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更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 2-②

 ― 夜


 私は土属性神術で作った即席のテントで横になっていた。


 今日は私が積極的に戦闘に参加したおかげでかなり距離を稼げたので、明日の昼頃には遺跡に着けるらしい。

 夕食も終え、見張りは“浅黄”の皆さんが交代でやってくれるということで、私は明日に向けて早々に寝ようとしたのだが…。


「眠れない…」


 一昨日と同じで、目が冴えてしまって全く眠れなかった。

 流石に私でも、寝不足で害獣の領域を駆けるのは危険だ。なのでさっきから眠ろうとしているのだが、ここ数日頭の中に居座っている悩み事のせいで一向に眠気が訪れない。

 昨日は明け方になってからようやく浅い眠りに就き、1時間もしない内に悪夢に起こされるというのを延々繰り返していた。このままではまた同じパターンになってしまうだろう。


「はあぁぁ」


 私は深い溜息を吐くと、気分を切り替えるためにテントから出た。

 このまま1人でテントの中にいると、どこまでも気分が落ち込んでいく気がしたのだ。


 外に出て夜の冷たい空気を胸一杯に吸い込むと、少しだけ鬱屈とした気分が晴れる気がした。

 そのまま夜空を見上げていると、焚火の方から声を掛けられた。


「おや?どうされましたサラ様。眠れませんか?」


 そちらを見ると、ローランさんが焚火の傍に座ってこちらを見ていた。


「少し目が冴えてしまって…ローランさんは見張りですか?お疲れ様です」

「ははっ、サラ様の結界のおかげで全然害獣が来ないので楽なものですよ。国外に出る依頼でここまで楽な仕事は初めてです」


 そう言って苦笑いを浮かべると、焚火に掛けてあったやかんを持ち上げた。


「一杯どうです?身体が温まれば少しは眠りやすいかもしれませんよ?」


 この状況で断るのもなんなので、私はその誘いに乗ることにした。

 ローランさんの隣に座ってコップを差し出すと、やかんから黄色っぽい液体を注がれた。


「見たことがない飲み物ですね」

「ああ、南以外ではたしかに少し珍しいかもしれませんね。この辺ではそれなりに飲まれてるんですが。リーウンっていう飲み物です。独特の苦みがあって好みは分かれるんですけど、慣れれば結構くせになるんですよ。仲間には評判が悪いんですけどね」


 そう残念そうな顔をするローランさんを横目に一口だけ口に含んでみると、たしかに強烈な苦みが口の中に広がった。

 しかし、不快ではない。いや、というかこれは…。


「…コーヒー?」

「えっ?」


 驚いて思わず口に出してしまった。

 全く同じという訳ではないが、その苦味はどこか前世のコーヒーを思わせた。ちょっと変わった豆を使った珍しいコーヒーだと言われれば納得してしまうかもしれない程度には。


「いえ…私はこれ結構好きです」

「そうですか!いやぁこのおいしさが分かる人がいるとは嬉しいなぁ」


 そう言ってローランさんは無邪気そうに笑うと、自分のコップにもお代わりを注いだ。


 流石に砂糖もミルクもなしではちょっと苦いので、ちまちまと一口ずつ飲む。

 そのまま2人でしばらくコップを傾けていると、不意にローランさんが口を開いた。


「…何か悩み事ですか?」

「えっ…!?」


 いきなり図星を突かれ、驚いてローランさんを見る。

 ローランさんはこちらを見ずに焚火の方を見ながら、静かに言葉を続けた。


「いえ、お会いした時から何か他のことに心を捕われているように見受けられたもので。それに昼間の害獣と遭遇した時も、失礼ながらどこか苛立ちをぶつけるような振る舞いをされていたので」

「……」


 驚いた。

 たしかに今日、害獣と遭遇した際には、いささかオーバーキル気味に神術を使っていたかもしれない。

 でも、それを神術師でもない人に見抜かれるとは思わなかった。

ローランさんが人の心の機微に敏いのか、それとも戦士として何か感じるものがあったのか。あるいは私が、自分で思っていた以上に感情を抑えられていなかったのかもしれない。


 何も言えずに黙ったままの私を気にした様子もなく、ローランさんは続けた。


「別に詮索するつもりはありませんが、サラ様には随分お世話になっていますからね。私でよければ話くらいなら聞きますよ?」

「……」


 その時、私の心を動かしたのは何だったのか。

 単純に誰でもいいから話を聞いて欲しかったのかもしれない。あるいはどこか懐かしいコーヒーに似た飲み物のせいかもしれない。あるいは…そう言うローランさんの優しげな横顔が少しだけ、お父さんを思わせたせいかもしれない。

 気付けば私は、自然と口を開いていた。


「助けられなかった人が、いるんです」

「……」


 ローランさんは何も言わない。

 だが、一度開いた私の口からは止め処なく言葉が溢れて来た。


「カロントの救援に向かった時、母親の死体に泣き縋る男の子に出会いました。その母親はもう亡くなっていたので、当然助けることは出来ませんでした。でも、その男の子にどうして助けてくれないのかと言われてしまって…そのことがいつまでも頭から離れないんです」


 そう話す間にも、焚火の中にその時の光景がちらついた。


「仕方のないことだとは分かっているんです。私は全力を尽くした…つもりですし、たらればを考えても意味などないということは。でも、その時のことを思い出す度に、もっとやりようはあったんじゃないか。私がもっと上手くやれば、もっと多くの人を救えたんじゃないか。そんな思いが頭の中を駆け巡ってしまって……。そして、いつまでもそんなどうしようもないことに悩んでいる自分自身にも自己嫌悪というか……。すみません。上手く言葉に出来なくて」


 全部吐き出してしまった後で、すぐにそのことを後悔する。

 今日出会ったばかりの相手にこんな重い悩みを打ち明けられても困ってしまうだろう。

 謝罪してテントに戻ろうと、コップを一気に飲み干したところで、ローランさんが口を開いた。


「…私にもありますよ。似たような経験が」

「えっ…」


 思わずローランさんの方を見ると、ローランさんは夜空を見上げながら、どこか懐かしそうに言葉を紡いだ。


「こんな仕事をしていますからね。今まで多くの人間の死に立ち会ってきましたよ。助けられなかった人間の家族に責められたこともありますし、時には石を投げられたことだってあります」

「そんなことが…」

「あれは薬草採取の依頼でした。今でもよく覚えています。ある病に罹った娘を救うために、その両親が出した依頼でした。その薬草は危険な害獣の縄張りに自生していて、その両親も決して裕福ではなかったせいで、正直割に合わない依頼だったのです。そのせいで誰も依頼を受けたがらず、その間にどんどん娘さんの体調は悪化してしまって…私たちのチームに話が回ってきた時には、既に危篤状態でした。それでも何とか間に合わせようと、全力を尽くして薬草を手に入れたのですが…ほんの数時間だけ、間に合いませんでした」


 そう語るローランさんの瞳には、今でもなお哀切が浮かんでいるように見えた。


「いつまで経っても依頼を受けてくれなかった傭兵たちへの怒り。間に合わなかった私たちへの怒り。娘を救えなかった自分たちへの怒り。まあ色々あったのでしょうが、酷く責められましたよ。どうしてもっと早く来れなかったんだ、娘が死んだのはお前たちのせいだ、とね」

「……」


 救われない話だ。

 その両親のやったことは八つ当たりでしかない。でも、そうせずにはいられなかったんのだろう。もしその矛先を向けられたのが私だったら、きっと私は今よりもっと強く打ちのめされていたに違いない。


「…辛くはなかったですか?」

「それはもう。その時は私もまだ駆け出しの頃で、酷く落ち込みましたよ。例え理不尽な八つ当たりに過ぎないと分かっていても、そんな風に言われてしまえば傷付きますし、罪悪感だって覚えます。人間ですからね」

「…どうやって、立ち直ったんですか?」

「そうですねぇ……。こればっかりは心の問題ですからね。ある時突然立ち直れるというものではありません。それからも多くの依頼を受け、その度に救えなかった命に向き合い、知らず知らずの内に慣れたという感じでしょうか」

「慣れた…」


 ならば、私もそうなのだろうか。

 慣れるまで、こんな思いを何度も味合わなければならないのだろうか。

 それは、とても恐ろしい想像だった。思わず、身体が震えてしまうくらい。


「怖いですか?人の死と向き合うことが」

「えっ…」


 またしても図星を突かれて私は驚く。


「人の死と向き合いたくない。これ以上傷付きたくない。そう思うなら、簡単な解決方法があります。目を閉じ、耳を塞いでどこかに引き籠ってしまえばいいのです。そうすればもうそんな風に苦しむことはありません」

「……」


 それは、その通りだろう。でもそれは…


「ですが、あなたはその道を選ぶことは出来ない。それをしてしまえば、あなたはもっと自分で自分を傷付けることになるから。そうでしょう?」


 そうだ。そんなことは出来ない。自分可愛さに全てを投げ出すことなんて出来ない。


「ならば、歯を食い縛って向き合うしかないのではないですか?そして、自分なりの答えを見付けるのです。先程も言ったように、これは心の問題ですからね。最終的に自分で折り合いを付けるしかありません。それに、答えは既に出ているのでしょう?」


 そう、最初から答えは出ている。仕方のないことだと。あとは、心を納得させるだけだ。でも、それが出来ないのだ。


 いつの間にか深く俯いていた私の耳に、ローランさんの優しい声が滑り込んで来た。


「ここで私がどれだけ言葉を尽くしたところで、きっとあなたの憂いを完全に晴らすことは出来ないでしょう。ですが飽くまで私個人の話をするのであれば…私が本当の意味で他人の死について割り切れるようになったのは、妻の出産の時です」


 どういうことかと顔を上げると、ローランさんも少しだけ私に優しい視線を向けてくれた。そのままもう一度空を見上げ、懐かしむように言葉を紡ぐ。


「私の妻は昔から体が弱くて…結婚した時も、私が妻を守らなければ!と強く決意したものです。でも出産の時、難産に苦しむ妻に、私は何も出来ませんでした。傭兵として名を上げ、昔とは比べ物にならないくらい多くの人間を救えるようになった私が、愛する妻と生まれてくる我が子のために、何も出来なかったのです。そして…身の程を知ったのです」

「身の程…」


 その時、この話が始まってから初めて、ローランさんは私に真っ直ぐ視線を向けた。

 その瞳はどこまでも深い色を湛えていて、私は思わず息を呑んだ。


「妻は私が守らなければならない。絶対に守ってみせる。そう思っていましたが、とんだ思い上がりでした。私に出来ることなんて思っていたよりずっと少なくて、妻は私が思っていた程弱くはない。自分が大した力を持った人間でないことに気付けたんです。そして、それでもいいじゃないかと思えました。妻が弱い身体で必死に我が子を守ったように、人は皆自分自身の力でしっかり生きているんです。私が出来るのは本当に小さな助力だけ。それでもいいのだと、そうですね、出来ない自分を許せるようになったのです」

「出来ない自分を、許す……」

「あなたは私などよりも遥かに大きな力を持っています。だからこそ、苦しみもまた大きいのでしょう。ですが、忘れないで下さい。その力を他人のために使うことはとても尊いことであり、決して責められるようなことではありません。あなたが自分自身を責める理由など、どこにもないのです」

「……」


 黙って言われたことの意味を考える私を、ローランさんは優しい瞳で見守ってくれていた。


「色々と差し出がましいことを申し上げました。ご容赦下さい」


 突然ローランさんがそう言って頭を下げるので、私は慌てて答えた。


「ローランさんが謝る必要なんてありません。むしろとても参考になりました。ありがとうございました。少し…考えてみます、自分のことについて」


 そう言って私は席を立った。

 ローランさんに飲み物のお礼を言ってから、私は自分のテントに戻った。




 寝床に倒れ込んでから、先程のローランさんの話について考える。


 ローランさんが他人の死について割り切れるようになったのは、自分の思い上がりに気付き、身の程を知ったからだと言っていた。

 ならば、私の身の程とは?

 神術に関して目立った適性を持たないことだろうか?いや、そういう問題じゃない気がする。そうじゃなくてもっと根本的な……


「あ、そっか」


 そうだ。神術師としての力の問題じゃない。

 そもそもの私自身、更科梨沙という人間の問題なんだ。


 神術師として大きな力を持つのだから、何でも出来るし何でもしなきゃいけない気になっていた。

 でも、そもそも私はそんなご立派な人間じゃない。

 大きな力を持ちながら、それをこの世界のためではなく、自分の幸福を掴むために、この世界を捨てるために使おうとしているのだから。

 そんな風に思うこと自体が、思い上がりだったんだ。


 私は聖女なんて呼ばれているけれど、決して聖人君子なんかじゃない。

 自分の幸せを求める、普通の女の子だ。でも、それでいいんだ。

 だって人は皆、自分の力で幸せになろうと必死に生きているのだから。


 この世界と元の世界を選び切れない?それでもいいじゃないか。だって私はそんなはっきりと割り切れる程強くない。弱い人間なのだから。


 弱く、凡庸な自分自身を受け入れよう。

 割り切る強さも、私を滅して他人に尽くす優しさも持てない自分を、許そう。

 その代わり、そんな自分でも出来ることを精一杯やる。

 そんな自分を、真っ直ぐ貫こう。心のままに。

 いつか振り返った時、自分の歩んだ道を誇れるように、そして許せるように。

 所詮私に出来ることなんて、そんなものだ。そんなものでいいんだ。



 迷いが、消えた。


 私は仰向けになると、天井を覆う布を見詰めながら、決意の言葉を口にする。自分自身に宣誓するように。


「私はいつか、この世界を捨てる」


 そう、それが私の願い。


「でも、この世界の全てを切り捨てることは出来ない」


 そう、それは出来ない。なら…


「逃げない。目を逸らさない。目の前のことに全力で、真っ直ぐ向き合う。心のままに」


 しなかったことで苦しみたくないから。それなら出来なかったことで苦しみたいから。そして、出来なかった自分を許せるようになりたいから。

 いつか胸を張ってこの世界を去れるように、聖剣ゼクセリアを持つ者として、剣聖アーサーの遺志に背かぬように。真っ直ぐ、全力で立ち向かう。


 結局、今までとやることは何も変わらない。

 でも、もう迷いはなくなっていた。

 それは、自分自身の意志でやることを決めたから。

 状況に翻弄され、流されたのではなく、きっちり地に足を着けた上でその道を選んだから。


 まだ、苦しみが完全に消えた訳ではない。

 これからも、きっと苦しむだろう。

 でも、もう足は止めない。この道の先に、全てが報われる瞬間があると信じているから。



 決意を胸に、私はゆっくりと眠りに就いた。

 

 もう、悪夢は見ることはなかった。


ドシリアス終了です。

次回からはいつものノリに戻ります。

次回更新は来週の火曜日までにやる予定です。

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― 新着の感想 ―
すいません、浅黄のみなさん! めっちゃ怪しんでました!
[良い点] そう!その通り!
[良い点] 泣いた( ;∀;) [一言] 「選択すること」 「自分の弱さを受け入れること」 人生の命題ですねぇ 作風や読みやすさ、設定、どれもこれも好きですが 作品の根底に流れるそのことに感涙しまし…
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