幕間 さようならの後の言葉
幕間 さようならの後の言葉
見上げれば、果てしなく、そして怖いくらいに透き通って青い空がある。足元にはフワフワしてる白い雲がどこまでも続いている。
「随分久しぶりだな……天使さん、いるんですよね」
ここは天界。少なくても僕がそう思ってる場所だ。そしてここには管理者がいる。
「まあね。随分会ってないからキミはもうボクのことは忘れたと思ってたよ」
「まさか」
正直言えば、天使さんの顔や声が少し怪しくなっていた。でもこうして見ればもう大丈夫。
「……忘れたっていいんだよ。ここでの記憶はそういうモノなんだから。むしろいつまでも覚えていちゃいけないんだ」
振り向けば、いつも通りの天使さんが浮かんでる。背中の白い翼がパタパタ。頭の上の金のワッカ。以前と変わらないその顔がどこか寂しそうに見えるのは僕の気のせいなのか?
「ついさっき、僕は無味乾燥な記憶なんかより、思い出が大事だあなんて恥ずかしいことを言ったばかりでして」
「あーアレね、ボクも聞いてたけど、確かにアレは恥ずかしいね」
「わ~わ~」
「でも、まあよかったじゃないか。キミは本気でぶつかって、そしてアイツを救ったんだ」
救ったのか?あれ、救ったって言えるのか?いや、あんなヤツ、救っていいのか?
「いいんじゃないか?アレでアイツも転生できる……まーボクは今度は担当外だからどうでもいいんだけどね」
「なんてドライな天使さん」
「いやいや、ボクは自分に関わらない範囲でなら、アイツが幸せになってもいいやって思うくらい寛大だよ?」
……アイツはレクアが胃世界に飲み込まれる原因をつくったヤツで、その後はリエラさんの足を引っ張って、今になってまたレクアを滅ぼしかねない愚行に走った大バカ野郎だ。そんなヤツの転生を反対しないのは、寛大と言っていいのかも。
「なに言ってるんだい?一番アイツを嫌ってるキミが許したんじゃないか」
そうなのか?僕の妖精たちを奪って、胃世界を征服したり、その結果レクアを滅ぼすはずのアイツ、鬼王。でも、アイツはきっと僕だ。誰にも出会えず自分の愚かさに気づく機会も持てず、ただ、周りを呪うだけの僕だ。そう、僕がアイツになっても不思議じゃなかった。
「まーやったことは間違いなく地獄行なんだけねえ。でも父なる神は寛容と慈愛を大切にする存在だから、将来性がある魂には更生の機会を与えるべきなんだってさ」
その後も天使さんは、地獄云々は人界の都合で誇張され過ぎてるとか、いろいろ聞いちゃいけないことを言っては僕を困らせた。
だけど、天使さんは生き生きしてる。その姿を僕は今度こそ忘れないように胸に焼き付けた……そういえば、天使さんて、オネエサンにちょっと似てる。
「ん~……こらこら、キミはシスコンまでこじらせたのかい?」
わ、考え読まれた!
「ロリコンにマザコンにシスコンまで。まったくキミの嗜好は幅広いね。でも僕をキミの歪んだ性愛の対象にしないでくれ」
「誤解です!だいたい僕はロリコンでもシスコンでもありません!」
「マザコンは否定しないんだ?それ一番女子に嫌われるヤツだけど」
そうなのか?でもまあ、嫁姑問題とかあるし、そうなのかも。
「あーキミの生い立ちを考えればマザコンは仕方ない。ボクは別にせめてる訳じゃないぞ。それにまあ、キミはマザコンでもマザコン男子じゃないからマシなほうさ」
マザコンとマザコン男子の違いってなに?僕には難しい、そんな話がまたしばらく続いて。
「ふう」
天使さんは一つ、息をついだ。そこでようやく僕は口をはさんだんだ。
「……なにか話があるんですね」
って。天使さんにしては今日は穏やかで、話が長くて、僕はその間、天使さんの姿も声ももう忘れないようにって焼き付けてたんだけど。
「さすがにバレたか」
「はい……鈍い僕にもわかるくらい」
「そうか」
高い空を背景に、白い雲を絨毯に、天使さんは小さい体で胸をはった。
「……キミの転生作業はこれで終わり。これでキミは完全にあの狭苦しくも暗い世界で生きていく」
あの鬼王との対決を通して、僕はあの暗くて臭くて窮屈な3K世界を僕の居場所って感じることができた。それが転生作業の終わりってことなのか。
「だからもう、キミがここに来ることはないし……」
「天使さんに会うこともないんですか?」
「そういうことさ。キミ、頑張ったね」
……頑張ってなんかいない。僕はただ必死だっただけ。エスリーたちを取り戻したくて、レクアでお世話になったみんなが暮らしやすくなるようにって、そして僕の子どもの頃の小さな夢をあそこで実現できたらいいなって。前世と比べたら、ビールもないしオフロもなかったけど、それでもストレスはそこまでじゃなかったし。
「……キミねえ。キミはストレスに耐えることが努力って、随分間違った方向に頑張ってたんだね」
反論できません。
「じゃあ、今度は素直に受け取りたまえ。キミはあそこで頑張って、ついに自分の居場所をつかんだんだよ」
「天使さん……」
僕の視界の天使さんの姿がにじむ。
「よくやったぞ、キミ」
声は出せない。今、声を出せば、その時僕は……
「泣いていいんだ。頑張って報われた。だからキミは泣いてもいいんだ」
天使さんの小さな腕が僕を包む。その翼も。
「今日でボクたちはお別れだ。でもそれはいいことなんだぞ。おめでとう、キミ」
僕は天使さんの胸に中で泣いた。天使さんは僕が泣き止むまで抱きしめてくれた。
「こら、キミ!ぺったんこって思ってたろ!ボクには性別も年齢もないんだからね!」
泣き止んだ僕は、ちょっと叱られたけど。
「もう行くのかい?」
「はい。あんまり居たら、天使さんと離れられなくなりますから」
前世で死んだ僕を迎えに来てくれた天使さん。あのとき、その姿を見たとき僕はもう救われていたんだな。
「ふん、このロリコン」
「年齢も性別もないって言ったくせに」
「うるさいなあ。細かいことを気にする男はもてないんだぞ」
確かに、もてたことなんかないけど、このせいだったの?なんて考えながら僕は雲の切れ目に向かっていった。
「あれ、いいのかい、僕が突き落とさなくて」
そう言えばそうだったな。今までは天使さんに落っことされてたっけ。でも。
「もう大丈夫です。だって、向かうのは、もう僕の故郷ですから」
自分で行かなきゃ。だから振り向いて、天使さんに向かって言う。
「ありがとうございました、天使さん。おかげで僕、ちゃんと生まれ変われました」
ちゃんと笑えたかな。さっきは泣いちゃったからな。
「……うん、さようなら。また会おうじゃないからね」
微笑む天使さんに手を振って、僕は雲の切れ目から飛び降りた。風切り音がすごかった。
「……んね」
「え?」
だから、最後に漏れ聞こえた天使さんの声がよく聞き取れなかった。




