二、俺の専属
彼はルイボスティーを数口飲むとまだメニューに悩んでいるようだった。意外と優柔不断なんだろうか。
「そんなに食べたい物悩むの?」
「いや、食べたいのはあるんですけど……時間帯と消化のバランスが難しいなって……。」
「茹で枝豆の塩抜きと梅がゆにしたら?」
「……え。」
「たんぱく質、ビタミンC、カリウム、クエン酸、夜に食べても消化に良くてバランスも良いはず………あ。」
私は口を思わず押さえた。
(ヤバいヤバい。プロの人なんだからそれくらいの知識あるでしょうが……。)
「じゃあ、それで。」
「え、ホントに?」
「青葉先輩がすすめたんじゃないですか。」
彼はそう言いながら、フフと小さく笑った。私はそれにドキッとしてしまった。そしてすぐにハッとして頭をブンブン降った。いかんいかん。これでは世の中のファンと一緒じゃないか。
「そこの呼び出しボタン押してくれませんか?」
「あ。オッケー。」
私は言われた通りボタンを押した。
「青葉先輩は……そういう仕事なんですか?」
「今は栄養管理士目指して大学通ってる。他にも理学療法士もいいかなって思って、資格だけ欲しくて勉強始めたところ。私が通ってる大学の教授がそういう関連の論文出してる人で資料とかも読ませてもらってる。」
私が話終えると店員がタイミングよく注文をとりにきた。彼は本当に私に言われた通りの注文と少し足りないと思ったのか冷奴も一緒に頼んだ。
「いいっすね。そういうの。」
「……え。」
「人に教える為だけじゃなくて、自分の身体にとっても良い知識沢山増えるんじゃないですか。」
「あー、まぁね。でも神山と違って私は自分の欲には勝てないからこうしてアルコールを摂取しております。」
「はは、おもしろ。」
「……神山って、、、笑うんだね……。」
「………。」
彼は何を言ってんだばりに私のほうを真顔で見ていた。
「…………だって、高校の時に笑ってるとこなんて見たことないんですけど……。」
「………だって笑顔、作るのって……ムズくないですか?」
「え、笑顔?」
「なんか表情筋をむりくり動かすのってムズくないっすか。」
どうやら彼は真面目に言っているのか、淡々と率直に話している。人生を歩んでて笑顔の作り方を悩んだことなんてないので、私はポカンとしてしまった。それを見て何かを察したのか彼は急に嫌そうな顔をした。
「……その顔、この間の雑誌撮影の人と一緒です。」
「あ、ごめんごめん。悩んだことなくて思わず……。」
「素直な感想ありがとうございます。」
彼は私に嫌味を言うと小さい溜め息を吐いた。ビジュアルも職業も、完璧な人にも苦手なことあるんだって思うと親近感がわくもので少し嬉しくなった。それにも気づいたのか私をさらにジロッと睨んだ。
「なんか少しバカにしてますか?」
「……っし、してないよ。」
「……顔、笑ってますけど。」
「……あ、、、。」
私は自分の両頬に手を置いて、表情筋を下にグッとおさえた。
「今さら隠しても遅いです…ま、良いっすけど……。」
「あはははー。」
それから彼はお酒を呑むこともなく、席を移動することもなく、栄養管理、身体のケアなどの何の色気も感じない会話を私とずっとしていた。
「――――――今ってそんな最新技術も取り入れて貰えるんだね~!スゴイ!」
「日本代表チームとかならもっとスゴいんじゃないんですかね。」
「うわー!そっか!じゃあ、いつか選ばれたらまた色々聞かせてほし…………。」
私は教えてほしいと言いかけて口を閉じた。たまたま今日は会えただけなのだからそんな事を軽々しく言っては駄目だろう。ましてや相手はアマチュアでなくプロなんだから。
「…………なんてね。これからも活躍してるのテレビで応援してるね!」
「ども。」
「はーい!じゃあ、今日はこれでお開きでーす!!タクシーが店の裏口で待ってるので、使う人は利用して下さい。」
朝比奈は一応幹事らしく、場をしめていた。私も帰ろうと荷物の準備をしていると、彼がテーブルをコンコンと叩いた。私はその音で荷物から彼のほうに再び顔を向けた。
「ん?なに?」
「個別に相談があるんすけど……。」
「相談?どうぞ?」
「場所変えてもいいっすか。」
「……へ?」
「さすがにここに居座るわけにはいかないんで……。」
「あー、うん。神山が平気ならいいよ。」
「じゃあ、タクシーで行っちゃっていいすか。」
そう言うと彼はおもむろに立ち上がり、個室の外に出ようとした。私も待たせちゃ悪いと思い、すぐさま準備を整え彼について行った。店の裏口には何台かタクシーが止まっていた。私は彼が向かうタクシーに着いていき、彼が乗った隣に座った。そういえばどこに行くんだろうか。
「スミマセン。ここの住所まで。」
彼はスマホの画面を彼に向けていたので、たぶん住所が分かるものを提示しているんだろう。タクシーの運転手はそれを確認しながらナビに入力すると、目的地に向かって走り出した。
「帰りは俺が車出すんで……。」
「……え、いい、いい!電車で帰るよ。」
「や、さすがに朝比奈さんに怒られるんで。」
(私の為というより、先輩に怒られるから送るという点が彼らしい)
「……じゃあ、よろしくお願いします。」
「あと10分くらいで着くんで。」
「どこのお店に向かってるの?行きつけとか?」
「…店?」
「………え、店じゃないの?」
「俺の家っす。」
「……っ!」
私は今からこの男性の自宅に招かれるとは思わなかったので、その一言に衝撃が走ると同時に一気に緊張で身体が強ばった。確かにそういう事に興味というか、必要性を感じていないといえど家に女性を呼ぶか普通。
「……………?」
彼は何か問題でもと言いたげな顔でこちらを見ている。たぶん彼には下心という感情が欠落しているのかもしれない。でも正直これだけ意識をされていないとなると、逆に女性としてのショックはデカイ。私は安心した気持ちと悲しい気持ちの半々が混じって複雑な気持ちになった。そしてこのすっとぼけた顔をしたイケメン男子は中身が残念男子だ。
「…………………もう、いいや。」
「なんすか、さっきから変な顔ばっかして。」
「神山、それ以上何か言ったら私、降りるから。」
「え、、、怖いんすけど。」
「はぁ、、お茶か水は飲ませてよ。」
私は呆れながらそう言うと、彼は飲み物欲しくて怒ってんすかと的はずれな事を言ってきた。私は怒ってませんと言い、暫く車の外を眺めていた。
しばらくすると彼の自宅マンションに到着したようだ。やはりプロアスリートともなるとセキュリティが万全なタワマンに住むんだなと少し感動した。
「こっちです。」
「ってか、明日トレーニングなのに大丈夫?」
「今シーズンオフでマンション内のジムでトレーニングするんです。だからわりと朝はゆっくりです。」
彼は説明しながらエレベーターにカードをタッチして階数を押した。26階なんだと心の中で呟いた。
「青葉先輩は一人暮らしですか?」
「あ、うん。私、高校もわりと遠くて大変だったからさ。ただこのマンションには到底及ばない狭小マンションだよ。正直結構大学で箱詰めになることもあるから、家はほぼ寝る為だけの部屋になってるかも。」
「意外と大学もハードなんすね。」
そうこうしている内に26階に到着した。高級マンションはエレベーターも早くて静かなんだな。彼は廊下をスタスタ歩き扉のドアノブにカードをタッチした。するとガチャガチャと鍵が解除された音がした。
「……どうぞ。」
「お、お邪魔します。」
私は恐る恐る玄関に足を踏み込んだ。生活感が無い部屋ってこういうのを言うんだなと思うくらいシンプルだった。玄関には車の鍵などが置いてあるお皿のみ。リビング、ダイニングは部屋の一角がストレッチコーナーなのかヨガマットがひかれて、籠には色んなトレーニングアイテムが入っていた。家具は基本的に黒かダークグレーに揃えられていた。
「部屋、シンプルだね。」
「あー、こだわりなくて面倒なんで、家具付き物件なんすよ。」
彼はバスケ以外に本当に興味がないんだろう。今日は色々話して彼の生活がバスケ中心に回ってることがとても理解できた。
「じゃあ、ここどうぞ。ミネラルウォーターでいいっすか。」
「あ、うん。」
私は案内された椅子へ座った。彼はウォーターサーバーから2つのグラスに水を注いで、私と自分の近くに置いた。そしてお互いに水を一口飲んだ。
「……あのご相談とは……?」
「…………青葉先輩、これから夏休みになると思うんですけど……忙しさは変わらないんすか。」
「……うん。」
「バイトとかは……?」
「まぁバイトはあるけど、卒論もあるし、別に沢山入れるつもりもなく…。」
「そうっすか。」
そう言うと、彼はまた水を飲み始めた。
「……なに?女の子の紹介はできないよ。」
「いや、いらないっすね。」
(でしょうね……。)
「じゃあ、なに?……まさかっ!」
そう言いながら私は自分の身体をぎゅっと抱き締めた。
「………………なんすか、それどう意味っすか。」
「…………ま、そんな反応だよね。」
「………よく分かんないっすけど、3ヶ月くらい青葉先輩くれませんか?」
(3ヶ月……私が……欲しい……?)
私は彼の言葉のいとが汲み取れない。それってつまりやっぱそういう意味ってこと……。
「…………あの、それは……ちょっと……。」
「……やっぱタダじゃダメっすよね……。」
「いや、金銭を交わしたらそれはパパ活に近いかと……。」
「…………何言ってんすか?」
「そっちこそ何言ってるの?」
「だから3ヶ月くらい俺専属のサポーターになってくれませんって話。」
「さ、サポーター?」
「食生活とかトレーニング内容とか、オフシーズンだと個人で管理しないとなんで、お願いできないかと……ってかパパ活って…………。」
「こっ、こっ、言葉のチョイスが悪いっ!!!」
私は彼に向かってまぁまぁな声で立ち上がりながら叫んだ。この日から彼と私の謎の関係性は急に始まった。