十、彼との急接近
私達は昼食が食べ終わると、食後の珈琲を片手にまた各々作業に没頭していた。というよりも私は煩悩をごまかす為に必死に没頭した。ノートパソコンと友達にならないと気が緩んで、彼の存在が気がかりで集中できない。私はカチカチとキーボードを打っては資料とにらめっこしていた。
「……そろそろ休憩どうすっか?」
「ひっ!」
「そんなに驚かなくても……。」
彼はメガネをかけたまま近くに立っていた。さっきは横向きの姿しか見れなかったが、正面で見ると尚破壊力がすごい。
「……く、心臓が……。」
「は?心臓?」
「いえ、こちらの話…ところで、何で眼鏡を……。」
「ん?あぁ、これブルーライト対策です。長時間観ると目が疲れちゃうんで……。」
「そうなんだ……。」
「かけたいっすか、?」
「あ、いや、大丈夫、休憩しよう……ドーナッツ食べたい。」
「今珈琲新しいの入れたんで、一緒に持ってきます。」
「ありがとうございます。」
私は向こうでカチャカチャ準備する音を聞きながら、テーブルの資料とノートパソコンを軽く片付けて、テーブルのスペースをあけた。そこに彼は用意したドーナッツのお皿と新しいコーヒーが入ったポットを置いて、またすぐ隣に座ってきた。彼が座る右側だけどうしても緊張して身体が強ばってしまう。
「卒論は順調なんすか?」
彼は珈琲をすすりながら話しかけてきた。
「あ、うん。大分良い感じかな。」
「そうですか、今は何をまとめてるんですか?」
「えーっと……今はメンタルとフィジカルの関係性について……かな。」
「へぇ……読みたい。」
「まだ途中で良いならいいよ……はい。」
私はドーナッツのお皿をよけて、ノートパソコンを彼の近くに置いた。私はパソコンを近くに持ってくだろうと思っていたのだが、彼はまさかの自分が近づいてきた。結果的に肩と肩が軽くあたるくらいの距離になってしまい、私は触れた瞬間に身体中に電気が走った。
「…………っ!」
「ふぅん……。」
私は右肩に全神経が集中してるんじゃないかと思うくらい意識がそこにいってしまう。
「おもしろ……ここのこれってどういう意味っすか。」
「……あー、これは――――――――。」
私は画面のグラフと絵を見せながら説明した。彼は隣で真面目に頷きながら、真剣に耳を傾けていた。
「――――――ってなると結果、それがフィジカルにも繋がってるってことで……。」
「あぁ、なるほど……分かりやすい。」
「えっ!ホントに?!」
私はまだ誰にも卒論を見てもらってなかったので、初めての客観的な感想に彼との距離を忘れ、喜びが勝ってしまい、ついつい彼のほうに顔を向けてしまった。そして自分の行動が原因なのにも関わらず、彼の顔が急に目の前にきたので、驚きのあまりギャっと叫びながら後ろにのけ反ってしまった。
「…っ!、ちょ、っ!」
私はそのまま頭がぶつかると思ったが、相手はアスリート。反射神経がスゴかった。私が後ろに倒れそうになったのを背中ごと、力一杯自分に引き寄せた。そして私は引力そのままに彼の身体にすっぽりとおさまり、彼の胸元にしがみついてしまった。
「……あっぶなー、、頭ぶつけるとこでしたよ。」
「………………。」
私は自分の心臓がドクンドクンすごい脈打っているのを感じた。今これ彼に聞こえてるんじゃないかと心配になるくらい激しかった。初めてちゃんと触れた彼の身体は無駄のない筋肉質な身体だった。私は彼の身体から離れなきゃという思考と反し、何を血迷ったのか逆に少しだけギュッとしがみついてしまった。彼に少しでも女性として見られたいという欲が出たのかもしれない。私がしばらくそうしたら、彼が困ってくれるんじゃないかとまで考えてしまった。しかし彼はそんな邪な私とは違って、優しく背中をポンポン叩いてきた。
「……すみません、強く引っ張りすぎました……?」
「……う、ん。」
「……加減できなくてすみません。」
彼はたぶん私が怖い思いをしたのだろうと勘違いしている。けど私は嘘をついて彼の優しさに便乗した。まだもう少しだけくっついていたかったから。
「……力、強いね……。」
「まぁ、鍛えてるんで。」
「そう、だよね。」
「逆に香奈さん、軽すぎ。」
「そんなことないでしょ。」
「いや、折れそうでしたよ。」
「じゃあ、ドーナッツ沢山食べる……。」
「はは、そうして下さい。」
彼はそう言うと、私の頭をポンポンしてゆっくりと離れた。私もさすがに離れなきゃと思い、しがみつくのをやめて、素直にドーナッツを頬張った。
「……うまい?」
「うん、美味しい……ありがと。」
「どういたしまして。」
彼はそう返事すると、また私の卒論を見ながら珈琲を飲み始めた。
――――――――――――――――――
「本当に送らなくていいんすか……?」
「うん、今日は寄るとこもあるから平気!」
私はさすがにそろそろお暇しなくてはと思い、夕方に切り上げて帰宅することにした。名残惜しくないと言ったら嘘になるが、それでも分はわきまえなくてはいけない。
「……じゃあ、また2週間後の測定の日にね。」
「あ、そーだ!忘れてた、ちょっと待ってて下さい。」
「……う、うん。」
彼は一度寝室に行くと何かを取ってきたのか、手に何かを握りしめながら戻ってきた。
「手、出して下さい。」
「……あ、はい。」
私は素直に右手を広げて、彼のほうに向けた。彼はその握りしめた拳を手の平にのせ、私の手の上に何かを落とした。それはクレジットカードの半分くらいの大きさの黒いカードだった。
「…………なぁに、これ。」
「俺の家のカードキーです。」
――オレノ、イエノ、カード、キー…………?――
私は頭の中でうまく解釈ができなかった。しかししばらくしてそれがつまり合鍵だということに気づいた。
「えっえっ、これダメでしょ!!」
「ダメですかね?……だって毎回、インターホン鳴らすの面倒じゃないですか……?」
「……っだ、だとしても、合鍵はヤバいでしょ!」
「別にいいっすよ、香奈さんの事、信用してるんで。」
「…………信用は有り難いが……。」
「何か問題あります?」
「~~~っ!か、彼女、できたりしたらっ……。」
「ないっすね。」
「あ……。」
私は自分で聞いたくせに、嬉しいけど悲しい気持ちになった。彼に彼女ができない=自分も一生彼との関係性が変わらないことを意図する事実に少しへこんだ。
「…………そっか、じゃあお預りします。」
「また暇があったら飯作ってくれませんか……?もちろん、お金は出すんで。」
「……うん。」
私は無理やりはにかんだ。あくまでサポーターですよって遠回しに言われてる気持ちになった。彼への気持ちに気付いてしまった分、今日はかなりショックがでかい。
「じゃあ、またねっ!」
「帰り気を付けて。」
「お邪魔しました~っ!」
私は空元気に別れを告げると早歩きでエレベーターに向かった。そしてエレベーターの前に着き、下に降りるボタンを押した後ため息をついた。
「……だよね、そもそも必要性感じてないし、欲しいって思ったことない人なんだから、かなり不毛な恋だよね……つら。」
私は先程彼から渡されたカードキーを見つめた。
「……彼女として渡されたら嬉しいけど、ある意味飯炊き女になりましたってレッテル貼られた気分……。」
私はもう一度ため息をついて、さすがに無くせないので自分の財布の中にそれを閉まった。




