ナキア・レーヴェン視点①
私は自分の家族がきらいです。
親子の情よりも利用価値を優先する両親も、他者を見下し自分の醜い自尊心を守ることしか頭にない兄も、そして…
「面を上げよ」
陛下の言葉から一拍置いて、ゆっくりと頭を上げる。
その途中で、今まであえて外していた笑顔の仮面を付け直す。
陛下のお顔を拝見すると、随分と警戒しておられるご様子。
(あらあら陛下、私のような小娘にそこまで警戒心を露わにしては、自分に疾しいことがあると言っているようなものですよ?)
まあその反応を引き出すために、あえて仮面を外していたのですけれど。
お決まりの長々とした挨拶をしてから、本題に入る。
「それで陛下、私と王太子殿下の婚約についてお聞きしたいのですが」
「ふむ、その件についてだが、なにせそなたの姉があのような事態となってしまったのでな。今はその捜索で息子も手一杯の状態だ。婚約はしばらく保留という形となるだろう」
流れるような回答。まあ予め用意していたのでしょうから当然でしょうね。
「左様でございますか。私としましては残念なことではありますが、原因が身内の不祥事であれば致し方のないことですね。陛下にも大変ご迷惑をお掛けしておりますこと、姉に代わって謝罪致します」
沈鬱な表情を浮かべ、深々と頭を下げる。
「…そなたが気に病む必要はない。頭を上げるがいい」
「ありがとうございます。それで姉は…」
「まだ足取りは掴めておらん。今は王都周辺を捜索しつつ、各地に兵を派遣して情報収集に当たらせている段階だ」
これも予想通り。では軽く一石を投じましょうか。
「左様でございますか。…陛下、先ほど陛下は私に気に病む必要はないと仰って下さいましたが、王家に忠誠を誓う者として、その温情に甘える訳には参りません。どうか私に身内の不祥事を挽回する機会を与えてくださいませんか?」
「…何?」
予想外のことに困惑していらっしゃいますね。ここは一気に畳み掛けさせて頂きます。
「私はこれでも学園において優秀な成績を修めている神術師です。それに、神力の痕跡を感知し、追跡する術にも長けています。姉は神術を用いて移動している様子。私ならば最低でもどの方向に向かったかは分かると確信しております。闇雲に兵を動かすよりは、よほど効率は上がるのではないかと愚考致します」
「…ふむ」
考え込んでいらっしゃいますね。
私の申し出は特におかしなものではないはず。むしろ捜索手段が増えるというなら陛下にとっても願ってもないことのはず。
しかし…
「…いや、まだ年若い娘であるそなたにそのようなことをさせる訳にはいかん。謹慎中とはいえ、軍団長の息女となれば、兵たちも遠慮してしまうだろう。そなたの忠義は嬉しく思うが、その提案を受け入れることは出来んな」
「畏まりました。出過ぎたことを申し上げましたこと、お許し下さい」
まあそうなるでしょうね。
今の反応でよく分かりました。陛下は私の提案を吟味していらっしゃったのではなく、断る理由を考えていらっしゃったということが。
もう用件は済んだので、陛下に別れの挨拶をして、謁見の間を退出する。
王宮を出て、侯爵家に向かう馬車に乗りこむと、そこで一息つく。
結果は完全に予想通り。
陛下は完全にレーヴェン侯爵家を切り捨てるおつもりだ。
私の提案をにべもなく断ったのがその証拠。
今、我が家に名誉を挽回するようなことをされては困るのでしょう。もし万一、私がお姉様を連れ戻すことに成功したら、今我が家に降りかかっている悪評の矛先が王家に向く可能性がありますものね。
(まあ予想通りとはいえ、面倒なことになりましたわね…)
王家が完全に敵に回った。
それに出奔当時の話を聞く限り、あの姉がそう簡単に捕まるとは思えない。
姉が捕まるより、我が侯爵家の地位が地に堕ちる方が早いでしょう。
(まったく、とことん私を苛立たせるお姉様ですこと)
私は姉がだいきらいです。
と言っても、その理由は兄とは違います。
別に両親の期待や愛情を独占していたことに嫉妬していた訳ではありません。きっかけはもしかしたらそうだったのかもしれませんが、少なくとも今は違います。姉はそれが原因だと勘違いしていたようですけど。
あの両親に本当の愛情を期待することなど、姉に対する掌返しを見た時点で諦めました。
私が姉に向ける気持ちは、そんな単純なものではありません。
きっと、私と姉の中身は似ているのでしょう。
あの家族が嫌いで、本当の愛情を求めている。
ただ、姉は人間関係で不器用で、私は器用だった。それだけのこと。
そう。私は最初、姉のことを仲間だと思っていました。
あの家で、同じ満たされない思いと願いを持った、同志だと。
でも、違った。
両親の愛情が離れて行った時、あの姉は悲しむこともなく憤ることもなくただ受け入れた。
その態度が何となく気に入らなくて、目の前でこれ見よがしに両親の愛情を掻っ攫ってみても、仕方ないとでも言いたげにあっさり諦めた。
自分の不器用さを言い訳に、諦めているのかと思った。
気に入らなかった。まるで、私が手に入れたものになど何の価値も見出していないと言われたような気がして。
あの姉が時々泣いていたのを私は知っていました。
その目が、ここにはない何かを強く想い、狂おしいほどに求めていたことも。
それを、家族以外の自分を愛してくれる人を欲しているのだと思っていました。
でも、違った。
ハロルド殿下とお会いした時、この方は誰かに本当の愛情を向けることが出来る方だと思った。
姉が、そして私が欲していたのはこういう方なのだと、そう思った。
なのに、あぁ、なのに!
2人のお茶会に割り込んだ私を、姉はやはりあっさりと受け入れた。
これ見よがしに目の前でハロルド殿下と仲良くお話ししても、何も言わない。
なぜ、嫌がらないのか。
「殿下の婚約者は私なのだから、あなたは引っ込んでいて!」その一言がなぜ出ないのか。
あなたが欲しがっていたのはハロルド殿下の愛ではなかったのか!それとも、あなたが泣くほどに想う何かに比べれば、それすらも価値がないものなのか!
…分かっています。これは八つ当たりだと。
勝手に仲間だと思って、勝手に裏切られたと思って、勝手に憤っているだけ。
それでも、どうしても許せなかった。
両親の、ハロルド殿下の愛情を独占していたからではない。
それらを一度は手に入れていながら、あっさりと捨てられてしまうその傲慢さが許せない。
それらを捨てられてしまうほどに強く求める何かを持つことが、たまらなく羨ましく、妬ましい。
だから、私はあの姉がだいきらいです。
姉が泣きながら見つめていたその視線の先に何があるのかは知らないし、知ろうとも思いません。
ただ、力を得た途端、自分の全てを捨ててでもその先に向かったのだ。きっと姉にとってはそれこそが他の何よりも価値があるものだったのでしょう。
本当に腹が立つ。
殿下との婚約を勝ち取った途端、そんなものいらないと言われ、勝ち逃げされたような気がして。
いいでしょう。
私だって、私を愛してくださらない殿下との婚約なんていらない。
あの姉のお下がりなんてもうたくさん。
私は、私のやり方で幸せになってみせる。
辿り着いた侯爵家で馬車を降りると、屋敷を睨みながら私は自分にそう誓いました。
* * * * * * *
それから十数日後、全ての準備を終えた私は、父の執務室を訪ねました。
「ナキアか。何の用だ?」
お父様はここ最近めっきり老け込んだ気がします。
まあ家がどんどん傾いて行っているこの状況では、心労も溜まるでしょう。
安心して下さいませ、私が今解放して差し上げます。
「ご隠居なさいませ、お父様」
笑顔で開口一番そう言い放った私に、流石に意表を突かれたのか、お父様はぽかんと口を開けて呆けていました。
しかし、しばらくして思考が追い付いてきたのか、戸惑いに揺れる声で言いました。
「何を…いきなり何を言い出すのだ?」
「ですから、お母様を連れて領地で蟄居するよう言いました」
そう言った私にお父様は一瞬目を見開くと、吐き捨てるように言いました。
「何を馬鹿な!そのような…」
「事ここに至ってはそれが最善ですわ」
笑顔の仮面を捨ててそう言い切った私に、お父様は今度こそ完全に呆けたようでした。
(あらあら、今更娘の本性を見て驚くだなんて、つくづく父親失格ですわね)
そう内心で蔑みながら、畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
「この家はもはや沈みかけの船。王家が敵に回った以上、そう遠くない未来、船も中の人間も諸共に海の底まで沈むでしょう。全てを元通りにすることは出来ません。ですからお父様」
そこで、慈悲深く、健気な娘の表情を浮かべて言う。
「一番身軽な私を置いて、この船からさっさと逃げて下さいませ」
私の言葉に、お父様は目を見開きました。
「しかし、それは…」
「陛下に、聖女を王国から失わせた此度の責任を取って、領地で蟄居することを願い出るのです。以前陛下に見えて確信致しました。このままでは蟄居どころでは済まなくなると。今自ら罪を被り、罰を受けることを願い出れば、それ以上の罰を言い渡されることはないでしょう。あとは私が何とか致します。今侯爵家で一番評判を落としていないのは私です。私が爵位を継ぎ、なんとか船が沈み切らない内に立て直してみせます」
後半は本当だけれど前半は嘘。
陛下が蟄居以上のことを命じるかどうかなんて分かりません。
でも、脅し文句としては十分でしょう。
聞こえが良い言葉を選んでいるけれど、実際は私が巻き添えを食わないように、沈みかけの船から悪評という名の重石を付けた人間を蹴り落とそうとしているだけ。
今の追い詰められたお父様では気付けないでしょうけど。
「…リゼルはどうする…?」
「あの引き籠りですか?当然廃嫡ですわ。既にお父様の下で軍属神術師としての訓練は受けているのでしょう?そのまま一般兵として放り込んでしまえばいいのですわ。軍属神術師ともなれば、決して飢えることはないでしょう」
(まあ、あの兄が今まで見下していた平民と同じ身分に落とされ、一般兵として肩を並べる状況に置かれてなお、腐らずにやっていけるとは思えませんけれども)
しかし、この国では後継者に男子がいない場合を除いて、基本的に女性の爵位継承は認められていないのですから仕方ありません。
まだ迷いがある様子のお父様に、私は更に畳み掛けます。
「これが最善です。お父様。後世に、聖女を虐げておきながら最後まで醜く足掻いた貴族家として、レーヴェン侯爵家の名を残さないためにも!今、ここで決断をするのです!」
(まあお父様たちの名前が汚名として歴史に刻まれるのは確定でしょうけれど)
私の説得に、お父様が首を縦に振るまでそう時間は掛かりませんでした。
* * * * * * *
その数日後には、全ての手続きは滞りなく完了していました。
まあ、そうなるように予め準備していたので当然ですけれど。
あの兄は最後まで醜く喚き散らかしていましたけれど、私が掌握した使用人たちの手によって、詠唱が出来ないように猿轡を噛まされた状態で、力尽くで軍の本部まで連行されて行きました。
両親も馬車に乗って今朝方領地に向かいました。
蟄居とは言っても、本人たちはそれほど大げさに考えていないのでしょうが、私は宣言した以上ちゃんとやって頂きます。
もうこれ以上余計なことが出来ないよう、きっちり館の一室に監禁して、二度と出て来れないようにしましょう。
領地に着いて、話が違うと言っても無駄ですわよ?もう領地の館の使用人も全員掌握しておりますから。
自分1人になった執務室で、私は思う。
(結局、あんなに出て行きたいと願ったこの家に永久に囚われることになってしまいましたけれど…まあそれがお姉様を止めることが出来なかった罰だというならば仕方がないでしょう)
あの姉を嫌い、無視し続けたという点では、私も両親や兄と同罪なのでしょう。
それが、彼らと違ってこの程度の罰で済んだというならば、上出来なのかもしれない。
まあ、それに…
(大嫌いなこの家を、私の好きなように滅茶苦茶に作り直すというのもまた一興でしょうし、ね)
そしてそれを成し遂げた暁に、ハロルド殿下なんて目じゃないくらい優秀で、愛情に満ち溢れた方を婿にして、思う存分幸せになってみせる。
という訳でお姉様?この家にもうお姉様の居場所などどこにもないので、二度と帰って来ないで下さいませね?
…こんな家のことなんてさっさと忘れて、どこへなりと好きなところへ行ってしまえばいいのですわ
だいきらいなお姉様
梨沙の一番の理解者は、実はハロルドではなくナキアだったのかもしれません。
今回で、後日談のざまぁ編は一先ず終了とさせて頂きます。
まあ梨沙がまだ逃走中である以上、王家の受難はまだまだこれからだ!ということになるのでしょうが、しばらくは大きく事態が動くことはないでしょう。
よって、次回からは梨沙の旅時々それを追うハロルドという形で話を続けていくつもりです。
つきましては更新速度が落ちます。
(というよりもこれまでが異常だったのですが。信じられるか?こいつ一週間前まで続編書く気ないって言ってたんだぜ…?)
まだ全然プロットが出来ていませんが、よろしければ今しばらくこのお話にお付き合いください。