【5話 逃走再開】
1日、2話掲載。朝夕6時公開予定。全25話です。楽しんで頂けたら光栄です!
スマートフォンの画面をスクロールしていたエレナは、その手を止めた。
「あ。コーヒーミルの画像ありました」
「どれ? エレナちゃん見せてくれない?」
「あ、シュガーさん。これです!」
エレナは、スマートフォンの画面をシュガーの方に向けた。そこにはエレナの自宅倉庫を映した画像があり、その片隅に豆田が熱望するアンティークコーヒーミルが映っていた。
「これ? 結構ゴツゴツしているわね」
「そうですよねー。たしか今は凄く小型のもあるんですよね?」
「らしいわね……。私はあんまり詳しくないけど……」
「豆田さんは、コーヒーに関しての知識は凄いんですよね?」
「そうね。あの人のコーヒーへの『こだわり』は、留まることを知らないわ」
「『こだわリスト』って、本当に一芸を極めた凄い人たちですよね……」
豆田不在の中、周囲を警戒しているハンスにエレナは、視線を向けた。
「お嬢様。私ですか? 私など、豆田様の足元にも及びませんよ」
「爺やもそうとう凄いと思うけど、豆田探偵は爺やから見ても凄いの?」
「はい。もちろんです。私は今まで生きてきた中で『こだわりエネルギー』をそのまま操る人は初めて見ました」
「へー。珍しいんだ……。じゃー。普通は『こだわりエネルギー?』は、どうやって使う物なの?」
「お嬢様。普通は、このように『こだわりエネルギー』を道具に流して使う物なのです」
サバスは自身のネクタイに『こだわりエネルギー』を流し、動かして見せた。
「愛着がある道具を操作するって事?」
「はい。大体はそうです。珍しい方ですと、自身の身体を道具と見立てて『こだわりエネルギー』を流し、身体強化をされる方もおられますが、エネルギーを直接使うと言う方は、私の長い人生の中で初めて見ました」
「そんなに豆田探偵の能力は、珍しいのね……。そう言えば、シュガーさんも『こだわリスト』なんですよね?」
「私は違うわ。普通のハッカーよ。ハッキングすることに強い『こだわり』はないわ……」
ハンスは驚きのあまり目を丸くした。
「シュガー様。『こだわリスト』ではないのに、あのハッキング能力ですか……。それは凄い。恐れ入ります」
「ハンスさん。そんな良いもんじゃないです。生まれてきた環境がそうだっただけなんです」
シュガーの瞳が一瞬曇ったように見えた。
「あのー。シュガーさんは、どうして豆田さんのアシスタントになったんですか? その凄い力は、誰もが欲しがるんじゃないですか?」
「ふふ。私はね。豆田に引き抜かれたの」
何かを思い出したシュガーはクスリと笑った。
「え? どうやってですか?」
「あのねー。私は2年前まで、とある施設で、ハッカーとして活動していたの……。まー。【させられていた】って言うのが正しいかな」
「無理やりですか……」
「そうね。でね、ある時、その施設が豆田の依頼のターゲットになったみたいで、豆田は単身乗り込んできたの。私は施設内のありとあらゆる防御プログラムを作動させて迎え撃ったんだけど、手も足もでず、あっという間に豆田は私の前に現れたの」
その時の様子をシュガーは心底嬉しそうに話す。
「でね。私は座っていた椅子から引き抜かれたの」
「え? 引き抜かれたって、物理的にですか?」
「ふふ。そうなの。椅子に無理やり拘束されていたんだけど、豆田はその拘束具をコーヒーソードで簡単に切って解放してくれたわ」
「シュガーさん……」
エレナは居た堪れない気持ちになるが、シュガーは楽しそうに話を続けた。
「でね。豆田は私にこう言うのよ。【君は死んだという事にして、その才能を私の為に使ってくれないか?】って……。私は警戒したわ。またどうせ同じようなことをさせられると思ったの。でもね。【私に何をさせる気なの?!】っていったら、豆田は、どう言ったと思う?」
「えー? 豆田探偵が言いそうなことですよねー。何だろう?」
「豆田はね。【私のアシスタントになってくれないか? 警察に提出する報告者が上手く書けないんだ。文章を書くのが苦手で……。どうだろ助けてくれないだろうか?】って言ったの。私は心底ビックリしたわ。私の才能をそんなところに使うの? って」
「え? 報告書?!」
エレナは思わず噴き出した。
「でしょー? 私もビックリして。でもね。ここで弱みを見せちゃだめだと思って、【報酬は?】って、強がって聞いたの。じゃー。豆田は【3度の飯と、楽しい毎日】って言ったの」
「えー。そんなのが報酬ですかー」
「でもね、当時の私にはそれが本当に魅力的ですぐに飛びついたの! でね。今があるって感じ」
「凄い出会いですね……」
「でしょ? その時にシュガーって名前も付けられたのよ」
「え? シュガーさんは偽名だったんですね! 変わった名前だと思っていました……」
「でしょ?! そうなのよ。変わった名前だけど、ま。今は気に入っているわ」
「じゃー。豆田さんも偽名なんですね」
「ううん。豆田まめおは本名よ」
「え? 本名だったんですか?!」
「ふふ。個性的でしょ?」
「個性的というか、何と言うか……」
「本人は凄く気に入っているの。『これは私がコーヒーを愛す為に付けられた完璧な名前だ!』ってね」
優しい瞳を見せたシュガーに、エレナは豆田への思いを感じた。
「シュガーさん。今は楽しい毎日ですか?」
「ふふ。もちろん! でも、豆田まめおが自分勝手だから大変だけど」
そう言いながらシュガーは嬉しそうに微笑んだ。エレナもその笑みにつられて笑った。
「あ。もうそろそろ豆田が戻ってくる頃ね」シュガーがそう言った瞬間に、豆田の声が聞こえた。
「シュガー! 『こだわり』のハニードーナツを手に入れてきたぞ!」
豆田は右手に持った紙袋を見せながら部屋に入ってきた。『メリーのドーナツ』と書かれた紙袋は、簡単な包装の割におしゃれだ。
「え?! あのメリーのドーナツ!! 嬉しい!!」
豆田は喜ぶシュガーを見て嬉しそうだ。エレナはそれを微笑ましく見つめた。
「だろ? ところでエレナ! コーヒーミルの画像は見つかったか?」
「あ、先ほど見つけました。この画像しかなかったんですが……」
「ほう……。これか!! 素晴らしいフォルムじゃないか! このコーヒーミルで豆を挽いたらどんな味になるんだ。これは歴代最高の報酬だな。一気にやる気が出たぞ」
「豆田探偵。それは良かったです」
エレナは無邪気に喜ぶ豆田をみて、少し楽しくなった。
コーヒーミルの画像を拡大しながら、たっぷりと堪能した豆田は、肘にかけた紙袋の存在を思い出し、それをエレナに差し出した。
「あー。そうだ。これは2人の分のサンドイッチだ」
「え? 私たちの分ですか?」
「ああ。もう昼時だ。腹が減っては、いい仕事は出来ないぞ。さー。食べろ!」
「ありがとうございます」
「ほれ。これが爺さんの分だ。まだ先は長い。そんなに緊張していたら持たないぞ」
「! 豆田様にはすぐにバレてしまいますね……。では、私も頂きます」
エレナとハンスは、サンドイッチを受け取ると、包み紙を開け、一口食べる。
フワフワのパン生地に厚めの卵と特製のハム。そしてみずみずしいトマトがはさまったサンドイッチは、しっかりとしたボリュームで、この店一番の人気商品だ。濃厚なトマトソースが全体の味を調和させる。まさに絶品である。
「んーーー! 豆田探偵! このサンドイッチすっごく美味しいです!」
「だろー? 『こだわり』のパン屋で買ったからな。あそこの店主は素晴らしい腕だ。ま、腰痛持ちなのが大変そうだが……」
「あのー。豆田探偵ってコーヒーの『こだわリスト』ですよね?」
「ああ。そうだ」
「じゃー。なんで、そこまで凄い洞察眼があるんですか?」
「ん? それはもちろん。企業秘密だ」
「えー。教えて下さいよ!」
「はは。探偵は秘密が多いもんだ。さ。それを食べたら、作戦会議だ」
シュガーは、3つ目のドーナツを頬張った。
***
ミュンヘンの町中を2台の黒いワンボックスカーが疾走している。スモークガラスで覆われたその異様な車両の内部には、迷彩服の男達が臨戦態勢を維持したまま座っていた。
「イフト! おい! どうなってるんだ!!」
後部座席でふんぞり返っている男がイフトを睨みながら怒鳴った。
異常なほど発達した前腕にナックルダスターを装備した男『グラザ』は、首をボキボキ鳴らしながら迷彩服の男達を威嚇する。
「はっ! グラザ様。それが我々にもサッパリで。GPS発信機の誤作動としか思えないんですが……」
「はぁー?! こんな大事な時にか?! で、次はどこを刺しているんだ!」
「はい。次はここから2キロ先の路上です!」
「急げ!! 今日中にエレナ嬢を連れ帰らないと、俺たちがワーグナー様の実験道具にされるぞ! あんな気持ち悪い物になりたいか?!」
「ひー。それは勘弁してほしいです!」
「だろ? じゃー。急げ!!」
「はっ!!」
ワンボックスカーは、さらに加速し、車体を大きく傾けながら右折した。
***
食後のコーヒーを楽しんだ豆田は、エレナたちに声をかけた。
「さー、腹ごしらえは済んだか? そろそろ向かうぞ」
「豆田まめお。この後はどうするの?」
「シュガー。まずは、今私たちを追っているヤツらを叩く」
「直接、シュルツ財団の化学部門の施設には乗り込まないのね?」
「ああ。敵の戦力が分散している現状を利用する」
「確かにそうね。自分たちが狩られる側だとは思ってないでしょうしね。油断している内に戦力を削るのもアリね」
「だろ? それにこいつも利用する」豆田は自身のシャツの襟を掴んだ。
「……。なるほどね。で、具体的にはどうするの?」
「ああ。それはこうだ」
小さなノートを取り出した豆田は、そこにペンを走らせた。
出来上がったメモを破り取ると、それをエレナたちに見せた。エレナは少し驚いた表情を見せた後、無言で頷いた。
「豆田まめお。そう言う事ね」
「この作戦はエレナがポイントになる……。少し危険が伴うが……」
「豆田探偵。大丈夫です。私はか弱い女の子じゃないから……」
「ふっ。その粋だ」
豆田はエレナの背中を軽く叩いた。エレナは緊張した表情を浮かべながら微笑んだ。
「では、シュガー。ハンスに仕込まれたGPS発信機の位置情報を元に戻してくれ」
「分かったわ。ちょっと待ってね……」
パソコンを開いたシュガーは、GPSデバイスをハッキングして位置情報を正常に戻した。
「豆田まめお。これでハンスさんの位置情報は正常に機能しているわ」
「よし。では、そろそろ店先に用意して貰った物が届いているはずだ。向かうぞ」
一同は、豆田の言葉に頷いた。
***
ミュンヘンの町中を激走するワンボックスカーの車内に、グラザの怒声が響く。
「イフト! 目標地点はこの辺りだな?!」
「そうです!」
「あのビルの中か?! お前たち展開するぞ!」
「あ! 待ってください! また位置情報が変わりました。エスタ通りです!」
「何だと―?!」
グラザの苛立ちは極限に達し、咆えるように叫んだあと、ナックルダスターに力を込めた。
『バコッッ!!!!』後部座席のドアがグラザの巨大な拳の形に隆起し、車両が右へと大きく蛇行した。迷彩服の男達の額に冷や汗が見える。
「グラザ様。お、おそらく次は確かかと……」
「あーー? 本当か? 違ったら、お前の顔面を飛ばすからな!」
「は、はいー!」自身も聞いたことがない高音でイフトは返事をした。
「よし! 至急、エスタ通りに車を向けろ!」
重苦しい空気が車内に充満した。
***
CAFE&BAR『ショパール』の店先には、コンパクトカーが用意されていた。てんとう虫のようなフォルムのオレンジ色のビビットカラーは明らかにミュンヘンの町に浮いている。
「豆田まめお。これ?」
「ああ。いいだろ? かっこうの的だ」
「あ。分かっていたのね? てっきり天然かと」
「はは。そんな訳ないだろ。これで他の一般車両が巻き込まれる危険性はかなり減る」
「そうね……。私たちの危険度は上がるけど」
「ん? 確かに!」豆田は楽しそうに笑うと、車のキーをシュガーに渡した。
「嘘でしょ? 私?」
「そうだろ。私は追手を迎撃するためにコーヒーを手放すわけにはいかない」
「私、ペーパードライバーよ……」
「はは。何とかなるだろ?」
「豆田まめお。あなたバカなの?」
「はは。確かにその可能性もある」
シュガーにツッコまれた豆田はまた少年のように楽しそうに笑った。シュガーは深い溜息をつく。
「あのー。シュガー様。豆田様。わたくしが運転いたしましょうか?」
2人のやり取りに見かねたハンスがそう打診した。
「爺さん。運転できるのか?」
「はい。エレナお嬢様を送迎しておりますので……」
「よし。では、爺さん。運転は任せた!」
「はい。お任せを!」
ハンスはキーを受け取ると、腕まくりをして運転席に乗り込んだ。助手席には豆田が座わり、後部座席にシュガーとエレナが座った。ハンスは自身の身体に合わせて、座席とミラーを微調整した。
「お。爺さん。相当な車好きだな」
「ほう。流石、豆田様。そんなことまで分かりますか?」
「ああ。相当昔は飛ばしていたようだな」
「はは。若気の至りです……」
シュガーは豆田の口角が上がるのを見て、嫌な予感がした。
「豆田まめお! あのね!」
シュガーが豆田に釘を刺そうとした瞬間、豆田はその言葉を遮るように、
「爺さん!! 二十歳のあんたは凄かったんだろ? あの頃の加速を見せてくれ!」
「ほう! 豆田様! よくご存じで! では、期待に応えて行きますよ!」
ハンスの目がギラリと光った。次の瞬間、視界が走り、身体がシートに押し付けられる。
車はあっという間にエスタ通りを抜け、道幅の広い大通りに出た。
「ははは! 凄い加速だ! 爺さん素晴らしい!」
「豆田まめお!! ねー! どこに向かうの?!」
「中央通りを越えたアトラス通りだ! 爺さん! そこまで行ったら怪しい車両が現れるはずだ! それが見えたら、急旋回してくれ!」
「豆田様! 分かりました!」
ハンスは、そう言うと更にアクセルを踏んだ。エレナの悲鳴が車内に響いた。
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