表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

55/62

53話 Magical Red Ring

「じゃあ、本間君は、今日は書類整理ね! 書類が溜まってるだろ? がははっ!」


 朝、職員室に入るなり、今村看護部長に呼ばれた。

 僕は今日一日、書類整理というか、作成をしなきゃいけなくなった。

 

 いろいろ引き継ぎ文書も作らなくちゃ……。

 明日から入院するとは思えないぞ。このハードさは。


 忙しさで、目が廻りそうになっているところへ、


「本間先生、面会者ですよ」


 と、事務の渡辺さんから呼び出された。


「面会者? このクソ忙しいときに……」

「あははっ。本間先生、今まで書類、あんまり作らなかったでしょ?」

「渡辺さん、僕がPCとにらめっこしてるのが好きだと思います?」

「いえ、思いません。患者さんと話してる方が、生き生きしてますし。でも書類も作んないとね、あははっ」


 と、冗談を言い合いながら、職員室の扉を開けた。


「こんにちは〜。ちょっといろいろあって、来れなかったの」


 扉の向こうに立っていたのは、B子さんだった。

 

「何をしに来たんだ? 今日の仕事はどうした?」


 平日の朝っぱらから、ここに来るなんて。

 仕事をサボってきたか、はたまたクビになってしまったか……。


「有給休暇とってきたから、大丈夫。浩さんの顔が見たくなっちゃったから」


 そういえば、そろそろB子さんの職場訪問をしなきゃいけないんだったな……。

 彼女の顔を見ていたら、急にやり残したことを思いだした。


「立ち話もなんだから、面談室で話したいんだけど?」

「ほんと? 嬉しい。あれ? そういえばみゆきさんは?」

「あとで話すよ……」


 僕の様子がおかしいことに気がついたのか、黙ってB子さんは面談室までついてきた。

 

***


 面談室で面と向かうと、急に照れくさくなった。

 完全に二人きりなのだ。しかも密室に。


 よく考えたら、今までB子さんと二人っきりになった事はない。必ず、みゆきかさよこがいたり、他の職員と一緒だった。


「ねえ? あたしと二人っきりだけど、後で怒られない?」


 二人っきりという言葉に、うかつにもドキドキしてしまう。


「まずB子さんに謝っておかなきゃならないんだ」

「謝る?」


 なんで? と指を頬にあてるB子さん。


「僕は明日、入院するんだ。ちょっと前にみゆきも入院したんだ」

「え? みゆきさんが入院! 何があったの?」


 恋敵といえど気になるらしい。心配そうにわずかに眉根をひそめた。


「過労さ。睡眠リズムが狂って起きれなくなった。みゆきが睡眠障がいを持ってるのは知ってるだろ?」

「ええ。だからいつも手を繋いでるんでしょ」

「そうさ。彼女の睡眠障がいの原因は、多発性硬化症っていう病気だったんだ」

「治るの?」

「…………いや、少しずつ悪くなる病気なんだ。もう一週間以上、目が覚めていない」

「………………そっか」


 うつむいて目を伏せるB子さん。

 来たときは楽しそうだった彼女だったが、口を真一文字に結んでしまった。


「浩さんは? 浩さんはどうなの?」


 どうしよう。どこまで彼女に話すべきだろうか? みゆきたちと一緒に何度か夜を過ごしたせいか、情だってある。


「僕はガンなんだ。それを治療するために入院さ」


 僕は言えなかった。  


「あ……。もしかしたら、喉?」

「そうだよ。よくわかったね」

「そこ、前からおかしかったじゃない。病院に行ったんでしょ?」

「もちろん」

「じゃあ、大丈夫…………」


 B子さんはそこまで言いかけて、僕の顔をじぃっと見つめた。

 心の中を覗きこまれるんじゃないか、って思うほどに。


 すっと手のひらを僕の頬にあて、ゆっくりと顎から喉へと撫でる。


「大丈夫じゃないみたい……ね」


 悲しそうに目を伏せるB子さん。


 なぜわかるんだろう。


 咽頭ガンのステージ三以上。西村先生達は軽めに言ってくれている。どの程度、進んでいるのか、わかってしまうのが悲しい。

 きっと僕の表情からわかってしまったんだろう。


「あのさ、あたし、実は……」


 そこまで言いかけて、B子さんは下唇をキュッとかんだ。


「ん?」

「な、なんでもない……。なんで浩さんが謝るのかなって」


 どうしたんだろう? 何か言いたそうだったけど。


「B子さんのアフターケアに行けなくなったからだよ」

「そんな……。充分にケアされてますよ、あたし」

「就職してしばらくしたら、B子さんの働きぶりを見に行くって、約束していたよね?」

「そうだったわね。浩さん、もう戻らない、いえ、戻れないのね」


 僕の視線を避けるように、麻痺している左腕を愛おしそうに撫でる。


「かもしれない。残念なことに自分でわかるからね」


 B子さんの言ったことを否定しなかった。変な期待を持たせちゃ悪いから。


 彼女は窓の外にある木々を眺めてから、僕に視線を戻した。悲壮感あふれる表情はどこかに消え、瞳が輝いていた。


 そしてはっきりとした口調で、こう言ってのけたのだ。


「浩さんは大丈夫!」


 と。それもにこやかに。


***


 残っていた仕事も片づけ、ようやく職場から解放された。


 普段は寄らない店に、僕は来ていた。

 ここは宝飾関係を扱う店で、一度、みゆきたちと来たことがあった。


 彼女たちは品物を見ては、あれがいい、これがいいと、目を輝かせていたけど、僕は興味がなかった。女性にアクセサリーを贈るなんて、考えたこともなかったから。


 でも今日は違う。

 僕は決めた。みゆきに結婚指輪を贈ろうと。


「ずっと言えなかったもんな。今となってはだけど」


 僕がそう呟くと、店員さんが寄ってきた。


「何かお探しですか? さきほどから悩んでおられるようでしたけど」

「あ、すみません。女性に指輪を贈りたいのですが、どんなものを選んだらいいかと思いまして」

「どんな方ですか? 指輪とおっしゃられると、ご婚約か結婚指輪でしょうか?」

「えっと、僕より五センチ以上高くて、モデルのような感じの人ですよ」


 婚約とか結婚って、言葉はあえて聞かなかったことにしておく。なんだか恥ずかしかった。


「モデルのような……背が高い方なら、こちらの指輪はいかがでしょう」


 店員さんがいくつか小さな箱を取り出してきた、

 どれもきれいで、みゆきの薬指に合っていそうだった。


 そのうちひときわ大きい真紅の宝石に、目を奪われた。

 まるで中から赤いエネルギーが溢れてくるようだった。よく宝石がわからない僕でさえも、歓声をあげてしまいそうになった。


「あの、これってルビーですよね?」

「ええ。なかなかこういうルビーってないんですよ。この周りにあるダイヤがかすんでしまいますよ」


 よく見ると、中心にあるルビーを飾るように、小さなダイヤモンドが埋め込まれていた。


 見れば見るほど、みゆきへの指輪にピッタリだ。

 そのルビーからみゆきの匂いが漂ってくるような気がしたのだ。


「すみません。これ、おいくらですか?」

「い、いえ。これは売り物じゃないんですよ。申し訳ありまんが、他のお品では……」


 店員さんによれば、これは展示用だという。


「そこを何とかお願いできますか?」


 どうしてもみゆきにその指輪を贈りたくって、僕は何度も頭を下げた。

 

 何度か問答を繰り返していると、奥の方から店長さんが出てきた。

 恰幅がよく、人が良さそうな方だ。


 なんでも今日の昼間に、店長の知人が持ってきたものだとか。展示専用にしようとしていたところ、僕がこの宝石に目をつけてしまったらしい。


「お気に召されたのですね、このルビーが」


 店長が微笑みながら尋ねてきた。

 

「はい……。なんだかこの宝石から、彼女の匂いがするような……。上手く言えませんが、すごく惹かれるんです」


 なるほど、なるほど、とその店長はうなづくと、


「わかりました。これをお売りしましょう。今回だけ特別ですからね」


 と、喜んで承知してくれた。

 思わず僕は、店長さんの手を取り、何度も何度も、ありがとうございますと頭を下げていた。

 

***


 僕はアパートに帰ると、買ってきた指輪をそのままバックに入れた。

 着替えを忘れても、これだけは忘れてはいけない。そう思って、玄関のところに置いた。


 すっかり薄暗くなったアパートを見渡すと、柱や壁にはいくつかキズがあった。

 

 僕はそのキズの一つ一つを撫でた。


 これはB子さんが来たとき、みゆきがつけたメスの跡。ここのキズは初めてみゆきが、僕に皿を投げた時の跡……。

 ちょっとしたテーブルの汚れ、洗面台に残された二つのカップと歯ブラシ。

 

 そのどれもが懐かしい。

 一ヶ月も経っていないのに、とても昔のことのように感じられる。


 もうここには戻ってこれないかもしれない。

 

 僕は無造作に置かれたものを片づけはじめた。


予定より数話分、のびます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ