イェンクー・リョホーセン視点
今回、残酷な描写があります。
(ヤバイ、ヤバ過ぎる!!)
俺は、気を抜けば頽れそうな脚を必死に叱咤しながら、目の前に突如出現した光の嵐の圧力に耐えていた。
兄貴の指示で別行動していた黒鋼の連中が、あの女と一緒に行動していた傭兵たちを連れて来た途端、女の様子が一変した。
傷による痛みなど忘れたかのように突然無表情になり、全身から異常な量の神力を噴出させ始めたのだ。
通常、神術によるものとは無関係に、神力自体が可視光を放つことは稀だ。
俺が全力全開で身体強化を行使したところで、全身がうっすらと光を纏う程度だろう。
だからこそ、今目の前に出現している光景が異常としか言えないのだ。
広い倉庫内を隅々まで照らし出すような光の奔流。
更に、あまりにも異常な量の神力が集中しているせいなのか知らないが、女の身体を電光のようなものが這い回っていた。
それらは女が身に纏うローブを白銀に輝かせ、その手に握る聖剣に弾かれて周囲に乱反射していた。
これらが光属性神術や雷属性神術によるものではないことは、この場にいる者たち全員が分かっていた。
今こうしている間にも、精神を押し潰されそうな凄まじい圧迫感が襲い掛かって来るのだ。
チラリと見てみれば、周囲にいる黒鋼の傭兵団の半数以上が意識を飛ばして突っ伏しており、残りの連中も腰を抜かしていたり地面に膝を着いていたりで、戦えそうなのはほとんど残っていなかった。
かくいう俺も、目の前から襲い掛かって来るプレッシャーに今にも膝を屈してしまいそうだ。
今まで俺に一方的に嬲られていたはずの女は、一瞬にしてこの場の絶対的な支配者となり、この場の人間全員の視線を独占していた。
誰もがその一挙一動に注目する中、女はスッと左手を持ち上げると、黒鋼の連中に連れて来られた傭兵たちを指した。
途端、倒れ伏す傭兵たちを光の膜が覆い、近くにいた黒鋼の連中を弾き飛ばした。更にその膜の中にいる傭兵たちの血が止まり、傷が急速に塞がり始めた。
「チッ!!」
人質にするつもりが、女の迫力に意識を呑まれている間に保護されてしまった。
自分の迂闊さに舌打ちしつつ、それでもまだ諦めるには早いと思い直す。
あの傭兵たちを真っ先に守ったということは、やはり奴らには人質としての価値があるということだ。
結界に守られてはいるが、俺なら女の結界を破れる。
(仕方ねぇ、先ずは俺が1人くらい見せしめにしてから、改めて人質交渉を……)
そう思い、人質の方に足を向けた、その瞬間。
俺の全身に、先程までとは異なる指向性を持ったプレッシャーが叩き付けられた。
―― これ以上動いたら、死ぬ。
一瞬にして本能がそう悟り、俺の足を地面に縫い付けた。
そして、ピクリとも動かない身体の中、何とか眼球だけを女の方に向けて……
………何が起きたのか分からなかった。
あの女は、特別なことは何もしなかった。
傭兵たちを助けた時のように腕をこちらに向けた訳でも、詠唱を唱えた訳でもない。
ただ、こちらを向いただけだった。
妙に全てがゆっくりと見える視界の中、あの女は静かにこちらに顔を向け、その無機質でありながらどこか果てしない神聖さを感じさせる瞳と目が合った、と思った瞬間。
俺は全身に纏っていた身体強化の神術を根こそぎ消し飛ばされ、気付けば壁まで吹き飛ばされていた。
壁を覆う暗幕に背中から叩き付けられる。
暗幕の後ろに仕込んであるもののおかげで壁をぶち破ることはなかったが、その分身体にモロに衝撃が通り、床に這い蹲って咳き込む。
「が、ぐっはぁ、ぐ、な、なに、が……」
何とか放さずにいた崩天牙戟を杖にして立ち上がろうとするが、身体に力が入らない。後頭部を打ったせいか、思うように身体が動かなかった。
(ヤバい、動、けねぇ)
それでも追撃に備えて顔を上げると、ぐらぐらと揺れる視界の中、兄貴が神術を発動させるのが分かった。
範囲指定の精神系神術。
倉庫内にいた気絶した傭兵たちが一斉に目覚め、神力に当てられないよう精神を強化される。
「お前たち!時間を稼げ!!」
兄貴の方に目を向けると、傍にいる6人の側近たちが詠唱を開始しているのが分かった。
奴らは俺と兄貴を守る親衛隊の最精鋭だ。
兄貴は黒鋼の連中を捨て駒に、側近たちが切り札を発動させるまでの時間を稼ごうとしているのだろう。
神術によって戦意を高揚させられた100人の傭兵が、倉庫の中心に立つ女に一斉に襲い掛かる。
「うおおぉぉぉーーー!!」
「はああぁぁーーー!!」
「食らえぇぇーーー!!」
雄叫びを上げて突っ込んで来る100人の完全装備の男たちを前にしても、女は眉1つ動かすことはなかった。
ただ、その右手に握る聖剣を左肩に担ぐようにゆっくりと振りかぶると、左後方から右後方までゆるりと空中を薙いだ。
途端、その全身を這い回っていた神力の電光が、聖剣を伝って周囲に放たれた。
それらは迫って来る男たちの剣と鎧を直撃し、次の瞬間。
バギィィン!!!!!
数百の金属が一斉に引き裂かれるような耳を弄する音と共に、男たちが身に着けていた神具の装備が全て砕け散った。
「な……んな、バカな……」
付与触媒に神力を込める際に加減を誤った結果、ヒビが入ったり形が歪んだりすることはある。
だが、それは比較的脆い鉱石や、クリスタルを用いた場合の話だ。
武具に用いられるように鍛えられた神具が砕け散るなど、聞いたことがない!
だが、今のを見て先程自分の身に何が起こったのかが分かった。
あの女は圧倒的な神力の奔流を叩き付けることで、俺の身体に掛かっていた神術を吹き飛ばしたのだ。
つまりそれは、あの女は間合いに入った神術を容赦なく無効化出来るということ。
(はは、こんなの、どうしろってんだよ……)
乾いた笑みを漏らしながら見詰める先で、砕けた金属の破片を浴びた男たちが痛みに呻きながら倒れ伏した。
その中心に立つ女はそれらをやはり無機質な目で眺めると、開いた左手をついっと上向けた。
その仕草に連動して、周囲の男たちが宙に浮く。
「う、うわあぁぁ!!」
「な、なんだぁぁ!?」
「う、浮いて…!?」
突然宙に吊り上げられた男たちが、一時的に痛みも忘れたかのように驚愕の声を上げる。
だが、暢気に驚いていられるのもそれまでだった。
左手を胸の辺りで止めた女が、ゆっくりとその小指を折り畳み始めた途端。
「ぐ、ぎぃやあぁぁぁ!!!」
「あ、ああぁぁぁあぁ!!!」
「い、痛い痛い痛い!!!!」
その仕草と連動するように、男たちの左脚が複数箇所であらぬ方向に折り畳まれ出したのだ。
骨が圧し折れる音が何百と重なって響き、夥しい量の血の雨が宙を舞う。
あまりにも凄惨な光景に目を逸らしたくなるが、どうしても目を逸らせなかった。
なぜなら、これは近い未来、自分の身に起こることかもしれないからだ。
地面に突っ伏したまま目を見開いてその光景を眺める俺の肩を、誰かがそっと叩いた。
思わずビクッとしてしまいながらそちらを向くと、そこにいたのは兄貴だった。
「おい、立てるか?そろそろアレが発動する。お前もこっちに来い」
「あ、ああ」
今や後頭部を打ったこととは無関係に震える脚を叱咤しながら、女を刺激しないように慎重に側近たちの元へ向かう。
その間も、女は容赦なく小指を折り畳んで行き、とうとう小指が完全に掌に握り込まれた。
同時に、男たちの左脚があり得ない形で臀部と密着する。
一際大きい悲鳴が倉庫内に響き渡る。
そして、小指を完全に折り畳んだ女が続いて薬指を動かそうとし、男たちの右脚が不自然に動き出した瞬間、1人の男が声を上げた。
「も、もうやめてくれ!!俺たちは頼まれただけなんだ!!好きでやった訳じゃないんだよ!!」
女の薬指が、止まった。
声を上げた男に、感情を映さない瞳が向けられる。
「頼まれた……?」
女が指を止めたことに希望を見出したのか、吊り上げられている男たちが一斉に声を上げ始めた。
「そ、そうだ!俺たちは雇われただけだ!!」
「こ、皇帝に言われたんだ!!さ、逆らえなかったんだよ!!」
「ほ、本当はやりたくなかったんだ!!本当だ!!」
口々に自分たちの擁護をする男たちの声に、女は顔を俯かせた。
すると、自分たちの言葉に処刑を考え直してもらえているとでも思ったのか、男たちは益々声を上げて許しを請う。
だが、その光景を眺めている俺は、醜く喚き散らす男たちに今すぐ口を閉じろと言いたかった。
なぜ気付かないのか。深く俯いた女の気配が、どんどん危険なものになっていることに。
脚を潰し折られるという異常事態に、生物としての本能的な危機察知能力が麻痺しているのだろうか。
やがて、女の口が震えながら僅かに開かれ、軋む声が絞り出すように放たれた。
「そん、な…う、で……なんの……もな……さん…ち、を……」
そこでようやく自分たちが虎の尾を踏み躙っていることに気付いたのか、男たちが一斉に口を噤んだ。
だが、もう遅かった。
女は俯かせていた顔を上げると、周囲に浮かぶ男たちをはっきりとした冷たさを宿した瞳で見詰め、一言呟いた。
「もう、いい」
そして、一旦小指を伸ばすと、次の瞬間一気に左手を握り込んだ。
途端、男たちの四肢が一気に折り畳まれ、潰れた。
響き渡る聞くに堪えない絶叫。
それを聞きながら、俺と兄貴はようやく側近たちの元まで辿り着いた。
側近たちも神術の発動準備に入りながら、青褪めた表情で必死に震える身体を抑えていた。
「いけるか?」
兄貴が何らかの感情を無理矢理抑えたかのような平坦な声で尋ねると、親衛隊長を務める男が肩を跳ねさせながら反応した。
「っ、いけます!!」
「よし、やれ!!」
その声を合図に、側近たちが一斉に神術を発動させる。
先ず、女の足元の地面が蛇のように伸び上がり、女の足を固定した。
それを起点に、倉庫内に術式を編み込んだ暗幕を張ることで構築された儀式場に神力が行き渡り、切り札となる大神術が発動する。
天井からの脱出を防ぐために、天井を覆って補強していた害獣の革が剥がれ落ち、無数の革帯となって女の体に巻きついて行く。
続いて暗幕に隠されて壁際に並んでいた金属板が順番に動き出し、女の周囲を次々と覆っていく。
何十枚もの金属板が複雑に組み合い隙間なく重なり合い、やがて巨大な六角柱の牢獄となる。
それから間もなく、金属板に刻まれた術式が起動し、内部からの神力を完全に遮断する。
神力を遮断されて神術の効果が切れたのか、牢獄の周囲に奇妙な形になった男たちがばらばらと落下した。
非常に優れた靱性を持つ害獣の革帯で全身を縛り上げて関節を固定し、更に動く隙間もないよう、極めて硬度の高い金属の牢獄で幾重にも完全に拘束する。
これぞ帝国が編み出した最強の物理拘束系神術“不抜の封獄”。
最強の害獣である竜種すらも拘束する大神術を、対人用に更に圧縮強化し、念には念を入れて金属板に神力遮断の術式まで刻み込んだ代物だ。
王都で起こった出奔騒動を聞いた兄貴が、単純な結界などでは効果が薄いと判断し、万一の時のために用意させた切り札。
まさか、本当に使うことになるとは思わなかった。
「こ、これで…」
大丈夫ですよね?
側近の1人がそんな物問いた気な視線を周囲に向けるが、誰もそれに頷くことが出来ない。
あんな非常識な光景を見てしまった後では、そんな楽観的な思考など出来るはずもなかった。
それでもここで顔を見合わせていても時間の無駄だ。
兄貴が、大神術を行使した疲労で膝を着いてしまっている側近たちに言う。
「さっさと立て。作戦は中止だ。黒鋼は置いて行く。今の内に――」
言葉が、途切れる。
その視線の先には、金属板の上部から突き出た銀色の何か。
それは重力に引かれるように音もなく下に落ち、地面すれすれで止まった。後に残されるのは一筋の切れ目。
その切れ目から僅かに神力が漏れた、と思った瞬間。
バギャアァ!!!!
何十枚もの金属板が拉げる凄まじい音と共に、切れ目が一気に左右に押し開かれた。
その間を悠然と歩いて来る、1つの人影。
その光景はまるで、牢獄が王のために自ら道を開けたかのように見えた。
ならばその道を行くのは、差し詰め光を纏う嵐の覇王か。
「あ、あぁ……」
周囲から絶望に満ちた悲壮な声が上がる。
あまりにも圧倒的で理不尽な光景に、帝国の最精鋭をして心が折れたのだ。
もはや側近たちは6人とも、両手を組み、平伏してみっともなく震えるだけだった。まるで神に許しを請うかのように。
俺自身、もう抵抗しようという気は微塵も起こらなかった。
心の底から悟った。この上なく理解した。
聖人とは、人間にどうこう出来る存在ではない。
同じように神力を宿すとはいえ、他の神術師とは完全に別次元の存在、本当の意味で神の力を有する半神人なのだと。
事ここに至っては、下手に足掻くことは余計に状況を悪化させるだけだと感じた。
その場に膝を着き、ただ静かに審判の時を待つだけの俺たち兄弟に、女は静かに歩み寄って来た。
と、もう少しで剣が届く間合いに入るというところで、斜め前方から声が上がった。
「いけません…サラ様……」
その声に、目の前まで近付いていた女が立ち止り、肩越しに少しだけ振り返った。
見てみると、人質にするために連れて来られた5人の傭兵の内、一番小柄な男が顔を上げ、血の気のない青い顔で必死に口を開いていた。
「いけません…一時の激情に身を任せては……必ず、後悔します……」
その言葉に、女は微かに俯くと、そっと目を閉じた。
そのままどれくらい経ったのか。
実際には十秒に満たないくらいだったのかもしれないが、審判を待つ俺たちにはその何倍にも感じられるだけの時間が過ぎた頃、女の纏う鬼気が少しずつ薄れて行った。
やがて完全に鬼気を霧散させた女は、改めて傭兵の男に向き直ると、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、ローランさん。そしてごめんなさい、巻き込んでしまって」
「いえ…私こそ、みっともないところをお見せしました。…助けて頂き、ありがとうございました」
男がそう言って笑うと、女は何かを堪えるように唇を引き結んだ。
そして、俺たちの方を向くと……にっこりと笑った。
この女が笑うところは初めて見たが、とてもではないが見た目通りの可愛いという感想は抱けなかった。
むしろ、その笑顔は罠に掛かった獲物を見て喜ぶ狩人のそれに見え、背筋が寒くなった。
そして、その笑みのまま兄貴の顔に聖剣を突き付けると、明るい声で言った。
「それじゃあ、交渉しようか?ツァオレン・リョホーセン」
※神術の発動数を増やしまくったこともあり、梨沙の神力の瞬間最大出力は一般的な神術師の100倍以上あります。
今回はブチギレて精神のタガが外れた結果、その更に数倍の出力が出ています。こうなったら同じ聖人を連れて来ないと戦いにすらなりません。
もっとも、凄まじい勢いで神力を消費するので、この状態(仮名:修羅モード)はそう長く続きませんが。
ちなみに、すんごい目に会った黒鋼の傭兵団諸君ですが、ツァオレンに精神を強化されてたおかげで誰もショック死はしていません。よかったね、まあこのままだと失血死するけどね。
次回は梨沙視点に戻ります。
今回予想以上に筆が乗って早目に書き上がったこともあり、もしかしたら今年度中にもう1話更新するかもしれません。
まあ、あまり期待せずにお待ち下さい。