その10 そのエスはちょっとエス
その10 そのエスはちょっとエス
「マオマオ様~エマエマもヒサヒサにエスエスと会いたいの~」
イシャナさんとの面会、そして元老院への提案は、いずれも僕の希望でしかなく、今はシャルネさんに賴ってばかりだ。そして、僕の希望が実現するとしても数日は軽くかかる。
「でもでも~今日はダメダメなの~エスエスはマオマオ以外にはシャイシャイだから~」
だから、エムリアさんが巨大怪獣というか巨大カイチュウを退治してくれた後、僕は家に帰ろうとして、帰り方がわからなことに気がついて。で、戦後処理で多忙なシャルネさんには道案内を頼めず、結局エムリアさんに頼んだんだけど。
「マオマオ様~ナルハヤでチョキチョキするの~ビョウで帰らないとエスエスがオコオコなの~」
相変らず、僕にはエムリアさんがなにを言ってるのかわからない。なんとなく急いで帰れ的なことを言われてる気がするけど。リボンだらけの金髪ツインテールにフリルまみれのミニのドレス姿は、何も言わなければフツーに美少女アイドルなんだけど、僕にとっては苦手で残念な子でしかない。なんて考えてたら、不意を突かれた。
「ピュンなの~」
いきなり手をつかまれて、次の瞬間景色が変わった。崩れかけの防壁から見覚えのある住宅街へ。目が回ってそのまま倒れそうになった僕だけど。
「マオマオ様~エスエスにヨロなの~」
で、手を振ってすぐに消えたエムリアさんだ。白銀の光を余韻に……魔法か!?いや、今さらですけど。
街妖精のエムリアさんは、街の中ならどこでも転移できる、なんてことは後で聞いた。
薄暗い中で勝手口にしか見えない玄関は、確かに今朝見た記憶がありますけど。
「いけない、今日の食材、なんとかしないと」
出がけに見付けた財布の中身を確認し、僕は玄関から回れ右して買い物に出かけた。
だけど、暗くて臭い中、竜酸だまりをさけて狭い街を歩くと、すぐに気づいてしまう。
「うわ……店らしい店、全部しまってるし……」
そもそも人通りがない。さっきまでエムリアさんが街妖精として外出禁止を出してたわけで、まだ解除されてないかもしれないけど。
「そっか、午後はみんな労役だから家業ってやらないんだ。僕は聞いていたはずなのに」
そう。基本的に、ここでは個人の店は午前中しかやってない。
「不便過ぎる……」
コンビニとまでは言わなくても、せめて夕方までやっててほしかった。
「あ、変なおじさん!」
その屈辱的な呼び方には、心当たりがあった。青雲堂で会った家族連れの子だ。
とても幸運なことに、父親が家業として「御用聞き」をやってて、しかも食品の配達もしてくれるらしい。さすがに今日はムリだけど明日から時々顔をだしてくれるということでまとまった。おまけに奥さんが貴重な食材……僕の目にはじゃがいもに見えた……を分けてくれた。
「本当にありがとうございます」
「いいってことでさあ。あの時はろくにお礼も言えなくてすいやせん」
「娘も本当に喜んでましたわ……今日はまだ休んでますけど」
よく見ると、奥さん、若過ぎ。子どもが二人いるけど、僕には二十歳くらいにしか見えない。ご主人は、30くらいだけど。う~む、うらやましい。
だけど、娘さんの病は重そうだ。この街を、いや、国を覆う光壁の光量を増やすことが根本的な解決なんだ。改めて、僕の無駄に豊富な魔力とやらをうまく使わないといけない、そう思いながら僕は家に帰った。
「エスリー」
家に着いたら、自分を呼んでほしい。そうすれば姿をあらわして扉を開ける。なんて、家妖精らしい言葉を思い出して僕はその通りにしたけれど。
「……エスリー!僕だけど」
だけど、エスリーが姿を見せることもないまま、時間だけが過ぎる。イヤナヨカンが急速に膨らんでいく!エムリアさんが急いで帰れ的なことを言ってたこともそれを助長する。僕はドアノッカーを使うこともせず、重い石扉を開いて家に入った。
火精霊が働いていないのか、暗い廊下をそのまま走り出す。
「エスリー!エスリー!いないの!」
……いない訳がない。エスリーは家妖精で、基本的に家から出られない。だから湖から帰るときに僕と一緒に歩けるってあんなに喜んでた。
なのに空気がよどんでいる。外の竜酸臭が家の中まで入り込んでるのは、風精霊が働いていないからだ。家妖精のエスリーがちゃんとしてたら、そんなことがあるわけない。
「エスリー!」
居間にもいない。僕の膝の上に腰かけて、僕に『栄養補給』を使ってくれたのに。
「エスリー!」
洗浄室にもいない。精霊たちと一緒に僕を回転させて、楽しそうに笑ってたのに。
「エスリー!エスリー!」
入ったことのない応接室にも、降りたことのない地下室にも、「お家ではお仕事禁止なの」と言ってたくせになぜかある執務室にもいなかった。後は……客室と屋上と、寝室だけ。
「エスリー!」
寝室は最後にした。一番いそうなそこいないことが怖かったから。僕は臆病者だ。
だけど、客間にも屋上にもいなかった。
「……エスリー……隠れてないで姿を見せてよ。もう一度僕を旦那様って呼んでよ」
あのメイド服を着た小さな姿が見えない。少し舌足らずな声が聴けない。それがとても苦しくて僕の胸をしめあげる。
「エスリー……まさか……魔力がなくなって?」
エルダさんやエムリアさんと違って、エスリーには直接魔力をあげられなかった。あんなに魔力不足を訴えていたのに、あげられたのは汗や体温と一緒に自然放出される余剰魔力だけで、とても能率が悪い。それなのに、この家を維持したり僕のお世話をするために何度も魔術を使ってた。
「僕の帰りが遅かったから……妖精としての存在を維持できなくなって?」
僕は寝室に入って崩れ落ちた。そこにエスリーの姿はなかった。
「エスリー……もうわがまま言わないから、なんでも言うこと聞くから……だから……」
僕は気配のない家の中で、一人泣いた。僕のメンタルは天使さんに言われた通りすっかり弱くなっていて、エスリーがいない家に一人いることに耐えられそうになかった。寄り道せずに帰っていた自分はバカだ……こんなことになるんて。自分を責めることは簡単で、そこに埋没していたい弱い僕だ。だけど僕はあきらめられなかった。諦めのいいことが僕の前世の取柄だったけど、今の僕はこんなに弱くても諦めたくなかったんだ。だから?そう、だから僕は泣きながらでも何度もその名を呼んだんだ。呼ぶしかできなかった。
「エスリー……?」
何度目に呼んだ時なのか?……かすかに気配を感じた。そして右手の人差し指がキリキリ痛み出す。フェアリーリングがそこにはあった。明かりもない部屋でなぜかリングが青く光った。それ見た僕はなにも考えず、唱えていた。
「……魔王と妖精の間に結ばれし古の契約に基づき、我は汝を召喚する……」
指がちぎれそうに痛い。だけど今の僕にとってはそれは却って勇気をくれる。
「家妖精エスリー、我が前に顕現せよ」
声に張りもなく、ちゃんと立ってポーズをつける気力もない。それでもただ願った。僕は、心の底からあの家妖精と会いたいんだって。
「……エスリー!出てきてよ!なんでも言うこと聞くから出てきてよ!」
何か起きないか、期待して待つ間がとてつもなく長く感じた。だけど、ゆらりと空間が揺れて、青銀色の光が、にじみ、少しずつ形をつくっていく。その数秒はさっきよりもさらに長く感じたんだ。
「…………エスリー……」
「旦那様……言質いただいたの」
そしてエスリーは僕の前でお辞儀したんだ。
「おかえりなさいなの、旦那様。エスリーはずぅっとお帰りをお待ちしていたの」
「……遅くなってごめんねぇ」
「本当なの。旦那様が遅いから、エスリーは魔力が足りなくて、姿を維持できなくなったの」
「ごめん。ごめんよお」
人間で言えば意識不明に近かったらしい。もう僕はエスリーに頭が上がらない。
「旦那様……だからエスリーは今すぐ魔力をいただきたいの」
「どうすればいいの」
「旦那様はおニブイの」
そしてエスリーは甘えるように僕に抱き着き、両腕がきゅっと首に巻かれる。
「旦那様の体温と一緒に放出される魔力が、エスリーには一番のごちそうなの」
「……僕はエスリーのご飯だったんだね」
どうりで懐かれてる訳だ。これは餌付けか?ちょっと残念な理由だけど仕方がない。
「それだけじゃないの。旦那様は今までお仕えしてきたどの魔王様よりも弱くて、すぐ死にそうで心配なの」
「…………縁日の金魚とかヒヨコとか?」
世話してもすぐに死んでしまうペット枠だったか……。
「旦那様がなにをおっしゃってるかやっぱりわからないの。でも魔力が豊富なのに操作できないし魔術も使えない旦那様は、危うくて目が離せないの」
エスリーは僕に甘えてるように見えるけど、でもその顔はさっき会った若い母親のようだった。
「だから旦那様はエスリーから離れちゃいけないの」
「でもエスリーは家から出られないんだよね?」
つまりはもうこの家から出さないってことですか?監禁だ。
「……旦那様は、エスリーの言うことをなんでも聞くって言ったの」
「…………はい。言いました。でも」
「口答えしないの。エスリーの言うことを聞かない、ウソつきの悪い旦那様は、もうお世話してあげないの」
「いやいや、エスリー!?キミが世話してくれないと僕、すぐ死んじゃうって自分で言ったよね?」
「……もうお休みのキスもしてあげないの」
「うっ」
「おはようのキスもしてあげないの」
「うおっ……」
たかがおはようとお休みのキスだ。それで死ぬことはないけど……でもそれはつらすぎる!
「もう一緒に寝てもあげないの」
「え~!イヤだ!エスリーが一緒じゃないと僕はもうぐっすり寝むれないよ!」
僕はまるで手足をジタバタしてしまう。子どもか!?でもどうしようもない。
「ダメなの」
「そんなあ、いじめないでよ!」
「旦那様、今のエスリーのエスは、ちょっとエスのエスなの」
その後もけっこういじめられて、結局僕はエスリーに屈服した。最初から勝ち目はなかったけどさあ。
「これからは、エスリーがハグする時、恥ずかしがったりしちゃいけないの」
「一緒に寝る時は、こわばったりしないで優しくエスリーをハグするの。髪もなでなでするの」
「エスリーがキスしたらちゃんと返すの」
ツライ。ツラ過ぎる。それは、僕の前世の常識に思いっきり抵触する行為の列挙!10代前半どころか入り始めのエスリーは、見た目JSで、そういう子とのそういう行為は事案とか事件とか、そういう単語が脳内でレッドな警告を出しまくる。前作より火薬を3倍増やした風見志郎か、或いは命綱なしでヘリからぶら下がった城茂並みに危険だ。
「旦那様のお国はお寂しいの」
「……スキンシップが乏しい国だったことは事実だけど」
「でもエスリーには旦那様の魔力が必要なの。どうせならおいしくいただきたいの」
……僕が恥ずかしがったり気まずくなったりした状態で魔力をもらおうとすると、今一つおいしくないらしい……主にエスリーの気分的に。
「旦那様もエスリーが嫌いなのっ思ってしまうの」
「……も?」
エスリーはお世話好きで働き者だ。独占欲が強くてヤキモチ焼きでもあるみたいだけど、今までの魔王さんたちはみんな女性だったはずで、問題はなさそうだって思ってた。
「ルリエラ様はエスリーがお嫌いだったの」
実はエムリアさんもそんなことを言っていた。それで魔力を融通しやすくなるようにと接近してきた元老院の申し出を拒まなかったらしい。
特にスキンシップで魔力補給を望むエスリーは、いつも魔力が不足するようになってたとか。
「ルリエラさんはなんで契約妖精が嫌いだったのかな」
「嫌い、とおっしゃったことはないの。ただ、いつまで経ってもよそよそしくかったの」
だから、エスリーの魔力不足は何年も続いていて、だからかなり深刻だった。
「気づいてあげられなくてごめんね」
「それは仕方ないの。旦那様は出会ったばかりで、何も知らない方なの」
その通りだけど、その事実が今の僕には慰めにもなってくれない。
「でもそれじゃダメなんだ。僕はエスリーたちの主なんだから」
たとえ昔の契約に頼ってるとはいえ。
「旦那様。旦那様は弱くてもお優しいの」
いつの間にか自然な形で僕の寝台にもぐりこんだエスリーだけど、不思議に重いとは思わない。普段着のメイド服より薄い寝巻姿で、罪悪感はまだ残ってるけど、それより彼女の体温が僕を安心させる。
「そっか。ワイヤレス充電器の上にスマホを置いてるみたいなんだな」
エスリーにとっては充電で、僕にとっては不安材料をなくして安眠するための儀式だね。逆らったらイジメられるし、彼女に魔力をあげない理由はないしね。
「旦那様」
「あ、は~い」
言われた通り、でも決してイヤイヤではなく、感謝を込めてエスリーを抱きしめて髪をなでる。エスリーの髪はとてもしなやかで、少しひんやりしてる。
「今日の旦那様は、いつもより素直でおかわいいの。魔力もずっと甘いの」
幼いとはいえ女の子をだっこしてる。緊張してないわけではないけれど、でもエスリーは満足そうにささやいてくれた。合格らしい。
「旦那様、おやすみなさいなの」
そして、昨夜のようにキスしてもらうと、僕は一瞬で眠りに落ちた。エスリーのキスは、砂男の眠り砂よりもよく効くと思う。
「……ロリコン」
ここは天界だ。目の前には天使さん。そしてどこまでも広がる青い空が広がっている。
「空って、こんなにきれいなんですよね」
「キミ!僕の話、聞いてる?」
「なんでしたっけ?」
天使さんは薄い胸を張りながら冷ややかに僕をにらんでる。
「キミが年端もいかないような妖精をベッドに引きずり込んだ話だよ」
「僕、そんなことしてませんよ」
前にも似たようなことを言われたせいだろうか?今回は冷静に反論できる。
「まず、引きずり込んだりしてません。エスリーへの魔力供給は、エスリーの望みで僕の義務です」
「……そういう大義名分なら許されると思ってるんだ?」
「エスリーは、外見こそ幼げですが、実年齢は……はっきり聞いてないけど僕より相当上じゃないかな」
僕は最近の言葉には疎いから、ロリBBAなんて言葉は知らないけど。
「……妖精なんだから実年齢なんて二の次だよ」
「何より、僕、ロリコンじゃありませんよ」
「キミね~ウソつきには天罰が下るよ」
ウソかな?エスリーがかわいいかかわいくないかって言えばとてもかわいいと思う。世話好きで働き者で、かなりおせっかいでヤキモチ焼きではあるけれど、僕は彼女にお仕置きされても気にならなかった。
「ほほ~う?キミ、実はロリコンじゃなくて……あっちの方?」
「はい?」
「妖精ちゃんはちょっとエスって言ってたけど、キミは」
「そっちじゃないです!」
「急に大きな声をだして……図星?」
「ち、が、い、ま、す!」
「ムキにならなくていいよ。ボクは人の性癖に寛容だからね。お互いそれでうまくいって周りに迷惑かけないんならいいんじゃないかな」
とんでもないことを言う天使さんだ。そういうのに厳しいのが宗教だと思うんだけど。
「宗教とは人間の主義だよ。必ずしも天界の考えと同じじゃない。ボクたちにとって、そういう自由さもまたキミたちの特権だって思うんだ」
神様の教えと教会の論理が食い違うことはある。そういうことなんだろうか?
「ところでさあ……ちょっといいかな」
……今さらだけど、天使さんの頭上に輪が浮かぶ。これからは仕事モードらしい。
「なんです?」
「……キミ、妖精たちと魔力でつながったせいで、ステージが一つ上がっちゃった」
「はい?」
エスリーやシャルネさんには、よく言われる。僕の言うことがわからないって。あ~こういう感じなんだ。なんだかしみじみしちゃうね。
「まだ実感ないだろうから、詳しくは折を見て説明するとして……気をつけてね」
全然わからない。そしてぼんやりしてた僕は、天使さんにつき落とされた
「旦那様!旦那様!」
「あれ……エスリー?おはよう」
「おはようじゃないの。旦那様、あんなところに食べ物を放り出して!」
「え?」
目覚めても暗いままのこの世界の朝は、今も慣れない。だけど真っ暗じゃなくなったからこれでも一応は「朝」らしい。
「食べ物を粗末にしちゃいけないの!旦那様、お仕置きなの!」
「お仕置き!?」
思わず寝台から跳ね起きて、またもムダについてる天蓋に頭をぶつける。
「こんなにせまい寝台なのに、なんでこんなのついてるんだ……」
しかも異常に痛い!痛覚をチョクで刺激してるんじゃないか?
「これはエマ…‥エムリアに魔力を届ける仕組みなの」
「エムリアさんに?」
なにしろここは歴代魔王の私邸だから、その魔力を、無駄なく使えるようにそういう仕組みがあるらしい。僕が魔王にならなくても、僕の魔力は街妖精に届けられるわけか。
「だけど動きだしたのは昨夜からなの。旦那様……エマに直接魔力をあげたの?」
直接魔力を与える。それは契約を結びなおすということを意味するらしい。
「……なんで僕、にらまれてるの」
「なんでもかんでもないの!エマは今、元老院の走狗なの!先代様を裏切ったの!」
「でも、それはルリエラさんが妖精嫌いだったら仕方ないんじゃないかな。エムリアさんだって魔力が必要なんだし」
「言い訳しないの、旦那様!」
「はい!」
……エスリーの方こそルリエラさんに魔力の補給を拒まれがちで、魔力不足は深刻だったはずなのに、元老院側に寄ったエムリアさんに厳しい。
「もう、食べ物は粗末にするし、旦那様、今朝はおはようのキスをしてあげないの」
「え~」
そして、僕はたったこれだけで深刻なダメージです。
「……食べ物って、昨夜のイモかあ」
エスリーがいなくて、慌てた僕は玄関に入るや放り出したらしい。
「アルビャーモなの。8代様がお広めした作物なの」
レクアにはもともとなかった作物で、この過酷な環境でも年6回は収穫できるとか。魔術的なのか錬金術的なのか、そういう類の処置でできた作物らしい。
「そっか。これ、ママが広めたんだ」
アルビエラ母さんを思い出す……ってほど一緒にいた時間は長くなかったけど……。
「あれ……?」
僕の右手の花章……ママの魔王斑……がうっすらと輝くと、僕にはこのアルビャーモの組成を理解できたんだ。
「すごい……土中の栄養素をこんなに効率よく……土精霊の魔術に、錬金術による進化促進の成果か……」
錬金術とは自然な状態では不完全・未成熟な生物や物質を神秘的・化学的手段により完全な状態に進化させる術だったはずだ。土は金になり、最終的に人間は「完全な知識と徳」を得てイエスのような存在に押し上げるための学問だった……頭の片隅でそんなことが浮かんだ。
「旦那様?」
「でも……食品部門に異動させられた時の資料……ああ、集約的農業で……」
僕の母国の農業は、なにかと批判されがちだ。やれコストが高いとか、土地が狭い国で小規模農業するには効率悪いとか、食糧輸出国を見倣えとか。
だけどそれは見当違いだ。世界全体の食糧不足を改善するには、世界こそ母国の農業を見倣う必要がある。だって、単位面積当たりで養える人口を比較すれば、
「……1ha辺り、10人に対し、米国で1人、豪州で0.1人だったかな」
作物の違いにもよるけれど、つまりは食料大国の10倍、100倍の効率といえる。
「……旦那様ぁ?」
「つまりは、人手に時間、コストこそかかるけど、安全性と生産性を考えたら、あの繊細な集約的農業がいかに優れているか、もっと知るべきだったんだ」
僕の脳内で、いまいろいろな数字が走り回ってる。レクアの土地面積、現在の作付けで見込める収穫量、その人口による適正な労働量に消費量、それに加えて、なぜか思い出すように浮かんでくる、魔術による収穫の補正効果……
「……農業用ゴーレム?その台数に性能は……」
意外なことだけど、世界二位の食糧輸出大国は蘭国だ。九州と同じくらいの面積しかないのに、その生産性は栽培技術の高度化、生産者・販売者・研究者の緊密な協力体制などで驚異的な成果をあげてる。その一つに農業用ロボットの開発とその利用も挙げられていた。
「ゴーレムは農業以外にも使えそうだな」
増産できれば、街の人の負担になってる午後の労役も減らせるし、それに加えて僕の魔力で光壁の光量をあげることができれば
「うん、数か月で成果が見込めるね」
「だ!ん!な!さ!ま!」
顔をあげればエスリーの激おこのドアップがあった。
「お家でお仕事は厳禁なの!そんなことをしてたら早死にしちゃうの!」
魔王さんたちは、その魔力で国を守り、さらには統治者でもあった。今では元老院に権限の多くを持っていかれたみたいだけど、家の外で政治、家に帰っても魔力の提供。こんな生活じゃ、過労死も当たり前だ。前世の僕だってここまでブラックじゃなかったって思います。
「そんな怒らないで。仕事なんてしてないから」
僕はどうせ魔王じゃないから、今のは、ただの趣味だ。趣味の国家経営……かな?どうせ政治は元老院にやってもらうし、魔王だって先代養女になってもらう。僕は……うん、プレゼンの準備だな。
昨日までおぼろげだったことが、今朝はなぜかはっきりとわかる。前世の経験と、なぜか浮かび上がるここでの知識が結びついて……なんだかレベルアップした気分だ。なんにもしてないのにね。




