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25回目の夏

作者: 涼華

A市、F県の中心部にある古い城下町である。市の東側には広大なI湖がある。三方を山に囲まれた盆地に位置するため、夏は暑く冬は寒い。市の中心部に歴史あるA城がある。A城の近くに、坊ちゃん先生こと、長井聡一郎の赴任したA高校があった。もとは藩校にさかのぼる伝統ある男子校である。聡一郎もまた、A高で学生生活を送ったのであった。


懐かしい母校で、彼は教鞭を執った。学生時代、鍛錬に励んだ剣道部の門を、今度は顧問として、潜ることとなり、彼の感慨は一塩であった。後に彼は、厳しい稽古で「鬼の長井」の異名を取ることになるのだが、当時は、その片鱗を見せ始めた頃であった。



一学期は瞬く間に過ぎ、I村の学校より、いくらか遅れて聡一郎の高校でも夏休みが始まった。

「長井先生。」ある日、学校の事務室で、聡一郎は呼び止められた。「手紙が来ていますよ。」

白い封筒に、幼い字で聡一郎の名前が書いてある。懐かしい筆跡だった。

「I村・・ケンタ達か。」

たった一年前のことなのに、何と、変わってしまったことだろうか。聡一郎は村での生活を思い出した。子供たちの澄んだ笑い声、宿直室での思い出、村人との交流、そして、海・・・

手紙には、子供たちの思いがいっぱい詰まっていた。少し背が伸びた子供たちの姿を彼は思い浮かべた。

「『中学になったら遊びに来る』か。」

その日が来るのが楽しみだと、彼は心から思ったのだ。


ある日、学校の道場での稽古がすむと、聡一郎は、菩提寺に向かった。長井家の墓に詣でると、祖父母がよくしていたように、草をむしり墓石を清めた。両親の眠る墓に線香を上げ花を供えると、彼は手を合わせた。短い黙祷を捧げると、彼は後ろを振り向いた。

「先生、こんちは。」

Yシャツ姿の学生が二人、立っていた。剣道部の学生だった。

「古森に津山か、お前達もお墓参りか。」

「こいつに、つきあわされたんですよ。」津山と呼ばれた学生が帽子を取りながら答えた。がっちりとした体格の少年である。頬のニキビを手で触りながら白い歯を見せた。

「触っちゃいかん。化膿するぞ。古森はひいおじいさんに会いにか?」

「そうっす。でも、やっぱりすごいっすね。そっと近づいたはずなのになぁ。」と、痩せぎすで背の高い少年がつぶやいた。

「いやしくも剣術を学んだものが、これくらい気づかないで、どうする?」聡一郎は苦笑いした。

「さあ、早く、お墓参りをした方がいい。この暑さじゃ、花がだめになってしまうぞ。」聡一郎は、手ぬぐいで汗をぬぐった。

二人は、手慣れた様子で、墓を整えた。手を合わす二人と共に、聡一郎も祈った。

「坊ちゃん先生も、おれの曾祖父さんのこと、知ってるんすか?」古森が聞いた。

「ああ、子供の頃よく遊んでもらったよ。戊辰の戦で、一番上の兄上は、二番目の兄上は、西南の役で・・が口癖だったな。」

「お前の曾お祖父さん、よくそういったって、うちの親父も言ってるよ。まあ、おれの親父だって、維新の奴らがって言ってるけどね。」

「戊辰戦争か。百年も前のことだな。」聡一郎は言った。

「たった百年前っすよ。坊ちゃん先生。」古森が大まじめに言った。

「その通りだな。」

古森は、もう一対、花を持っていた。

「おれ、もう一つ、行ってきます。」

「誰のお墓だい?」

「『一瀬伝八』だそうですよ。」津山がささやいた。

「二番目の兄上、古森真二郎殿の遺髪を届けてくれた方か。」聡一郎も頷いた。

「『大恩ある一瀬伝八殿の墓に詣でるのは、古森家の男の使命じゃ』が、曾祖父さんの口癖、おれも刷り込まれたみたいっす。」古森は笑っている。

三人は、一瀬伝八の墓に詣でた。

大役を果たしたためか、古森は饒舌になっている。

「全くこいつ、ちゃっかりしてるな。」津山が軽くこづいた。「俺にまでつきあわせやがって。」

「いいじゃんか。いいことしたんだぜ。」


「坊ちゃん先生、今度の大会、1回戦はF高校とでしたね。」しばらくして津山が尋ねた。

「そうだ。心配なのか。」津山の顔を見つめた。「平常心だ。平常心。」

「こいつ、ノミの心臓だからなぁ。練習だと強いんだけど、試合になるとからっきしだからな。」古森がからかった。

「しょうがないだろ。どうしたらいいんですか?」津山はもう青くなっていた。

「人の二倍も三倍も練習するしかないだろうなぁ。それより、坊ちゃん先生っていうのやめてくれ。」聡一郎はウンザリしたように言った。

「なんでっすか?着任式で、自分のあだ名、披露したの先生っすよ。」

「別に披露した訳じゃない。」聡一郎は顔を赤くした。

「照れちゃって・・」津山が笑った。

「先生、ポケットの手紙、彼女からっすか?」目ざとく見つけた古森が、おどけていった。

「これか?」聡一郎は、ケンタ達の手紙を取り出した。「I村の子供達からさ。」

「Iむら?ここに来る前の学校の子かぁ。なんて書いてあるんすか?」

「読んでみるかい?」

「いいんすか?」

二人に封筒を手渡した。

「うわ、へったくそな字!」古森が叫ぶ。

「失礼なこと言うな。お前だって、小学生の頃は、こんな程度だったろう。」

「ほんと、デリカシーがないよな。お前は。だからもてないんだ。」

「ちゃんと読んでやれ。子供たち、一生懸命書いたんだからな。」

二人は代わる代わる、子供達の手紙を朗読した。


「坊ちゃん先生、お元気ですか。

ぼくたちは5年生になりました。

ぼくたちも元気で一生けんめい勉強しています。

中学生になったら、先生のところに遊びに行こうと、4人で、そうだんしました。

先生の住んでいるところは、ずいぶん北にあるので、寒くありませんか?

おからだに気をつけて下さい。

さようなら          ケンタ        


この子は、宛名を書いた子ですね。字もきれいだし、しっかりしてそうだな。」


「こっちの子のは、汚い字だなあ。あっちこっちはみ出してるし、ごりごり書いてるから、消しゴムで消せてない、原稿用紙が真っ黒だな。でも、面白いこと書いてるぞ。

 

坊ちゃん先生、こんちは。

 先生がいなくなって、おれは学校がつまんなくなりました。

 しゅくちょく室に、いっても先生いないし、遊んでても、いないから、つまんないです。

 でも、ケンタたちとそうだんして、中学になったら、先生んちに遊びに行きます。

 そのために、おこづかいをためときます。

 かならず、あそびにくから、おれたちのこと、わすれないでくれ。

 わすれたらおこるぞ。     ゴロー            


ひっでえなぁ、脅迫してら。 」


「坊ちゃん先生、げんきですか。

 先生とうまつぶしやったりして遊べて、たのしかったです。

 しゅくちょくしつで、こわいはなし、してくれて、こわかったけどたのしかったです。

また、あそびたいです。

先生にいわれた算数をいっしょうけんめいやってます。

 やっと、つうぶんができるようになりました。

 こうこうせいのおにいさんたちと、先生はあそんでいますか?     サブ

 

「この子に書いてやろうかな、『高校生のお兄さんたちは、剣道部で、坊ちゃん先生の地獄のしごきを受けて、毎日泣いてます』って」津山が楽しげにいった。


「これで最後かぁ。」古森が少年の手紙を読み始めた。


「坊ちゃん先生、今日は。


 おれ、先生のこと、一生わすれません。


 とっても楽しかったです。親切にしてくれてありがとう。


 リレーのアンカーにしてくれたり、本をくれたり、うれしかったです。


 先生のくれた「坊ちゃん」も「白鯨」もむずかしいけど、中学になったら全部読みます。


 中学になったら、先生のところに遊びにいきます。


 いま、じいちゃんたちの手伝いをして、おこづかいをためてます。


 きっと遊びにいくから、まってて下さい。     ***


 

あれっ?こいつ、ふざけたやつだなぁ。あだ名で書くなんて。ちゃんと本名書けよ。」



古森の言葉に、聡一郎はまゆをひそめた。


「あだ名じゃない。それが本名なんだ。」同封された写真を渡した。二人は写真を見つめた。


「これが、ケンタかな?いかにも優等生って感じですね。」


「こっちがゴロー、ガキ大将だな。いたずらばっかりやりそうだ。こっちがサブ。すぐ殴られそうだな。」笑っていた二人の目が、少年の姿を捕らえた。二人の顔から笑いが消えた。


「この子?」

「そう、この子だ。」

「この子、混血?」

白黒写真に浮かび上がった他の三人とは明らかに違う明るい髪の色に、二人は顔を曇らせた。


「この子のお母さんは?」津山が尋ねる。


「いない。おじいさんと2人っきりで暮らてた。」


「私生児?母親はオンリーだったのかな?」古森がつぶやいた。


「おじいさんもこの子もイヤな思い、していたんでしょうね。」


「田舎は、ここもそうだけど、よそ者にきついっすよね。」


「ああ。」聡一郎は、少年とその祖父の境遇を二人に話す気には、とてもなれなかった。


「母親はどうしてるんでしょうね。父親はこの子のことを知ってるのかな?」


「父親は会いに来たらしい。」聡一郎はつぶやいた。


「あの子が言ってた。4つぐらいのとき、米軍将校が、I村にきたんだそうだ。そして、肩車してくれて、『お前は良い子だ』と、あの子ははっきり覚えていたよ。」


「親父に間違いないんすか?」


「解らない。でも、なんで、わざわざ、アメリカ兵が来るんだい。基地もないのに。しかも、将校が。」


「そのアメリカ兵は、今どこにいるんでしょうね?」


「さあ、ただ、その時、かでなに帰っていったらしい。そういっていた。」


「かでな?嘉手納基地ですか?沖縄の。」


「じゃあ、今は?」二人の顔色が変わった。


「ヴェトナムだろうな。北ヴェトナム軍や解放戦線と戦っているんだろう。」


「うっ、ソンミ村みたいなことを、この子の親父もやらされてるんじゃ・・」


「そんな・・」


「命令されれば、逆らえない。それが軍隊だろうからな・・」聡一郎の声は暗かった。二人も呆然と、聡一郎の話を聞いている。


「早くヴェトナム戦争が終わると良いですね。終われば、この子、また、親父さんに会えるかも知れない。」津山の声が虚ろに響いた。


「そうだな。」


三人は、黙って写真を見つめていた。蝉の声が高くなった。






「聡一郎。」背後で低い声がした。三人は飛び上がった。


還暦近い白髪の小柄な老人が立っていた。穏やかな感じながら、何とも言えぬ威厳を持つ眼差し、中高な顔。


「秋月先生。」「おお先生。脅かさないで下さいよ。」


老人は、微笑みながら、三人に話しかけた。


「まだまだ、甘いのぉ、聡一郎。」


「すみません。」聡一郎は真っ赤になった。


「坊ちゃん先生も、おお先生の前じゃ、俺らと変わらないな。」古森が津山にささやいた。


「ふふ。」津山も笑っている。


「三人とも、墓参りか、殊勝じゃの。」


おお先生もですか。」古森が聞いた。老人は頷いた。




秋月老人は自分の家の墓に詣でた後、長井家の墓にも手を合わせた。


「聡君が亡くなられてから、何年になるかな?」老人は、聡一郎の父親の名を口にした。


「二十七年でしょうか?」聡一郎は記憶をたどった。


「今年もいくのか?」


「いえ、今年はいけません。」


「そうか。わしだけか。」老人は遠い目をした。




「お祖父さんはご健在かな?」老人が聞いた。


「はい、すっかり足腰が弱ってしまいましたが、元気です。」


「お祖父さんによろしく伝えてくれ。」


そういうと、老人は帰っていった。




去っていく老人の後ろ姿を見つめる聡一郎に、二人は声をかけた。


「坊ちゃん先生、大先生も確か、戦争に行かれたんすよね。」


「ああ、親父と同じ部隊だったそうだ。」


「じゃあ、先生のお父さんの亡くなられた場所とか、死んだ時の様子とか、知ってるんじゃないんですか?」


「大先生は、何て言ってるんすか?先生のお父さんのこと?」


「何も聞いてない。俺だけじゃない。俺のお祖父さんも、町の誰も知らないんだ。」


「何でなんすか?」


その問に、聡一郎は答えなかった。




しばらくして津山が口を開いた。


「大人は、誰も教えてくれないんですね。」聡一郎は黙っている。


「先生、俺たちは、みんな、『戦争を知らない子供』なんすね。」聡一郎は頷いた。


「坊ちゃん先生、戦争を知らない限り、俺たち、大人になれないんでしょうか?」津山がつぶやいた。津山の目に不安が映っている。


「バカいうな。そんなこと、有り得ない。」

あってたまるか。聡一郎は叫んだ。

しかし、叫びながら、聡一郎の心にも同じ不安が広がった。


「戦争を知らない大人ばかりなったら、この国はもっといい国になるんすかね。」


「そうさ、そうなるとも。ならなきゃいけないんだ。そうでなきゃ、戦争で死んだ人に申し訳が立たないじゃないか。」


聡一郎は、あたかも自分に言い聞かせるように、また、心に広がった不安を打ち消すように、力強く言った。二人も頷いた。




三人は、黙って長い間、参道の椅子に腰掛けていた。何種類もの蝉の声が聞こえてくる。




「お〜〜い、津山〜、古森〜」微かに二人を呼ぶ声が聞こえる。


「早く来いよ〜。珍念の奴、カンカンだぞ〜。今日、万博のスライド映写会をやるって、あいつ、張り切ってたのに。誰も来ないって。坊ちゃん先生も来て下さいよ。物理室に暗幕はって、待ってんだから。」

物理部の学生が息を切らしてやってきた。


「そうだ、すっかり忘れてた。やべぇ。このくそ暑いのに、物理室?ちぇ。」


「しかも締め切って、拷問だぁ〜。まいったなぁ。」


「チンネン?お前ら、木村先生のことをそんな風に・・」聡一郎は呆れている。


「珍念は珍念っすよ。誰も、木村先生なんて呼ばないっすよ。」


「早く来てくれよ。」


「よっし、それ〜。」「行け〜。」二人は、やってきた学生の自転車に飛び乗った。


歓声を上げながら自転車が坂道を下っていく。唖然としていた聡一郎だったが、やがて、笑いながら、ゆっくりと同じ道を降りていった。




坂道からは、A市の全容がよく見えた。新築したばかりの城の天守閣が夏の日差しに白く輝いている。澄んだ夏空のもと、聡一郎は、彼方に広がる飯豊連峰の姿を見晴るかした。




二十五回目の夏が、過ぎ去ろうとしている。






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