August:PART1
世の学生は夏休みを満喫している頃だった。
夏の日差しは人の体を弱くするには十分すぎる程強い。
部活は別として、補習にさえ引っかからなければ、学校に来る必要はない。
が、架音学園はそんなことお構い無しだ。
八月の大イベント。
本格的な、それはもう偽物に混じって本物までちらほら現れる、いわゆる肝試し。
『ニクラス合同肝試し大会』と銘打ったこのイベントは、六クラスある一学年を二クラスずつで組み合わせ、脅かす側と脅かされる側を交代で行う。
この日はその組み合わせを決めるためにクラス委員だけ呼び出されていた。
「…だりー」
「さっきからそればっかり」
校門で待ち合わせをしたりおと陸斗は人の少ない校舎へ入っていく。
「組み合わせくらいテキトーに決めりゃーいいのによ」
「またそうやって。色々説明もあるんだから、しっかりやってくださいね、クラス委員さん」
クスクスと笑ってりおはいった。
「へいへい。あ、ところでよ、今日この後時間あるか?」
「うん。なんで?」
「兄貴のヤツは大丈夫なのか?」
「れお?平気平気。だってデートだもん」
「じゃあここ付き合えよ」
そういって陸斗は水族館のチケットを見せた。
「水族館だ!私イルカ大好き!」
チケットを見て子供っぽい笑顔で喜ぶりお。
そんなりおに陸斗は手を取っていたずらに笑ってみせた。
「デートに誘ってんだけど?」
「……え?!私でいいの?!」
『…激ニブ』
だいぶ慣れてきたりおの天然、にぶさに呆れつつ陸斗はため息混じりにりおを見る。
「お前がいいんだよ」
陸斗の言葉にりおは一瞬キョトンとしていたが、すぐに明るく答える。
「じゃあ、行こっか!でも、その前に委員会だよ!」
「はいはい」
委員会が行われる教室。
すでに数人のクラス委員は席についていた。
集合時間になって、先生が入ってくる。
「夏休みにわざわざ悪いねぇ。まぁ、さっそくクジでどことどこのクラスがやるか決めてしまおうクラス委員のどっちか前に来て引いてくれ」
先生はそういって教卓の上に箱を置いた。
クジは陸斗が引く。
引いたその紙には大きく真ん中に『三』と書かれ、右上の端に小さく『六』とある。
「大きな数字はペアを決めるためのもので、小さい数字は脅かされる順番だからな」
『…つまり最後の最後で脅かされるわけか』
自分の手にある紙を見つめながら、陸斗は先生の指示を待った。
「よーし、ペアと順番を書くぞー。『一』引いたとこー!えっと、A組とF組が『一』のペア。次、『ニ』はB組とD組。で、残り『三』が…」
先生が黒板に書いたクラスから残る二クラスを考える。
『…おいおい』
『まさか…』
教卓のところにいる陸斗と席に座っていたりおの目が合う。
「C組とE組が最後だなー」
「「…マジで…?」」
その後詳しく説明を受け、次に委員だけで集まる日時とやることを聞いて、クラス委員は解放された。
学園から出た二人は約束していた水族館へと向かう。
「水族館なんて、私久しぶり!でも、私なんかで本当によかったの?…あ、そっか!練習ね!」
「………はい?」
りおの的外れの推理に、陸斗の顔は引きつる。
「好きな子とのデートの練習!」
「……そーかもなー(このバカ!よくそんなややこしい発想にたどり着くな!これが本番だよ!)」
喉まで出掛かったその言葉を陸斗は飲み込んだ。
水族館の中は夏休みともあって人で溢れていた。
館内に入って、薄暗い通路を二人は歩く。
「うっわー!陸斗、見てみて、白クマ!」
りおは白クマのいる水槽の前まで小走りでいった。
いつもはなかなか見られない子供っぽいりおに、陸斗は微笑む。
『ったく、つれてきてよかったよ。…しっかしえらい人だな。これじゃ、はぐれちまう』
そう思いつつあたりを見渡し、りおが見ていたはずの白クマの水槽を見た。
「…って、いねぇ!!」
目を離したすきにりおの姿を見失ってしまった。
「ヤベ…、アイツどこいったんだ…」
陸斗は周りに目を配りながら走りだした。
その頃のりおはというと、いまだに白クマの水槽にいた。
それというのも、白クマが水の中にダイブしたのを追ってしゃがみこんでいたのだ。
そのせいで、他の客の影になってりおの姿は隠れてしまっていた。
「ねぇ、陸斗!クマさん来たよ!…って、あれ?陸斗?」
すぐ隣にいると思っていた人がいない。
そのことに急に不安が押し寄せる。
りおは走り出した。
「…あれ?」
「ん?どーした、梨月。何か欲しいものでもあった?」
「そうじゃないよ。ほら、あれ。りーちゃんじゃない?」
「んんん?ホントだ。りおだ。あれ、今日学校だっていってたけど」
私服のれおと梨月が同じ水族館でデート中だった。
「誰か探してるみたい。もしかして…あの人…」
「俺、りおに聞いてくる。友達とはぐれたんなら、俺も探して…」
駆け出そうとしたれおを梨月はとめる。
「梨月?」
「れー君、りーちゃんがはぐれたのは友達じゃなくて、きっとあの人…だよ。れー君の出番ね!」
「なるほど!…って何かスゲー微妙な気持ち」
「ほらほら、れー君。大事なりーちゃんが不安になってるんだから、ね?」
梨月とりおと、梨月のいうあの人を交互に見て、れおはケータイを取り出した。
突然陸斗のケータイが鳴った。
「……何だよ。こいつらも来てんのか」
陸斗はポツリとつぶやいて、来た道を引き返す。
『陸斗……、どこにいっちゃったの…』
りおは必死に陸斗を探して走る。
その時だ。
「きゃ!」
突然何かにぶつかって、りおは後ろに転びそうになった。
けれどそのまま、予想外にその何かに引き寄せられる。
とても強い力で、手を引かれ、肩を抱かれた。
『…誰?!っつうか、何?!………これは…』
「……探した。…やっと見つけた」
「陸…斗…」
「あ゛ぁ゛ーー!!あのヤロー!何肩抱いてんだ!離れろー!!」
「れー君、落ち着いて!今出ていったらりーちゃんにバレちゃうよ!……れー君はやっぱり、優しいね」
梨月はれおの腕をつかんだまま微笑んだ。
そんな梨月にれおも微笑む。
「俺が優しくなれるのは梨月とりおにだけだよ」
ゆっくりと顔をあげると、陸斗の顔がすぐそばにある。
りおは驚きと安心とで、どうすればいいのかわからないでいた。
「…ごめんなさい。はぐれて…」
りおが小さくいう。
りおの声に陸斗はハッとなってりおを離す。
「わ、悪い。お前が謝ることはねーんだ。ただ俺が…」
陸斗は恥ずかしさを隠すように手で口元を覆った。
『そう、ただ俺が焦っただけだ。りおの姿が見えなくなって急に…何か知らねーけど、不安になったんだ。だから見つけた時、早く声が聞きたくて……』
「…陸斗…」
「ん?」
「……あったかいね、陸斗の手」
「……?!」
肩を抱く手は離したものの握りしめた手はほどかれていなかった。
「わりー!何かマジごめん…」
陸斗はパッと手を離す。
けれどその手をりおがそっと両手でとる。
この時の陸斗にとってりおの手は少しひんやりしていた。
「りお…?」
「陸斗がよければつないでいてよ。またはぐれてしまわないように。……ダメ?」
「べ、別にダメじゃねーけど、お前は平気なのかよ」
「うん!」
りおは笑った。
陸斗の手を包む小さな手。
そして、その小さな手をひとまわり大きな手が包み直す。
繋がった絆を断ち切らぬように。
それから数日後、C組とE組の生徒は学園に集まった。
肝試しの詳しい説明を受けるためだ。
二クラスは余裕で入る視聴覚室で、りおと陸斗、それからE組のクラス委員が前に出て説明していく。
肝試しは明後日、明々後日の二日間。
初日はC組が脅かす側で、次の日はE組が脅かす。
誰が提案したのか今となっては不明だが、女子は浴衣着用だ。
そしてもちろん学園行事では当たり前の男女ペア。
学園からの帰り道、兄妹で並んで歩く。
「りおー」
「何?どうしたの?」
「大丈夫かー?」
「…何が?」
「何がって……おばけ」
りおはドキッとして一瞬足を止めた。
「昔からダメじゃん。そーゆー系の話聞くだけで気持ち悪くなったりしてたじゃん。C組とE組での化かし合いは俺としては少し安心だけどさ。何かあった時すぐ助けにいけるし」
「………大丈…夫…だよ。………たぶん」
「たぶんって。休んだ方がいいんじゃないか?どうせイベントっていっても出席日数には入ってないし」
「だめだよ。私クラス委員だもん。迷惑かけるわけいかないから。…それに」
れおはそっとりおの手を取っていう。
しっかりとお兄ちゃんの顔をして大切な家族である妹を見る。
「りおは無茶をしすぎるから。だいたい迷惑かけてんのは周りだろ?りおだけが苦労とか嫌なこと全て背負ってる。そんなの俺は嫌だ」
「ははっ。私だけじゃないよ。みんなそれぞれに苦労とかしてるよ」
りおが小さく笑った。
れおは知っている。
この時のりおの笑顔はりおが知らず知らずに出している合図だった。
りおの心はれおに助けを求めているのに、りお自身はそれを拒んでいる。
「…りお…」
「大丈夫だって!おばけはまぁ、置いといて、私そんな弱くないし!それに…」
りおがいいかけた時だった。
「…りおは何でも独りで解決しようとする!もっと俺を頼れよ!そりゃあ、俺はりおに何もしてやれなくて、“あいつ”はちゃんとりおを守ってる。でも、俺だって心配なんだ!たった二人だけの家族なのに…!」
れおがそういってりおの手を握りしめた直後、れおのケータイが鳴った。
れおはタイミングの悪さに顔を歪ます。
鳴り続ける着信音からどうやら電話のようだ。
乱暴にケータイを取る。
「はぁ?!今から?!え、しかも泊まり込みかよ!」
ケータイから漏れてくる声にりおは内容に気付き、れおの顔を覗き込んだ。
「いいよ、いっておいでよ。れおがいかないとみんな困るんだから。肝試しの仕掛け作る人手が足りないんでしょ?私は大丈夫だから」
「…わかったよ!あー!もう、俺は知らねーからな!!」
れおはそう叫んで走り出した。
『りおのバカ!どうしてこう他人のことばっか!……違う、一番のバカは俺だ。何でりおの所に留まんなかったんだよ…。……情けねー』
れおの後ろ姿を見送ってりおは切ない表情になった。
『そういえば、れおと喧嘩するのすごい久しぶりかも。どうしてれおは気付かないのかな。誰よりも信頼してるのはれおなのに…。それにね、れお。私、どうしても参加しなきゃいけない理由があるの』
この日かられおは友達の家で肝試しの仕掛けを作るために泊まり込んでいた。
その間りおも自分のクラスの仕掛けを作る。
仲直りもしないまま時間ばかりが過ぎ、れお達E組が驚かす最終日になってしまった。