【13話 ハンス】
1日、2話掲載。朝夕6時公開予定。全25話です。楽しんで頂けたら光栄です!
『LPビル』の車寄せに一台のタクシーが急停止した。助手席のドアが開き、そこから血相を変えたハンスが降り立つ。素早くポケットからIDカードを取り出したハンスは、それをメインゲート横のモニターにかざす。自動ドアが開き建物内に入ろうとした瞬間、ハンスの背後から野太い声が聞こえた。
「あなたがハンスさんですね?」
「はい。あなたは……?」
「私はこういう者です」
そう言うと男は懐から二つ折りの警察手帳を取り出し、ハンスに見せた。
「警察の方ですか。申し訳ございません。今、急いでおりまして……」
「ああー。その件です。私はクライス刑事。豆田探偵からあなたの協力をしろと言われまして」
「ああ。豆田様が……」
「ハンスさん。乗り込もうとされているようですが、何か作戦が?」
「いえ、それは何もございません……」
「じゃー。死にに行くようなもんだ。いいですか? 誘拐犯は16階。敵の数が分からない状態だ。それに無関係の人間も多数いる。考えなしに突入すれば、どんな惨劇になるか分からない。エレナさんだけでなく多数の人間が殺される可能性が高い」
「では、どうすれば良いと言うのですか?!」
「まー。任せてください。って、豆田探偵の案に乗っかるだけですが……」
そう言うとクライス刑事は、自動ドアの前に立ち、受付嬢に向かって、警察手帳を見せた。
それに気付いた受付嬢は、小走りしながら自動ドアの前に近づいた。
「あの。警察の方ですか? どうされましたか?」
「実はこの『LPビル』内部に爆弾が仕掛けられたと通報がありましてね」
「え?! 爆弾ですか!!」
「ええ。直ちにビル内にいるすべての方に退去をお願いしたいのですが……」
「分かりました!」
「自動ドアを開けて貰えます? 爆破予告時間までに爆弾処理班が撤去を試みます」
「はい! すぐに開けます!!」
受付嬢は自身のIDカードをかざし、自動ドアを開けた。
「で、お嬢さん。混乱を避けるために、爆弾の事は外部に知らせないで頂きたい」
「分かりました。本部の関係者やシュルツ総裁にもでしょうか?」
「ああ。それをきっかけに予定時刻より先に爆破されてしまう事もあり得ますので……」
「そ、そうですね。分かりました。すぐに上の者に掛け合って対応します」
受付嬢は足早にバックヤードに消えていった。クライス刑事は、ハンスの方を向き、大袈裟に口角を上げた。
「クライス刑事。これでは犯人にも逃げられる可能性がありませんか?」
「いや、豆田探偵の読みでは、この退去命令も無視して、『LPビル』内に残るはずだと……。ここの施設内には犯人にとって余ほど大切な物があるらしい……」
「その豆田様の読みを信じると?」
「ふっ。まー。私は豆田探偵の凄さに何度も触れていますからね。彼なりの根拠があるんでしょう。私はそれを信じますよ。一般職員が退去するまで、のんびり待ちましょうよ」
クライス刑事は、受付横に置かれているソファーに腰掛けると、その隣に座るようにハンスに視線を送った。
『LPビル内にいる全職員に通達です。抜き打ち避難訓練です。現状の業務をすべて停止し、一階外駐車場に集まるように。各フロア、部署ごとに点呼を行い、フロア代表に報告を行って下さい』
館内放送が聞こえ、各フロアからぞろぞろと従業員が移動し始めた。
***
出来上がったばかりのコーヒー豆を『オヤジの豆屋』に受け取りに来た豆田は、店に入った途端大きく深呼吸した。芳醇で濃厚な香りが嗅神経を刺激する。
「最高だ! オヤジ。匂いだけでも分かる! 今回も素晴らしい焙煎だ」
「ハハ! だろ? 俺の渾身の作品だ」
満足気な表情を浮かべながらオヤジは、豆田に出来上がったコーヒー豆を渡した。
「強敵なんだろ? 負けるんじゃねーぞ!」
「ああ。大丈夫だ。それより、この素晴らしいブレンドを味わうのが楽しみだ」
豆の入った紙袋に鼻を突っ込んだ豆田はその匂いに浸る。
嬉しそうな豆田のことを微笑んでみていたシュガーの顔色が急に変わった。ワイヤレスイヤホンに警察内の無線が届いたようだ。
「豆田まめお。急いで『LPビル』に向かった方が良さそうよ」
「そうか。現状は?」
「ハンスさんが到着して、ビル内の従業員の退去が始まったみたい……」
「クライス刑事は、予定通り動いてくれているようだな。と、いう事は、あと15分もすればハンスは突入するな……。急ぐか」
「ええ」
「オヤジ。では行ってくる」
「ああ。気をつけてな。ところで『LPビル』までは、どうやって行くんだ?」
「それは、クライス刑事に依頼しておいた」
豆田はニヤリと笑うと、オヤジに親指を立てて見せた。
『キィキィキィー!!』大きなブレーキ音を鳴らしながら『オヤジの豆屋』の店先にパトカーが急停止した。
「豆田まめお! 予定通り、来たわよ!」
「分かった! オヤジ! この試飲用のコーヒーを一杯貰っていく」
「ああ。いいぞ。持っていけ」
豆田はコーヒーを受け取ると、すぐに店先に出た。
「豆田探偵! お待たせしました!」パトカーの窓から若い刑事がそう叫んだ。
「いや、ナイスタイミングだ!」
豆田とシュガーはパトカーの後部座席に素早く乗り込んだ。
「では、行きますよ!」
「ああ。頼む!」
急発進したパトカーは、サイレンを鳴らしながらミュンヘン市内へ消えた。
***
館内放送から10分ほどで従業員の退去が終わり『LPビル』内は静かになった。外駐車場に整列した従業員の点呼を終えた受付嬢はクライス刑事の元にやってきた。
「刑事さん。あの……」
「全員の確認が終わったのですね?」
「可能な範囲の確認は出来ました。あとは16階から上のワーグナー博士が担当するフロアは、退去されていないようです。こちらから連絡は差し上げているのですが、返事がなくて……」
「なるほど。そうでしたか。大変助かりました。ワーグナー博士のフロアには私どもが直接お伺いして、退去願うようにします。では、爆弾の捜索と撤去を行いますので、皆さんは『LPビル』から離れて安全な場所で待機しておいてください」
「はい。分かりました」
そう言うと受付嬢は自動ドアから急いで外に出た。
クライス刑事の目つきが急に鋭くなり、インカムのマイクに向かって話だした。
「潜入部隊全員に伝達! 『LPビル』内の従業員の退去が終わった。今から内部に侵入し、犯人を取り押さえる。玄関ホールに集合だ! 犯人は、シュルツ財団の宝物庫に侵入し、銀行強盗も働いた犯罪集団だ。戦闘になることは間違いないと思ってくれ!」
周辺に待機していた警察官がクライス刑事の指示を受け、『LPビル』内部に続々入ってくる。総勢30名の警察官がクライス刑事の前に整列した。
「犯人は、おそらく16階より上に潜伏。シュルツ総裁の愛娘『エレナ』さんが人質に取られている可能性が高い。エレナさんを発見した場合、その救出を最優先にするように」
「「「はっ!!」」」
クライス刑事は視線をハンスに向けた。
「このハンスさんも我々と共に潜入する。エレナお嬢さんの執事さんだ」
「皆さま。よろしくお願いいたします。わたくしの命に代えてもエレナお嬢様をお救いするつもりです。皆さま、お力を貸してください」ハンスは姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「ハンスさん。行こうか。15階までエレベーターで上がり、そこから階段で16階に上がれるようだ」
「確か、『LPビル』には16階までの直通エレベーターがあったようですが……」
「あー。今は何故か停止しているようだ。15階から向かうしかない」
「そうですか……」
「ハンスさん。これを護身用に持っていてくれ」
「これは?」
クライス刑事は、ハンスにサーベルを手渡した。
「ハンスさんは、フェンシングで有名だった『閃光のハンス』さんですね? 豆田探偵からお伺いしました」
「豆田様は、そのようなことまでご存じで!」
「ふふ。彼はコーヒーだけでなく、探偵としても一流なんですよ……」
「まったく凄い方です……。では、このサーベル。心して使わせて頂きます」
サーベルを自身の手に馴染ませたハンスは、鋭い突きを数回前方に向かって放った。クライス刑事の部下達から歓声が上がる。
「よし! 各自準備は終えたな? これから8名乗りのエレベーター2台を使い15階まで移動する。残った16名は各階の捜索を頼んだ! 犯人グループを1名も取り逃がさないように!!」
「「「はっ!!」」」
クライス刑事とハンス、それにクライス刑事の部下6名が1台目のエレベーターに乗り込んだ。
***
サンプル室と呼ばれた薄暗い部屋に閉じ込められたエレナの耳に、館内放送が聞こえた。
『LPビル内にいる全職員に通達です。抜き打ち避難訓練です。現状の業務をすべて停止し、一階駐車場に集まるように。各フロア、部署ごとに点呼を行い、フロア代表に報告を行って下さい』
(盗聴器が私に取り付けられていたってことは、この放送も豆田探偵の作戦? そう考えた方が良いわよね……。豆田探偵はどう動くのかしら?)
エレナは、思考をまとめながら唇を噛んだ。
(あのワーグナー博士の研究……。きっと、もっと恐ろしい生物を作っているに違いないわ……。何とか豆田探偵にこのことを伝えないと……)
エレナは、じっとしていてはダメだと自身に言い聞かせ、閉ざされた扉を力いっぱい叩いた。
「開けてください!!」
エレナは敵地の中、こんなことをしても無駄だと承知しているが、居てもたってもいられなかった。
「こんなこと辞めてください! もっと、平和的な方法が……」
エレナの瞳に涙が貯まる。しかし、他にできる事は何もない。歯を食いしばり再度エレナは扉を叩いた。
「誰か、開けてください!!」
「エレナ嬢か!」
「その声は……? ダリーさん!」
「エレナ嬢。扉から下がれ!」
「え?」
「いいから、下がれ!! ここを開ける!」
「は、はい!」
エレナは扉から離れた。その直後、銃声が鳴り、扉のノブが破壊され扉が開いた。
「エレナ嬢。動けるか?」
「動けます! だけど……。どうして?」
「あんな物を見せられて、ワーグナー博士に付いて行くほどバカじゃない……。あれは人間のやることじゃない。それに、このままじゃ俺も奴らに殺される」
「……」
「エレナ嬢。あんたをここから逃がす。そうすれば、さっき放送を流した奴が動きやすくなるだろう。俺もあんたもそれにかけるしかない!」
「分かりました……。今はあなたを信用します」
「今だけで充分だ。走れるか?」
「はい!」
多数の円柱ガラスが並ぶ薄暗い道の中をエレナとダリーは、身を隠しながら進み、先ほど昇ってきたエレベーターに向かった。
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