更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 2-⑥
「やらかしたやらかしたやらかしたやらかしたやらかしたやらかした………」
ゴトゴトという馬車が街道を進む音に紛れるように、私の平坦な声が後方に流れて行く。
今、私は王国と帝国の国境に向かう荷台の隅っこで小さくなりながら、先程の失態を頭の中で反芻しては羞恥心に悶えるということを繰り返していた。
あの後、男達―どうやら黒鋼の傭兵団という、皇帝家お抱えの傭兵団のメンバーらしい―の四肢を治療してから、私は“浅黄”の皆さんに必死の弁明をした。
軽くパニックを起こしていた上、ほとんど泣きそうになりながらの弁明は、我ながらなかなかに支離滅裂だったと思う。しかし、ローランさんはそんな私に「大丈夫ですよ、私達の為に怒って下さったことは分かっていますから」と優しく微笑んでくれた。
つくづくローランさんの懐の深さには驚かされる。それと同時に、その優しさがとてもありがたくもあった。あのまま私の変なイメージが虹の傭兵団に広まったりしたら、私はもう彼らに依頼することが出来なくなっていたところだった。
結局、“浅黄”の皆さんとはその場で別れることにした。
私の巻き添えで怪我を負わされた挙句、装備まで壊されたのだから、迷惑料として相応の金貨を払おうと思ったのだが、これはローランさんに辞退されてしまった。曰く、「全ては自分達の状況判断の甘さと実力不足が招いたことだから、サラ様が気にされることはありません」だそうだ。
しかし、流石にそれでは申し訳ないので、彼らには私の手製の神具の剣を渡しておいた。
材料?黒鋼の傭兵団が装備していた神具の残骸ですけど?
材質自体はよく武具に使われる聖銀鋼だったが、元の聖銀が余程上等だったのか、それとも鍛え方が良かったのか、はたまた超高密度の神力をぶち当てた結果何らかの化学反応が生じたのか。詳しいことは分からないが、本来壊れると同時に失われるはずの付与触媒としての性質が失われておらず、私の神力が限界まで溜め込まれた状態になっていたのだ。
折角なので物質変形で5振りの剣を修理して、加護と浄化の神術を込めた上でプレゼントしたのだ。ローランさん達は恐縮しながらも喜んでくれていたので、よかったと思う。
余った分は延べ棒にして右ポケットに放り込んでおいた。私を拘束するのに使われた金属板も同様に。何かに使えるかもしれないしね。ツァオレン達が何か言いたそうにしてたけど、そこは笑顔の暴力で黙らせた。
あっ、もちろんきっちり謝罪もさせたよ。
全員纏めて土下座で、強制的に。
5人の男に100人以上の大の大人がずらっと並んで土下座をする光景はなかなか壮観だった。
ローランさん達がまたちょっと引いてた気がするけど、ケジメは大事だしね。
とまあその時まではよかったのだけど、いざローランさん達と別れると、さっきやらかしたことが頭に中に蘇って来てしまって……。このように1人で静かに悶えているわけだ。
いや、やったこと自体には後悔はない。交渉の結果もまあ上出来といえるだろう。だが……
「あのやり方はナイわぁーーー」
本当に、何であんな不良丸出しの態度を取ってしまったのか。
いくら考えても答えは出ず、あの赤鬼さんの正体も分からず、1人で頭を抱える。
と、そこで荷馬車が、というより隊列全体が止まった。
どうやら荷馬車組と乗馬組を入れ替えるらしい。
現在、私は帝国の一行が運んで来た荷馬車の1つに乗っている。
元々は私を拘束するのに使われた金属板やその他の荷物を載せていたらしいが、今その金属板は全部私の右ポケットに放り込まれているので、空の荷馬車が8台も生じてしまった。
本当は私は1台だけある馬車に乗る予定だった…というか、どうやらツァオレン達は私が馬車を独占して、自分たちは荷馬車に追いやられるものと考えていたようだが、そこは私が辞退して、自分から荷馬車に乗ることにした。
理由?単純に1人で夜風を浴びながら頭を冷やしたかったというのが半分。もう半分は、まあ色々やり過ぎた自覚があるので馬車ぐらいは譲ろうかと思ったからかな。
その結果、馬車に皇子兄弟と側近2人が乗り、その周囲に残りの側近が騎乗、私が乗っている1台以外の7台の荷馬車には黒鋼の傭兵団の半数が乗り、残り半数が荷馬車組の分の馬を引きつつ騎乗しているという状態になった。荷馬車組が先に食事を取り、乗馬組と交代することで、食事休憩の時間を省き、夜を徹して走り続けようということだろう。
いや、本当に速度を重視するなら、荷馬車はローデントで放棄して、荷馬車を牽引する馬も乗馬用に回して全員で騎乗すべきだ。
ならばなぜそうしないのかというと、それは…まあ、私が原因だ。
私は黒鋼の傭兵団の四肢しか治していない。つまり、彼らの下はそのままだということだ。ツァオレンの精神系神術によって痛みを感じないようにされているため、行動に支障はない。しかし、その状態で馬に乗れと言われた時の彼らの絶望に満ちた表情ときたら、まるでこの世の終わりを目の前にしたかのようだった。
その後すぐに全員から縋るような目を向けられたが、それはさらっと無視しておいた。おじさん100人の小型犬のような瞳はなかなかの威力だったが、だからって治したりしない。というか、ぶっちゃけ私には治せない。
というのも、治癒系神術はただ治す箇所に掛ければいいというものではなく、掛けた箇所をどのように治すかをきちんとイメージしなければならない。そうしなければ、皮膚や骨がおかしな形で癒着してしまう可能性が高い。
そして、私は男性の下など、前世の父と兄くらいしか見たことがない。それも小学生低学年の頃なのだから、最早記憶の彼方だ。
“念動”で潰す際はただそこに向けて力を加えるだけでよかったが、治すとなると元の形が分からないので治しようがない。まさかツァオレン達に見せてもらう訳にもいかないし、私だってそんなもの見たくもない。
つまり、結果的に私では彼らの下は治せないので、帝国に急いで戻って腕の良い治癒系神術師に診てもらうしかない訳だ。
そして、彼らは移動速度と股間への負担を秤にかけた結果、折衷案として荷馬車組と乗馬組に分けることにしたのだ。
後方の荷馬車で、前半荷馬車組だった男達がおっかなびっくり馬に騎乗し、前半乗馬組だった男達が荷馬車に乗り込みながらしきりに股間を気にしているのを何とも言えない思いで眺めていると、前方から馬に乗った側近の1人が近付いて来た。
「し、失礼します、聖女様。そろそろ国境が近いので、殿下が聖女様にも馬車に乗って頂けないかと言っておられます」
王国と帝国の間には明確な国境線はなく、関所のようなものも存在しない。というか、害獣の領域にそんなものを設置する余裕はない。その代わり、自国の国境沿いに存在するどこかの町で出国許可証を得た上で国境を越え、相手国の国境沿いに存在するどこかの町で入国許可証を手に入れないと、不法侵入者として扱われ、どの町にも入れないし、王国軍に見付かれば捕縛される。逆もまた然り。
今回、彼らは商人とそれを護衛する傭兵団という名目で入国し、カロントがあんな状況だったので、特別にローデントで入国許可証を得、先程ローデントを出る際に、それを返却する代わりに出国許可証を手に入れた。
なので、このまま国境を越えるのには何の障害もないのだが、国内を巡回中の王国軍と鉢合わせた場合、乗員を改められる可能性がある。その時に上手く誤魔化すためにも、私には馬車に乗っておいて欲しいのだろう。まあいざとなればツァオレンが精神系神術でどうとでもするだろうが。
了解の意を伝え、荷馬車からひょいっと飛び降りる。
途端、背後で黒鋼の傭兵団がざわついた気がしたが、そちらはもう気にしない。
どうやら黒鋼の傭兵団諸君は私のことが完全にトラウマになっているらしく、私の一挙一動に過剰反応するのだ。
出発の時も、縋るような目を向けるだけでそれ以上の懇願をしなかったのは、自分の股間の心配よりも私に対する恐怖の方が上回っていたからだろう。
そしてそれはツァオレン達の側近も同様で、私を相手にする時はやたらと緊張しているように見受けられる。もっとも、彼らの目を見れば、それは恐怖というよりは畏怖によるものだと分かるが。
別に、基本的に人と関わり合いたくない私としては、彼らから必要以上に話し掛けられないのは歓迎すべきことなのだが、こうも一々怯えたような視線を向けられるのは少しうっとおしい。まあ完全に自業自得なので文句も言えないのだが。
そんなことを考えている間に馬車の前に着いた。
その馬車は皇族が乗るものとしては非常に質素で、実用重視といった感じだった。
まあ建前上商人が乗る馬車なので、必要以上に華美だと怪しまれるのだろうが。
私を先導した側近が扉をノックし、扉を開けて私を馬車内に導く。
中に入ると、そこにいたのはツァオレンだけだった。
イェンクーはどこに行ったのだろうかと疑問に思いながらも、ツァオレンの対面の座席、その隅っこに座る。
露骨に距離を取った私に微妙に苦笑いのような気配を漏らしながら、私の疑問を察したのか、ツァオレンが答えを口にした。
「お呼び立てしてすみません。弟には外で護衛に回ってもらっています。これから先の話に弟は必要ないでしょうから」
「あっそう」
ちなみに崩天牙戟は頑丈な箱に入れて後ろの荷馬車に載せられている。
神器クラスになれば、その存在感というか纏う迫力みたいなもので、神力を持たない一般人でも明らかに傭兵団が持つような代物ではないではないと分かってしまうので、これは当然の措置だろう。
私の気のない返事にツァオレンの苦笑いの気配が濃くなる。
分かってはいても、私は今更態度を改める気はない。
やろうと思えばやさぐれモードを引っ込めて令嬢モードで対応することも出来るが、あんなことをやらかした後で今更取り繕っても無意味だろうし、ここから友好的な関係を築き上げることが出来るとも思えない。それならこのまま上位者として優位に立ったまま話を進めた方がいい。
「まだ帝都までは時間がありますが、その前に「ちょっと待った」…はい?」
「いや、何で帝都に行くの?目標がいるのは南の国境付近でしょ?無駄足じゃん」
「いえ、皇帝陛下の御命令は貴方を帝都に連れて帰ることですし、対策本部が帝都にありますので、もし御助力頂けるなら、そこで改めて関係各所と連携を取って対応策を検討しなければならないので…」
「連携も何も、今帝国の軍勢は目標であるナハク・ベイロンに追われた害獣の対処に当たってて、肝心の目標は野放しになってるんでしょ?だったら連携なんて関係ないじゃん」
「いや、それは…」
ツァオレンが口籠る。
もし私が彼らに付いて行った場合、本来は帝都に行き、皇帝の口から今回の事件について詳しい説明がなされるはずだったのだろう。
だが、それに関してはもうツァオレンから詳しい話を聞いてしまったし、交渉に関しても皇帝を間に挟む必要は感じなかった。
というか、敵地…というのは大げさにしても、敵対する可能性がある相手の懐に態々飛び込むなんて御免だ。
「とにかく、私は帝都に行くつもりはないから。依頼を受けるとしても、このまま国境に向かって、目標を倒せそうなら倒すし、倒せなさそうならその時はその時でまた考えるし。行く必要もないところに行って時間を潰す気はないよ」
そう告げると、ツァオレンは渋い顔をしたが、私に引く気がないと分かったのだろう。小さく溜息を吐いてから、渋々了承した。
「…分かりました。このまま国境に向かいましょう。ただ、皇帝陛下ならともかく、私共では貴方が望む成功報酬をお渡し出来ると確約出来ませんよ?」
「そこは大丈夫。あなたの裁量でどうにかなる範囲の要求で済ますつもりだし」
「そうですか。では先ず今回の目標であるナハク・ベイロンについて詳しいことをお話ししましょう」
そこから語られたのはナハク・ベイロンの、というより、ルードベイロンの生態に関する情報だった。
曰く、外見は足が生えた蛇という感じであり、視力はかなり低い。
その代わりに空気や地面の振動に非常に敏感であり、それらを感知して獲物を捕捉する。
ただ、少し臆病なところがあり、地面の振動などから自分よりも体が大きいと判断した場合、真っ先に逃走を選ぶ。
これらの性質を利用し、もし意図せずに遭遇してしまった場合は、息を潜めて動かずにやり過ごすか、逆に地面を思いっ切り叩くなどして相手を逃げさせるといった対処法が取られる。
そして一番の特徴としては、上顎から生える2本の牙から毒の代わりに電撃を放つということ。
といっても、電気ウナギ、あるいはスタンガンのような電気ショックレベルであり、雷属性神術のように電撃が空中を走るというレベルではないらしい。飽くまで獲物を丸呑みにする際に獲物を麻痺させるため、あるいは自衛の際に敵を麻痺させるためのものらしい。
「ふぅん、そうなると雷属性神術は効果が薄いかな?」
「そうですね、臓器は電気を通さない膜によって保護されているようです。それでなくとも竜種には神術が効きづらいですから、雷属性神術はほとんど効果が見込めないでしょう」
以前言ったように、竜種は大きく分けて5種類おり、それぞれが全く異なる外見、異なる生態を持つ。
ならば、それらを竜種という1つの種族として定義する根拠は、一体何なのか。
それは、その5種類の害獣が共通して持つ2つの特徴だ。
1つは異常な再生力、そしてもう1つがその皮膚が宿す神力遮断能力だ。
竜種の皮膚はその程度に差はあれ、例外なく神力遮断の性質を持っている。
それ故、対象に直接影響を及ぼす聖と魔の特殊属性神術はほとんど無意味。
基本属性神術も他の害獣に比べると効果が薄い。
これら2つの性質から、竜種を相手にする際は、剣や槍を皮膚の下まで突き刺し、抜くと再生してしまうので、抜かずにそのままそこに電撃を放つという手が良く使われる。今回はあまり効果がなさそうだが。
「先程チラリと言いましたが、現時点でまともに戦闘は行われていないので、目標の鱗がどれほどの強度を持つかは不明です。ですが参考までに、過去に出現した70m級のルードベイロンは中級神術では傷1つ付かず、上級神術でようやく鱗を破壊出来たそうです」
「70m級でそれって……今回のナハク・ベイロンはどうなってるのよ。最上級神術でも傷1つ付かないとかなったら流石にお手上げよ?」
「そうではないことを私としても祈っています」
「念のため聞いておきたいんだけど…まさか幻獣化してたりしないよね?」
「それは大丈夫です。現時点でその兆候は見られません」
「ならまあ不幸中の幸いかな」
そこで、ふと気になることがあった。
「そう言えば、そのナハク・ベイロンは何で突然北上して来たの?というか、普通人間の領域に侵入して来るような性格でもないよね?」
「それは…分かりません。ただ、ひたすら真っ直ぐ北上しており、特に町を積極的に襲うという訳でもないようです。そうは言っても、既に1つの町と3つの村が、建物ごと家畜や食料を食い荒らされておりますが」
「まあ、それだけの巨体を維持しようと思ったらそれは当然だろうね。人間が食べられてないだけマシね」
「はい、目標の移動速度は決して速くありません。それに大き過ぎて遠くからでもすぐ分かりますからね。住民の避難自体は容易でした」
「となると、なおさら分からないなぁ……。何か目的地がある?それともまさか…何かから逃げてる?」
「まさか。確かにルードベイロンは臆病なところがありますが、今のナハク・ベイロンを恐れさせるような存在がいるとは思えません」
「だよね。そんな害獣がいたらそれこそ帝国の危機だし」
「それに、国境の町からもナハク・ベイロンの後を追い掛けるような存在は報告されていません」
「ならやっぱり何かを目指してる線が濃厚かな……」
「…こればかりは情報が少な過ぎて分かりません。その何かを渡して、それで大人しく帰ってくれるというなら話は別ですが、そんな相手ではありませんし」
「そうだね。今これ以上考えても無駄か」
そこまで話を聞いて、私は考える。
といっても、既に結論は出ていた。
とりあえず近付くのすら危険というレベルではなさそうだし、予定通り一当てしてみる方向で行こう。それで倒せそうなら倒す。無理そうならまた改めて対処法を考えるなり、各地の害獣の暴走に対処するなりする。そんな感じで行こう。
「分かった。とりあえずやれるだけやってみるよ」
「!依頼を受けて頂ける、と?」
「いいよ。まあ倒せると約束は出来ないけど」
「いえ、十分です。感謝します」
ツァオレンが頭を下げる。しかし、私にとってはここからが本番だ。
「じゃあ報酬だけど…」
「はい」
そう言うと、ツァオレンが一気に表情を引き締めた。
一体どんな無理難題を突き付けられると思っているのか。まああんなことをやったのだから警戒されるのも当然かもしれないが、流石に少し苦笑してしまう。
「私が要求するのは3つ。1つ、帝国が所有する聖人、聖女に関する書物の閲覧権。2つ、帝国で確認されている聖人、聖女の遺跡への立ち入り許可」
「?要するに過去の聖人達に関して調べたいということですか?」
「まあそういうこと。何?部外者に見せちゃ不味いものがあったりする?」
「いえ……それくらいならば大丈夫です。遺跡の方も、帝国が把握している範囲でよければお教え出来ます」
「そう、ならよかった。じゃあ3つ目だけど…これだけは先払いで貰いたいんだよね」
「先払い、ですか?」
「うん、3つ目は――」
私の告げた内容に、ツァオレンは大きく目を見開いた。
読者の皆様に断っておきたいことが1つあります。
毎回感想欄に様々なコメントが寄せられ、中には今後の展開やまだ明かされていない内容に関する予想などもコメントされます。当然と言えば当然ですが、そういったコメントに関して、作者は基本的にノータッチ・ノーコメントを貫きます。
別にネタバレコメントを止めて欲しいという訳ではありません。予想すること自体は自由ですし、コメント自体は大歓迎なので。別に今回の最後の梨沙の要求内容に関してコメントして、うっかり正解してしまったりしても作者は一向に構いません。「わーすげぇー当たってるー」と思うだけです。ただ、作者が意図的に伏せてる内容に関しては作者は何も言えないので、返答が言葉少なになってしまうのは許して欲しいというだけの話です。
何で今更こんなことを言ったのかに関しては、1時間後の更新を見て頂ければ分かるかと思います。