第一章 降誕編 その1 魔王(アルビエラ)の挨拶(チュートリアル)
第一章降誕編
その1 魔王の挨拶
「お目覚めですか?」
「え?ここはどこ?僕は誰?」
まさか自分がこんなベタベタなセリフを言う日がこようとは悪夢にも思わなかった。さすが一度死んだだけのことはある。そう、僕は死んで、そして……あれ?ここって死後の世界?「死後の世界はあるんです」って、「シーメン75」にも出てた往年の大俳優さんも言ってたし。
だけど親切なことに、僕の側に立っている女性はちゃんと答えてくれた。
「……ここは湖底。あなたは……それはわたしたちが聞きたいんですけどね」
女性はだいたい僕と同じくらいの年代だろうか?つまりはアラサーだけど、穏やかで優しい口調で、美人さんだった。細身の肢体に透けるような薄い布をまとっていて、少々目のやり場が困る。
「僕は……だから、僕は誰だっけ?」
名前が思い出せない。……いや、生前のことを思い出そうとするけど、人の顔や性格や役職にその人に抱いてる印象なんかはポツポツ浮かぶけど、名前が、固有名詞が出てこない!?
「あのパワハラ上司も困ったちゃんも、僕の中じゃあモブキャラだったんだな……」
ひどい話だ。ちゃんと休みたいって言わなかった自分も悪いとはいえ、自分が過労死したのは会社のブラック体質のせいで、具体的には上司の無茶な命令や後輩のお願いやらを聞いてたせいなんだけど、当の相手のことをたいして恨んでないどころかほとんど忘れてる。
「僕は薄情だな」
その挙句が、自分の名前すら覚えてないなんてね。
「待てよ?これってまさかの脳改造じゃあ?」
そう考えた方が納得いく。だって僕はなんかの台に横たわっているけど、手足は固定されてるし!
「ここは衝撃者のアジト!?あなたは悪の秘密結社の幹部なんですね!?僕を改造して、どうしようっていうんです!?」
僕の脳内では、あの不滅の特撮作品の楽曲が再生されてた。いや、僕の世代じゃないんだけど、学生時代はけっこう古い特撮作品にはまってて。
冷静に考えれば、脳改造されたのにそんな疑問もつわけないんだけど、この時は、まあ、転生したてでいろいろ不安や緊張が暴走したんだろうって思いたい。
「落ち着いて。改造なんてしてないから……ただ、あなたはまだこの新しい体になじんでないから、下手に動いて自分でケガしないよう拘束しただけ。すぐ解きますからね」
そんな暴走状態の僕の不安を悟ってくれたのか、その人はけっこう無礼な僕の態度に怒りもせず、まるで小さい子をあやすように接してくれる。そしてあらためて僕の拘束を解き、立たせてくれた。
「……ごめんなさい。変なこと言ったりして」
僕の身長は、おそらく前と変わらない感じだ。だから僕と同じくらいのその人は女性にしては長身な方だろう。
「あまり気に病まないで。魂を召喚された者なら、記憶の欠落も混乱もよくあることと聞いてます。自分の名前まで忘れるのは……とても珍しいとは思うけど」
「魂の召喚?……まさか?」
異世界ロボットファンタジーの舞台が浮かんだけど、それは淡く輝く水がここに満ちていて連想させたのかもしれない。きれいな水の底の世界……湖底って言ってたしね。
「あなたは、ここで、新しい体に生まれ変わったの……わたしたちの子として」
「あなたの子ですか?」
僕と同い年くらいに見える女性が母親なんて、実感わかない。ってか、僕、赤ん坊じゃないし。普通に成人の体だと思う。白くて、味もそっけもない簡素な服を着てるけど、全く違和感なく馴染んでるから、転生なんて言われても、天使さんとの生々しい記憶が残ってなければ夢にしか思えない。
「あ、僕ってどんな顔してます?鏡とかってないですか?」
その人は右手を広げ、僕に見せる。しばらくすると、彼女の掌が鏡面みたいになった。
「魔法みたいですね」
「魔法よ。水の魔法。わたしはそんなに得意じゃないんですけど」
僕は鏡面を見て驚いた。
「……あなたの体は、召喚されたあなたの魂に応じて変化したの。だから以前と変わらないでしょう?」
僕の顔は、まあ、実年齢より若く見えがちで、好きじゃない。鏡の中の新しい僕も残念なことにその辺りは変わってない。黒い髪と瞳もそのままで、ただ肌の色が日焼けしたみたいに少しだけ濃い。誤差の範囲だけど、多少は印象に残る。
「少しだけだけど、マシになってる気がします」
「ふふふ。それはわたしたちの、母親たちの愛情分かもしれませんね」
「母親……たち?」
目が合った。彼女の眼は、不思議な色をしていた。それこそゆらめく水のようで、きれいで透明だけど、どこか実体がない、そんな感じだ。
「わたしの名はアルビエラ。かつて第8代目の魔王として地上を治めていたもの」
「魔王!?魔王って、あの世界を征服するとか、破壊するとか言う!?やっぱりここ、悪の秘密結社のアジトで、僕は改造されたのか!」
「どうしてもそっちの方向に話を持っていきたいの?困った子ねえ」
社会人になって、忙しくなって忘れていたけど、僕はそっちの話が好きだった。学生時代はトサケンだった。特撮研究会で、トサケンだ。あの超クソゲーで有名なハイパーTOKUSATUウォーズだってどっちのルートもちゃんとクリアした!
だけど、残業に休日出勤に転勤やら部署異動まで続いて、僕の趣味は完全にすりつぶされた。ゲームどころかテレビすら見る時間はなくなり、日曜の朝の番組だって、僕の部屋には一話も見ないまま録画した円盤だけが並んでいた。きっとあの部屋も、今ごろどっかの業者さんが片付けてしまったんだろう。
「せめてシン・〇〇〇を見てから死にたかったな……」
今頃になって涙が出た。そして……僕の中で、回答がでた。
「僕は、モウリ・シン……シン・モーリ。そう名乗ることにします。初めまして、お母さん」
僕の名前は、僕の決意で第一歩だ。ここで生きていく。だけど、今度は自分らしく、ちゃんと自分を生きていく。好きなことを見つけて、人に笑われ批判されることがあっても、今度は最後まで自分でいられる。そういう人に僕はなりたい。
お母さんという呼びかけは、実のところ冗談みたいなもので、この若い美人さんを母親と実感できるわけはない。相手もそうだし怒られるかも。だけど、これが予想外で。
「お母さん……ああ、もう一回呼んで」
お母さん、チョロイです……。僕が悪い大人だったらどうするんですか。そう思ったけど、なんだか感激してるアルビエラさんには言いづらい。僕と同い年くらいで同じくらいの身長で、落ち着いた雰囲気の女性だったけど意外だ。だけど、これが僕自身の違和感までなくしてしまって……もう、これ以外で呼べないじゃないか。チョロイのは僕だ。
「わたし……地上では苦労したから。実の子ともうまくいかなくて。だからモーリちゃんが懐いてくれてうれしいわ」
いい人なんだよな。なんで魔王なんかやってたんだろう?地上ではってどういう意味なんだろう。
「ここって冥界なんですか?お母さんも、実は死んでるとか?」
「く……お母さん……でもママもいいかも……うん。こほん。モーリちゃん。ママがこれから話すことを落ち着いて聞いてね。ママが、よ」
まずはあなたが落ち着いて、と言いたいけど、この一見穏やかな人も実は面倒くさい人らしいので、僕は大人しく聞くことにした。
「いい、ママ、が、話すのよ」
なんか期待されてるし。とても残念なことに、僕は前世でもそういうことに気が回る性分だった。
「はい、ママ」
よくできました、と言わんばかりのいい笑顔で、魔王は話し始めた。
…………今から140年ほど昔。一匹の巨大な竜が、ある国を飲み込みました。
「……国を?どんだけでっかいんです?」
「モーリちゃん。いい子だから、まずはママのお話を聞き終わってから質問してね」
「そうですよね。前世でもやたら質問して話の腰を折る人いましたからね」
とはいえ、話を聞いてるうちに質問を忘れてしまうことだってある。でもまあ、忘れようのないような大事なことだけに絞ろう……。
…………その竜はとても巨大で、多くの山が並ぶ山脈ほどもある大きさで、その使命は、この世界の秩序を乱す存在を取り除き、その胃の中で浄化することで、あるべき世界の円環に戻すことなのです。
「浄化してサイクルに戻すって、消化してンコにするってことじゃあ……」
「モーリちゃん」
「はい、ごめんなさい……」
…………そして、湖の妖精の元で発展した都市国家レクアもまた、発達しすぎた魔法の力が災いしてか、ついに世界竜に飲み込まれたのでした。
ある者は、引き抜かれた花に居ついていたアブラムシのように胃液の海にばらまかれ溶けていきました。運よく土地にしがみついていた者も、胃酸の雨に溶かされたり、竜の中に住む寄生虫や菌に殺されたり、生き延びた者たちも乏しい水や食料を奪いあい、争うようになっていったのです。
「……アブラムシって例えがエグくないですか?」
「あら、アリマキのことですよ」
「そうなの?……ごめんなさい。それにしても悲惨ですね……」
…………そんな過酷な中、レクア王の娘の一人、リエラ様がその強力な魔力で国を救ってくださったのです。リエラ様は卓越した知識と技能を身に着けた錬成魔法使いでもあったのです。ですが、それは、たとえ王女であっても容易な道ではありません。兄たちを追いやり、ついには反対する父とすら争って、リエラ王女は、国中の資源と、何よりも住民の魔力を得て、国土を作り替えたのです……そしていつしかリエラ王女は魔王と呼ばれるようになりました。
「魔王……国を救ったのに魔王なんですか?」
「……国難を救ったとはいえ、結果として、親族も逆らう者も全て処刑しての事業です。何よりもご本人が一番悔やんでおいでなのですから」
アルビエラ母さんは、僕の背後に目を向けているように思えた。
「……その人が最初の魔王なんですよね?でも……アルビエラ母さんは」
「マ、マ」
「…………ママは8代目だから、その人はママより随分昔の人で、なのにまるで会ったことがあるみたいな言い方ですね」
「…………モーリちゃん」
「はい」
「……魔王となった者は、その魔力を王国のために捧げるの。それは年中、そして一日中」
「……大変そうですね」
魔力そのものがわからない僕にとって、それを捧げることの実感がない。だからどこか他人事なってしまう。
「モーリちゃん」
少しだけ、それを咎めるような悲しいアルビエラさんだ。
「ごめんなさい」
「……仕方ないの。でもね……魔力を絞りつくされた魔王は、人の姿を失い異形となって人界を去るの」
「え?」
「だから……あなたが思うような意味では死なないの」
背筋が妙に寒い。振り向いた僕の目には、巨大で細長い影が見えた。同じような影が何柱も立ち並び、だけどきれいな水の中なのにそれ以上はなぜかはっきり見えなかった。
「あなたがさっき言ったでしょう」
ここは冥界。つまり……地上を、人界を去った魔王たちは、ここにいる?
「でも、でも……アルビエラさんは」
「ママ」
「……ママは?ママも?」
「わたしは、もともとは、ここの島の住人じゃなかったの。そのせいか魔力はそんなになくて、だから今も頑張れば短い時間なら昔の姿でいられるの」
そう話すアルビエラさんの、ママの目から涙がこぼれた。
「だけど、よかったな。ちゃんとこうして子どもと話せるんだから、魔力が足りなくて、情けなくて苦しかったことも報われたな」
僕の前世の母親も、いい母親だった。だけど、母も父も早くに事故で他界していて、僕には頼れる大人がいなかった。だからだろうか?
僕は、自分と同じくらいの女性を抵抗なく抱きしめて、ママ、と呼べた。
「ありがとう、モーリちゃんはいい子ね」
「そんなことないよ」
僕は自分のやりたいこともできないまま死んじゃった臆病者だ。
「……そんなあなたを、わたしたちの子どもとして召喚したことを許して」
「ママ。わたしたちってどういう意味?」
「あなたの体は、わたしたち、人界を、地上を去った12人の魔王がその身を分けてこしらえた体」
「……ママ。僕は改造人間じゃなくて人造人間だったの?」
「ごめんなさい。なにを言ってるのかわかないけれど……でもそうね。自然な形で生まれた子じゃないの」
錬金術のホムンクルスか、それともフランケンシュタイン博士のクリーチャーか?はたまた新種のフレッシュゴーレムなのか?不安になった僕は、自分の体にツギハギやら電極やらがないか探してしまう。
「そんなモンスターみたいな僕が、ママって呼んでもイヤじゃないんですか?」
それにしたって母親が12人。しかも全員魔王……大岡裁きなら、一瞬でバラバラに引きちぎられそうだ。
「モンスターなんて。確かに最初はわたしたちの肉片から生まれた体だったでしょうけど、それがひとつになって、人の姿になって、とってもかわいいって思えたのよ」
そんなアルビエラ母さんは、やさしく微笑んで僕の右手を大事そうにつかんだ。
「実は、あなたの右腕は、わたしの右腕だったのよ……だから、ほうら」
アルビエラ母さんの右手の甲に、なんかの花の模様が浮かぶ。そして……よく似た模様が僕の右手にも浮かんだ。どちらも淡いピンク色で、ただ僕の花のほうがおぼろげだ。
「これは魔王斑。湖底に住まうかつての魔王の信頼を得た証と言われてるけど、わたしたちにとっては血の証ね」
「魔王斑……でもママの手はもう戻ってるよ?」
「わたしたち、少しくらい体が欠損してもすぐ戻るから、わたしももう戻ったけど」
母さんの向けた視線の先には、おぼろげな影が数柱と、人の、女性の形をした影たちと、そして手足の一部がまだ欠けたままの影たちが立っていた。
「ふふふ。みんな自分たちの子が気になるのね。わたしに案内役を押しつけたくせに、あなたがいい子そうだから、やっぱり会いたくなったのね」
僕の体のあちこちから、いろんな色の光がもれたり、変にうずいたり、痛かったり。
「……みんな、本当は人見知りだったり男性嫌いだったりひきこもりだったりで、だからわたしみたいに社交的で実務的でよそ者出身の下っ端に押し付けたの」
「ママ。なんだかみなさん怒ってますから挑発行為はやめたほうがいいですよ」
「あなたにママって呼ばれるわたしがうらやましいだけでしょう。なんなら今から案内役をお代わりになりますか?先代様?」
後で知ったんだけど、アルビエラ母さんの先代7代目魔王さんは、有名な引きこもりだったらしい。けっこう後ろの方にいた小さな柱が大きく揺らいでいる。
「マリエラ様、呪うのは厳禁ですわよ」
「呪い?」
「魔王同士でも、そういうのはいけません。真祖様がお定めになられたではありませんか。あら、リリエラ様は前に出てよろしいのですか?」
走るように僕の側にやってきたのは、どうみても10代に届かない少女だった。
「うん!だってあたいも子どもが飼いたかったから!」
子どもはペットじゃありませんって言いたくなる。子どもが好きか嫌いかと言われれば僕は苦手な方だ。
「リリエラ様は、大災害を防ぐために多量の魔力を消費してしまって、幼くして地上を去ったのです。少しくらいのことは大目に見て、ね、モーリちゃん」
「そんな。まだ子どもじゃないですか?」
こんな子が魔王になって、すぐにそんな目に?どこの世界も理不尽でやるせない。
「誰が子どもだ?お前、モーリっていうのか。あたしも母親の一人だぞ。ちゃんとだっこしろ!さっきアルビエラとだっこしてたろ!見てたんだからな!」
前世の常識が残ってるせいか、アルビエラ母さんの時より相当慎重に、でも頬をふくらませるリリエラちゃんをだっこした。高い高いってこうやるのか?
「きゃはははは!これ、いいぞ!モーリはいい子だな!」
はしゃいでるリリエラちゃんの左肩がぼんやり光って、僕の肩もそれに応えるように光りだす。
「……アルビエラ様。ルリエラ様はやはりお断りなさるそうだ。代わりと言ってはなんだが、わたくしもこの子の後見を引き受けるよ」
気配もなく、僕らの背後にいたのは、某少女歌劇団に推薦したいようなかっこいい女性だった。ただ立たずんでるだけで黄色い歓声が飛んできそうだ。そして僕の腰のあたりがうずきだす。
「ルビウエラ様、感謝いたしますわ。先代の事情は理解しておりますし、先々代が後見であればかの者らも納得しうるかも」
この「先代」は、さっきの7代目の、つまりアルビエラ母さんの「前」という意味ではないらしい。魔王同士の会話は込み入ってる。
「あなたに感謝されるのは面はゆいな。わたしもその子の母なのだし」
むしろ父と言いたいくらいですけど、それはそれで前世の腐った人たちに喜ばれそうでイヤだったりする。今も昔も僕はノンケなんだ。
「しかし、歴代魔王の中でももっとも政治家としての実績があるアルビエラ様も、子どものこととなれば判断が甘くなるのだな」
「……やはり難しいと?」
「ルリエラ様ご自身が未だ覚悟を決めていない。この現状では至難と言える」
「そうなのですね……どういたしましょうか」
憂いを帯びたアルビエラ母さんとルビウエラ母さんだけど、美男美女のカップルにしか見えない。しかし会話の内容がやはりついていけないし、入るべきでもなさそうだ。
「二人とも。難しい話をしておるから、モーリが困っておろう」
リリエラちゃんは、そんな微妙な雰囲気をぶった切った。
「モーリよ。我が子として地上では恥じることなく、しかし必ず幸せに暮らすのじゃぞ」
そして僕の頬に小さなキスをしてくれた。この子は小さいけど、やはり僕の母親なんだって感じた。それを見て、ルビウエラさんが肩を叩く。
「そうだな。しっかりやりたまえ。ただ、この肩に我らの悲願がかかっていることを忘れずにな」
そして、彼は、じゃなかった。ルビウエラ母さんは僕を押し出した。アルビエラ母さんの方へ。
「アルビエラ様。あなたからモーリくんに話すべきです」
アルビエラ母さんが涙ぐんでいた。
「ママ……?」
「ごめんなさいね。まだ話す決心がつかなくて……でも地上ではもう動きがあるのね」
その態度で、僕にもわかったことがある。僕は、この居心地のよさそうな場所から去らなきゃいけないんだなって。
「わたしたちの事情でつくった体に、勝手に魂を召喚して、そしてこの世界のことを押しつけるなんて……そんなひどいことをしたわたしを許して」
「ママ。会ったばかりだけど、アルビエラ母さんも、ルビウエラ母さんも、リリエラ母さんもみんないい人で、僕のことを案じてくれてることは感じられたよ。僕はあなた方の子でうれしい」
「モーリちゃん……」
「だから許すも許さないもないし……どんな形であっても、僕を産んでくれてありがとう」
アルビエラ、ルビウエラ、リリエラの、すぐ近くにいる母さんを、そしてもっと遠巻きに僕らを見てる母さんたちを僕はゆっくり見つめていく。なかには、やはり影のままで見えない柱のままだったり、僕から顔を背ける人影もいたけど。
本当の母さんには言えなかった。できれば父さんにも言いたかった。だけど前世でできなかったことが、今ここでできるなら、どんなことでも必ずするべきなんだ。
「ありがとう、ママたち!僕はここで生まれてうれしいです!……だから、僕を産んだ理由を教えてください」
ウスウスながらわかってはいる。だけど、聞かないのは逃げだ!そして、臆病な僕は追い詰められないと本気になれなかった。そんな弱さは捨てなきゃいけない。
順順に見つめた母さんたちの、だけど最後に目があったのはやはりアルビエラ母さんだった。
「モーリちゃん。あなたに……この世界を救ってほしいの。世界竜に飲み込まれて、もう資源も魔力も尽き果てようとしている、この小さなレクアを」
状況は絶望的だ。ここにいる、歴代12人の魔王ができなかったことを、まだなにも知らない僕がやらなきゃいけない。
「だけど、モーリくん。わたしたちが君を新たな魔王に推薦するわけにはいかない」
「表立って応援すらできぬ。事情があるのだ。難しい大人の事情じゃ」
「だからモーリちゃん。あなたは、地上で……一人で頑張るしかないの」
しかも協力はなし。仲間もいない。孤立無援か。僕の嫌いな言葉だ。
「だけど……これをもっていって。あなたの役に立つと思うの」
それは、指輪だ。アルビエラ母さんは、僕の右の人差し指に青みを帯びた銀の指輪をはめてくれた。台座につけられた大きな碧玉が輝いて複雑な文様を描いた。
「フェアリーリング……魔王と妖精との契約証よ」
「君には三体の妖精をつける。彼女らが君の身を護ってくれるはずだ」
「とはいえ、契約通り従うかどうかはわからんぞ?だってモーリは魔王じゃないのじゃからな」
「それでも家のカギくらいにはなるさ」
ビミョーだ。お守りくらい思っておこう。だけど、そう、うれしいのはこれを贈ってくれた母さんたちの気持ちだから。
「これも」
5mmほどの小さく透明な球体は、なにかの宝石だろうか?それは僕の右手の、あの魔王斑の位置に吸い込まれた。
「ありがとう、ママ」
アルビエラ母さんが僕を抱きしめてくれて。それが僕の旅立ちだった。僕は母さんたちに見送られて、湖の底から地上に向かった。