ち主であった。
それが、ノキアにとって尊敬する部分でもあり、また妬ましくもあったのだ。
その人物に心の裏を読み取られると、素直に吐いてしまうしかない。
「そうだな。しかし、大臣殿の言うとおり、セイラを守れなかったのは事実だ。誰がなんと言おうとな。人一人守れない私は……やはりミタの継承者には向いていないのかもしれない。残念だったな、デュラン」
「…………どういう、意味ですか?」
デュランは、ぴくりと眉を動かした。
「さあな」
ノキアははぐらかした。隠し事が多いのは、お互い様である。
「しかし、ミタの剣術がなければ、もっとひどいことになっていたかもしれません。その点では、あなたはちゃんと、セイラ殿を守っていますよ」
「例え話はいいんだ。結果が、すべてだ……」
事実はどうしても曲げられない。そのことが、ノキアの胸に重くのしかかっている。
しばらく沈黙が続いた。夜の寒風に肩を震わせると、ふわりと、あたたかいものが肩に乗った。いつの間にか、デュランがこちらがわのバルコニーに移ってきており、肩に上着をかけてくれていた。
「……ありがとう。いつも、気を使わせてばかりだな」
「気にしないでください。私が好きでやっていることです」
デュランは微笑みながら、何でもないようにそう言った。
いつものように穏やかな表情に、ノキアは安心する。しかし、胸の奥にはまだ不安がくすぶっていた。ミタの後継者としての重責、過去の失敗や魔法協会との対立……それらが時々、ノキアの心に影を落とす。
「なあ、デュラン。私がもし、ミタの後継者の座を譲ると言ったら、どうする?」
「断りますね」
デュランは、間髪入れずに答えた。
「だろうな。ミタは常に危険がつきものだ。さすがにおまえでも、それは避けたい、というところか」
「危険は承知しています。あなたの傍にいる限り。だから……」
デュランは、後ろからノキアを抱きしめた。
「あなたを守るために、ミタの剣士を名乗るのです」
「デュラン、私は、ミタの後継者である資格はない。その力もない」
ノキアは声を震わせ、目を伏せた。
「あなたは気づいていなだけなのです。あなたは、ミタの剣術はすべてマスターしているはず。その力のすごさに、気づいていないだけなのです。それに、あなたがミタの後継者でなくとも、私はあなたをお守りします」
「うれしいことを言ってくれるな……ありがとう。少し、元気が出た」
元気が出たところで、ノキアはデュランから離れようとしたが、デュランの腕がノキアを離さない。
「デュラン……?」
「すみません。もう少し、このままでいさせてください」
デュランが希望を言うことは、珍しかった。
ノキアは無言で目を伏せ、デュランの腕のあたたかさを感じていた。