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June:PART1

六月に入って、梅雨の季節の到来だ。

そんな雨だけでも嫌になる六月は、架音学園の生徒にとって最も嫌な行事がある。

学園統一試験の実施だ。

架音学園の生徒達はほとんどがストレートで大学に上がる。

大学側が作るこの試験の結果は学部を選ぶ際に自分の持ち点として使われる。

今はちょうどそのテスト一週間前。

生徒だけでなく先生もピリピリしているのだ。

「今から統一試験のために自習にしてやるから各自で勉強しなさい!わからないところはすぐ聞くように!いいね!」

数学の時間、あからさまに面倒くさそうに先生がいう。

わからないところなどというと、クラスのほとんどが先生を呼ぶことになる。

そしてこういう時りおは必ず嫌な思いをする。

「りおちゃん!ここ教えて!」

先生一人では手に負えない状態になると、決まって日頃話さないクラスメートまでりおを頼ってくる。

「…いいよー!ここはね、xとyをそれぞれ――」

そんなりおを陸斗は横目でみる。

『…嫌なら断れっつーの。…あいつの隣にいて二カ月…。進歩ねーなー』

陸斗は窓の外へ視線を移す。

この日はつかの間の晴天だった。

校庭ではどこかのクラスが体育をしていた。

「ふぅ…」

やっとの思いで人払いしたりおの口からはため息がもれた。

「…幸せが逃げてくぞ」

視線は外を向いたまま、陸斗はいう。

「…もう逃げていく幸せすら私にはないよ」

「…りお?」

「…何でもない」

空の青さとは逆にりおの心には雲がかかりっているようだった。

そしてこの日の放課後、生徒が帰る頃に雨が降り始めていた。

青空は真っ黒な雲に覆われている。

『…傘…ないし。…走って帰んなきゃ。れおはまた呼び出しくらってるし』

教室でれおを待っていたが、れおから先に帰っているようメールが届いた。

下駄箱で靴を履き替えて玄関に向かう。

と、人もまばらになった玄関に見慣れた背中があった。

「…陸斗?」

「やっと来たか。入れてってやるから、さっさと帰るぞ」

「何で私が傘ないの知って……」

「さぁ、何ででしょう。ほら、行くぞ」

「うん」

陸斗の強引な言葉もりおにとっては優しいモノに聞こえる。

心の中にまっすぐ届く。

それは陸斗にとっても同じ。

その気持ちをなんと呼ぶべきか、今は誰も知らない。

りおの家が見えてくる。

「……りお」

「ん?何、陸斗」

「……昼間いってたよな。『逃げてく幸せもない』って。あれは…」

「……気にしないで。少しだけ気が滅入って弱音を吐いてしまっただけだから。だから……」

りおは言葉に詰まる。

陸斗もそんなりおを見て何も聞けなくなってしまった。

りおの家の前に着いて、しばらく黙ったままの二人だったが、りおが一歩陸斗の傘から出た。

「…ありがとう、陸斗!また明日学校でね!」

そういって笑ったりおの笑顔はどけか陰りがあった。

玄関へ駆け出すりおの後ろ姿。

「りお!」

陸斗はつい呼び止めてしまった。

これ以上りおを傷つけたくない気持ちと、りおのことを少しでもわかってあげたいという想いが陸斗の中でぶつかる。

「……きっと、陸斗にはいえるから、だから…」

りおはクルリと振り向く。

「待っててよ」

悲しみを隠したその表情を陸斗は知っていた。

いつかの自分を見ているかのように胸が痛む。

「…あぁ。気長に待ってるよ。でも、あんまり無理するなよ?じゃあな、りお」

「はいはい。ありがとね、陸斗」

二人は互いに微笑んで別れた。


「ただいまー。りおー?」

少ししてれおが帰ってきた。

「おかえりなさい。びしょ濡れだね。お風呂沸かしてあるから先入りな」

「おう。って、りお、お前また何かあっただろ。頼むから独りで苦しまないでくれよ。俺達は“唯一の”家族なんだから」

いってれおはりおを抱き寄せ頭を撫でる。

「…うん。大切な大切な家族…」


翌日は昨日に引き続き雨だ。

『…だりー。さっさと終わんねーかな、テスト』

陸斗はぼんやりと外を見る。

教室の窓を雨が叩く。

横ではりおがまたクラスメートに勉強を教えていた。

陸斗にとっても、りおにとっても、そしてれおにとっても、テストは苦痛なものではない。

三人とも勉強は嫌いでも、できないわけではないからだ。

りおだけは入学式での代表のように、今までも色々頼まれてしまい、今更隠しようがなくなってしまったのだ。

陸斗とれおの二人は、日頃の態度さえ良ければりおのように代表に選ばれてもおかしくない。

つまり、りおだけが損な役回りをしているわけだ。

『りおは何もしてねーのに。どうして、こう苦労ばかり……』

ふとりおの横顔を見て陸斗は焦った。

顔色があまり良くない。

けれどりおは笑っている。

嘘の笑顔でクラスメートの質問に答えていく。

『…りおのために何かしてやりたい。…でも、俺に何ができるっていうんだ』

誰かを大切に想うことはとても難しい。

それでも人は誰かを守りたいと考えるもの。

その気持ちは友情であったり、恋愛であったり、家族愛であったり様々。

陸斗にとってのそれが、りおになったのは、はたしていつからだったのだろうか。


授業終了のチャイムが鳴る。

「…ふぅー」

「…りお、大丈夫か?」

「何が?」

「何がって、お前顔色悪いぞ。……ちっ」

陸斗がりおにそういった直後、授業中だけじゃ足りなかったのか、何人かのクラスメートが再びりおのもとに戻ってきた。

クラス内ではできる限り話さない二人だ。

それはお互いのため。

相手が自分のせいで悪くいわれないように、相手を守るために。

と、一瞬りおは陸斗に微笑んだ。

まるで“大丈夫だよ”というように、りおの瞳から伝わる。

『どうすればあいつが心から笑えるようになる?どうすればもっとあいつの心、救ってやれる?』

陸斗の中のそんな想いとは裏腹に、テストまでの数日、りおが自分の勉強をすることはなかった。

そしてテスト当日も。

教室の鍵を開けるために早く来るりおを待ち伏せて、次から次へと人が入れ替わる。

りおも断ることなく教えている。

周囲は本当のとけろ知っているのだった。

りおが断れないことを。

それを利用して頼む。

『…たちが悪いんだよ。だいたい今更やったって手遅れだろうが』

陸斗は携帯をいじりながら思う。


最後の科目が終わり解答を後ろから集める。

『やっと終わったぁ。これでゆっくりでくるや。いろんな意味で』

一息つくとりおは立ち上がって用紙を集める。

陸斗もまたダルそうに集め始めた。

教卓のところにいる先生に渡して席へ戻る。

その途中のことだ。

「りおちゃんテストどーだった?」

いつもは全然話さない女子が話しかけてきた。

朝りおに群がっていた内の一人。

「どうだろー、でも自信ないなー」

りおがそういって通り過ぎようとしたその時だ。

「そんなこといってどうせできてんだよねー。いいねー、頭のいい人は」

『……まただ。…気にしちゃダメ…きりがないもの……。笑わなきゃ、ちゃんと笑顔つくらなきゃ…』

りおは笑ってその場を過ぎる。

自分の席に戻ると横には陸斗がいた。

りおの心が少し軽くなる。

「…りお」

「大丈夫。大丈夫だから」

りおが苦しそうに笑う。

「…桜見に行くか」

唐突に陸斗はいった。

「…え?桜?」

今は六月だ。

りおは不思議そうに陸斗を見る。

陸斗は小さく笑ってそっと人差し指を口にあてた。


放課後、テストも終わって部活動も再開だ。

りおは陸斗とともに校舎を抜けて歩いていた。

「こっちって桜並木の方だけど、桜なんて今の時期咲いてないんじゃ?」

りおが聞く。

春、花の舞うピンク色のアーチは初夏の日差しに瑞々しい葉を茂らせている。

「ここの桜じゃねーよ。……大丈夫じゃなかっただろ、さっき」

先程の教室でのりおを思い出す。

「……陸斗にはバレてるんだね。全てお見通し…かぁ」

りおは苦笑する。

「……俺の前では無理に笑うんじゃねーよ。泣きたいなら泣け。お前の涙くらい俺が隠してやるから」

陸斗はりおの目に溜まった涙をそっとぬぐう。

「…あれ、私…。……うん」

まっすぐに流れ落ちた涙は光を放つ。

りおの手を取り、ただ握りしめる。

今の陸斗にはそうすることしかできない。

手をつないだまま、歩き出してたどり着いた先はあの垂れ桜だった。

「ほら、まだ咲いてた」

陸斗の言葉にりおは顔を上げる。

「……今、六月なんですけど…」

りおの目からスッと涙が引く。

そんなりおを見て陸斗は微笑んだ。

二人の目前には満開の垂れ桜があった。

狂い咲きの垂れ桜。

テスト期間中に陸斗はこの場所へ足を運んでいた。

そのおかげで見つけることができたのだった。

りおの心を少しでも軽くするすべを。

「なんで…ってかおかしいじゃん!」

思いの外、軽くなりすぎかもと小さく陸斗は笑った。

「…俺さ、時々見にくんだよ、ここの桜。元気が出たならそれでいいんだ」

もうりおの瞳に涙はない。

梅雨の束の間の晴天。

りおの心の中と同じ。

「…ごめんね。泣いたりして…陸斗に負担ばからかけて……」

「…迷惑の次は負担か。ったく、このアホゥが。わかっちゃいねーよな」「?」

「……俺、スゲー不安になる。他のヤツの頼み聞いて、自分のこと後回しにして、いつか…いつかお前がぶっ倒れんじゃないかって。色んなものに押しつぶされるんじゃないかって…」

桜を見上げていう陸人の横顔が珍しく真剣でりおはドキッとした。

陸斗は怖い人なんかではない。

そのことをりおはよく知っている。

この二カ月で知らないところが見えてきて、それはありのままを見せることができたからだ。

『…本当は、本当の陸斗は怖くなんかない。不器用な優しさで、一生懸命理解しようとしてくれる。陸斗はすっごくかっこいいんだよね』

りおはクスッと笑った。

「…うん、もう大丈夫。ありがとう陸斗。いつもいつも元気をくれて、心配してくれて。私すごく嬉しい」

そういうりおの表情はやっぱり少し辛そうで、全ての傷を癒せたわけではない。

それでもりおは陸斗に笑いかける。

“嬉しい”といったりおに陸斗も同じように嬉しくなる。

「ねぇ、前にここで桜を見た時話してくれた伝説って何?」

「あんだよ、まだ覚えてたのかよ。……って、あれ?」

「…雨?」

つい先程まで晴れていた空はいつの間にか雲に覆われていた。

ポツリポツリと雨は降ってくる。

「そろそろ行くか。本格的に降ってきたらヤベーし」

「うん。…ねぇ、陸斗」

「あ?」

「また咲くかな、桜」

「さーな。でも、咲いてほしいって願ってたら咲くかもな」

桜を見ながら陸斗は微笑んだ。

「またつれてきてよ、陸斗」

「…あぁ」

二人は桜を最後にもう一度見上げてその場を後にした。

それから数日後、垂れ桜は初夏にあるべき姿に変わっていた。


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