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その3 妖精の光球の中で

その3 妖精の光球の中で


 竜みたいな怪獣の口が大きく開き、黒い炎を吐き出した。近くに他の怪獣がいるのに巻き込み攻撃か?頭わる!

 僕に迫る黒い炎。その前に、見分けがつかないような、やはり黒い影が揺らぐ。またですか!?あの、湖底にいた黒い柱のような、たぶん元魔王さんの一人?

「生き急ぐかと思えば、死に急ぎの方だったか」

 こんな場でお説教とは、暇な元魔王さんだな!?まさかこの人も母さんなのか?

「ジャマしないでください!」

 まるで時間が止まったかのような、不思議な景色の中、でも僕は走るのをやめる気がない。

「あの女のところにたどり着いたとして、それに何の意味がある?」

「彼女を死なせたくない!逃げてって言う!」

「見知らぬ女一人逃がして、それでお前が死んでなにが変わる?……まさかお前は、あの女に共感しているつもりなのか?」

 他人のために働いて、いつしか死んでしまった僕だけど、だから仲間を逃がして一人残ったシャルネさんに共感してる?それは……自覚がなかったけど、ゆらめく影に言われて納得する僕もいる。

「教えてやる。あの女は、自ら進んでこの国を守った死せる伝説になるのだ。その死は、先に逃がした部下の成長を大いに促し、少数の部隊を捨て石にした元老どもすら無言で糾弾する。不仲の鬼族ですら己の蛮勇と猪突を猛省しよう。お前の犬死なぞとは比較にならん、有意な死にざまだ」

「だから何だ!死んだ方が価値があるから死なせるって言うのか!?生きてるってそういうことじゃないだろう!」

「そういうことなのだ。生きることと死すことは、コインの裏表。しかし表と裏で価値が変わるなら、価値の高い方で使うべきだろう?」

 影の言うことは、いつも合理的だ。僕の心を強く揺さぶる。だけど全力で抗う。

「それはあなたの価値だ!一方的なものの見方で、しかも可能性でしかない!彼女が生きてることがもっと価値のある人だって大勢いるに決まってる!」

 そして、やりたいことをガマンしてるうちに結局なにもしないで死んでしまった僕は、もうそんなガマンはイヤなんだ。

「生きてるからこそ、もっと大きな価値を生むことだってある。人は生きてるから成長するんだ!死ねば終わりだ!」

「その可能性は低い。人の成長とはそんな簡単なものではない。そもそも自分の境遇を忘れたか?」

 影が言うのはいつももっともだ。確かに、死んで、でもたまたま天使さんに拾われて、母さんたちに召喚されて、今の僕がある。

「それだって、やり直すチャンスがあるからだ!でも彼女にはここでできることがまだあるはずだよ!だから僕は彼女を死なせたくない!」

 きっと僕は、死んでマシになったバカのはずだ。死んでもわからないバカじゃない!

「僕の世界は僕がいなくても平気だけど、この世界にはきっと彼女はまだ必要なんだ!」

「世界の意思を語るなど、生まれ変わって中二病でも再発させたか?愚かなことだ。結局は二度目の無駄死。これでは魔女どもも落胆しよう」

「いいや、違うね。僕はここで、一番いい終わり方を見つけてみせるよ」

「バカは死んでも治らぬどころではないな。お前は更に愚かになった」

 黒い影は、呆れて去った。そして、また時が動き始めた。黒い炎が圧倒的に迫ってくる。


「走れ……」

 僕の周りに黒い熱風がまとわりつく。

「走れ」

 白い服がジュワジュワ腐る。そして焦げて燃えて、その炎が肌に移る。

「走れ!」

 動き出してたった一秒にもならない時間が、なぜか今の僕にはひどく長く感じられる。

「走れ、モーリ!」

 何も考えてなかった。ただ、あの人が死んでしまうのをただ見てるのに耐えられなかっただけだ。湖底で僕を送り出した母さんたちの期待を裏切る結果になったとしても。

「でも、それが僕の選んだ結末だったら!」

 きっと母さんたちは許してくれる。天使さんは怒ってくれる。

「だから走れ!」

 たった数十mの距離だけど、こんな必死に走ったのはいつぶりだろう?炎をまとったまま、僕はその距離を走りぬいた。視界が黒く揺らいでる。だけど目の前にはゴールの女神が立っていた。

「シャルネさん……あなたはここで死んじゃだめな人だ!だからあきらめないで!」

 たったそれだけを言いたくて、そして僕は力尽きた。彼女がどんな表情なのかも、もう見えなかった。


 呼吸に火の味が交じる。視界は黒く歪んでいて、そしてもう何も聞こえない。

 ・

 ・

 ・

「あの!あの!……大丈夫ですか?」

 再び聞こえたのは、女性の声だ。

「意識、ありますか?自分の名前、わかりますか!」

 それがわかんないんです!うっすらと目を開いた僕は、あの隊長さんの顔を見つけた。

「無事だったんですね、よかったあ」

「……言う方と言われる方の立場が反対なんですけどね」

 それでも隊長さんは……確かシャルネさん……明らかに安心した表情を浮かべてくれた。そのきれいな顔には傷一つない。体の方は、布面積が少なすぎて、前世では魔法使いの有資格者までもう少しだった僕には直視できないけど、ケガしてる様子はないみたいだ。

「新しいご主人様はいろいろムチャなの」

「……誰です?」

 初めて見る人が、少女がいた。僕の感覚で言えば十代入り始めくらいの、小学校高学年といったところだが、なぜかメイド服を着ている……エプロンドレスにヘアドレス、うん、メイド服だ。摩耶ちゃんみたいなアキバ系じゃなくて、きっちりしたビクトリアン系の……でもちゃんとしたメイド服って、コスプレじゃなくて作業着だから、これは児童労働とかじゃないのか?

「エスリーのエスはエスピーのエスなの。でも、ご主人様をお守りするのはエスリーのお役目なのに、今のご主人様相手ではちょっとサイのエスなの」

 エスリーという名の少女は、少しわざとらしくため息をついて僕を見下ろした……僕、見下ろされてる?あれ?頭の下の、厚い布に、その下の、肉付きのない、でも弾力は……太もも?

「なんで僕、少女に膝枕なんてされてるの!?」

 前世なら社会生活を絶たれそうな不祥事だ!事案だ!慌てて飛び起きようとして、だけどあっさり取り押さえられた。

「ご主人様、まだ治療中なの。ムリはいけないの」

 治療中?……僕は自分の体を見るためやはり起きようとするけど、身動きするたびに、体の表面からなにかが床に落ちてパラパラと音がする。

「ご主人様は聞き分けが悪いの」

 その子の細い腕はあっさり僕の身動きを止める。

「……ご主人様?」

 とても残念なことに僕はメイド喫茶にも行ったことがない。同僚のそっち系の人たちがウワサしてても、話題に入ることもできなかった。だけど、ねえ?年端もいかない女の子に「ご主人様」は、男のロマン以前にかなり落ち着かない。

「なんです?噂のナース系メイドカフェですか?でも年齢的に違法就労はいけませんよ」

「……ご主人様がなにをおっしゃってるのかエスリーにはわからないの」

「君はなぜ僕をご主人様って呼ぶの?メイドカフェのバイトさんじゃないのかい?」

 冷静に考えれば、この世界にメイドカフェがあるわけない。だけど、この時の僕は、生死の境目から目覚めたばかりで……まあ、いろいろ暴走してたんです!

「……フェアリーリングをはめた者を、エスリーが見殺しにすることはないの。他の妖精はともかく、エスリーは、ご主人様をお守りし、お世話をするための存在なの」

 アルビエラ母さんが僕にくれた指輪。魔王と妖精の契約証は、確かに僕を守ってくれたみたいだ。

「新たなご主人様。エスリーのエスはサーバントのエスなの。ご主人様のためにこの身を捧げるの。だから、エスリーにその聖名を告げ、魔力を与えてほしいの」

「魔力?」

「エスリーのエスはスプライトのエスなの。人族や魔族よりはるかに魔法的存在なの」

 スプライトと言われて、某炭酸飲料のことを浮かべてしまったけど、妖精をさす古語でもあるらしい。何も知らない様子の僕に、シャルネさんが補足してくれる。

「魔王様を守護する従属妖精は、もともとはこの湖の妖精だと伝え聞いております」

 僕が転生し、魔王さんたちが、今でもアルビエラ母さんたちが暮らす、この湖の。

「……僕を護ってくれるの?」

 僕は今度こそ体を起こし、エスリーを見つめる。ヘアドレスでとめられたエスリーの髪は背中まで届くロングで、真っ白に見えたけど、光の加減でうっすら青い、とても淡い水色だ。その瞳も同じ色で、幼い顔に真剣な、いや、静謐と言える雰囲気をまとって僕を見つめ返している。

「僕はモーリ。ここではシン・モーリと名乗っている」

 こんな子どもに、と思わないでもなかったけど、今もこの光球で僕やシャルネさんを護ってくれる。だったら、その力を疑うわけにはいかない。いや、この視線も裏切れない。

「はいなの……ご主人様のお名前はシン・モーリ様なの」

「え?あれ?」

 エスリーは、目を閉じてなぜか僕の右人差し指を甘噛みし始めた。かみかみ……痛くはないけど!?

「ちょ、ちょっと、エスリーちゃん?」

その指にはめてる指輪がうっすらと輝いた。なんかペットにかませてるみたいで気まずい。これって絵的にまずくないか?シャルネさんにどう思われてるんだろう?

「あ、ご主人様の魔力は濃すぎるの。少しいただいただけで、もうダメなの」

 で、今度は慌てて口を離すエスリーだけど、なんか勝手だなあ。でもシャルネさんは、変なことは考えてなかったみたいだ。

「あの、これってやっぱりそうなのですかぁ?守護妖精エスリーがご主人様とお呼びするということは!ことはぁ!」

 シャルネさんが、少しあたふたした感じだ。さっきまでのしっかりした隊長さんのイメージから遠くなっていくけど、年齢相応にかわいい気がする。

「そうなの」

「ひ!……知らぬこととはいえ、これまでの無礼、お許しください!」

 なぜか僕に土下座するシャルネさんだけど、下着に近い姿の若い女性にそんな格好させられない。事情もわからないし。

「守護妖精を従えるとは、魔王様しかいらっしゃらないのです。あなたは魔王様なのですか?」

「まさか。違いますよ」

 魔王か魔王でないかと言われれば僕は魔王じゃない。そこは母さんたちも言ってたし。

「それよりそんなのやめてください。それより、事情がわからないんですけど……」

 光り輝く球体の中にいることだけはわかったけど、この外はどうなってるのか全然見えない。

「……は!まさか!」

 あの状況で生きてるということは!僕の頭脳はモーレツな勢いで推論を導き出した!

「僕はついに巨大変身して、あの怪獣どもをやっつけたとか!?ということは、まさかの帰りマン変身か!死に瀕した状況こそが僕の変身スイッチだったのか!」

 だとすれば、理屈は通る!変身アイテムもいらなければポーズも不要なわけだ。ただ問題は、あの変身システムを毎回試すのは危険すぎるってことだ。せめて死亡フラグをたてるくらいでなんとかならないものか……。

「すみません。不敏なわたしではモーリ様が何を仰せになられているのか全く理解できないのです」

 シャルネさんの「モーリ様」という響きは、異国的に聞こえて僕の耳に心地よかった。だけど、理解されないことは残念だ。いや、謝ってもらう必要はないんだけど。

「安心するの。エスリーにもわからないの」

 心底申し訳なさそうなシャルネさんと、理解する気が全くないエスリーちゃんだ。

「それにご主人様。怪獣は倒してなんかいないの。エスリーはただお守りしてるだけなの」

「え?」

「その通りです。守護妖精エスリーは突然現れて、『魔力壁シールド』で囲んでるだけなのです」

「エスリーのエスはシールドのエスなの」

「そんないい加減な詠唱でかくも強固な術式を展開できるのは、守護妖精だけです」

「いい加減じゃないの。魔族たちの術式に無駄が多いだけなの」

 魔術論議は後にしてほしい。とはいえ、困った。ここのお外は今も絶賛被侵略中らしい。

「なら、どうしようか?」

 期待を込めてエスリーを見るけどあっさり首をふられた。

「エスリーの魔力不足は深刻なの。ご主人様の魔力は濃すぎて、契約分くらいならともかくこれ以上直接供与されたらエスリーは魔力暴走するか消えちゃうかもしれないの」

 僕の魔力が濃いとかって言われて、心当たりはこの体だけだ。僕の転生体は母さんたちの、つまり元魔王さんたちのつくった体だ……巨大変身くらいできればいいのに。

「ええっと、それはつまり、魔力がたくさんあればなんとかできるかもしれないけど、今の状態では過剰供給になって、でも適量の魔力は補充できないってことでいいのかな?」

「そうなの」

 できれば否定してほしかった。落胆を隠せない。そんな僕を励ますりりしい声!

「ご安心ください、モーリ様!」

「シャルネさん?」

 またちゃっかり名前を呼んじゃったけど。

「わたしが血路を開いてみせます!モーリ様はそのスキにお逃げください!」

 意味ないじゃん!僕が死ぬ思いでシャルネさんのところまで来たの、なんだと思ってるの!?シャルネさんって、ただの死にたがりじゃないよね?

「それはなしの方向で」

「しかし!」

 そんな激高したシャルネさんをカンムシするエスリーちゃんだった。

「ご主人様、エルダを呼ぶの」

「エルダさん?」

「討滅妖精エルダ!なるほど!」

 討滅?なんだかすごい物騒な名前だぞ?

「しかしエスリー様。エルダ様とて魔力不足は深刻なことにお変わりないのでは?」

「エルダは国を守護し外敵を討滅する国妖精なの。だから家妖精のエスリーと違って、今のご主人様の魔力でも直接供与してもらえるの」

 ……家妖精とか国妖精とか、またわからない言葉がでてきたけど。

「バッテリーの容量が大きいから直接充電できるってことかな」

 例え的に正しいかわからないけど、僕が発電所だとして、エスリーは家だから、家一軒にそのまま電気を流せばその家はブレーカーが落ちたり下手したら火事になりかねない。だけど、国全体に流すなら問題ない……ってイメージかな?

「だけどエルダは気難しいの。今のご主人様を認めるかどうかはわからないの」

「……でも、そのエルダって子も魔力不足でこまってるんだよね?」

「はいなの。ルリエラ様がお隠れになって以来、エスリーもエルダも魔力は足りないの。新しいご主人様の魔力をいただいてなかったら、エスリーはあと数日で消えていたの」

ルリエラ?湖底でも聞いた名前だけど……。

「間に合ってよかったよ。それで、ルリエラさんって……」

「先代の魔王様です。先日お亡くなりになられて……国を守る魔力の要、魔王様を失って以来、レクアも疲弊しているのです」

次の代の魔王さんは就任しないの?とか聞きたくなったけど、今は後回しだね。

「じゃあ、僕の魔力とかでいいんなら」

「だからエルダは気難しいの」

 ……はてな、の僕ですけど。

「エルダはさっきまでエスリーと一緒だったの」

「え?」

「ご主人様が契約の指輪をつけて、湖に上がってからずっと二人で見てたの。だけど、ご主人様が魔王様じゃないから、エルダは契約する気なんかないの」

 そう言えば、リリエラちゃんが言ってたっけ。僕は魔王じゃないから契約が難しいみたいなことを……。

「エスリーちゃんはそれでも僕を護って契約してくれたけど、そのエルダって子は、魔王にならない僕とは契約する気がないってことかな?」

「はいなの。でも、今、ご主人様が魔王になるのはとても難しいの」

「……それはわたくしどもの責任です。元老院が……いえ、それよりもルリエラ様のご遺志もまた不明瞭で」

 リリエラちゃんが言ってた「大人の事情」か?別に魔王なんかになりたくないけど……待てよ?もっと事態は単純なんじゃないか?行き詰った時は、優先順位を明確にして、できることから手をつけるべきだ。複雑な事情の解明なんて後回し。

「ではどうすれば……」

「待って。それでもエスリーちゃんは僕にエルダさんを呼んでって言ったんだよね」

「はいなの」

「じゃあエルダさんを呼んだ後、僕はどうすればいいの。エスリーちゃんには考えがあるんだよね」

 そして僕にはわからないことが多すぎる。だから子どもでも自分より優れた相手ならちゃんと聞くべきだ。そこに僕のプライドはいらない。

「はいなの」

 そしてあっさりたどりついた。

「だけどご主人様」

 え、まだなにかあるの?思いっきりこみ上げた不安をなんとか押し殺した。

「なんだい、エスリーちゃん?」

「エスリーにちゃんはいらないの」

「……それ、ここで言うくらい大事?」

「はいなの。ご主人様との関係性は最優先課題なの」

 エスリーも充分に面倒くさいって思うのは、子どもが苦手なせいか、女性の扱いに不慣れなせいか……いや、単に妖精との主従関係が初めてだからって思うことにしよう。

 僕は問題をいくつか棚上げにして、エルダさんを呼ぶことにした。異世界スキル「棚上げ」を取得!……ごめん、みみっちいって自分でも思ってます。


「エルダさ~ん、聞こえますか~?ここに来てくださ~い!」

「あの、モーリ様、かりにも従属妖精を召喚するわけですから、もう少し格調高く……」

「ご主人様、威厳がないの。エルダは気難しいからそういうのにうるさいの」

 普通に呼んでみたけど、批判が痛い。格調とか威厳って言われても。だけど、今さら中二病を再発させるのもなあ。あの影にバカにされたからじゃないけど、せっかく日常生活に復帰できるくらいになってたのに。しかし……ふ、やるしかないようだ。

「……魔王と守護妖精との間に結ばれしいにしえの契約に従い、我は汝を召喚する!討滅妖精エルダよ、我が前に顕現せよ!」

 指輪を天に掲げ、それっぽい動作でやってみる。

「さすがはモーリ様」

「ご主人様、次にエスリーをお呼びする時にはそうしてほしいの」

 こういうのはもう十年以上も前にやめてたんだけどなあ……。恥ずかしくて顔が熱い。

「……ところで、ご主人様。ご主人様の体はなんでこんなに筋張ってるの?」

立ち上がった僕にすり寄り、手足をさわるエスリーだ。だけど僕は前世では運動不足でそのままこっちに来て体もそれに馴染んでるそうだから、筋肉なんかないんだけど。

「まあ、女の子と比べたら男の体はそんなものじゃないかな」

「ご主人様は、男性なの?鬼じゃないのに?」

「こほん、エスリー様。魔族や鬼族の下位種族、人族には女性と男性がいるのです」

 この世界には、僕の知らない種族カーストがあるらしい。

「じゃあ、なんでご主人様のおっぱいはペッタンコなの?」

 僕の胸をペタペタ触るエスリーだけど、いくら幼いとはいえ女の子に裸の胸を触られるのは恥ずかしい。

「だから、男だからだよ。男には授乳器官はないんだ」

「ふうんなの。妖精のエスリーにもついてるのに、同じ人族でも女にはあって男にはないの」

「あの、モーリ様。今は妖精と戯れている場合では……」

 僕に言わないで。赤頭巾ちゃんとおおかみごっこなんてしてません!シャルネさんのジト目が地味に痛いです。

「じゃあご主人様。これはなに?」

「わっ!?」

 敏感な器官をツンツンされて僕は飛び上がった。

「エスリー、女の子がさわっちゃいけません!」

「なんだか不思議な感触なの。それに今のお顔……ご主人様はおかわいいの」

「聞いてる、エスリー?」

「あの、モーリ様。いつまでもそのようなお姿なのに問題がおありなのでは」

 シャルネさんが、わざわざあらぬ方向を見ながら話してる。気まずそうだ。は!?……湖底で着ていた僕の服は、さっき怪獣の炎で……今さらですけど!

「もっと早く教えて!」

 慌ててエスリーから離れ後ろを向く僕です!これ、絶対ダスキン事案だよね!?いや、不作為だから!信じて!

「エスリー、服とかないの!」

「どうぞなの」

 エスリーは白い布を僕にくれた。カレーの国のサリーみたいに全身を包めるヤツだ。

「これはエスリーの髪を編みこんだ布なの。だからこれを着てればいつでもエスリーがお側にいるの」

 なんだか、心強いというよりその過干渉がコワイんですけど。

「ご主人様は、エスリーの初めての男性なの」

「ぶほっ!?」

 僕は強力な精神ダメージを受けた!その言いようは、いろいろ誤解を招くよね?

「だから、エスリーはこれから特別に旦那様とお呼びするの」

「モーリ様……妖精と戯れるのがそんなにお好きなんですね」

 思いっきり冷たくなったシャルネさんを悲しく思いながら、僕は茫然としている。

「……エスリーは相変わらずだね。どうせすぐいなくなる主に情を移して」

「エルダ、遅いの」

「え?誰?」

 わかってますけど、突然だったんで、心の整理ができなくて!その女性は、僕の感覚で言えば、高校生くらいの少女だった。白に限りなく近い淡い水色の髪と顔立ちはエスリーそっくりだけど、髪は短くなにより少し大人びた表情が冷たい。抜身の刃のような細身の体を覆うのは、濃紺で硬質な感じのスーツみたいだ。水兵さんの軍服姿に見えなくもない。

「討滅妖精エルダ様」

 シャルネさんがその場に膝まずく。その仕草は堂にいって、いかにも軍人さんで、さっきまで僕に見せてた様子からすごい代わり身だ。

「エルダは、エスリーと旦那様が甘々なのを見て、不安になってやっと顔をだしたの」

「不安になどならない。ただ、次々と主を失うエスリーが不憫なだけだ」

「エスリーはそれでもいいの。エルダ、エスリーの旦那様と新たな契約を結んでほしいの」

「断る。エルダは魔王とのみ契約を結ぶ。それは真祖様と結んだ契約の根底だ。自ら魔王にもなれぬ無能な者に、こちらから歩み寄る義理はない」

「エルダ様!モーリ様が魔王になれぬのは、我ら地上の者共のせいで」

「聞かない。そもそも一介の魔族ごときが口出しするな」

「いいえ、このシャルネは8代様の血筋にも連なる者にて、かつて元老院の末席を汚し魔王様の家宰を務めたアルシャイアの娘でございます。一介の魔族とはいえ、レクアを護る気持ちは、誰にもまけませぬ!」

「8代……アルビエラか。あの、魔族でもないのに、魔王となりおおせた……ふ」

 こんなに早く地上でのアルビエラ母さんのことが聞けるなんて思わなかったけど、複雑です。シャルネさんって、アルビエラ母さんのお孫さん?実の子とはうまくいかなかったって悲しそうに言ってたけど……。それにエルダさんの態度、なんか魔王よりエラそうだよね。

「……ちょうどいいの。エルダ、これを見て」

 エスリーは僕の右腕をつかみ、ほおずりし始める。

「エスリー?ちょっと、そういう場合じゃ」

「旦那様はじっとしてるの」

 また妖精と戯れてとか言われそうで、僕は嫌がったけどエスリーはやめなかった。

「これは……」

「8代様の花章!?まさか、魔王斑なのですか!」

 いつの間にか僕の右手はうっすらと白桃色に輝き、あの複雑な花模様がうかんでいた。

「それだけじゃないの。旦那様、マナドロップを出して」

「なに、それ?」

「旦那様、エスリーに隠し事はいけないの。そんなことをするならエスリーのエスはサッドのエスになるの」

 悲し気につぶやくエスリーだけど、マナドロップがなにかわからないことに変わりはない。なのに、なんだか浮気を責められてるみたいで困る。そんなこと、したことも責められたこともないけど。

「モーリ様、マナドロップとは、『魔力の滴』……膨大な魔力を持つものだけがつくることができる、結晶化した魔力そのものです」

 一瞬だけ悩んで、だけど思い当たるものは一つしかなかった。アルビエラ母さんがくれた。

「これかな」

 花章からポトリと、宝石が落ちてきたのを左手で受けとめる。僕の手の中で、それは虹色の光を輝かせたままだ。

「あれ……なんか大きくなってる」

 もらったときは1cmくらいに見えたけど、今はもう2cm近くないか?

「これなの。妖精にとってこれはとてもおいしいの」

「……アルビエラのマナだ。あの、魔力のない魔王がよくもこんなものを絞り出したものだ」

 よくわからないけど、全然わからないけど……僕はアルビエラ母さんの、ママの顔を思い浮かべて泣きたくなった。ひょっとしたら、力のない僕のためにママがこれを。そう思って。

「……魔力のない魔王の滴……なんだかウミガメの涙みたいですね」

 魔王なのに魔力がなくて、悔しい思いも苦しい思いもたくさんしてきたんだろうな、ママ。

「あなたがなにをいってるのかわからないけど……」

 エルダさんは、この時初めて僕を見たんだ。

「気持ちは伝わった。これはあなたにとっても大切なものなのだな」

「はい。アルビエラさんは、僕の、自慢のママです」

 この世界のこととか年代とかわからないけど、僕が湖底で会って、今もあの人を思う気持ちにウソはない。だから胸を張って言えたんだ。そんな僕にエスリーは言う。

「……旦那様。これ、エルダにあげたいの。エルダは魔力が不足して深刻なの。だけど魔王でもない旦那様と契約する気はないの。でも魔力がないといつか妖精は消えちゃうの。外の怪獣もやっつけられないの」

 それを聞いた僕に、悩みも迷いもあるはずなかった。だって。

「もちろん。もっと大事なものは、ママからもうもらってるからね」

「いいのか?こんな貴重ものを?あなたにとっても大切なものを?」

 現存するマナドロップは皆無だそうだ。その価値は換算できないくらいだそうで、後で聞いてびっくりしたけど、知っていても迷わなかったと思う。

「ママ……アルビエラさんもあなたの助けになるなら喜んでくれると思います」

 僕は自分でマナドロップをエルダさんに渡した。その時虹色の輝きが辺りを照らして、僕の決断を褒めてくれたみたいだった。

「そして……今だけでもいいから、僕を助けて、あの怪獣たちを追い払ってください」

「それはムリだ」

「えー?」 

まさかの拒否に絶句する僕です。

「エルダ、ずるいの!」

「……わたしは討滅妖精だ。追い払うなんて器用なマネなどできない」

 済ました顔で言われても、ちょっと僕には理解できないんですけど?

「……ええっと……」

 シャルネさんも眉を寄せ難しい顔をしてる。

「エルダは旦那様を助けてくれるの」

 察しの悪い僕たちを置いてきぼりにエスリーはさっさと軌道修正したらしい。

「ふ。マナが余って暴走するだけだ。巻き込まれるなよ」

 エルダさんは、不敵に笑って、そしてマナドロップを口に含んだ……とても大事そうに。

「ん……」

 その表情は、エスリーによく似ていた。

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