その7 世界の果ての景色
その7 世界の果ての景色
ぼんやりした魔力の壁を透かして見えるのは、ただの暗闇じゃない。あの外側は、竜の胃酸の海で、竜酸の雨が降っている。つまりは、僕らにとっての死の世界だ。そしてレクアは死の世界に漂う小さな浮島のような世界で、その先端に僕は今立っている。
「島の中心部から歩いて一時間の世界の果てか」
それでも一番遠い場所だ。はしからはしまで最長で10kmくらい、最短なら6kmくらいの小さな国土。これがレクアの全てだ。
イベント部門にいた時の資料を思いだせば、東京ドームが約5haだったはずだ。だから、おおよそ60平方kmつまり6000haのレクアの国土は
「東京ドーム1200個分ということ、かな」
「は?……あの、モーリ様?」
肩先でそろえられた銀の髪が風になびく。だけど、肩から下は、いや、僕にとってはむき出しの肩だってかなり煽情的なんだけど。普段着からもう、僕からすれば半裸です。
「そんなかわいい表情をしたら、とても軍人さんには見えませんね、シャルネさん」
普段はきつめの表情なのに、こんな時はとても少女ッポイ。
「……おからかいになるのはおやめください」
そんな顔はすぐに消えて、また謹厳な軍人さん戻ってしまう。失敗したな。僕なんかがうかつに褒めても若い女性から喜ばれるわけないのに。
「わたくしは英士です。お国のために戦う、一介の魔族に過ぎません」
「すみません。でもからかったりしてませんよ。シャルネさんが立派な隊長さんだって知ってますから」
だけどシャルネさんはとても困った顔を向ける。
「立派な隊長は、事情を聴かなければならぬ相手を、こんなところに案内いたしません」
「……すみません、気にしてますよね」
でも、家の中でシャルネさんと話すには、エスリーの機嫌が悪すぎて、僕は逃げるように外に出たんだ。エスリーの剣幕は、シャルネさんも僕との逃亡を同意せざるを得ないレベルだった。
「でも……見たかったんだ。この世界の姿を、この目で」
光壁が遮ってるのに、風が酸っぱい臭いを運んできて、むせるような場所だけど。
「……もうよろしいですか?」
「はい」
もちろんこれが全てというわけじゃない。僕はこの世界をなにも知らない。他にも知らなきゃいけないことがたくさんある。
「……モーリ様。では、そろそろお聞きしてもよろしいですか」
「はい。シャルネさんになら、全てお話します」
なんでだろう?僕は、この世界に来てから出会った人を疑えない。いや、フレダンさんとかは違うけど、アルビエラ母さんもシャルネさんも、見てすぐ信じてしまっている。
天使さんのお告げって、こういうことなのかな?だけど……うん、大丈夫。ここに来るまで見た、わずかな景色だけでも僕に教えてくれる。街に人通りはほとんどなく、店という店には品数も活気もない。見かけたわずかばかりの人は、みんなやつれた顔に粗末な服で。一人だけ見た子どもは、妙に白くて細くて、今にも死にそうだった。
「もうためらってる時間はありませんから」
残された土地を全て農地にしても、狭い国土には限界がある。レクアの国土60平方kmとは、世界最小のバチカンなんかより大きいけど下から5番目くらいのサンマリノとほぼ同じだ。しかし、同じ都市国家でくくれば、古代ギリシアのアテネやスパルタなんかよりずっと小さい。
そして、この国土で食料そのほかを自給するには、およそ1万人の人口は多い。日照権どころか日光がない。こんな中で植物が育つのは、日中のわずかな時間に光壁の光度をあげてるかららしいけど、米や小麦はつくれない。ここに来る途中の農地で僕が見たのは、あれは多分じゃがいもだ。食料生産部門だかで見た資料によれば、じゃがいもはアイスランドみたいな北極圏で火山性の土壌でも二期作、三期作できる優秀な作物だ。後はエンバクに……最近じゃオーツ麦って言った方がわかるのかな?……ライ麦なんかがチラホラ。混合農業とかノーフフォーク農法とかはどうなんだろう?連作障害はないんだろうか?どちらにしても、集約的な農業は不可欠だ……元老院の人たち、どこまで手をつけてるんだろう?
そして、魔力の不足に、昨夜の怪獣さわぎ。もう「世界の終わりは近い」。
「モーリ様?」
「あ、すみません。考え事しちゃって」
僕は、考えを整理して、そしてシャルネさんに向き合った。
「これからお話ししますけど」
生真面目で初々しい新入社員みたいなシャルネさんだけど、この世界では立派な軍人さんだ。僕は最後の瞬間で迷ってしまった。つまり、全部話すことは僕の責任逃れにならないか?全て教えることで、もしそれを信じてくれたとすれば彼女を追い詰めることにならないのか?そういう迷いだ。一人で秘密を抱えることの辛さから逃げるためにシャルネさんに打ち明けて、そのせいで真面目な彼女を苦しませはしないか……。
「こら!言っただろ?キミ」
そうでした。この声は幻聴だけど、昨夜聞いた通りだ。僕のメンタルはとても弱い。今の僕は、人に甘えて頼らないと、夜も眠れないし生きてもいけない。誰にも頼らず一人で耐えることなんかムリムリ。情けないけど。
「……だけどシャルネさん。聞きたくない部分はちゃんと耳をふさいでくださいね」
これが最後のブレーキだけど、きっと生真面目なシャルネさんには難しいだろうな。僕は彼女を信じたいし、だから巻き込むことにした。僕はひどいヤツだね。
どこから話そうか?少しだけ迷って、僕は湖底で目覚めたところから始めることにした。12人の、かつて魔王だった者たちの体を少しずつもらいつなぎ合わせてつくった人造人間。西行法師の反魂術も真っ青なクリーチャー、それが僕の体だ。この世界にフレッシュゴーレムとかの概念があれば、絶対そう思われるけど、まあ、いいや。アンデッドじゃないみたいだし、ママは僕を愛してくれた。たったひと時だったけど、それだけでよしとできる。
湖岸に上がって、シャルネさんたちが竜酸菌と戦うところまで、一気に話した。
シャルネさんは、まるでちくわぶを食べさせられた前世の僕みたいな顔をしてた。僕、あのぐにゃってした食感と味のなさが苦手で、飲み込めないんだよね……。
「……愚鈍なわたくしめには到底理解できないお話ではありますが」
「あー……すみません、シャルネさんを困らせるために話したんじゃないんです。だからそんな顔しないでください。なんなら聞かなかったことにしてもいいですし」
「いえ、ただ、その……理解しがたい箇所はあるものの、疑問に思っていたことはほぼ解明されてしまいます……その、モーリ様の巨大な魔力とか、アルビエラ様の魔王斑とか、守護妖精が従属することなどは、むしろこのくらいのことでなければ説明つきがたいことでしたので……しかしながら……う~……人造人間?12代の魔王様の……う~……」
「あー……だから、そんなにうならないでください」
……きれいなお顔がダイナシですよ、とは、思っても言えない僕ですけど。結局僕たちは国の先端で「あ~」とか「う~」とかしばらく唸り合っていた。
「つまり、モーリ様は次代の魔王となるべきお方なのでしょうか?」
「そんなこと、ママ、アルビエラ母さんにも言われてませんし、違うんじゃないかな?むしろ僕はかなり自由にやっていいみたいだし……」
そしてこの世界を救って、僕も幸せになる。そう願われている。どっちも難しそうだ。
「だから、あの、イシャナという女の子が次の魔王になりたいんなら、僕は何も言いませんよ」
暴君になるとか、僕を敵視するとか、そういうのがない限りは応援だってする。何かとエラソーな子だったけど、先代魔王の養女さんってことは、それなり見込まれてるはずだし、帝王学とかだって教わってるはずだ。僕なんかよりよほどふさわしい。
「……しかし、イシャナ様の魔王就任は、3年後なのです」
「元老院の決定でしたよね」
「はい」
国のために魔力を捧げる魔王の治世は短い。まして、元老のほとんどが真祖以来ずっと在任とあれば、権力闘争があったとしても明らかに後者が有利だろう。今では次期魔王の就任すら、事実上の延期ができるくらいに、いや、再考を促すくらいになっている。
「でも、レクアの現状は、その3年持つんですか?」
「……わたくしめにはお答えできません」
軍人さんらしい、スキのない答えだけど、普通は僕を捕まえて終わりの話だから充分配慮はしてくれてるって思う。
「ところで、もう一つ、その……」
「はい?」
「個人的なことをお聞きしてもよろしいですか?」
「どうぞ?」
なんだろう?絶望的な戦場で戦ってた時だって、こんなに気弱そうじゃなかったのに?
「なぜ、あの時……わたくしの元に走ってきたのですか?」
あの時っていつだろう?
「竜酸菌の炎に包まれて、焼かれながら、モーリ様はわたくしの元まで駆け続けて……そのモーリ様をお助けするためにエスリー様が現れたのです」
「ああ、あの時」
情けなくも恥ずかしい。僕は黒い影の言う通り犬死してもおかしくなかった。
「モーリ様が来てくださらなければ、わたくしはあの時死んでいたのです」
「ほんとよかったです。シャルネさんが助かって」
「で、ですから、わたくしにとって、モーリ様は命の恩人なのです」
「……違いますよ」
「ですが」
「あなたを助けたのはエスリーです、僕は勝手に走って勝手に死にかけただけで」
こんな情けないことはない。できれば前世のことみたいに忘れてしまいたいくらい。
「ですが!」
突然大きな声をだされて、僕はびっくりです。
「モーリ様が来てくださらなければ、エスリー様が光球をはることもなかったはずです。ですからモーリ様のおかげなのです!」
「そ、それはよかったですね」
まわりまわって、そういう見方もあるかもしれないけれど、僕が無力なことに変わりはない。シャルネさんが助かってよかったって思うけど、あれは偶然。人に自慢できることじゃない。
「ですから……その、お聞きしているのです」
「ああ、なんでしたっけ?」
「モーリ様はなぜわたくしの元に来てくださったのですか!?」
そんな力をいれて聞くことだろうか?シャルネさん、肩がガチガチ。
「そりゃシャルネさんに死んでほしくなかったからです。あの時もそう言いましたよね?」
「……はい。こんなところで死んではいけない、と」
「もしも僕が兵士なら、あなたみたいな強くて優秀で部下思いの隊長の元で死にたいです」
死なないのが一番だけどさ。僕の、わずかに残った前世の経験が言わせてる。
「それくらい、シャルネさんはいい上司です。そんな人は簡単に死なせたらいけないんです」
なんだけど……シャルネさん、急に肩から力が抜けていくんだけど?僕、すごい褒めてるんだけどな。
「……上司……隊長……はい。そうですよね。わたくしは一介の兵士ですから……ハハハ」
なんでこんなにウツロに笑うんだろう?
「ハハハハ……はあ」
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません」
なにかを振り払うようなシャルネさんだけど、そのあとはまたいつもの軍人さんに戻った気がする。ほっとした。
「モーリ様。お話は理解……したかは自信ありませんが、確かに伺いました。ただ、裏付けをとるために、ご協力お願いしたいのです」
へ~けっこうトンデモなことを言ってたんだけど、信じてくれたんだ。さすがファンタジーなお国だね。それともシャルネさんが特別なのかも。
「それは、もちろん」
「それではこれから英士の駐屯所においでいただきます」
英士というのは、シャルネさんが率いてる魔族の精鋭部隊だ。そして魔族というのは僕が知る限り全員女性だった。少し抵抗を感じる。
「やっぱり?尋問とか……拷問とか?」
「さあ、どうでしょうか?」
シャルさんは機嫌が悪いのか、彼女には似合わない意地悪い笑み浮かべてた。なんで?
「これがアルビエラ様の花章なのですね……きれいな薄桃色です!」
魔族の少女たちは、半裸が基本らしい。そんな格好の、前世で言えば中高生あたりの年代の娘さんたちが、僕の右腕に群がってきます。あ、そこ、あたってます!すごい背徳感です……これって魔族の宴?
資源、特に繊維不足で年若い魔族は胸と腰を隠すだけの衣服が一般的ということは、もう少し後で知ることだった。
「あ~!これ、リリエラ様の花押じゃない?」
リリエラちゃんは、幼くして魔王となり、すぐに大災害で魔力を使い切ってしまって、だから花押、つまりサインはとても簡単なものだったらしい。ここにいるのは、シャルネさんの部下たちの中でも、魔王の有職故実に詳しい子たちらしく、すぐ判別された。
「ほんとだ!?ねえねえ、みんなも見て~」
ぐほ……今度は僕の左上腕部に集まる少女たち。むきだしの僕の腕に、肩に、胸にお腹にいろいろあたってます!
「こほん。みんな、落ち着きなさい、モーリ様がお困りです」
少し離れた場所で、若い魔族たちをたしなめたのはシャルネさんだ。心強いけど、でも、そもそもここに連れてきたのは彼女だしなあ。
「でおでもぉ~シャルネ隊長ぉ、よく見ないと魔王斑を確認できませんよぉ~」
「そぉで~す!これは厳正で魔術的な調査活動なのでぇ~す!」
「せっかく隊長が連れてきたんだから、この機会を大事にしないといけないよね」
そう。僕がシャルネさんに協力してるのは、僕の魔王斑、つまり魔王さんたちの信任を得た証を見てもらうための魔術的な鑑定だ。それが僕の話を裏付ける、というのは、まあ、正論だと思う。だけど……調査のためとはいえ、下帯一枚になるとは予想外だった。しかも調べるのが、全員若い……若すぎる魔族さんたち。魔族って、なんかかわいいよね。ツノとか翼とか、尻尾とか。
「あ~!」
「なになに?」
「このオスビト、器官の形状を変化させたよ~」
「これって、攻撃的な器官なのかな?」
「……こほん。その器官に害はありません。いえ、ある意味有害ではありますが」
シャルネさんの顔が赤い。目をそらされてる。いえいえ、ちゃんと下帯はつけてるし、でも、これって不可抗力で!拘束こそされてないけど、こんだけ密集されたら手足を動かすだけで、いろいろ当たっちゃうし、隠せないだけです……。対象が若過ぎなのは、僕のせいじゃないけど……うう、罪悪感。そして、その「器官」の近くが少しうずきだしちゃう。
「これ……まさか!」
「緑青の七つ星!?」
「ああ、ルビルエラ様!こんなところに!」
近い近い!鼻息熱い!ルビルエラさんは比較的最近の、先々代の魔王さんで、何より、その男前な容姿で今でも絵姿は一番人気らしい。女性だけど。
「一人の体に3つの魔王斑……隊長、これは事件です!」
そんなにくっつかないで!事案とか事件とか、その言葉も前世の僕の常識を刺激します!
「……そうですけど……ジナ、落ち着いてもっと調べてください」
「ええ?これ、本物ですよ!」
「そうではなく……モーリ様には、もっと多くの魔王斑が刻まれている可能性があるのです」
まあ、理論上は12個。だけど僕と会ってはっきり認めてくれた魔王は3人だけだから、3つしかないかもしれない。
「そういわれると、あやしいけどこれも?」
「これ、ぼやけてるけど~」
「これもじゃない?」
そんなにないと思うけど……最終的に魔王斑かもしれない痕跡は13個あった。絶対に違うのが交じってると思う。でも魔術的鑑定の専門家もそれなりに可能性を保証してた。
「13?」
「隊長、でも、これ、可能性あるやつ全部足して13だから、全部が魔王斑になるとは限らないです。ただ、もう顕現してるのは3つ。これは確定ですよ」
「6代リリエラ様、8代アルビエラ様、11代ルビウエラ様……」
「隊長~まさか、あのオスビトって……」
「……みんな、この件は口外禁止です」
魔王が不在の今、僕がそうなる可能性なんて重要機密そのものだよね。
「わかってますよ、シャルネ隊長」
「わたしたち、みんな隊長を応援してます!」
「この機会をにがしたらダメですよ、隊長~」
「あなたたち、何か誤解してませんか?」
「いいえ~」
「隊長、とっくに期限切れですし」
「でも、隊長、すごっくきれいだし大丈夫です!」
「あなたたちねえ……もう、頭が痛いです」
……よくわからないけど、シャルネさんは、部下とのジェネレーションギャップに悩んでるみたいだ。前世でもあったなあ。僕も上の世代のビジネス用語はわからないし、下の世代の若者言葉も苦手だった。僕からすれば若いシャルネさんだけど、あの部下の兵士さんたちはほとんど中高生だからね。……あんな女の子を兵士にして、怪獣と戦わせるなんて、この世界はブラックだな。僕はまずます憂鬱になって、検査を終えた。
そして……検査の後、シャルネさんに話したんだ。
「イシャナさんに会ってみたいんですけど」って。
先代魔王の養女さんで次代の魔王候補さんに、僕は会わなければいけないと思ったんだ。