表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

61/62

59話 僕たちは小さな丘の上で永遠に手を繋ぐ(後編)

 僕たちの結婚式と旅立ちまで、あと四日だ。

 みゆきと僕はそれぞれの仕事をしながら、患者さんたちに、旅立つことを伝えていった。


 僕の場合、一番最初に話したのはSさんだった、物事の順番からすれば、Cさんに報告するのが筋なのだが、介助は優先しなきゃ。


「ということで、僕たちは結婚式が終わったら、すぐに海外にボランティアに行くつもりです」

「そうか。若いんだから、いろいろ経験するといい。あ、終わったよ、本間先生」

「すみません、Sさん。僕の肩につかまってください」


 よいしょ、とお互いに声をかけあうと、Sさんを便座から車椅子へと、そっと移動させた。


「こうやってトイレで話すのも、しばらくなくなるねえ」

「また戻ってきますから」

「体に気をつけてな」

「Sさんこそ。ありがとうございますって、まだ式でお会いしますよ」


 手を洗っているSさんの後ろ姿が、とても小さく見えてしまった。

 何だか申し訳なく思えて、その背中に向かって頭を下げた。



「みゆき、Cさんを見なかったか?」

「あたいも探してるんだけどね。いないんだよ。外出してるわけでもないし」

「そっか。見つけたら教えてくれよ、みゆき」

「わかった。あと二人、診察が終わったら、Cさんを探すのを手伝うよ」

「ありがとう、じゃ、そのころに診察室に行くよ」


 Cさんの症状は、少しずつ良くなってきていた。そのためか、Cさんはよく外出するようになった。


 病室のベッドはもぬけの殻、食堂でも見かけなかった。本当にどこに行ってるんだろう。

 先日の職員会議で、Cさんに暫定的に、院長をやってもらうことに決まったのだ。推薦したってこともあって、僕から説明しなくちゃいけない。


 診察を終えたみゆきと一緒に、玄関方面へと向かっていると、


「本間先生?」 


 聞き覚えのある声に呼び止められた。

 ふりかえると、大輪の花が咲いたような笑顔で、小松さんがお辞儀をしてきた。隣にはCさんがいる。


「だれ? あの可愛い娘。知り合い?」


 眉をひそめたみゆきが、僕に耳打ちしてくる。


「市立病院の小松さんだよ。ちょっとCさんの件でお世話になったんだ」

「ふうん。そっか。初めまして、あたいは遠野みゆきです」


 みゆきは小松さんの顔をしげしげと見て、あっさりとした挨拶をした。


「Cさん、ちょっとお話があるんですが」

「いいぞ、小松も一緒でいいか? ちょっと荷物を持ってもらってるしな」

「はい。面談室までおいでください」


 Cさん達を案内している間、時々、小松さんからの視線を感じた。それに気がついたのだろうか。みゆきは僕の手をしっかり握り直してきた。



 面談室では、Cさんに丘の上病院の院長をお願いしたいこと。みゆきと結婚すること。結婚後、すぐ医療ボランティアに行くことを伝えた。


 小松さんは時々眉根をひそめたり、イヤイヤするように首を小さく振ったりしていた。あいかわらず自分の感情が出てしまうようだ。僕に対して、好意らしきものを持っているのは、知っているので、できるだけ淡々と済ませた。

 変に気を遣ってあげるほうが、傷つけてしまうことだってある。


「と、いうわけです。Cさん。お願いしますね」


 僕とみゆきが深々と頭を下げようとすると、それまで黙って聞いていたCさんが、さえぎるように言った。


「いや。俺の方こそ。一生懸命、再就職先を見つけてくれてありがとう」、と。


 僕にはそのひと言だけで、もう胸がいっぱいになった。きっとみゆきがそばにいなかったら、泣いていたかも知れない。


***


 いよいよ明日が結婚式だ。

 意外にも時間が淡々と流れていって、拍子抜けした。前もって、患者さん達や職員に話をしたからなんだろう。


 仕事も定時に終わり、その帰り道。

 ふいにみゆきが、コンビニに寄りたいと騒ぎはじめた。


「なんだよ、みゆき。この世界の最後の晩餐だから、シシリーで旨いものでもって、思っていたんだけどな」

「いや。あたいはコンビニ飯がいいんだ」


 彼女の握るハンドルは、とっくに目的のコンビニの方向を向いている。


「どうしてだ? 最後なんだぞ。この世界のメシは」

「だからだよ、浩。あたいと生活しはじめた時って、最初はコンビニ飯ばっかりだっただろ?」


 そうだった、そうだった。

 僕が料理するようになったのは、みゆきが作れないからだった。それに気づいて、作れるようになるまで、ずっとコンビニ飯ですませていた。


「そうか、だからなのか?」


 こくりとうなずいて、コンビニの駐車場に車を止める彼女。

 要は出会った頃の思い出が、コンビニ飯にはあるのだ。


 つかつかと弁当コーナーに行くと、同じ弁当をつかみ、レジに並んだ。とっくに買うものが決まっていたようだ。


「えへへ。これよ、これ」

 

 カゴの中には二本の発泡酒と、二つのハンバーグ弁当が入っていた。


「昔、みゆきがハマってたヤツじゃないか」

「そうそう。これと発泡酒が絶妙なのよね」


 彼女はハンバーグ弁当の甘いタレが好きなのだ。そのため一時、それしか食べなかったこともある。


 アパートに帰ると、満足そうにハンバーグ弁当と発泡酒を平らげた。その時の表情は、僕がプロポーズしたときよりも幸せそうに見えた。


***


 今日はとうとうみゆきとの結婚式だ。場所は病院のすぐ隣にあるリンクル教会だ。

 

 式がはじまる前のこと。

 式場となる教会までの道のりは、舗装されていない自然道があるだけだ。このため、患者さんたちが会場に来る際、みゆきと一緒に介助を手伝った。

 患者さんたちからは、『なんでここに先生が?』とか、『早く準備しなよ』とか、散々心配されてしまった。

 

 けれど。

 汗びっしょりになって、介助するのが楽しく感じられた。

 


 僕らは慣れない衣装を着せられて、重そうな礼拝堂の扉の前に立った。中の方からは清らかな歌声が聞こえてきた。


 中の方から扉が開く。


 真紅のバージンロードを二人で踏みしめていく。みんなの拍手が聞こえてくる。学会やカンファレンスなんかよりも緊張する。みゆきなんか、緊張で全身真っ赤になってしまっている。


 よく見たら聖歌を歌っているのは、患者さんたちだった。なかには言語訓練をしている人たちもいる。

 僕たちが退院してから、時折、言語訓練室から歌声が聞こえてきていた。ずっとそれは訓練の一環だとばかり思っていた。

 でも本当は僕たちのためだったのか、と、今ごろ気がついた。


 嬉しくて泣きそうだ。練習中、苦しかっただろうに。


 祭壇の前につくと、一連の儀式がはじまった。正直、夢うつつだった。

 気がつくと、神父様の前に僕たちは立っていた。


「汝、遠野みゆき。今日より富める時も貧しい時も、病める時も健やかなる時も、慈しみ、死が二人を分かつまで、愛を誓うか?」

「はい。もちろんです。浩とは一心同体です」

「汝、本間浩。貧しい時も、病める時も死が二人を分かつまで、ここに愛を誓うか?」

「はい。みゆきとは運命共同体です」


 僕らは誓いの言葉を交わし、熱い視線を絡ませると指輪を交わした。

 その途端、静かだった会場内から、拍手と歓声が聞こえた。


「ほら! 本間先生。チューしないと!」

「そうそう、やったね! みゆき、今日から処女でなくなるよ!」


 とんでもないことを叫ぶのは、さよこだった。どうせ腹いせだろう。ひどいやつだ。何気にバラすなよ、みゆきの弱みを。


「やっちゃえよ! 先生、ぶちゅって!」


 年配の人ほどヤジがひどい。下品すぎる。


 これは儀式、これは儀式……。

 どうしても落ち着けなかった。だって、公衆の面前でキスをするんだぞ? 自分の胸の動悸が、彼女の手のひらから伝わってくる鼓動と同期する。


 二人で一緒に深呼吸すると、


 毎朝見ていた艶やかな彼女の唇に、僕の唇を重ねた。


***


 結婚式も終わり、一同が石碑の前に集まっていた。

 僕たちもすっかり普段着に着替えて、必要な荷物を持ってきた。


 僕はみんなの前に立つと、


「みなさん、今日は参列してくださり、大変ありがとうございました。以前からお話していた通り、私たちはまもなく消えます。どうか驚かないでください。悲しまないでください。僕とみゆきは、外の世界に行ってくるだけです。いずれ戻ってまいります。どうかお元気でいてください」


 と、別れの挨拶をした。


 いよいよ、異世界へ移動するのだ。


「浩さん、みゆきさん、さよこさん。もう時間だよ」

「わかったよ、ビーニャ。準備はいいのかな?」

「あ、今、本名で呼んだくれた。もうできてるよ、早くして!」


 ビーニャは金髪バージョン・B子さん、つまり、B子さんの真名だ。これまで僕自身の中で、B子さん=金髪バージョン・B子さんという図式が、どうしても成り立たなかった。

 けれど、こうして実際に異世界に行くってなると、ビーニャって呼ぶのがいいように感じられたのだ。

 今にして思えば、入院直前にF子さんが言っていたことって、本当のことだった。つい、彼女の障がいに結びつけて、幻聴・幻覚だって思ってしまったけど。


「あれ、B子さんじゃない? 金髪にしたんだ。すっごい美人……」

「ほんとだ。あれ? 耳が尖ってるよ、なんで?」


 看護師さんたちが、B子、いやビーニャの本当の姿を見て、騒いでいる。あんまり長居すると動画とか撮られそうだ。


「どうするんだっけ? ビーニャ!」

「この石碑のところに、浩さんたちは来て! みんなは浩さんたちを囲むようにして、手を繋いで!」


 次から次へと指示を出すビーニャ。


 そうするのが当たり前のように、みんなが手と手を繋ぐ。

 麻痺でうまく握れないひとは、自分なりの工夫をして、

 片腕がないひとは、肩を握ってもらって、

 車椅子のひとも、肩を握ってもらって、

 手を失っているひとは、腕を握ってもらって


 そして、僕たちも指を絡めて、お互いの手を握った。

 二度と離すことがないように。


「みんな! みゆきさんが好き?」


 ビーニャが叫ぶ。


「もちろんだべ!」

「みんな! 浩さんが好き?」

「ああ、当然だよ」

「みんな、さよこさんが好き?」

「そりゃあいい先生だからね、好きさ」


「じゃ、みんな! みんなはみんなが好き————————? あたしは好きだよ!」

「「「もちろん。みんな仲間、一緒だ!」」」


 総勢三十五名の声が、この小さい丘の上に響いた。

 

 それは彼らの心からの叫びのように感じた。

 障がいがなかろうが、あろうが、何だろうが、もうみんなには関係がなかった。 


 みんなの叫びを聞いて、満足そうにビーニャは瞳を閉じた。

 そして、下唇を噛んで気合いを入れると、呪文を唱えた。


『! renosrep ert ttylF, ta Asgard!』(訳:アースガルドへ三人を移して!)


時が来た。

地面から碧色の光の渦が湧き上がってきて、隣にいるみゆきやさよこ達を包んでいく。その光に包まれると、足元から消えていくのが、自分でもわかった。


 僕はみんなに向かって叫んだ。


「僕たちもみんなが好きだ! 大好きだ! また…………!」




 浩の発した言葉が泡のように消え、光の渦が消えていった。

 石碑の前にいたはずのビーニャや浩達は、影も形もなかった。



「消えた…………」

「先生方はどこさ、いったんだ?」

「あらら、リア充たちはどこ行ったんだ」


 みんなは手を繋いだまま、しばらく石碑の周りから離れることができなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ