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優しくないです



「…………暑い」


誰も居ない執務室で、パスの口から思わず言葉が出てしまう。

夏の日差しが照りつけ、アネモネ領の屋敷はサウナのように蒸されていた。窓は全開で開けてるのに、風たちは人見知りなのか入ってこようとしなかった。


「ふぅ……」


机に置いてある布切れで額の汗を拭う。

ハンカチなんて高価な物じゃない。ただの布切れ。それでもパスには十分だった。


「よし! もうひと頑張りしよう」


自分を奮い立たせるように言うと、書類に目を通した。

そこに書いてある内容に、パスの顔はほころぶ。



今、アネモネ領は急速に活気を取り戻していた。

新たに開墾を始めた畑や、植えたばかりの果樹が実りをもたらすには、2年から3年はかかるだろう。だがそれは、3年先には今よりもっと良くなっているという事。

さらに牛も数頭仕入れ、牧場も作ることが出来た。


これらを可能にしたのは、完全にベコニア商会のおかげだった。


「どうして、こんなに良くしてくれるんだろう?」


そう疑問に思えるほど、ベコニア商会の対応は破格のものだった。

まず取引だが、通常は一年に一度行われるものだ。ところが、ベコニア商会は夏までに注文があれば、秋までに届けるという。しかも、売るだけでも買うだけでも構わない、と。


そんな事は、普通の商会には真似出来ない。なぜなら、荷台に空きを作るのは、損でしかないからだ。



それを可能にしてるベコニア商会は、ある意味で異質な存在だ。

常に2人1組以上で行動し、盗賊や山賊に襲われることも滅多にない。その理由は、彼らが戦闘のエキスパートだったからだ。

その辺にいる盗賊や山賊など、簡単に返り討ちにしてしまう凄腕集団。


そんな彼らは自分たちの利点を活かし、各地に倉庫を持って物流を支配していた。

だからこそ、空荷で走り続けることはなく、常にどこかしらの荷物を積んで走ることが出来た。


「何か恩返しが出来るといいのにな」


パスは知らない。気づくこともない。

そのベコニア商会は、少しだけ怖い面を持ってることに。



ベコニア夫妻とパスの3人でアネモネ領へ来た時、馬車に積まれた複数の樽の1つは空だった。そして、帰る時には成人男性1人分の重量が増えていた。

その積荷こそ、かつてアネモネ領でグールと名乗ったゴミだった。

そのゴミの受け取りも兼ねて、彼らはアネモネ領を訪れていた。


もちろん、そのゴミの売却先はペンタス商会である。アイビーが伝えるよりも早く、ペンタス商会は事態を把握していたのだ。そしてペンタス商会の商会長直々に依頼があった。それこそが、ベコニア商会が表向きには行ってない、お得意様だけの特別サービスだった。



ゆえに、ローランド地方に住む人々は、ほとんどが知らずに生活している。

かつてベコニア商会がミッドランドにて、『疾風』の名で各地の戦場を転戦し続けた伝説の傭兵団だという事を。なぜなら、そんな事を知ってるのは、ほんの一握りだけで充分なのだから。



そんな相手と取引してるとは夢にも思わないパスは、領民のことだけを考えていた。

漠然と未来は明るいものに見え、頑張ることも苦には感じない。


きっと明日は、今より良いものだと。


だが、そんな気持ちを踏み躙るように、時代はパスに優しくなかった。




ドタドタした足音と共に、勢いよく扉が開けられた。


「一大事だ!」


慌てて入ってきたのは、老人のルートだった。


「何事ですか?」


「パスよ。戦争だ。ついに西パキラが軍を起こした!」


「…………そうですか」


それは予想通り。戦争になることは、誰の目から見ても明らかだった。


「それだけじゃない。予想通り主力は南回りで東パキラ領を目指しているが…………別働隊がこの地に向けて出発しておる」


「なっ………か、数は?」


「おおよそ、3000人だ」


それは絶望的な数だった。

駐屯してる東パキラの兵士200人、アネモネ領の領兵200人、足しても400人。どう足掻いても勝算は無かった。

執務室に充満する熱せられた空気は、緊張で張り詰めていた。そこへ別の男が入ってきた。


「お取り込み中すまない。悪いが俺たちはこの地を去る。これも命令だ。恨まないでくれ」


そう言ったのは、東パキラ領の部隊長だった。


「そ、そんな困ります!」


パスの声は自然と大きくなった。


「悪いとは思ってる。だが、俺たちも命令に逆らう訳にはいかないんだ。せめて、俺たちが作りかけてる防衛陣地は残してある。それをどうするかは任せる」


「なッ……ま、待って下さい!」


引き留めようとするパスだったが、部隊長はそれ以上は語らず、黙って去っていった。


「パスよ。どうする?」


ルートに訊かれても、パスは戦争についてなど素人もいいところだった。


「すみません。馬を一頭お借りしてもいいですか?」


アネモネ領において、馬は超高級品だった。気軽に使えるものではない。それでも、ここが使いところだとパスは思った。


「それは良いが、どうするんだ。降伏しに行くのか?」


「いいえ。東パキラ領の領主に直訴してきます」


パスの頭に降伏は無かった。

その理由は、カルミアが降伏すら許されず、滅亡させられていたからだった。


「そうか……」


「すみません。貴重な馬を潰してしまうかもしれません」


「なに、気にするな……」


その言葉を背に受けとめながら、パスは走り出した。

急ぎ厩舎へ行き馬に跨る。それはカルミアで生活してた頃以来だった。この地に嫁いでくるとき、パスに懐いていた馬。既に高齢であったが、パスのことを覚えていたのだろう。

軽く嘶くと、パスの意に沿って走り出した。



そしてパスはすぐに東パキラの兵士たちを追い抜く。彼らのことを見向きもぜす、颯爽と走り抜けて行った。

だから、気づかない。

東パキラ領の兵士たちが、皆悔しそうに顔を歪めていたことや、パスに気づいた部隊長が、本当にすまなそうに頭を下げていた事を。


だが、それも当然かもしれない。

今のパスにゆとりは無かったのだ。


「嫌だ……誰も、誰も死なせなくない」


アネモネ領に来てから、嫌な思いをしたことは沢山ある。

アネモネ領に嫌な人だっていた。


それでも、トムやジョエルはもちろん、大勢のいい人がこの地には居るのだ。



ふと、その時パスの脳裏によぎったのは、カルミアが滅亡したと聞いて、居ても立っても居られなくて、カルミアの地へ戻った時の記憶。

この世の終わりとも思えた悲惨な光景だ。


「私の所為だ…………全部、何もかも私の所為だ」


パスは自分を責めていた。

せっかくベコニアが教えてくれたのに。

防衛で大切なのは外交だと。


それなのに、東パキラ領の領主と面談する事も、西パキラ領の領主と面談する事もしてこなかった。


「全部……全部、私が悪い」


パスは自分を責め続けていた。



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