23話 浩、女難の予感(B子さんの就労支援・中編)
ハローワークと地元の就業・生活支援センターには、昨日の夕方に連絡がとれた。
就業・生活支援センターのほうは、打ち合わせが一週間後となったが、ハローワークはいつでも来てかまわないとのことだった。
B子さんに残された期間は短い。
さっそく午前中、ハローワークへB子さんと一緒に行くことにした。
ハローワークは街のなかにあるため、いつものようにみゆきに運転を頼んだ。
B子さんを後部座席へと案内したところ、彼女はドアの前で立ち止まってしまった。
「どうしたの? B子さん……。ハロワに行きたくないのかな」
唇をかみしめ、じっとしてる彼女に声をかけると、意外な答えがかえってきた。
「ねえ、浩さん。どうしてあたしが後ろの席なの? 浩さん助手席だよね。あたし、浩さんの隣がいい」
「なっ、何を言ってるの? あたいのひ……」
運転席からふりむいて、何か言いかけたみゆき。
それに対して、口角を少しあげて、一瞬、にやっとしたB子さん。
頬を少し紅く染め、みゆきはあわてて姿勢をただした。
二人の様子をみて、僕はため息をついた。
そしてB子さんに白状した。
「ごめんなさい、B子さん。僕の目の視野が狭いから、みゆきしか運転できないんだよ。だから彼女が寝ないで運転できるように、僕が助手席なんだ」
「……浩さんは運転できないの?」
「目が悪くなる前は運転できたけど、免許失効さ」
ようやくB子さんは合点がいったようだ。
しかたない、と言わんばかりに、B子さんは後部座席にドサッと乗り込んできた。
シートベルトをつけながら、心配そうに彼女は尋ねてきた。
「残念。でも浩さん、障害者手帳、持ってないの?」
「僕の場合は手帳を持てないよ。目の障がいの場合は、片目が見えなくても手帳をもらえないんだ。視野がちょっと狭い程度だとダメなんだよ」
「え? そ、そうなの? 体は片方でも障がい者手帳をもらえるのに……」
「目と耳は片方が使えなくとも、問題ないってのが国の方針なんだよ。あたいも変だと思うけどさ」
医者としてみゆきがフォローしてくる。
「じゃあ、みゆきさんは? 生活に支障あるじゃない?」
「う〜ん。あたいも無理だね。あたいの場合は、原因不明だから病名わからないんだ。病名わからないと、障がい者手帳は出ないよ」
「変なの……」
バックミラーに映るB子さんは、不服そうに眉根をよせて下唇をかんでいた。納得しかねるって表情を浮かべている。
流れる車窓からは日差しに新緑が映え、車内が暑く感じられた。
***
ハローワーク専門援助部門は、ハローワークの入り口に入ってすぐにあった。
お世話になる専門官にあいさつをしようと、窓口へと行くとセミロングで眼鏡をかけている理知的な感じの女性が、書類に目を通していた。
ふと、僕たちに気がつくと、パアっと表情が明るくなり、嬉しそうに言った。
「あら? 誰かと思えば、本間君じゃない!」
はて? 誰だろ? ハローワーク勤務の知人なんていなかったと思ったが。
僕がとまどっていると、女性専門官は黒髪をかきあげ、後ろで留めた。すると髪に隠れていた頬が現れてきた。その頬には少し大きめで特徴のあるほくろがあった。
「わかんない? ほら、高校の時、同級生だった安西美咲!」
ああ、頬のところにあるほくろで思い出した。
彼女は高校二年生の時、隣に座っていた子だ。
「ああ、びっくりした……。こんなところで、同級生に会うなんて思ってもみなかったよ」
「本間君、事故で目にケガをしたんだって? 噂にきいたよ」
「ああ。おかげさまで何とかやっていけてるよ」
「よかったあ……噂にきいて、心配してたのよ」
感慨深そうに目を細めている安西さんだったが、ふと、ぎょっとしたように僕とみゆきの手をみた。
「……その隣のかたがB子さんかしら?」
「いや、仕事上のパートナーだよ。神経内科医の遠野みゆき」
「……はじめまして。安西さん」
みゆきは名刺を専門官へと差し出し、軽く会釈をした。
名刺を交わした時、彼女たちの視線がぶつかり合ったと思ったのは、気のせいか?
時折、繋がれている僕の手を握りしめ直すみゆき。思いっきり安西さんを意識しているのが伝わってくる。
安西さんとは高校の時の同級生ってだけで、せいぜいノートの貸し借りをした程度だ。
みゆきの奴、そんなに意識することないのにな。
みゆきの態度に四苦八苦していると、僕らの後ろにいたB子さんが、ゆらりと前に出てきた。
気がついた安西さんが、彼女に声をかけた。
「あなたがB子さんかしら?」
「……はい。そうですが」
借りてきた猫のように大人しい。さっきまで僕たちとやりとりしてた快活さや明るさはない。
少しはりつめたようなピリピリした空気感。
何となく僕らが初めて彼女に接した感じと似ていた。
安西さんが聞き取りをしているのに、さっきから、聞き役に回ってしまっている。自分で話さなくてはならない場面なのに。
最初に接してから数日しか経っていないけれど、あのさよことみゆきのケンカ以来、だいぶ僕たちには気を許していると思っていた。
どうもB子さんは特定の人にしか、心を開かないのかもしれない。
「……それでB子さんはどういう仕事につきたいの?」
少し困ったような顔で、僕をみるB子さん。
時間もないので僕は助け船を出した。
「B子さんはお店を任されていたことがあったので、販売を補佐するような事務がいいと思って、彼女にすすめてみているところです」
「B子さんはそれでいいの? 以前、販売の仕事をされていたようだけど……」
「はい。こんな体でお客様の前には……」
寂しげにB子さんは動かない左腕を見つめた。
「……身体障がいで販売の仕事はないわけじゃないけれど……この辺りだとどうかしら?」
そう言いながら、安西さんは後ろの棚からファイルを出してきた。
その中からレジや品だしの求人票を、いくつか彼女の前に並べてみせた。
B子さんは求人票を二、三枚とって眺めると、一枚を専門官の前に出した。
「どうしたの? B子さん。受けてみる?」
彼女の言葉に小さくうなづく。
「本間君。彼女、この求人受けてみたいそうだけど?」
「……B子さんが言うのならかまわないよ。本人が決めることだ」
彼女が選んだ求人はアクセサリーの販売だ。以前、経験のある仕事だ。
こだわりがあるのはかまわないと思う。
いったん職種転換を決意しても、やはり前職に未練があるのは、誰でも同じことだ。僕だって医者に未練がないと言ったらウソになる。
『一番大切なのは本人の意思だ。本人に選ばせることだ』
福祉学科の大滝先生が口癖のように言ってたことを思いだす。
安西専門官はその求人票の紹介状を発行し、B子さんに手渡した。
B子さんが席をたつと、あわてて手元に書き込んで、僕を手招きした。
「本間君、ちょっといいかな? 名刺を渡してなかったから……」
ポケットから、僕も名刺入れを出したところで驚いた。
彼女はわざわざ名刺を裏返しにして渡したのだ。
そこには彼女の携帯番号が書かれていた。
どういうことだ? と僕が言う前に、
「改めてこれからよろしくお願いします」
と、ウインクしながら、元同級生はにこやかに微笑んだ。