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優しすぎて、気弱すぎて、不幸をばらまいて逝った男の話

博は最終の新幹線で、自宅最寄駅でもあるターミナルに帰り着いた。

南海上の台風が送ってくる湿った南風の影響で、風はあるのにひどく蒸し暑い夏の夜だった。


彼も含めて地元民が「裏口」と呼ぶ、繁華街とは反対側の駅前広場に出た。

今は再開発が進んでビルやマンションが建ち並び、かつての「裏口」然とした光景を知る目には隔世の感さえある。


出張の荷物も抱えているし、近距離だがタクシーにしようかと思っていた。

しかし先客は多かったようで、目の前で最後の一台が走り去った。


半分仕方なく、残り半分は「これもいい運動か」と割り切って、暗い大通りに向かって歩き出す。

昼間は車や人の往来も多くて賑やかな道も静まり返り、コンビニや自販機の明かりがやけに眩しい。


侘びしく、寂しい、帰り道。


そんな通りの途中に、ひときわ暗い一角がある。

そこはマンションの建設予定地で整地は済んでいるが、なかなか工事が進まない。


もともと衣料品や雑貨、文具を扱う大きな店があったところだ。

しかし解体工事中から、事故や機械のトラブルが頻発していた。


しかも「夜中に電気もないのに廃墟の中がぼんやり明るくなって、その中に老婆の幻が見えた」とか、「未明に男の子の泣き叫ぶ声が聞こえた」とか地元民の間では囁かれていた。

なかには、「真夜中に『ランバダ』のメロディーやアントニオ猪木の『炎のファイター』が聞こえてくる」といった、ネタじみたものもあった。


そんなオカルトめいた噂を呼ぶくらい、近所では割と知られたいわく付きの土地だ。

そこにあった店、名前だけは「越前屋百貨店」と立派だったが、そこの社長が母親と一人息子を道連れに心中していた。


それがちょうど1年前のこと。

店のバンに3人乗って、山奥の林道の終点での焼身自殺だった。


博は、その社長を個人的に知っている。

いやそれどころか、周二という彼とは幼稚園の頃からの幼馴染だった。


だから周二の母親のことも「おばちゃん」と呼んで慕っていたし、周二が40になってようやく授かった一人息子の武斗(たけと)のことも「タケボー」と呼んで自分の子供のように可愛がっていた。

周二が心中する前の日にも、会って普通に談笑していた。


その時の彼には不審な点は見つからず、ただ、経営が苦しいことは口にしていた。

しかし母親と子供を道連れに心中するほどの苦難に向き合っているわけでもなかったはずだと、博は今でも思っている。


ただ周二は生きるのに少しばかり不器用で、傷つきやすく、優しすぎる人間ではあった。

そして度が過ぎるくらいのお人好しだったが、結果としてそれが彼の周囲に不幸をもたらしたのだ・・・とも思っていた。


必然性のない自殺、しかもあとの2人はこの世に未練を残して逝ったはずだ。

化けて出るのも、当然と思えた。


しかし・・・幽霊として出てくるなら、どうしてあれだけ親しかった俺の目の前に現れてくれないんだ・・・そんな遣る瀬無さはあった。

どうして赤の他人ばかり怖がらせているんだ・・・。


そんな虚しさと淋しさが綯い交ぜになった思いを重く抱きながら、工事現場のフェンス越しに更地となった「越前屋百貨店」の跡地に目を凝らした。

その彼の汗ばんだ首筋を、湿った生温かい風が撫ぜた。


・・・


1年前のその日、博は越前屋百貨店を訪れた。

前々から依頼していたプリント入りのポロシャツの受け取りと、その代金の支払いのためだった。


彼の下の息子は地元では強豪の部類に入る少年野球チームに属していて、その保護者たちが8月下旬に行われる全国大会で着用する揃いのポロシャツ。

その調達は保護者会の下っ端役員である博が3年前から毎年、越前屋百貨店を通して行なっていた。


それは越前屋百貨店を通して注文すると質の良いものが比較的安価で入手でき、しかもツケが利くからでもあった。

もともとは幼馴染であった周二の店を応援したいという、博のささやかな思いもそこには込められていたが。


しかし今年は、製品と引き換えに現金払いで・・・と頼まれていた。

だから全国大会という親子共々巻き込んだ遠征を前に1円1銭すら出し渋る会計からなんとか代金をもぎ取って、越前屋百貨店を訪れた。


まさに「炎暑」と呼ぶにふさわしいくらい酷く暑い、土曜日の午後だった。

表通りは通行人の影も絶えてしまうような暑さだったが、店の中は寒いくらいに冷房が効いていた。


昔は「百貨店」と呼んでも恥ずかしくないくらいに繁盛した店で、何人もの店員が引きも切らない買い物客の応対をして賑わっていた店だ。

今はインテリアや家電を扱っていた2階は閉鎖し、残った1階の衣料品と雑貨・文具のコーナーを周二とその母親の2人だけで切り回している。


これも、郊外に進出したメガ級の大型店舗に客を奪われたうえに、足元では駅周辺の再開発でできた新しい店からの攻勢を受けた結果だった。

繁盛していた頃はシーズンごとに、拡声器を搭載したバンで街を流して宣伝していたものだったけれど。


店内でも店頭でも軽快な音楽を流して大通りを歩く人びとにアピールしていたけど、今となっては遠い昔。

2階へと通じるエスカレーターの前には「はいらないでください」の立て札が行く手を阻み、1階の売り場も天井の蛍光灯がすっかりくすんで陰気な印象。


(これじゃぁ、客も寄り付かないよ)


心の中で独りごちながら、カウンターで暇そうにしていた周二に片手を上げて合図した。

読んでいた青年向け漫画雑誌を放り出して、彼もうっすらと笑いながら立ち上がった。


「やぁ、よく来てくれたな・・・ありがとう」

「ブツはちゃんと揃ってるんだろうな」


おどける博に「あはは」と笑いながら、カウンターの下から包みを取り出した。

博も、代金を封筒ごとカウンターに差し出しす。


サイズとそれぞれの枚数を確認する博。

封筒から紙幣を取り出して数える周二。


「うん、ちゃんとできてるな・・・いつものことながらいい仕事してくれる」

「まぁ、礼を言うならオレじゃなくて加工屋にだけどな」

「だけどその工房ともお前との縁あってこそだろが」

「へへ、嬉しいな・・・そう言ってもらえると」


博はプリントの仕上がり具合を確認して、また畳んで戻す。

代金を数え終わった周二も手書きの領収書に判をつき、博に手渡した。


博はそれを代金が入っていた封筒に納めながら、それとは無しに訊いてみた。

いくら幼馴染の親友とは言え、そこまで立ち入っていいのかという迷いはあったが。


「なぁ、お前いつも明るくニコニコしてるけど、実際はどうなんだ? 景気悪いんじゃないか?」


一瞬、困惑の表情を浮かべる周二。

しかし曖昧に笑いながら、答えた。


「悪い、悪いよ・・・見りゃわかるだろう」

「ああ、やっぱりそうなんだ」

「へへっ・・・『やっぱり』って・・・」

「景気悪いって言いながら、なに笑ってんだよ。心配してるんだぞ」

「すまん、すまん。でもよく分かったな」

「今までツケが利いてたのにいきなり現金払いと来たからな。運転資金、大丈夫なんか?」

「いや・・・大丈夫でない。全然大丈夫でないんだ」


そこにきてようやく、周二は深刻な顔つきになった。

博こそ常に能天気な周二が突如として見せたその表情に、思っていた以上に厳しそうだと・・・そして触れてはいけないところに触れてしまったのではないかと恐れの気持ちが湧いてきた。


店内の冷房の冷気が、急に背筋を上ってきた。

しかしそこまで聞いてしまったからには、昔からの親友としては最後まで聞いてやらねばならないような気がした。


「・・・まさか、ショートしそうなんか?」

「うん・・・来週の月曜に償還しないといけない借入があってだな・・・」

「おい! 来週の月曜って明後日じゃないかよ! しかも明日、日曜はどこも閉まってるぞ」

「だから明日はツケの回収だ。・・・お前さんもその一人だよ。これ、今日払ってもらえると助かる」


周二はファイルの中から何枚かの伝票を取り出した。

見てみると、博自身だけではなく彼の母親や妻がツケで買って未回収になっているものの証書だった。


「全部で・・・ええと・・・3万8千560円だ」

「これは済まんかった。・・・で、(はした)はマケて3万8千というわけには・・・」


周二は一瞬、考え込んだ。

しかし困惑したような笑みを返してきた。


「今、たかが560円でも惜しいんだ。頼むよ」

「・・・分かったよ・・・で、カード払いというわけには・・・いかないんだろうな」

「お前さん、オレの話を聞いてたか? 明後日までに現金が必要なんだよ。カードなんていつこっちに着金すると思ってるんだよぉ〜」

「なるほど、確かにそうだ・・・」


運が悪いことに博が財布を開くと、たまたま引き出したばかりの1万円札があった。

これは上の娘の夏期講習の代金のはずだったが・・・。


「ほい。4万円」

「サンキュー、ありがとう・・・お釣りは、っと・・・」


旧式のレジを打つ周二。

そういえばカウンターの内側にある店舗管理のパソコンも、ブラウン管画面に映っているのはWindows98か下手すると95っぽい画面だ。


「はい、お釣り1,440円。確かめてくれ」

「おう・・・でもよ、ツケの回収って見込みはあるんか?」

「それは・・・」周二は言葉に詰まったが、また困惑した笑顔で続けた。「なんとか頑張ってみるよ。難しいけど」

「難しいって?」

「お前さんみたいに回収可能なところはもう粗方回収していてだな・・・本当の意味で難しいところが残ってるんだ」

「どれくらい難しいんだ」

「ざっくり言うと、生活に困窮しているお客さんばかりが残ってる」

「あちゃ〜・・・」


思わず博は顔を洗うみたいに両手で顔を覆い、ゴシゴシとこすった。

よりにもよってそんな客先にすがろうとしていたのか・・・。


「回収の見込みは、どれくらいあるんだよ」

「分からない・・・これは、やってみないと分からない」

「オレがそんな状況だったら、布団でも畳でも引っ剥がしてでも回収するけどな」

「でも、『無い袖は振れない』って言うじゃないか・・・そんな人たちから金取るほど鬼にはなれないよ、俺は」

「・・・」

「例えばだな、そんな家に行くとな、玄関先にも庭にもカセットコンロのボンベとか、ミネラルウォーターのボトルとか、乾電池なんかがギッチリ詰まった袋が捨ててあるんだ」

「・・・それがなにか?」

「つまりだな、ガスも水道も電気も止められて、カセットコンロで煮炊きしたり、ミネラルウォーターを飲んだり、懐中電灯で明かりを灯したりしてるんだ」

「・・・止められる前にきちんと料金払ったほうが安上がりじゃんかよ」

「そう! そこなんだよ。金銭感覚が元から無いかブッ壊れたような客が相手なんだよ。そういうところに行くと、ポストから溢れた郵便物の中に債権回収業者や法律事務所の赤い封筒なんかがあったりしてだな・・・」

「・・・まさか、そのガスボンベとか電池とかもお前がツケで売ったんじゃなかろうな」

「ご明察」

「お前、いい事したつもりなのかも知れないが、結果として債務者にさらに債務を負わせてるんじゃないか? 不幸の拡大再生産じゃないか!」

「・・・でもさ、オレが見捨てたらそれが引き金になって破産したり夜逃げしたり、最悪自殺したりしかねないんだ。その最後のとどめを刺すのが怖いんだ」

「・・・そんなんじゃお前に回収なんて無理だろ」


異常に固い生唾を飲み込みながら、声を絞り出す。

しかし周二は飄々と答えた。


「でも、全部回収できたら明後日はなんとかセーフ」

「お前、バカなのか? 全部回収できなかったらアウトってことだろが」

「いや・・・でも、可能な限りかき集めて誠意を見せて期日を延ばしてもらうとか、手続きは面倒(めんど)いけど借り換えさせてもらうとか、手はまだいくらでも残ってるさ」

「本気でそう思っているのか? 相手は銀行だぞ?」

「でも、今までも何度かそうやって切り抜けてきたんだ。今度が最後というわけでもなかろう・・・」

「どこまでバカでお人好しで脳天気(ノーテンキ)なんだよ・・・」


博は、これまでの40年以上の付き合いの中で最大クラスで呆れ返った。

付け加えるならば彼のお人好しさからするときっと、先ほどのガスボンベや乾電池の例のように支払ってもらう当てもないお客相手にツケでいくらでもモノを供給してきたに違いない・・・慈善事業でもあるまいし。


すっかり頭を抱えてしまった博をわざと見ないように、周二は読みかけの漫画雑誌に手を伸ばした。

そこに自動ドアが開く気配がして、ふたりして見てみれば周二の一人息子の武斗だった。


・・・


周二はバツイチだ。

妻の方から一方的に別れを告げられて、武斗を押し付けられるように離婚した。


もう5年か6年になるが、その時のゴタゴタは博もよく知っている。

妻は周二が店の再興のために立ち上げて軌道に乗せていた「こだわり雑貨」のECサイトを、「これが私に対する慰謝料よ」とでも言いたげにすべての権利を持ったまま家を出てしまっていた。


実のところ、そのECサイトは順調に稼いでくれていた。

周二は東京の一流国立大学の商学部を出て大手流通の商品企画部門に勤めていたが、そのノウハウが存分に活かされていたと言ってもいい。


その大手流通が平成の大不況の中で破綻し、実家に戻って始めた新事業だった。

折しもインターネットが爆発的に普及する真っ最中でもあり、時流に乗って規模は倍々ゲームに拡大していった。


そこに突如として現れたのが、周二の妻となる女性だった。

ただし元々は、東京で医者をしている彼の兄の年一(としかず)の愛人だ。


年一は妻と子供がありながら、行きつけのクラブにいたその女性をカネの力で囲っていた。

周二と違って年一は、「地球は俺様の周りを回っている」と信じて疑わないのではないだろうかと思えるほどの自己中心的な男だった。


子供の頃は博も時々顔を合わせていたが、周二ともども兄弟揃って頭は良くて、しかし年一には家業を蔑むような言動がしばしば見られた。

腕力はないくせに子分たちを手なづけて、狼藉の限りを尽くすような少年でもあった。


東京の私大を出て医者となったが、実家に帰ってくる事はほとんどなかった。

葬式にも出ることもなく、結婚式にすら自分の親族を呼ばない徹底ぶりであった。


どんな結婚生活を送りどんな家庭を築いていたのかすら実家では誰も知ることはできなかったが、その向こうでは若い愛人と愛を育んでいたらしい。

しかしその女性が妊娠すると途端に冷淡となり、中絶させた上にはした金を渡して一方的に捨ててしまっていたのだ。


当然ながら怒りが収まりきらないその女性は、わざわざ周二たちが暮らす実家まで押しかけてきた。

金を出せ、さもなくばせめて親族として誠意を見せろと大声を上げた。


そこでどういう訳か、周二が彼女に同情してしまった。

ひょっとしたら・・・これは博たち周囲の想像でしかないが、周囲に女性の気配が感じられないほど縁のなかった周二には突然舞い降りた天使にでも見えたのだろうか。


周二の親族もそうだし、博たち友人たちもそうだったが、周囲はもちろん猛反対した。

けれども変に意固地になった周二は、結婚まで強引にゴールインさせてしまった。


結婚しても、なかなか子宝には恵まれなかった。

それは過去の中絶手術のせいなのか、あるいは実は周二が彼女に拒まれていたからかは分からない。


長い年月の末にようやく授かったのが、武斗だった。

小学4年になる彼は父親の周二に似てやはり頭が良く、塾にも行っていないのにクラスでトップクラスの成績だそうだ。


ただし幼少期の年一のような青白いガリ勉タイプではなく、かつての周二のように活発な子供らしい子供だ。

真っ黒に日焼けした顔に白い目と白い歯が輝いていて、小学校時代の周二を彷彿とさせる。


どうやら市民プールからの帰りらしく、透明なプールバッグを持っている。

博を認めると、足早にカウンターまでやって来た。


「ぴろし〜!」

「おう、タケボー! 夏休みの宿題、やってるか」

「なんだよ〜、もう半分以上やったよぉ〜」


面白半分に博に体当りしてくる。

博もふざけてヘッドロックの真似事をしてみせるが、プールバッグとは別の手提げに目が留まった。


「なんだ、それ? 図書館にも行ったんだ?」

「うん、『ブラックジャック』借りてきたんだ」

「なんだ、漫画か」

「漫画か、とはなんだよ、ぴろし。僕、医者になりたくて勉強中なんだ」

「ごめん、ごめん・・・しかし『ブラックジャック』で勉強とは、ユニークだな」

「さ、さ、お父さんたちは大事な話ししてるんだ、上に行ってアイスでも食ってろ」


周二は武斗を手真似で追いやった。

無邪気な武斗ともっと絡んでいたかった博は、仕方なしに周二に言った。


「タケボー、医者になりたいんだ、今は」

「ああ・・・ちょっと前までは大谷に憧れてメジャーリーガーだったけどな」

「うん、それでうちのチームに入りたがっていたな」

「・・・でも金がなくて断念させたんだ。それからの、『医者になりたい』だからな」

「医者となったら、余計に金がかかるじゃないか」

「ああ・・・それくらいあのサイコパスの兄貴のおかげでじゅうぶん知ってるよ。本当だったらこの店の設備投資に回すはずの金まであいつが医者になるために食っちまったようなもんだからな」

「まぁまぁ・・・もう30年以上も前のことだろが」

「でもあの時、あの時代、然るべき投資をしていたらこの店も今ほどは落ちぶれては・・・」

「いや・・・遅かれ早かれだろ。郊外のショッピングセンターやら駅前の商業ビルやら、あんなガリバー相手じゃ歯が立たんだろ」

「だからこそ、ネットショップを始めたんだ。それなのに・・・あの女が根こそぎ持っていきやがった・・・!」


珍しく周二は気色ばんだ。

カウンターの上に置いた両手は固い拳を作り、歯ぎしりが聞こえてきそうな顔つき。


「いったい、オレがどんな悪いことをあの女にしたって言うんだよ!」

「・・・いや、お前は確かに悪いことはしていないが、良いこともそれ以上にしなかったじゃないか!・・・可哀想だとか同情だけでは、結婚生活なんてできるはずがなかったんだ」


いくら親友同士でも言いすぎかなとは思ったが、しかしそれまで言おう、言おうと思いつつ抑えてわだかまっていたことだった。

相手に対する同情だけで結婚して、それなのに相手からは振り向かれもしなかった彼の結婚生活は、傍からでも見ていられたものではなかった。


途端に肩を落とし俯く周二。

痛々しくも見えたが、優しすぎるゆえに彼が招いた不幸である側面もあった・・・博は心のどこかでそう突き放してもいた。


そこに、年配の男性が肌着を求めに来店した。

周二は売り場まで案内し、博はカウンターから離れて店内をウロウロする。


・・・


今はもう動いていないエスカレーターの上り口からは、照明が落とされ真っ暗な2階が口を開けているように見えた。

振り返って売り場を見ると、商品の補充が満足にいかずそこかしこに隙間のある棚が並んでいる。


客が去ってから、博はまたカウンターに戻った。

レジを閉めて向き直った周二に、再び話しかける。


「なぁ、大変は大変なのは分かったけどさ、だったら商品補充くらいしとくべきだと思うんだ・・・このままじゃ、来る客も来なくなるぜ」

「へへ・・・実はな、仕入れようにもその原資がないんだ・・・ほとんどの問屋から現金前払いで決済を求められちゃってるからさ」

「なんだって?」


つまりは、信用に対する不安の噂が問屋にまで届いていることを意味していた。

銀行への返済と並ぶくらいの非常事態ではないか、これは。


「もう、本当にどうしようもないのか? ひょっとして、この店も抵当に取られているとか言わないよな?」

「いや、それだけは大丈夫だ」


周二は胸を張った。

店まで取られそうな最悪の事態まで考えてしまっていた博は、拍子抜けした。


「じゃぁ、いざとなったらこの店を売っちまう手もあるのか・・・この立地と広さなら、億単位だろうなぁ・・・」

「無責任にそんなこと言ってくれるなよ。この店は、江戸時代から守り続けてきたんだ。そう簡単に人手に渡せるわけなかろう」

「でもさ、売っ払わなくても、これを担保にカネ引き出してそれを元手にまた新しい事業を始めるとか・・・お前ならできるよ、きっと。いや、それよりも売り場をコンパクトにして、あとは貸事務所、貸店舗にするのも面白そうだな」

「面白そう、って何だよ、無責任だな、本当に。そんなご先祖様に申し訳ないことできないよ」


どん底の状況しか考えられなくなっていた博は、このどんでん返しに気分が高揚してくるのを感じていた。

周二の底抜けに楽観的な態度も「店と土地」という最強カードが残っていたからかと、その時は納得したのだったが。


「なぁ周二。明後日を乗り切ったら気持ちを切り替えて、今度こそこの店を盛り上げようぜ! 昔みたいに」

「昔みたいに、か」


周二は遠い目をした。

博は、綺羅(きら)びやかで賑やかだった、かつての越前屋百貨店の幻を目の前の陰気で殺風景な売り場に重ね合わせた。


「あの頃は、シーズンごとにおじちゃんがバンを運転して、街じゅうを宣伝して回ってたじゃないか」

「・・・そうだったなぁ。懐かしいなぁ」

「春物バーゲンはプロ野球中継のオープニング、夏のボーナスの時期はアントニオ猪木のテーマ、年末はプロレス中継のオープニング、それにおじちゃんのアナウンスを乗っけたテープをエンドレスで流してたな」

「そうそう、あのテープ、多分まだどっかに残っていると思う」

「プロレス関係の音楽が多かったなぁ」

「ああ、親父も爺さんもプロレスに夢中だったからな」

「それはオレも覚えてる・・・お前の『東京行ってきます』事件もそれ関係だったなぁ」

「くっだらねぇこと、覚えてるんだな」

「忘れるかよ!あんなオイシイ話」


博と周二が小学校の5年生の頃だったか。

周二が「東京に行きたい」と何度も両親におねだりしていた時期があった。


博たち地方の小学生にとって東京は、「8時だョ!全員集合」の渋谷公会堂があり、巨人軍の後楽園球場があり、ボクシングや格闘技の後楽園ホールがあり、コンサートの武道館もある憧れの地だった。

しかもちょうどその頃、東京ディズニーランドもオープンしている。


そして夢が叶って祖父と父親と3人で、東京に行くことになった。

周二は嬉しさのあまり得意げにクラス中に触れて回った・・・すでに何人かのクラスメートは東京に行ったこともある、その中で。


しかし土曜日に半ドンの学校が終わり帰宅すると昼食もそこそこに着替えさせられ、空港から空路東京へ。

夕暮れの羽田空港に着くと東京見物もせずに蔵前国技館に直行し、プロレス見物。


プロレスには興味のない周二はどんな内容だったか忘れてしまっているが、その時は大きな興行があり、祖父と父親は彼をダシに自分たちのためのプロレス観戦をしたのだった。

そして興行が終わると東京駅に直行し深夜の夜行列車で東京を離れ、新幹線など乗り継いで翌日日曜の昼に帰ってくるという強行軍をやってのけた。


後でそれを知ったクラスメートたちには大受けしたが、周二は元から興味がなかったプロレスがすっかり嫌いになってしまった。

だから、越前屋デパートの宣伝で流すプロレス関係の音楽も、どこか嫌っているふうだった。


「あのテープ、探してみろよ。そしてまたガンガン流すんだ!」

「やなこったい! だいたいあれ、(ハチ)トラだから再生できる機材がないぞ」

「なんだ。じゃぁ、CDはよ? BGMで『ランバダ』でも流そうぜ」

「・・・またつまらん話を持ち出して・・・よく覚えているなぁ」


高校の3年生の頃・・・時代はバブル景気のさなかにあったが、そんな浮かれた時代の中で流行ったのがラテン系の情熱的なダンス音楽の『ランバダ』だった。

そんなる夏の日、博は『ランバダ』のCDを手に入れた。


周二と示し合わせて、店内BGMのCDチェンジャーの中にそれを忍ばせた。

2階の家電コーナーで展示見本の大画面テレビの前で高校野球を観ながら、二人して「その時」を待ったのだ・・・。


・・・そして、宗次郎のオカリナの静かな落ち着いたメロディーが終わるや否や、アップテンポなラテンのリズムが店内に響き渡った。

誰もが一瞬、動きを止めた店内。


スピーカーは大通りに向けても設置されていたから、道行く人々にもそれは聴こえたはずだ。

店内でも固まったままの客やスタッフはいたが、大部分は無意識にリズムを取ったり、ウキウキ、ニヤニヤ、あるいはゲラゲラ笑った。


もちろん二人とも周二の両親やまだ健在だった祖父や売り場マネージャーにこっぴどく叱られたが、しかし罰として博から没収した『ランバダ』のCDを父親はひどく気に入ってしまった。

それからしばらくは、大売り出しセールのBGMとして多用されたりもしたのだ。


「あのCD、確かここに・・・」


周二はカウンター後ろの棚を探る。

博も一緒になって、棚から取り出したCDの箱の中を一枚一枚確かめる。


「出てきたら返してくれよ、元々オレんのだから」

「わかってるよ・・・あ、あった!」

「おお〜これこれ。本来の持ち主がほどんど自分で聴くことなく30年あまりの眠りを貪ってきたんだな・・・どうだ? かけてみるか?」


周二は一瞬考えるふうだったが、棚の横の店内オーディオの装置を確かめ始めた。

もう、10年か20年も使われることのなかった装置だ・・・ちゃんと動くのだろうか?


「うん、パイロットランプは点いた」


周二がスイッチやボタンを操作すると、店内のスピーカーから「ブー」と微かなノイズが響いた。

どうやら生きているようだ。


「CDを貸してくれ」


差し出された周二の手に、ケースから出したCDを渡す。

そしてCDがセットされ・・・。


薄暗くて薄ら寒い店内に響くパーカッション!

軽快なハンドネオンの音色、そしてそれに被さる、底力のある女性の歌声!


思わずメロディーに合わせて体を揺する博。

周二も陽気に笑いながら手足でリズムを取って、博に話しかける。


「いやぁ〜、やっぱりこれは名曲だなぁ」

「でもこれ、元々は失恋の歌なんだぜ」

「ああなるほど、道理で哀愁を感じさせるんだ」

「うん。でもあの頃はそんなこと思いもしなかった」

「そう、毎日が明るくて、希望に満ちていて・・・昔は・・・あの頃は、楽しかったなぁ・・・帰りたい、帰りたいよ、あの頃に」


その時、自動ドアが開いた。

年配の女性だった。


「あ、松野さん! お久しぶり」

「ちょうど通りかかったら昔の陽気な音楽が流れてるじゃない。久しぶりにちょっと買い物でもしようと思ってね」

「ありがとうございます! ごゆっくりお買い物どうぞ〜!」


またドアが開いた。

杖をついた男性。


「あ、渡辺さん! お元気でしたか?」

「元気なわけなかろうが! 病院の帰りじゃい! 賑やかだから寄ってみたんだ」


またドアが開いた。

それからも、散発的にお客がやって来た。


「うん、なんだかまた再起動できそうな気がしてきた!・・・まだこの店を必要としてくれるお客さんがいるんだし」


顔を少しばかり紅くして、周二は博に宣言するように言った。

博も、彼ならやれると、その時は思った。


・・・


週が明けて月曜の朝、山奥の林道で車が焼ける火事があったとローカルニュースで報じていた。

まだその時は、まさか周二がおばちゃんとタケボーを道連れに心中したなどとは露ほども思わなかった。


妻からの電話で、周二の自殺を知ったのは夕方になってからだった。

博はそれを、全く信じられなかった。


仕事帰りに車を越前屋百貨店の前に停めると、真っ暗な店の入口にいくつかの花束が手向けてあった。

つい2日前、真夏の太陽の下で『ランバダ』が流れていたはずの店先に。


地元の噂を総合すると、周二は銀行への返済が不可能だと悲観して事に及んだものらしい。

それは一日金策に駆けずり回った末にどうしようもなく追い詰められての突発的なものだったのか、それとも前日に博と談笑し再起を宣言しながらも腹は決まっていたのか、そこまでは分からない。


ひょっとしたら・・・むかし博たちが子供だった頃・・・ガンが不治の病と恐れられていた時代、現代(いま)だったら取るに取らない程度のガンでも、告知されると先行きを悲観して自殺する人がかなりの数で存在した。

周二は「いずれ逃れられない」資金枯渇の日を悲観して、まだ望みはある段階でこの世から逃げてしまったのかもしれない。


いずれにせよ、周二は資産を持ちながら目先の資金繰りに追われた末に、しなくてもいい自殺をしてしまったのだ。

しかも何の罪もない二人を道連れに・・・これは殺人ではないか。


そう、殺人・・・。

検死の結果、車が燃えていたときにおばちゃんとタケボーは瀕死の状態だったかすでに死んでいたことが明らかになった。


「被疑者死亡のまま書類送検」・・・周二はその死後に罪人としての汚名を背負うことになった。

あれほど大事にしていた暖簾を捨てて、そして罪を背負ってまでして彼は本当に無意味な行為に走ってしまった。


しかも周二の心中は、残された博の心にも深い傷を残した。

店の常連客をはじめとした地域コミュニティにも。


周二の自殺が無意味であった証拠に、残された親族である年一は負債も含めてすべてを相続し、土地を建物ごと売却してしまった。

土地の価値だけではるかに「お釣り」が来るような資産超過の状態であったのは疑いがないが、結果として老舗の商家は周二の代で消え失せてしまった。


しかも年一は店が持っていた債権・・・ツケで売った代金を法律事務所を使って徹底的に回収しようとし、その結果として夜逃げや自殺者を生み出した。

個別に見るとほとんどが回収にかかる費用のほうが上回る債権だったようだが、それでも法的手段によって残さず取ろうというところに、周二が「サイコパス」と呼んだ年一の執念が感じられた。


その年一の冷血ぶりは、死んだ3人の葬儀を執り行わなかったところにも表れていた。

あまつさえ江戸時代から続く一族の墓まで閉じてしまって、街のビルの中にある寺院の永代供養にまとめて任せてしまったらしい。


残されたのは周二たち3人だけでなく、ひょっとしたら他にも誰かしら、何かしらの怨念が籠もっていそうな土地。

工事が遅々として進まず、更地のままの土地。


それを覗き見る博の耳に、あの時の「ランバダ」の哀調を帯びた調べが蘇ってきた。

あのとき言ってた「再起動できそうな気がしてきた」なんて、嘘だったのかよ・・・。


・・・いや、メロディーは幻ではなかった。

確かに更地の黒ぐろとした地面の下から、湧き上がるように聴こえてくる。


メロディーと一緒に薄青い光が霧か煙のように浮かび上がっていた。

ハッとして地面を凝視する。


その耳に、どこか遠くから風に乗ってアントニオ猪木の『炎のファイター』が聴こえてきた。

目を地面から離して通りを見ると、向こうの方から青白い光をまとったバンがゆっくりとやって来るところだった。


音楽に乗せて盆提灯などお盆用品、夏物衣料、お中元などセールの宣伝。

越前屋百貨店がちゃんと町の百貨店として在った時代の、威勢のいいアナウンス。


人通りも車の往来もなく風だけが吹き抜ける表通りを、だんだんバンが近づいてくる。

よく見ると、運転席に周二、助手席におばちゃん、後部座席にタケボー。


3人とも、青い光の中でうつろな目をして遠くを見ている。

博は両手をおおきく振りながら駆け寄ろうとするが、金縛りに遭って足が動かない。


そのままバンは『炎のファイター』とともに滑るように目の前を通り過ぎ、そして去っていった。

そしてようやく博の金縛りが解ける頃には、青い炎のようにチロチロと揺らぎながら通りの果まで行ってしまっていた。


「バカヤロー!」


博は声の限り、その炎に向かって叫ぶしかなかった。

帰り道をすっかり見失ってしまって成仏できない3人を乗せたまま彷徨い続けるバンは、やがて見えなくなった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 寂れゆく地方都市の生々しい感じがリアルでした。本作では一貫して悪役として扱われている年一も、(医者という社会的地位では周囲に不信がられるリスクもあるにも関わらず)ここまでするからには相当な…
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