狸擬きの小話
1
主様は、たまにわたくしめの前足を見て、
「小さい手々の」
と言うけれど、主様の手も大概に小さい。
それでも、その小さな両手に包まれるのは嫌いではない。
「ふにふにの」
と肉球をつんつんされるけれど、主様の手の平も大概にふにふにしている。
2
「の、お主は何か、人に変身できたりはしないのの?」
主様はたまに無茶を言われる。
『主様は獣に化けられますか?』
「……ふぬ、無理の」
『同じで御座います』
「融通が利かぬの」
融通とは。
3
夕暮れ時。
「山の谷底にいて見えないだけかと思っていたけれど、ここには月がないの」
つき?
「ぬ?やはり月そのものがないのの」
美味しいものですか?
「くふふ、あの星たち中に浮かぶ、大きな球体の」
大きな。
「こちらから見た限りではの、星がこれだとすると、月はこれくらいの」
ビスケットの小さな欠片と、ビスケットを1枚並べられる。
「フンッ!?」
「そうの、大きいの」
そんなに大きくて落ちてこないのだろうか。
「来ないの。むしろ、ほんの僅かに、離れていっていると聞いたの」
なぜ。
「月も、新しい世界を見たいのかもしれぬの」
我とお主の様にと、主様は笑う。
4
男が、主様の血で眠りに落ちた草原にて。
「そこを動くなの」
主様がたっと駆けてきたと思ったら、わたくしめの背中に手を突き、両足を広げて、ポーンッと飛び越えていく。
跳脚力により、背中にはほぼ触れるだけの手の平。
「♪」
両腕を上に広げてポーズを取った主様は。
「跳び箱の」
と教えてくれるけれど。
『……』
「なんの?」
『淑女の嗜みとしては、少々はしたなく存じます』
「……」
山の中で捥いで噛った果実が、酷く渋かった様な顔をされた。
5
雨の日。
昼寝にも飽き、退屈をしていたわたくしめに。
主様が、折り紙と言う技術で、大きな紙で折り紙を折り、紙の剣を作ってくれました。
その数2本。
1本を主様が持つと、
「かかってくると良いの、名高き騎士、狸擬き」
と立ち上がる。
「フーンッ」
その言葉に、闘志を燃やし剣を奮うも、あっさり剣先で受け止められる。
「フンッフンッ」
引いては、構え、また立ち向かうも。
「フーンッ」
全て受けきられてしまう。
「なかなかに見事の。しかしそのままでは、我に勝つのは到底無理であるの」
言葉通り、立ちはだかるのは、大きな山。
しかし、これは負けられない、騎士の証としての戦い。
「フゥンッ」
後ろ足で立ち、前足の2本で剣を掴み、
「フンッ!」
と真横に構えた主様の剣に剣を打ち付けた瞬間。
「フンッ?」
「……のっ?」
僅かな手応えすらなく、スコッと、紙の剣が、まっぷたつに切られた。
『……』
「……」
テーブルで煙草を吹かし、笑いながらこちらを眺めていた男の動きも止まる。
前足にあるのは、まっぷたつに切れた紙の剣。
「フーン……?」
「の、ののぅ……」
どうやら、遊んでいる間に紙の剣に主様の力が宿り、主様の紙の剣が、本物の力量を発揮してしまったらしい。
紙の剣先が、トスンと床に落ちる。
得も知れぬそのお力は、どこからやってくるものか。
「……」
『……』
しかし、そのお力も。
咥え煙草の男がやってきて。
「ぬぬ……」
「フーン」
作り笑顔で、寄越しなさいと片手を広げられれば。
「……のぅ」
「……フーン」
主様の大作は、今日も燃やされ、呆気なく塵となる。
6
いつかの秋。
どこかの森の中。
「フーン?」
主様と男と共に森を散策をしていると、高い枯れ木の枝に、何か、鳥の巣でもなく、不自然に留まっているものが見えた。
足を止めると。
「あれは、ボールかな」
どうやら子供が遊んでいて、手では到底届かない木の枝の根本にすぽりとハマッてしまった様子。
「おやの」
ボールは、そう安くない代物だとは自分も知っている。
美味しいビスケットが何袋買えるだろうか。
あのボールの持ち主は、さぞかし無念であろう。
高さ的には、長い棒でもあれば、大人ならば届くだろうけれど、太い枝の根本に挟まり、突けば落ちるものでもない。
「……」
同じことを主様も思ったのか。
「お主は木登りできるであろうの?」
と、木を指差して聞かれたけれど。
「フーン」
目の前の木は、適度な太さはあれど、木の肌がツルツルで、更にはそこそこの高さまで枝もなく、木登りには全く適していない。
自分の爪をもってしても難しいですと答えれば。
「ふぬ、そうの」
主様はあっさりと頷き、
「の、ナイフを貸して欲しいの」
と男を見上げた。
「……?」
男が腰の小型のナイフを取り出すと、
「靴に仕込んでるナイフもの」
とナイフを持たないもう片方の手の平も見せれば。
「……何をする?」
と訝しげな男からナイフを受け取り。
「簡単の」
靴を脱ぎ靴下を脱ぐと、それぞれの両手に持ったナイフを木に突き刺し、
「ふんの」
片足の足指を木に張り付けると、
「よいしょの」
ツルツルの木にナイフを突き刺して、いとも簡単に木に登り始めた。
「フンッ!?」
主様の予想外の動きに、固まっていたのは自分だけでなく男も同じ。
「……こっこら!!危ない、降りなさい!」
慌てて主様に手を伸ばしているけれど、もう遅い。
「ボールを落としたらすぐに降りるの」
さらりと答え、主様はナイフを刺しては足指を動かし、上へ上へ。
ナイフは主様の指先のように動き、木はまるでパンのように柔らかく、ナイフがサクリと突き刺さっていく。
唖然としている男と共に取り残されつつ。
「……」
「フーン……」
(わたくしめの主様は、一体、何者なのでしょう)
同じ不死の力を持てど、その源は全くの別物だと、じみじみと思わされる。
不意に隣から聞こえるのは、主様を見上げる男の、大きな溜め息。
あっという間にお目当ての高さまで登り詰めた主様が、ナイフ1本と足の指のみで木に踏ん張り、ボールを掴むと片手で落として来た。
目の前に落ちたボールの匂いを嗅げば、まだ新しい匂いがする。
このボールの持ち主は、きっと、また未練がましくまたここに現れる。
そして、木の枝にではなく、根っこに落ちているボールを見て、何を思うのだろうか。
木に付いたナイフの傷に気付いたら、尚更不思議そうに、首を傾げるだろう。
高い木に登り、キョロキョロしている主様に、下から男が、
「降りなさい」
と声をかけている。
「のぅ、お主はせっかちの」
主様はナイフを足指を駆使して、またサクサクと降りてきた。
「ありがとうの」
礼と共にナイフを返された男は、どうにも怒るに怒れないといった表情でナイフを受け取り、腰と靴に仕舞う。
「狸擬きの」
「フン?」
主様に背中を椅子がわりにされ、主様は、靴下と靴を男に履かせてもらっている。
自分で履けるのに、主様はとても甘えん坊な性格をしている。
「の?お主も大概甘えん坊の」
夜に毛を梳かされながら笑われた。
「フーン?」
そうでしょうか。
「自分で梳ける腹の毛まで我に梳かせているのだらからの」
確かに。
でもそれはきっと。
「フーン♪」
そう、甘えん坊な主様に似たのです。
7
ずっとずっと先の、どこかの山の中。
馬車の荷台にて。
「の、いつか研師に飲ませた白い花、あれは美味しいのかの」
「フーン」
研師からは特に味の感想は聞かなかった。
死ぬか生きるかの瀬戸際で、味も何もないだろう。
男は水を汲みに行き、不在。
「……」
『……』
主様が荷台の奥の荷物をガサゴソ漁る。
「ただの花弁であるから、そんなに美味なものでもないだろうけれどの」
主様が取り出した小瓶は、白くとろりとした液体が並々と注がれている。
蓋を開け、鼻を近付けると、
『……』
匂いはごく僅かに花と認識できる程度のもの。
主様が指を突っ込み、ペロリと舐め、
「ふぬ?」
小首を傾げるため、
「フーン」
自分もと顔を寄せれば、再び小瓶に指先を突っ込み、鼻先に寄せてくる。
ペロリとその小さな小さな指を舐めてみるも。
「フーン」
ほぼ無味。
花弁の微かな青臭さもなく、ただ粘液が舌にまとわりつく。
その程度。
「特に面白いものでもないの」
主様が蓋を閉め、また小瓶を仕舞い、こちらを振り返ると。
「のっ!?」
主様がその場で小さく飛び上がり、長い髪先がふわりと浮く。
「……?」
「白!?」
「フン?」
しろ。
「お主、真っ白になっておるの!!」
主様の言葉に、何をと視線を下げると。
「フーン?……フンッ!?」
毛が白い。
「フンッ!?フンッ!?」
その場でくるくる回っても白い。
尻尾も白い。
爪先まで白い。
「ほうほう、瞳は我と同じ赤よの……」
アルビノと言われるものの、と知らぬ言葉を口にされ、
「フーン?」
これは治るのですか?
と訊ねれば、
「ほんの一舐めしただけであるし、すぐに元に戻るであろうの」
「フン……」
安堵の溜め息が出るも。
「ただ」
「フン?」
「男が見たら、なんと言うかの……」
主様の眉がよる。
「……」
バレたら確実に怒られるのは確かで。
「しばらくは、おやつ抜き、……かもしれぬの」
「フーン!?」
とんでもない一大事に、どうしたらどうしたらとその場で回ると、
「……フンッ」
このタイミングで男が戻って来る気配。
「とりあえずお主は外へ逃げるの」
「フンッ!!」
「色が戻るまではここには戻るなの」
「フンッ!」
「男には散歩でもしていると伝えておくの」
「フンッ!」
荷台から飛び降りると、
「……達者での」
と聞こえた気がした。
「フンッ!?」
振り返るも、男の気配が更に近付き、チラチラ視界に入る自分の白い身体にも慣れずに、モタモタ走り出し、何とか茂みに隠れた時に
男の姿が見えた。
「彼は?」
「お散歩の」
「珍しいな、君を1人にするとは」
「お主が近くにいると解っていたからの」
「君の従者として、信用されているのかな」
「ぬ、ぬん、まぁ、そうの」
この色は雪山でもなければ非常に悪目立ちし、山ではしゃぐ気にもなれず、馬車からだいぶ離れた、木の根本でじっとしていると、夕刻にはやっと色が戻ってきた。
夕餉の匂いがし、スンスンと荷台へ戻ると、荷台の外で食事の支度をしている2人の姿。
「お?珍しく長い散歩だったな」
「フーン」
「おや、早いの」
スープの味見をする主様に、まじまじと見られる。
「フンッ!」
早いとは何ですか、半分は主様のせいですとジダジダと憤りを現すと、
「そういえばさっき、真っ白な獣がいたよ」
「の、のの?」
「フンッ?」
見られていたか。
「すぐに茂みに隠れてしまったけど、あれは狼かな」
狼。
まぁ、狼になら間違えられても悪くはない。
「の?せいぜいデカイ兎辺りではないかの」
鼻で笑う主様。
「フンッフンッ!」
「お?どうしたどうした?」
憤る自分に、男が戸惑った顔で主様を見るも、
「きっとぽんぽんが減って気が立っているのだろうの」
ほれの、と出されたおにぎりは、いつもより大きめ。
言いたいことは山ほどあるけれど、目の前に差し出されたホカホカのおにぎりの魅惑には敵わず。
「フーン♪」
それは温かく腹に溜まり。
スープの複雑な旨味も舌が非常に満たされ。
「ほれ、おやつに焼いておいたビスケットの」
食後には、主様お手製のビスケット。
「フンフーン♪」
サクサクの歯応え。
今日は、色々とあった、長い1日だった気がするけれど。
「の?もうねんねの?」
「フゥン……♪」
おにぎりとビスケットが美味しかった、とてもいい1日だった。
おわり