5・隣国の王子
「まあ、セイラ様よ」
「本日も愛らしいですな」
「お隣の女性は、お付きの人かしら?」
会場を歩いて、用意されている王女専用の席へ向かう途中、四方八方からセイラを褒め称える声が聞こえてきた。町で出会ったお転婆な印象とはまったく異なり、まるで別人のようだ。
ようやく席に辿り着いて座るが、緊張ですでに汗をかいていた。
「ねえ、ノキア。そういえば、聞くの忘れていたんだけれど、あなたってダンス踊れる?」
こっそりと、斜め後ろに待機していたセイラが耳打ちしてきた。
「え、まあ、基本的なステップは……」
「よかった! この後ダンスがあるから、そこで失敗すると怪しまれちゃうからさぁ!」
「……そういう大事なことは、もっと早く言うように、な……」
ノキアは、観念したようにため息をついた。
やがて音楽がワルツに変わり、ダンスの時間になった。周りの者はパートナーを見つけ、次々と踊っていく。
「セイラ殿、踊っていただけますか?」
セイラに扮したノキアの前に現れたのは、白いスーツ姿の優男だった。
一見、爽やかで整った顔立ちに思わず目がいくが、どこか軽さを感じる笑顔が引っかかる。
「きゃあ、アルバート様よ」
「今日も見目麗しいわ」
「アルバート様とセイラ様のダンスが見られるなんて、夢見たい!」
会場のあちこちから歓声が上がる中、ノキアはわずかに眉をひそめた。
「アイゼンブルグの王子よ。女好きで有名だから注意して。一応婚約者だから、とりあえず踊ってあげて!」
背後から、ひそひそと注意する声と共に肘で軽く突かれる。
「一応」を強調された辺りにノキアは苦笑しつつ、王子の手を取り立ち上がる。
不安そうに振り返ると、セイラがにっこりと笑って手を振っていた。
その様子を見ていた、デュランが眉を動かした。
「スタン殿、あの男は……?」
「ああ、彼は隣国の王子だす。姫様と婚約を交わしている仲なのだすが、口上だけで、まだ正式に婚約者というわけではないのだすが……。まあ、向こうの一方的な片思いだすけどね。姫様は、彼を嫌っていますし」
それを聞いて、デュランはしばらく様子を見ようと、再び壁にもたれかかった。
「どうしました? いつもの元気がないようですが」
踊りながら、王子が話しかけてくる。
「ちょっと、体調が悪くて……」
「あなたは、元気な姿が一番ですよ。そこがまた魅力的で、僕が魅かれた理由でもあるのですけどね」
「はぁ……」
なんと答えればいいかわからず、ノキアは気のない相槌を返した。
「ところで、正式な婚約の話、考えていただけましたか?」
ノキアは言葉につまったが、先ほどのセイラの態度からして、するつもりはないのだろうと判断した。
「まだ、決めかねています……」
「ふぅ、いつになったらいい返事をいただけるのでしょうか? もう、何十回もその台詞です。リザンとアイゼンの調和を保つためにも、いい話だと思いますが」
……つまり、政略結婚のようなものか。と、ノキアは思った。
──セイラも、私と同じなのだ。
ただ私は、そこから逃げて、自由になっただけ……。
無心になっていると、急に会場の明かりが薄暗くなり、音楽が緩やかなテンポに変わった。
何事かと周りを見渡すと、踊っている人々皆、さらに体を密着させて踊っている。
ノキアもまた、王子に体を引き寄せられた。
それを見たデュランが、驚いて剣の柄に手をかける。
「た、ただのダンスだす! 落ち着くだすよーー!」
慌ててスタンが止めたが、さらに続くこの時間に、デュランは手を震わせている。
「お、お嬢様が……お嬢様が……あんな得体の知れない男と……」
「落ち着くだす、デュラン殿ー! 隣国の王子なので、得体は知れてるだすー!」
スタンは慰めにもなっていない言葉を発したが、デュランにとってはどうでもよかった。
しかし、ノキアもこの雰囲気に耐えられなくなり、王子を振り払ってバルコニーの方へ逃げた。
「あらぁ? ノキアと王子は?」
他の男と踊っていたセイラは、二人の姿がないことに気づいた。
バルコニーでは、ノキアと王子のふたりだけだった。
かろうじて護衛の目の届く距離ではあるが、なにかあっては遅い距離である。
「セイラ殿、どうしたんだい? こんなところに誘い込むなんて、君もやっとその気になってくれたということかな?」
王子は、ノキアの肩を後ろから抱いた。驚いたノキアは目を見開き、体を強張らせる。
その後ろ向こうでは、デュランが目を光らせ、スタンが止めていた。
「気持ちはわかるだすが、落ち着くだす、デュラン殿ー!」
「ひとつ、教えてください……。あなたは、私を愛して婚約を求めているのですか? それとも……国のため、ですか?」
ノキアは、セイラに代わって問い質した。
「ふう、愚問だね。君も一国の王女ならわかるだろう? そりゃあ、僕は君を愛している。しかし、僕は一国を背負った王子、後継者だ。国のためになることをするのは、至極当然のことだろう?」
「そう、ですね……」
──私はそこから逃げてきたのだ。
ミタの後継者という立場から。
「なにも心配はしなくていい。君は僕と結婚する運命にあるのだから」
──違う。仕方がなかった。私には、その資格がなかったから。
言い訳にすぎないのか……?
「早かれ遅かれ、そうなるんですよ」
──私は逃げてきた。
だから、こんなこと、私が言う資格はないのかもしれないが……。
「さあ、誓いの口付けを……」
王子がノキアに近づくのと、デュランが剣の柄に手をかけたのは、ほぼ同時だった。
しかしノキアは怒りを抑えた表情で、靴のヒールを王子の足にぐりぐりと食い込ませた。
「私がこんなことを言う資格はないのかもしれないが……。おまえに王女はやらん!!」
ノキアは、憤慨してバルコニーを去った。
「そ、それでこそ……我が妻にふさわしい……」
王子は、そう言いながらその場にしゃがみ込んだ。
ノキアが廊下に出ると、追いかけてきてくれたのはデュランだった。
「ノキ……王女様」
その姿を見た途端、安心したのか、ノキアは軽く眩暈を覚え足元がふらつく。
デュランに支えられる形になったが、そこへセイラがやってきた。
「デュラン、あなたは客将。軽々しく王女に触れてはダメよ」
「すみません、ふらついていたものですから」
「そうですか、感謝いたします。王女様、一旦お部屋に戻りましょう」
セイラに支えられ、ノキアは部屋に戻った。
部屋にふたりきりになると、ノキアは事の顛末を説明した。セイラが神妙な顔をしている。
「ごめん……国際問題に、なるかな?」
「ううん、大丈夫よ。すっきりしたわ。これで少しでも距離を置けるなら、それでいいし……」
セイラは笑顔でノキアに抱きついたが、その表情はどこか寂しそうだった。
「本当にありがとう。ノキアがこの町に来てくれて、出会えて、本当に良かった。わたしたち、本当の友達になれるかしら……?」
「ああ、本当の友達だ。入れ替わりは、もうゴメンだけどな」
「なーんだ、先に釘を刺されちゃったか」
セイラは、ぺろっと舌を出した。
「さて、パーティーも終わったことだし、入れ替わりはそろそろ終わっていいかな?」
ウィッグを脱ごうとするノキアを、セイラが止めた。
「あら、まだよ。言ったでしょ? 『一日体験』だって」
「えええええ……」
二人の笑い声が部屋に響く。
生まれも育ちも異なるが、同じ波長を見つけたかのように、自然と心が通い合うようだった。
パーティー終了後、セイラの父親である国王陛下から少々のお咎めはあったが、正体がばれることもなく、無事に一日が終わった。




