第4章 その5 降りてきた悪夢(ナイトメア)
第4章 その5 降りてきた悪夢
エムリアさんが置いていった、お椀と水差し。どちらも素焼きの陶器製で、お椀の中は雑穀の粥だ。味気のない、いつもの朝食。彼女が来るのはきっと光壁を強化する朝なんだろう。僕はその時間を0500と仮称することにした。それを起点に一日を組み立てる。
それから僕は食事を始めた。煮込みが足りないのか硬くて、味付けもないエン麦をかみ砕き、水で流し込む。前世じゃあオートミールって人気食品だったみたいだけど、この胃世界の雑穀粥は、ただのおいしくない主食だ。香辛料もミルクも塩すらない現状だけど、脱穀や煮込み方をちゃんとするだけで、もう少しおいしくなると思うんだけどなあ。
その後は散歩もできない狭さの部屋で、僕は運動することにした。体もあちこち凝りまくってもいて、心身ともに不健康なうえ、時々さっきのエムリアさんを思い出して・・・・・・このままじゃあ気が滅入って死にそうだった。
その場でジャンプして、体をひねって前屈後屈・・・・・・ああ、なんだか前世を思い出す。そのまま寝台の上でストレッチ。で、久しぶりに眠ることにした。仮称0630はテキトー設定だけど多分まだ朝。ああ、二度寝ができる。前世じゃできなかった、憧れの二度寝。そう思えば贅沢だね。僕のこういうところは、ホント、レクア向きの人材だって思うけど。
そう。ここに来てから、僕は眠らないようにしていた。恐いからだ。一人で寝てる時に、また悪夢や悪霊、淫魔なんかが襲ってくるのが恐い。サ・・・・・・については、恐いだけでもないけど。
いつもならエスリーが一緒に寝てくれて、悪夢たちの襲撃から守ってくれていた。
でも、今は一人で軟禁されてる身だ。寝るしかなにもできないような待遇で、恐くて眠れない。そんな数日だった。
なのに、運動したせいか?エムリアさんに魔力をいつも以上に持って行かれたせいか?いや、彼女の相手で疲れたのが一番大きいんじゃないか?
そんなこんなで、けっこう眠い。一度眠気を意識すると、あとはウソのように意識が沈んでいく。まあ、精霊も入ってこられないんだから、悪霊も来られないんだろうって思う。
あれ、あの壁紙が光ってる?・・・・・・あの模様って、なんかの魔術なんだろうか?・・・・・・眠い。なんか、まぶた、重すぎ。
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「おい、森。今日はお前がいけや」
「はい」
・・・・・・ウチの会社は、この令和の時代の今もなお、始業前に社員そろってラジオ体操をする会社だ。たいして晴れていない空の元、かすかな異臭漂う屋上で、新入社員から窓際族まで全員集合って昭和か!?いや、けっこうな会社が今でもやってると聞いたことはあるけど、実はこれ、法律上は時間外勤務だ。「雇用者の指揮命令によって」「強制される」「時間外の」行動だからだ。でも、当然ウチの会社では残業手当は出ない。
「4月の異動で転任してきた、森です。今日は体操番ということで、失礼しま~す」
1980年代製のラジカセをオンにする。わざわざカセットテープなのは別にレトロブームに乗っかった訳じゃない。社の伝統が一周回って流行になってるだけだ。
だいたいブラック企業というのは新興産業に多く、新入社員を過酷な労働環境と劣悪な待遇で使い潰すというやり口が一般的らしいけど、ウチはリストでも上位に食い込む大手でマルチなブラック企業だ。悪い意味で伝統的なやり方が根付いてる。
日本人なら誰もが知ってるあのメロディーが始まって、僕は大急ぎで台に乗った。
「のびのびと背伸びの運動から~♪」
声を合わせて手足を伸ばす。背中が、肩が、腰がバキバキする。
そういや、僕の通ってた大学でもわざわざラジオ体操講座を開講してたな。主に教育学部向けで安定志向の学生にはそこそこ人気だ。とはいえ、昨今の教員のブラックぶりに減少気味だったそうだ。僕は子どもが苦手で、最初からそっちには行かなかったけど・・・・・・ここは教員よりブラックだ。子どもの将来の夢が「会社員」になって久しい。ただ、付け足してあげたい。ホワイトな会社にしようねって。
手当のつかない残業で終電で帰宅して、朝から満員電車で通勤して、そのまま同僚の前で師範体操とは、なんの拷問だろ?とはいえ、異動したての僕は、仕事のできる新入り枠だ。こき使うのにこれほど便利な人材もいないんだろう。あ、パラハラ上司が見てる。
「森!もっと生き生きとやれよ!そんなんじゃみんなにやる気ね-のが移るっての。減点だな」
まさか、これも査定されてたの?・・・・・・ブラックだな。
「森先輩、今度の土曜、代わってもらえません?」
「先輩はおかしいですよ。僕、こっちに異動したてで、若林さんの方がここじゃ先輩です。いろいろ教えてください。土曜?もちろんいいですよ」
休日勤務は、事実上の当番制。ブラック企業でも相当ヤバイだろう。そうは思いながらも会社の業績が思わしくない。そう言われれば、倒産されるよりはマシ。そんなこんなで
始まった休日のサービス勤務だ。ただ、若い順に当番が来る。しかも月ごとにまた割り当てるから、つまり若い社員ばかり当番になる。アラサーの僕も異動したてということもあって入ってる。
「若林くん、それダメだって。森さんは日曜も入ってるんだよ?」
若林さんと同期の千葉さんだ。ここじゃ数少ない若い女子社員。ウワサではこの部署、セクハラまがいの待遇のせいで、女子社員は早々に退職してる人が多いんだとか。
「え~でも、俺、用事あるんだよな~。森さ~ん、お願いしますよ~」
「い~ですよ、部屋にいても寝てるだけだし」
最近じゃ、休日に寝てる方がキツイ。全身がしめつけられて頭がガンガンする。それで休日が一日終わる。一日だけ休むくらいなら、ずっと出社してるほうがマシなくらいだ。
「いいんですか!じゃあ、お願いします!」
用事が済むや、若林さんは忙しいのか、足早に去って行った。
「・・・・・・森さん、人がよすぎですよ。若林くんのはただのデートです」
「そうなんですか?・・・・・・でも、まあ、デートは大事ですよ」
千葉さんもその時は遠慮なく頼って・・・・・・って言いかけて、これもセクハラかなって言わなかった。
「まあ、どうせ僕はすることないし、千葉さんも何かあったら言ってください」
頼りにされるのは、悪い気分はしない。なにしろ僕は転勤やら異動やらで、現場の経験や知識はあっても将来に備えてのスキルアップ、資格取得ができてない。この時代でこんな会社だ。年金がもらえるか不安だし、退職金まで会社が保つ保証は全然ない。転職しなきゃいけないのに、そのために必要な人脈やらスキル・資格が欲しいのに、自分は随分置いてかれてる・・・・・・。
そんな不安を抱えながら次次と職場だけは変えられる。せっかく身につけた経験も人脈も転勤の度にリセットされる生活。不安しかない、そんな毎日で。
ある日、僕は死んだ。いつもの休日疲れかな~って思ってたら、そのまま・・・・・・。
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「くそお!なんで僕ばっかり!なんで転勤ばかり!なんで異動ばかり!なんで僕は!」
こいつ、今さら何言ってるんだ?白く光る壁紙に照らされて、宙に浮かぶ僕の見苦しいこと。
「パワハラ上司め!僕に仕事を押しつける後輩め!いや、こんなブラック会社の経営陣め!」
そんなにイヤだったんなら、あんな会社さっさとやめりゃよかったのに。
「やめる?そりゃやめたいけど、継続は力なりって言うじゃないか!少しイヤなことがあったからってすぐやめちゃダメなんだ。結果が出せないんだよ!」
「バカですか-」
あんだけ異動ばかりで大きな結果なんか出せるわけないし。むしろ結果出させないためにシフトさせてたんじゃないかな?そう考えると、あんな異動歴の中じゃあ、僕、頑張った方って思える。
「逃げちゃダメなんだよ!自ら困難に立ち向かわないと!」
「泣き言くらい自分の言葉で言えばー」
あーあ。僕って、この程度の男だったんだなー。なんかがっかりだよ。
寝台の上で目を開けたら、僕が泣き叫んでた。空中に漂って、まるで悪霊だね。はん、まさか・・・・・・。
「僕を襲ってた悪霊の正体ってコレか?」
眠ってる間に浮かんでくる消えたはずの前世の記憶。あーそういえば天使さんが言ってたっけ。僕の記憶を調整するけど、感情がどうたらって。つまり、この負の感情は僕自身から出てきてたのか。道理で魔封じの魔法円が効かない訳だ。で、ここの壁紙って魔封じどころか呼び出しちゃうヤツなのか?複雑な文様が光るアラベスクみたいになってて、見てるとそのまま時間が過ぎちゃいそうだね。おっと。
「襲われてる割には、今夜の僕は冷静だけど」
ム○クの叫びを可視化したみたいな僕の怨霊は、今も頭上でギャアギャアうるさいんだけど。
「いつもはアレが僕にとりついてたのか?」
はっきりいってうっとうしい。自分の愚かで厭な部分を見せられてるみたいだ。だんだんと、イライラする。いつになく、ガマンできないくらいに。
「お前、早く消えろよ!」
「なんで僕ばっかり!僕は、僕はいつも一生懸命だったのに!」
「アーコイツ、マジ、ムカツク」
もちろんこいつの気持ちはわかる。まあ、僕が一番わかるって断言できる。だけどね。
「どんなに努力したってその方向を間違えたら、意味ないんだよ」
人は迷うし間違える。でも、迷いながらも間違えないようしっかりと判断して生きなきゃいけない。ムダも苦しみも多いけど、それは人の特権だ。あ、でもこれ、天使さんの受け売りじゃん。僕も僕に偉そうに言えなかったかな。
「でも、これだけは言える。イヤなことをムリするだけで、苦しいのをガマンするだけが人生じゃないんだ。だから自分がどう生きるかをちゃんと考えないガマンはただの思考放棄で現実逃避だ!」
びしって言ってやったら、空中の悪霊がなんか叫んでる。
「あんなに頑張ってたのに、なんで僕はあああ!」
・・・・・・こいつ、僕の言うこと聞いてないんじゃないか?僕にがっかりだな。
「マジ、ウットウシー」
早く消えて欲しい。なんだけど・・・・・・なんでコイツ、まだ存在してるんだろ?だいたい僕にとってはとっくにどうでもいい前世の記憶が、なんで僕から生まれてくるんだ?
「僕の中に、まだ前世の未練が残ってるのか?」
未練、と言っては違うのかもしれない。だけど、前世での不満やら死んでしまった絶望やらが僕の奥底に残っているのかもしれない・・・・・・消化、いや浄化しきれなかった僕の想いが、だから僕の中から湧き出て、僕を毎晩苦しめていて?
「おお~・・・・・・」
変なうなり声とともに、ギロリって。あ、ようやくコイツ、僕を認識したみたいだ。失敗したな。気づかなければよかったのに、僕もコイツも。だけど、疑問もある。だって僕の中の前世の未練はとっくに消えてる。今さらこんな悪霊だか怨念だかが本当に僕から出てるんだろうか?
「お前の声が、僕の声なんだあああああ~だからキサマのせいだあああ」
「違うだろ」
ち。きっといつもならエスリーが追っ払ってくれたんだろうけど。どうやったら消せるんだろう。自分の恥部をさらしてるみたいで本当にイヤなんだよね。あまりつかわない、おぞましいって言葉がピッタリだ。
「きさまああああ!全部きさまのせいだあああ!」
「だから、僕だけのせいにするなってば」
「キサマぁ!我を否定するか!?」
「する。お前は僕じゃない。少なくとも今の僕はお前ほどマヌケじゃない」
どんなにわめかれても、同情も共感もない。僕にはもう前世の未練はないんだ。こんなブラックな環境だけど、ここで生きてきた日々が今の僕をつくってるから。泣きそうなエスリーの顔が、怒ってるエルダさんの顔が、笑ってるエムリアさんの顔が僕の心に焼き付いてるから。シャルネさんやお姉さんや、ジナさんたちも、みんなここにいるから。
「そうか・・・・・・我を否定するか」
頭上の悪霊がすぅって、縮み、それにともなって部屋の温度がもっていかれたような感覚がする。なんだ?この急激な変化は?
「くどいな」
不審に思いながら、平然と言い返す。
「キサマ・・・・・・我はキサマ・・・・・・キサマの真の姿ぞ。見せてやろう・・・・・・」
空中に浮いてた僕の怨霊が声とともに膨れ上がった。部屋の天井を覆う悪霊の僕は、いつしか目を赤く光らせ、両のこめかみからツノを伸ばしてる。これ、海底でエルダさんに見せられた僕の本性じゃないか?赤い目は、まるでレッドなビームを飛ばすかのような視線で僕を突き刺した。
その瞬間、さっきまでの僕の余裕は吹っ飛んだ。むしろ冷気が、怖気が全身を走り、硬直してしまう。そんな無様な僕を、いつしか僕の悪霊はうっすらと冷え冷えとした笑みを浮かべて見てる。姿を変えたせいか、さっきまでの狂乱状態からは脱し、それがかえって不気味だ。
口からは牙が覗き、指先の爪が危険に伸びて、背中からはコウモリの翼が見える。
「変身した?僕の顔をして、こんなSFXされるなんて、光栄だな!……実写版デ○ルマンみたいなのは不満だけど」
歯がガチガチ鳴りそうなのを押さえてこんなセリフを吐いたのは、平常心を保つための、せめてもの抵抗だ。いや、それにしてもアレはなかった。不○明のヒーロー性が描かれてない。泣き虫版ももの足りなかったけど、どっちも原作がたたき込んだ圧倒的な恐怖がない。ま、アレと比べたら、こんな僕なんか、出来損ないCG素材未満。落書きだ。そんなことを考えてたら、楽になってきた。特撮はホラーを越える!僕限定だけど。
「所詮は僕のできそこない。どうせお前も竜酸の海底で消えた僕の分身みたいなモンだろう」
レッドなビームの光圧がとたんに強くなった。
「ぎゃぴ!?」
思わず変な悲鳴を上げてしまう。それが聞こえたのか、天井の僕はまたも冷え冷えとした笑みを浮かべる。コイツ、最初と全然違う。最初見たコイツは、前世で言えなかったグチと不満を今さら吐き散らかすだけの情けない僕だった。自覚はなかったけど、ひょっとしたらやはり僕の奥底にアイツがいたのかもしれない。だけど、そんな自分を僕に否定されてから変わった。コイツは、前世のグチから始まって、でも今はもう別なモノに変わってしまった。
「・・・・・・ふ」
あ、今、僕、バカにされたよね?竜酸海の底で会った僕の悪霊にはあっさり勝てたのに、
いつの間にか力関係まで逆転してた?鼻先で僕を笑った悪霊が、ゆっくりゆっくり、わざと僕をいたぶるように降りてくる。逃げたい。でも逃げられない。体は硬直したままなんだ。
「返してもらうぞ?」
耳元で、優しさを偽った声がささやく。僕の嫌いな僕の声で、なにを返せって言うんだ?そんな間にも、じわじわと僕が降りてくる。
僕は怨霊に重なってしまって・・・・・・寒い。気持ち悪くて、寒い。とにかく・・・・・・寒い。
ここに閉じ込められて、ずっと眠ってなかったのに、やっと眠れたのに、目ざめたばかりなのに・・・・・・・・・・・・今は寒い。他に何も感じない。




